シアターオーブ、2020年3月25日13時半。
20世紀初頭、帝政末期のロシア、サンクトペテルブルク。ロシア皇帝ニコライ2世の末娘として生まれたアナスタシア(この日は西光里咲)の宝物は、パリへ移り離ればなれになってしまった祖母マリア皇太后(麻美れい)からもらったオルゴールだった。宮廷で家族と幸せな日々を送るアナスタシアだったが、突如ボリシェビキ(のちのソ連共産党)の攻撃を受け、皇帝一家は滅びてしまう。しかし街中ではアナスタシア生存の噂が広がっていた。パリに住むマリア皇太后はわずかな希望にすがり、アナスタシアを探すために多額の懸賞金を懸ける。それを聞いたふたりの詐欺師、ディミトリ(この日は相葉裕樹)とヴラド(この日は大澄賢也)は、アナスタシアによく似た記憶喪失の少女アーニャ(この日は木下晴香)を利用し、賞金をだまし取ろうと企てるが…
脚本/テレンス・マクナリー、音楽/ステファン・フラハティ、作詞/リン・アレンス、演出/ダルコ・ドレスニャク、振付/ペギー・ヒッキー、美術/アレクサンダー・ドッジ、翻訳・訳詞/高橋亜子。アナスタシア伝説をモチーフにした1956年の映画『追想』をリメイクした1997年のアニメ映画『アナスタシア』をミュージカル化、2017年ブロードウェイ初演。全2幕。
アニメは未見。ナンバーのひとつ「遠い12月」しか知りませんでしたが、宙組公演の予習として出かけてきました。初日開いてすぐに新型コロナウィルスの影響で休演していましたが、劇場入り口で体温チェックもして、アルコール消毒して、マスク推奨で、ホワイエや客席での飲食も禁止して再開され、私がチケットを持っていた回も無事に上演されたのでした。おりしも脚本家テレンス・マクナリー氏がコロナ感染による合併症で亡くなったとの訃報が入った日であり、宝塚歌劇の再々度の公演中止延長が発表された日でもありました。雪組東京千秋楽は前楽ともどもなんとか劇場に観客を入れて上演され、大楽は映画館でのライビュは中止されたもののスカステ生中継ということまでやってくれたわけですが、星組東京公演の初日の幕は上がらず、花組大劇場公演初日も再び延び、宙組の別箱公演ふたつも最初の2日が飛びました。私は宙別箱はどちらも初日から観劇予定でしたので、ことのほかショックでした…が、返す刀で振り替えや追加を依頼しました。オスマン帝国にも水星にも絶対に行ってみせる、まずはペテルブルクそしてパリへ…と、万全の支度をして渋谷に赴いたのでした。
外部の公演には開演アナウンスはないので、1幕最初のナンバーが終わって自然と拍手したときに、「ああ、舞台に向けて、演者やオケやスタッフさんたちに拍手が送れる嬉しさよ…!」と心震え、ラストのラインナップに手拍子を入れられる楽しさにも酔いました。ポツポツ空席もありましたが、よく埋まり、拍手も温かな、集中した良い空間でした。確かにいつもより空調が効いていてすうすうするのを感じましたが、肌寒いということはなく、端の席でも観やすく聴きやすい劇場で、快適に観劇しました。
ただ、内容的にはいろいろ思うところがありました。ザッツ海外ミュージカルだな!というのが率直な感想です。宝塚歌劇化するにはもっといろいろ改変したいし、単純に作品としてのクオリティを上げるためにももっともっと手を入れたい、と私は思いました。もちろん私はなんの権限も持たない、一舞台ファンにすぎないのですが。
以下ネタバレ全開で語ります。未見の方や内容を事前に知りたくない方はご考慮ください。
というわけでそもそもはタイトルロールたるアナスタシアが主人公の、まあ一代記というほどではない物語ではありますが、同じタイトルのままでいくにしても宝塚歌劇にするならトップスターが主人公でトップ娘役とのラブロマンス、にきちんと変換しなければなりません。なのでまずはディミトリの出番をどう増やすかが問題なのだけれど、まずは冒頭、のちに話に出るパレードの場面を入れた方がいいと思うんですよね。
皇帝一家が馬車に乗って街をパレードして、それを幾多の民衆が見守る。戦勝イベントか建国記念か皇帝生誕祭か何かわかりませんが、とにかくなんかそんなイベントがあった、ということでしたよね。馬車はどーするんだ、とかの問題はさておいて、この場面はあった方がいい。あとで「そんなことがあったわね」と後出しするのではなくて、あとで「あのときのあれか!」となった方がいいのです。なんといっても、ふたりのファースト・コンタクト場面なのですから。
役がないので増やすためにも子役を立てたいところですが、でもちゃんとまかまどで観たいなー。ふたりとも幼い演技がちゃんとできると思うんですよね。馬車の中で微笑む皇女と、目が合って沿道でお辞儀をする少年…絵になります。
そしてここで、ディミトリのキャラクターをもっと立てたい。おそらく彼はアナーキストである父親に連れられてこのパレード見物に来ているのでしょう。となれば父親は皇帝一家に敬意を持って見守っているわけではない。思わずお辞儀しちゃった息子を叱ったりしたかもしれない。そこで帝政ロシアの問題点とかも語らせて、父親の思想と、そんな彼に育てられたディミトリの立ち位置をきちんと見せたい。そして、それがそのまま大きくなって革命後は日雇い労働者、実は詐欺師…みたいに見せるくだりになったときに、次はもっと性格その他を見せたいです。
現状、彼には「詐欺師」という肩書きみたいなものしかなくて、キャラクターがないのです。ヴラドと組んで詐欺を働いている、というのはわかる。でもたとえば、実は嫌々やっていて、人を騙すことに罪悪感を感じている、本当は優しくて真面目で純朴な青年…なのか? それとも、革命後もたいして良くならない世の中に絶望して厭世的、冷笑的になっている、クールで冷酷な男なのか? あるいは口八丁手八丁で陽気な明るい天性の詐欺師、深いことなど何も考えていないお調子者、なのか? そういう性格設定、キャラ立ちが全然見えてこないままに話が始まるので、観客が彼に感情移入し、応援して物語を追いたい、という気持ちになれないのです。そこが弱い。なんなら名前すらきちんと明かされないままに始めるのとか、ホントやめてほしいです。演出としてヘタすぎる。
まあ宝塚歌劇はファンが観るものだし他組ファンでもトップの顔くらい知ってるだろうしスポットライトは当たるしなんなら他の民衆よりいい服着ちゃってて目立つだろうから、誰が主役かわからないなんてことはまずありません。でもそういうことに甘えて作品を作っていてはいけないのです。まず一番に誰かに「おい、ディミトリ」と声をかけさせ、彼の名前を呼ばせる。観客に知らしめる。そしてその応え方で彼の人となりを見せる。「俺のペテルブルク」を待たず、「ペテルブルクの噂」のリードを歌わせながら、彼がどんな人間で今までどうやって育ってきて今はどう暮らしていて将来どうしたいと思っているか、をしっかり見せる。でないと観客は彼を主役だと認識しません。それが現状まったく足りていません。
アナスタシア詐欺をやろうとする経緯もまったく不明なんですよね。今まではどんな詐欺をしていたのか、何故偽者を皇女に仕立てようと思ったのかがまったく描かれていないのは問題です。報奨金欲しさか、ロシアを出たいということなのか、パリへ行きたいということなのか、マリアの鼻の穴を開かしたいということなのか。これは全部少しずつ違うことです。最初に彼の望みをきっちり掲示しておかないと、アーニャと出会い、事態が進んでいく中で彼の思惑が当初とズレていってしまうことによるドラマが追えなくなるじゃないですか。その変化と捻れがおもしろいんじゃないですか、ドラマの盛り上がるところ、見せどころ、キモじゃないですか。ここがゆるいんだもん、あまりにもヘタすぎます。
一方、アーニャもキャラが弱いのが気になります。宝塚版では役を増やす必要があることもあり、道路掃除婦仲間なんかを作って、その中で彼女の人となりなんかを見せたいところですね。役者はプログラムの対談で「小学生のときに、男子の友達の方が多くいた女子」「女の子たちとおままごとするより、男の子たちと一緒に虫取り行ってました!みたいな」とアーニャのイメージを語っていますが、具体的に表現できる場面やエピソードがないので、印象として弱いのです。そりゃディミトリたちに対して意外とおてんばっぽかったりお行儀悪かったり気が強かったりするような部分は出ていて、元気で好感が持てていいんだけれど、でも表現として弱いと思うのです。もちろん、ずっとひとりで生きてきてロシアの半分を歩いて移動してきたような設定なんだから、孤独で、友達なんかいない境遇なのかもしれないけれど、でも周りに上手く人を置かないとその人の人柄は表現できないものなのです。そこがヘタ。
人となり、人柄、性格の描写、つまりキャラ立ちが弱いと、ディミトリもグレブ(この日は山本耕史)も彼女のどこにそんなに惚れるの?ってなっちゃうでしょ?
そうそう、宝塚歌劇的にはやはりまかまどの出会いの方をまどキキの出会いより先に置くべきです。冒頭の子供時代のパレードの場面はノーカンだから、何か印象的ないいエピソードを作っていただきたいです。そのあとのアーニャとグレブの出会いは、今くらいでもいいかと思います。そしてここは、鬼のグレブも美人には甘い、ということではなくて、表向きは仕事として冷酷無比な顔でやっているけれど、一度演台を降りればわりと普通の人間で、たとえば栄養失調でフラフラしているような掃除婦にも優しく声をかけるよ、というようなセンでいっていただきたいです。今、なんか中途半端だと思いました。グレブはいい萌えキャラなので、美人に安易にフラフラする男として描いてほしくないのです。
海外ミュージカルあるあるで、この作品も基本的にナンバーが中心で芝居パートがほとんどなく、特に1幕はキャラが布陣しただけで話はイントロでしょ?程度のところまでしか進まなくて終わります。そして2幕になると俄然芝居パートが増えるんだけど、ここがまた未整理やら足りないやらでせっかくのモチーフが全然盛り上がらなくて、私は観ていてイライラしました。これは改善していただきたいです。
ディミトリの当初の望みを明示してほしい、と言ったのと同様に、アーニャの望みも明示してほしいです。そもそも彼女は自分が皇女だと本当に考えていたのでしょうか? なんだかよくわからなかった気がしました。記憶を取り戻したいのか、家族を取り戻したいのか、本来の立場を取り戻したいのか、ディミトリたちのために小金を稼いであげたいのか? これも、どれもちょっとずつ違うことです。彼女の当初の望みがどれなのかしっかり決めて、提示しないといけません。それがマリアの思惑とは違う、ディミトリの思惑とは違う、すれ違っていく、捻れていく…そこにドラマの醍醐味があるんじゃないですか。なのに今、誰の何と何がどう対立していてどう問題になっているのか、さっぱりわかりません。だから盛り上がりに欠けるのです。ただそれぞれがヒステリックに叫び合うだけの流れになっちゃっています。それじゃダメでしょ?
それに肝心の、アーニャがマリアと対面する場面がないのも謎なら、マリアとディミトリが対峙する場面がないのも謎です。ディミトリはアーニャはただの掃除婦だと思っていて、アナスタシアに仕立ててマリアを騙し報奨金を手に入れて、その金でバリで遊んで暮らす…みたいなことを考えていたのではないの? でも、明るく優しいアーニャを好きになった。だから今度は、お金なんかもらえなくても、手に手を取ってふたりで逃げてどこかでふたりで生きていくことを一瞬は夢見た。けれど、アーニャが教えてられていないアナスタシアに関する知識なんかをぽろぽろ出してくるに至って、もしかして本物の皇女なのかもしれない、だとしたら自分とは身分違いだ、だから自分は身を引こう、彼女をマリアに預けて自分は消えよう、お金なんか要らない、俺が望むのは彼女の幸せだけだ…となる、って流れになるべきなんじゃないの? それをマリアも認めた、ということなのではないの? せっかくのあのお辞儀が効いてないよ??
一方アーニャはマリアに孫だと認められずに傷ついて、ディミトリを詰りますが、なんでそうなるのか私にはよくわかりませんでした。嘘をつかせたことを詰るような台詞もありましたが、記憶が戻って自分が皇女だと自覚しているなら、それは嘘ではないのでは? 皇女としての復権だとかロマノフの遺産を継ぐとかなんかは望んでなくて、ただ世界にひとりだけ残った家族に会いたかっただけだということなら、自分を孫だと認めてくれないマリアに怒るべきなのでは?
それと、家族に会いたい、祖母に孫だと認められたいという想いよりも、一緒に旅してきたディミトリとまだまだ一緒にいたい、この先もずっと一緒にいたい、偽者扱いされるならもうそれでいいからふたりでどこかへ行きたいと思うようになったのに、ディミトリが一線を引こうとするのが悲しくて…みたいな流れなんじゃないの? 愛し合っていると思っていたのに、私の思い違いだったの!?みたいなメロドラマになるべきなんじゃないの??
今、アーニャの望みが当初はなんだったのか、アナスタシア・レッスンをするうちにどう変わったのか、マリアに会って、また拒否されてどう変わったのか、がきちんと追えないままに話が進むので、せっかくのすれ違いやボタンの掛け違いのメロドラマにも萌えられないのです。ああ、もったいない。
そしてマリアもよくわかりません…DNA鑑定なんてもののないこの時代、偽者は何人も現れて辟易していて、そこにオルゴールひとつでマリアは本当にアーニャを孫娘だと確信できたのでしょうか? 真相はわからないしむしろどっちでもよくて、でもマリアはディミトリとアーニャが愛し合っているのを見て取ったので、ふたりが一緒にいられるよう仕向けた…とかなのではないの? 今、一度は拒否して、次に認めて、でも出ていくのを容認するとか、ワケわかりません。
グレブは、まあいいです。本物の皇女なら暗殺しなくてはならない、偽者なら自分の妻にしたい、彼女に惹かれている、しかし彼女は俺を愛していない、だから殺してやりたい、だが殺せない…みたいなドラマは、わかりました。イヤ十分わかりづらかったけれど、2番手のドラマだから重要度としては後回しにしてもいいわけです。肝心の主役カップルのドラマがきちんと描けていない方が断然問題です。
報奨金ももらわず、以前と同じボロを着て、パリを去ろうとするディミトリの前に、記者会見から逃げ出してきた、王冠も付けたままのドレス姿のアーニャが現れる。トランクに乗って目の高さを合わせ、ゆりかちゃんにキスするまどか! ここはまんまやりましょうね!! で、お金も地位も要らない、お城も宮廷も要らない、お互いがいればいいの、でハッピーエンド。お話としては、よくできていると思います。
私はこの物語は、記憶喪失のアーニャが本当にアナスタシア皇女だったのかどうかはわからないままにお話が終わる、あるいは本人も悩む…みたいなところに眼目があるのかと思っていたのですが、プログラムではアニメ版に関してですが「記憶をなくした皇女アナスタシアが、自分自身の過去と愛する家族、そして、心のよりどころを見つける旅路を描いた作品」とズバリ総括していて、アーニャがアナスタシアであることは規定なのですね。そこがなんかひとつ、掘り下げ甲斐があるところをあっさり埋めてしまっている気もしてもったいなくも感じました。
ともあれその気になれば90分で十分にまとめてしまえるお話なので、芝居を足し役を足しさらにショーアップしないとしんどいぞ、というのが正直な印象です。おそらく先方も改変には協力的だと思われるので、ぜひ期待したいところです。
ディミトリと常に一緒にいるヴラドは大きく見える役ですが、年齢設定を下げてずんちゃんとかにやらせるのでしょうか…ま、おじさんのままでもできそうですが。それか、そら? マリアは上級生娘役がやっちゃうのかなあ、となるとリリー(この日は朝海ひかる)くらいしか他に役がないんだけれど、これもあまり路線っぽくない役なのでららとかじゅっちゃんとか夢白ちゃんってのもどうなのよ?という感じで、いろいろ心配ではあります。
さて、木下晴香ちゃんは上手で綺麗で、過不足なかったです。相葉くんも素敵、山本くんも素敵、そして大澄さんがさすがすぎました。コムちゃんももちろん素敵。でもダブルキャスト、トリプルキャストは他の役者も観てみたかったです。
ターコさんは歌は私にはあいかわらず謎に感じられましたが、さすが皇太后陛下の貫禄とたおやかさ、まろやかさは素晴らしかったです。
映像だの装置だのも意外と大仰でなくてよかったです。トロイカ、マズルカ、チャールストンそしてロシアバレエと、この時代のいろいろな楽曲やダンスが見られたのも楽しかったです。お衣装も素敵でした。
ところで額に付けるマイクは線が青筋みたいに見えて私は気になります…前髪で隠せる人はいいんだけれど…
生オケはさすがよかったです。今どき贅沢だなあ、ありがたいなあ。
機会があればアニメも観てみたいです。そして宙組公演、楽しみにしています。ちゃんと初日から行くから、予定どおり幕が上がりますように…!
確かにエンターテインメントは不要不急のものかもしれません。でも人はパンのみにて生くるにあらず、です。というかパンもサーカスも与えられない政府そこ要らないよ…次の選挙、絶対見てろよな。そして新たな世をしっかり作っていきましょう。まずは体調管理を万全に、元気に楽しく、よく食べよく寝てよく手を洗い、免疫力を上げていきましょう。
負けないぞ!!!
20世紀初頭、帝政末期のロシア、サンクトペテルブルク。ロシア皇帝ニコライ2世の末娘として生まれたアナスタシア(この日は西光里咲)の宝物は、パリへ移り離ればなれになってしまった祖母マリア皇太后(麻美れい)からもらったオルゴールだった。宮廷で家族と幸せな日々を送るアナスタシアだったが、突如ボリシェビキ(のちのソ連共産党)の攻撃を受け、皇帝一家は滅びてしまう。しかし街中ではアナスタシア生存の噂が広がっていた。パリに住むマリア皇太后はわずかな希望にすがり、アナスタシアを探すために多額の懸賞金を懸ける。それを聞いたふたりの詐欺師、ディミトリ(この日は相葉裕樹)とヴラド(この日は大澄賢也)は、アナスタシアによく似た記憶喪失の少女アーニャ(この日は木下晴香)を利用し、賞金をだまし取ろうと企てるが…
脚本/テレンス・マクナリー、音楽/ステファン・フラハティ、作詞/リン・アレンス、演出/ダルコ・ドレスニャク、振付/ペギー・ヒッキー、美術/アレクサンダー・ドッジ、翻訳・訳詞/高橋亜子。アナスタシア伝説をモチーフにした1956年の映画『追想』をリメイクした1997年のアニメ映画『アナスタシア』をミュージカル化、2017年ブロードウェイ初演。全2幕。
アニメは未見。ナンバーのひとつ「遠い12月」しか知りませんでしたが、宙組公演の予習として出かけてきました。初日開いてすぐに新型コロナウィルスの影響で休演していましたが、劇場入り口で体温チェックもして、アルコール消毒して、マスク推奨で、ホワイエや客席での飲食も禁止して再開され、私がチケットを持っていた回も無事に上演されたのでした。おりしも脚本家テレンス・マクナリー氏がコロナ感染による合併症で亡くなったとの訃報が入った日であり、宝塚歌劇の再々度の公演中止延長が発表された日でもありました。雪組東京千秋楽は前楽ともどもなんとか劇場に観客を入れて上演され、大楽は映画館でのライビュは中止されたもののスカステ生中継ということまでやってくれたわけですが、星組東京公演の初日の幕は上がらず、花組大劇場公演初日も再び延び、宙組の別箱公演ふたつも最初の2日が飛びました。私は宙別箱はどちらも初日から観劇予定でしたので、ことのほかショックでした…が、返す刀で振り替えや追加を依頼しました。オスマン帝国にも水星にも絶対に行ってみせる、まずはペテルブルクそしてパリへ…と、万全の支度をして渋谷に赴いたのでした。
外部の公演には開演アナウンスはないので、1幕最初のナンバーが終わって自然と拍手したときに、「ああ、舞台に向けて、演者やオケやスタッフさんたちに拍手が送れる嬉しさよ…!」と心震え、ラストのラインナップに手拍子を入れられる楽しさにも酔いました。ポツポツ空席もありましたが、よく埋まり、拍手も温かな、集中した良い空間でした。確かにいつもより空調が効いていてすうすうするのを感じましたが、肌寒いということはなく、端の席でも観やすく聴きやすい劇場で、快適に観劇しました。
ただ、内容的にはいろいろ思うところがありました。ザッツ海外ミュージカルだな!というのが率直な感想です。宝塚歌劇化するにはもっといろいろ改変したいし、単純に作品としてのクオリティを上げるためにももっともっと手を入れたい、と私は思いました。もちろん私はなんの権限も持たない、一舞台ファンにすぎないのですが。
以下ネタバレ全開で語ります。未見の方や内容を事前に知りたくない方はご考慮ください。
というわけでそもそもはタイトルロールたるアナスタシアが主人公の、まあ一代記というほどではない物語ではありますが、同じタイトルのままでいくにしても宝塚歌劇にするならトップスターが主人公でトップ娘役とのラブロマンス、にきちんと変換しなければなりません。なのでまずはディミトリの出番をどう増やすかが問題なのだけれど、まずは冒頭、のちに話に出るパレードの場面を入れた方がいいと思うんですよね。
皇帝一家が馬車に乗って街をパレードして、それを幾多の民衆が見守る。戦勝イベントか建国記念か皇帝生誕祭か何かわかりませんが、とにかくなんかそんなイベントがあった、ということでしたよね。馬車はどーするんだ、とかの問題はさておいて、この場面はあった方がいい。あとで「そんなことがあったわね」と後出しするのではなくて、あとで「あのときのあれか!」となった方がいいのです。なんといっても、ふたりのファースト・コンタクト場面なのですから。
役がないので増やすためにも子役を立てたいところですが、でもちゃんとまかまどで観たいなー。ふたりとも幼い演技がちゃんとできると思うんですよね。馬車の中で微笑む皇女と、目が合って沿道でお辞儀をする少年…絵になります。
そしてここで、ディミトリのキャラクターをもっと立てたい。おそらく彼はアナーキストである父親に連れられてこのパレード見物に来ているのでしょう。となれば父親は皇帝一家に敬意を持って見守っているわけではない。思わずお辞儀しちゃった息子を叱ったりしたかもしれない。そこで帝政ロシアの問題点とかも語らせて、父親の思想と、そんな彼に育てられたディミトリの立ち位置をきちんと見せたい。そして、それがそのまま大きくなって革命後は日雇い労働者、実は詐欺師…みたいに見せるくだりになったときに、次はもっと性格その他を見せたいです。
現状、彼には「詐欺師」という肩書きみたいなものしかなくて、キャラクターがないのです。ヴラドと組んで詐欺を働いている、というのはわかる。でもたとえば、実は嫌々やっていて、人を騙すことに罪悪感を感じている、本当は優しくて真面目で純朴な青年…なのか? それとも、革命後もたいして良くならない世の中に絶望して厭世的、冷笑的になっている、クールで冷酷な男なのか? あるいは口八丁手八丁で陽気な明るい天性の詐欺師、深いことなど何も考えていないお調子者、なのか? そういう性格設定、キャラ立ちが全然見えてこないままに話が始まるので、観客が彼に感情移入し、応援して物語を追いたい、という気持ちになれないのです。そこが弱い。なんなら名前すらきちんと明かされないままに始めるのとか、ホントやめてほしいです。演出としてヘタすぎる。
まあ宝塚歌劇はファンが観るものだし他組ファンでもトップの顔くらい知ってるだろうしスポットライトは当たるしなんなら他の民衆よりいい服着ちゃってて目立つだろうから、誰が主役かわからないなんてことはまずありません。でもそういうことに甘えて作品を作っていてはいけないのです。まず一番に誰かに「おい、ディミトリ」と声をかけさせ、彼の名前を呼ばせる。観客に知らしめる。そしてその応え方で彼の人となりを見せる。「俺のペテルブルク」を待たず、「ペテルブルクの噂」のリードを歌わせながら、彼がどんな人間で今までどうやって育ってきて今はどう暮らしていて将来どうしたいと思っているか、をしっかり見せる。でないと観客は彼を主役だと認識しません。それが現状まったく足りていません。
アナスタシア詐欺をやろうとする経緯もまったく不明なんですよね。今まではどんな詐欺をしていたのか、何故偽者を皇女に仕立てようと思ったのかがまったく描かれていないのは問題です。報奨金欲しさか、ロシアを出たいということなのか、パリへ行きたいということなのか、マリアの鼻の穴を開かしたいということなのか。これは全部少しずつ違うことです。最初に彼の望みをきっちり掲示しておかないと、アーニャと出会い、事態が進んでいく中で彼の思惑が当初とズレていってしまうことによるドラマが追えなくなるじゃないですか。その変化と捻れがおもしろいんじゃないですか、ドラマの盛り上がるところ、見せどころ、キモじゃないですか。ここがゆるいんだもん、あまりにもヘタすぎます。
一方、アーニャもキャラが弱いのが気になります。宝塚版では役を増やす必要があることもあり、道路掃除婦仲間なんかを作って、その中で彼女の人となりなんかを見せたいところですね。役者はプログラムの対談で「小学生のときに、男子の友達の方が多くいた女子」「女の子たちとおままごとするより、男の子たちと一緒に虫取り行ってました!みたいな」とアーニャのイメージを語っていますが、具体的に表現できる場面やエピソードがないので、印象として弱いのです。そりゃディミトリたちに対して意外とおてんばっぽかったりお行儀悪かったり気が強かったりするような部分は出ていて、元気で好感が持てていいんだけれど、でも表現として弱いと思うのです。もちろん、ずっとひとりで生きてきてロシアの半分を歩いて移動してきたような設定なんだから、孤独で、友達なんかいない境遇なのかもしれないけれど、でも周りに上手く人を置かないとその人の人柄は表現できないものなのです。そこがヘタ。
人となり、人柄、性格の描写、つまりキャラ立ちが弱いと、ディミトリもグレブ(この日は山本耕史)も彼女のどこにそんなに惚れるの?ってなっちゃうでしょ?
そうそう、宝塚歌劇的にはやはりまかまどの出会いの方をまどキキの出会いより先に置くべきです。冒頭の子供時代のパレードの場面はノーカンだから、何か印象的ないいエピソードを作っていただきたいです。そのあとのアーニャとグレブの出会いは、今くらいでもいいかと思います。そしてここは、鬼のグレブも美人には甘い、ということではなくて、表向きは仕事として冷酷無比な顔でやっているけれど、一度演台を降りればわりと普通の人間で、たとえば栄養失調でフラフラしているような掃除婦にも優しく声をかけるよ、というようなセンでいっていただきたいです。今、なんか中途半端だと思いました。グレブはいい萌えキャラなので、美人に安易にフラフラする男として描いてほしくないのです。
海外ミュージカルあるあるで、この作品も基本的にナンバーが中心で芝居パートがほとんどなく、特に1幕はキャラが布陣しただけで話はイントロでしょ?程度のところまでしか進まなくて終わります。そして2幕になると俄然芝居パートが増えるんだけど、ここがまた未整理やら足りないやらでせっかくのモチーフが全然盛り上がらなくて、私は観ていてイライラしました。これは改善していただきたいです。
ディミトリの当初の望みを明示してほしい、と言ったのと同様に、アーニャの望みも明示してほしいです。そもそも彼女は自分が皇女だと本当に考えていたのでしょうか? なんだかよくわからなかった気がしました。記憶を取り戻したいのか、家族を取り戻したいのか、本来の立場を取り戻したいのか、ディミトリたちのために小金を稼いであげたいのか? これも、どれもちょっとずつ違うことです。彼女の当初の望みがどれなのかしっかり決めて、提示しないといけません。それがマリアの思惑とは違う、ディミトリの思惑とは違う、すれ違っていく、捻れていく…そこにドラマの醍醐味があるんじゃないですか。なのに今、誰の何と何がどう対立していてどう問題になっているのか、さっぱりわかりません。だから盛り上がりに欠けるのです。ただそれぞれがヒステリックに叫び合うだけの流れになっちゃっています。それじゃダメでしょ?
それに肝心の、アーニャがマリアと対面する場面がないのも謎なら、マリアとディミトリが対峙する場面がないのも謎です。ディミトリはアーニャはただの掃除婦だと思っていて、アナスタシアに仕立ててマリアを騙し報奨金を手に入れて、その金でバリで遊んで暮らす…みたいなことを考えていたのではないの? でも、明るく優しいアーニャを好きになった。だから今度は、お金なんかもらえなくても、手に手を取ってふたりで逃げてどこかでふたりで生きていくことを一瞬は夢見た。けれど、アーニャが教えてられていないアナスタシアに関する知識なんかをぽろぽろ出してくるに至って、もしかして本物の皇女なのかもしれない、だとしたら自分とは身分違いだ、だから自分は身を引こう、彼女をマリアに預けて自分は消えよう、お金なんか要らない、俺が望むのは彼女の幸せだけだ…となる、って流れになるべきなんじゃないの? それをマリアも認めた、ということなのではないの? せっかくのあのお辞儀が効いてないよ??
一方アーニャはマリアに孫だと認められずに傷ついて、ディミトリを詰りますが、なんでそうなるのか私にはよくわかりませんでした。嘘をつかせたことを詰るような台詞もありましたが、記憶が戻って自分が皇女だと自覚しているなら、それは嘘ではないのでは? 皇女としての復権だとかロマノフの遺産を継ぐとかなんかは望んでなくて、ただ世界にひとりだけ残った家族に会いたかっただけだということなら、自分を孫だと認めてくれないマリアに怒るべきなのでは?
それと、家族に会いたい、祖母に孫だと認められたいという想いよりも、一緒に旅してきたディミトリとまだまだ一緒にいたい、この先もずっと一緒にいたい、偽者扱いされるならもうそれでいいからふたりでどこかへ行きたいと思うようになったのに、ディミトリが一線を引こうとするのが悲しくて…みたいな流れなんじゃないの? 愛し合っていると思っていたのに、私の思い違いだったの!?みたいなメロドラマになるべきなんじゃないの??
今、アーニャの望みが当初はなんだったのか、アナスタシア・レッスンをするうちにどう変わったのか、マリアに会って、また拒否されてどう変わったのか、がきちんと追えないままに話が進むので、せっかくのすれ違いやボタンの掛け違いのメロドラマにも萌えられないのです。ああ、もったいない。
そしてマリアもよくわかりません…DNA鑑定なんてもののないこの時代、偽者は何人も現れて辟易していて、そこにオルゴールひとつでマリアは本当にアーニャを孫娘だと確信できたのでしょうか? 真相はわからないしむしろどっちでもよくて、でもマリアはディミトリとアーニャが愛し合っているのを見て取ったので、ふたりが一緒にいられるよう仕向けた…とかなのではないの? 今、一度は拒否して、次に認めて、でも出ていくのを容認するとか、ワケわかりません。
グレブは、まあいいです。本物の皇女なら暗殺しなくてはならない、偽者なら自分の妻にしたい、彼女に惹かれている、しかし彼女は俺を愛していない、だから殺してやりたい、だが殺せない…みたいなドラマは、わかりました。イヤ十分わかりづらかったけれど、2番手のドラマだから重要度としては後回しにしてもいいわけです。肝心の主役カップルのドラマがきちんと描けていない方が断然問題です。
報奨金ももらわず、以前と同じボロを着て、パリを去ろうとするディミトリの前に、記者会見から逃げ出してきた、王冠も付けたままのドレス姿のアーニャが現れる。トランクに乗って目の高さを合わせ、ゆりかちゃんにキスするまどか! ここはまんまやりましょうね!! で、お金も地位も要らない、お城も宮廷も要らない、お互いがいればいいの、でハッピーエンド。お話としては、よくできていると思います。
私はこの物語は、記憶喪失のアーニャが本当にアナスタシア皇女だったのかどうかはわからないままにお話が終わる、あるいは本人も悩む…みたいなところに眼目があるのかと思っていたのですが、プログラムではアニメ版に関してですが「記憶をなくした皇女アナスタシアが、自分自身の過去と愛する家族、そして、心のよりどころを見つける旅路を描いた作品」とズバリ総括していて、アーニャがアナスタシアであることは規定なのですね。そこがなんかひとつ、掘り下げ甲斐があるところをあっさり埋めてしまっている気もしてもったいなくも感じました。
ともあれその気になれば90分で十分にまとめてしまえるお話なので、芝居を足し役を足しさらにショーアップしないとしんどいぞ、というのが正直な印象です。おそらく先方も改変には協力的だと思われるので、ぜひ期待したいところです。
ディミトリと常に一緒にいるヴラドは大きく見える役ですが、年齢設定を下げてずんちゃんとかにやらせるのでしょうか…ま、おじさんのままでもできそうですが。それか、そら? マリアは上級生娘役がやっちゃうのかなあ、となるとリリー(この日は朝海ひかる)くらいしか他に役がないんだけれど、これもあまり路線っぽくない役なのでららとかじゅっちゃんとか夢白ちゃんってのもどうなのよ?という感じで、いろいろ心配ではあります。
さて、木下晴香ちゃんは上手で綺麗で、過不足なかったです。相葉くんも素敵、山本くんも素敵、そして大澄さんがさすがすぎました。コムちゃんももちろん素敵。でもダブルキャスト、トリプルキャストは他の役者も観てみたかったです。
ターコさんは歌は私にはあいかわらず謎に感じられましたが、さすが皇太后陛下の貫禄とたおやかさ、まろやかさは素晴らしかったです。
映像だの装置だのも意外と大仰でなくてよかったです。トロイカ、マズルカ、チャールストンそしてロシアバレエと、この時代のいろいろな楽曲やダンスが見られたのも楽しかったです。お衣装も素敵でした。
ところで額に付けるマイクは線が青筋みたいに見えて私は気になります…前髪で隠せる人はいいんだけれど…
生オケはさすがよかったです。今どき贅沢だなあ、ありがたいなあ。
機会があればアニメも観てみたいです。そして宙組公演、楽しみにしています。ちゃんと初日から行くから、予定どおり幕が上がりますように…!
確かにエンターテインメントは不要不急のものかもしれません。でも人はパンのみにて生くるにあらず、です。というかパンもサーカスも与えられない政府そこ要らないよ…次の選挙、絶対見てろよな。そして新たな世をしっかり作っていきましょう。まずは体調管理を万全に、元気に楽しく、よく食べよく寝てよく手を洗い、免疫力を上げていきましょう。
負けないぞ!!!