駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

桜木紫乃『裸の華』(集英社)

2016年09月29日 | 乱読記/書名は行
 舞台上の怪我で引退を決意した元ストリッパーのノリカは、故郷で店を開くことにした。ダンサーを募集すると、ふたりの若い女性が現われて…踊り子たちの鮮烈な生き様を描く、極上の長編小説。

 考えようによってはとてもベタで、ご都合主義とも思える、綺麗すぎる展開なのかもしれませんが、私は何故かもっと違うタイプのストーリーになると思い込んで読み進めたためか、すごく意外に思い、かつおもしろく読んでしまいました。
 どれだけ取材しているのか、どの程度現実を反映しているのかは謎ですが、「へえ、そうなんだ」と思う点も多く、最後まで飽きませんでした。
 でも、やっぱりベタかなー…でも、この作家の作品の中ではとても読みやすい部類の作品だったのではないかと思いました。全部を読んでいるわけではないのですが…タイトルもいいなと思いました。


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宝塚歌劇花組『アイラブアインシュタイン』

2016年09月24日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚バウホール、2016年9月20日14時半。

 20世紀中盤、天才科学者アルバート(瀬戸かずや)が開発したアンドロイドは、人々の生活になくてはならないものになっていた。世俗の喧騒を逃れ隠遁生活を送るアルバートのもとに、ある日、エルザ(城妃美伶)というアンドロイドが助けを求めにやってくる。アンドロイドに働き口を奪われた人間たちによる反アンドロイド運動が高まる中、人間と平和に共存する道を模索するため、自分たちにも感情を与えてほしいとエルザは言う。彼女に亡き妻ミレーヴァ(桜咲彩花)の面影を見たアルバートは、科学者仲間であるトーマス(水美舞斗)の力も借りてエルザに感情を与えようと試みるが…
 作・演出/谷貴矢、作曲・編曲/太田健、振付/若央りさ、KAORIalive。谷貴矢先生のデビュー作となるサイエンス・フィクションラブ・ストーリー。

 初日からぼやんとした感想ツイしか流れてこなくて、それは今考えたらネタバレを避けるとうまく語れないからだったんだろうけれど、さてどういうスタンスで行ったらいいのかな、まあデビュー作でもあるしそんなに過剰な期待はせず、でも最初からあきらめて行くわけでもなく、フラットに観よう…みたいな感じで出かけてきました。実際には台風の影響もけっこうドキドキもので(武庫川の水位はちょっと怖かったです)、集中しきれるかしら?なんて心配もあったのですが…あにはからんや。
 何かを褒めるのに別の何かを引き合いに出すのはあまり良くないことですが、あえて言いますが『鈴蘭』の100倍おもしろかったです。ちょっと強引なところもつっこみどころもあったけれど、ちゃんとしていました、よくできていました。
 キャラクターが立てられていて、伝えたいメッセージやテーマがあって、細かいところが多少アレレでもストーリーがきちんと組み立てられていて、ドラマがあって萌えがある。この萌えって、作家の情熱とかこだわりってことです。かつたくさんの生徒に役があってそれぞれ適材適所だったり個性が生かされていたり意外な挑戦をさせていたりする。そしてそれぞれに魅力を発揮させている。題材、設定、音楽に目新しさがある。ミュージカルとしての基本的な構造がきちんとできている。装置のセンスがいい。
 あたりまえのことかもしれませんが残念ながら実はなかなかないことで、新人のデビュー作としては十分に及第点だし、ホントにフツーに楽しかったしおもしろかったです。フツーの男女のクラシカルなラブロマンスを求める向きには置いてかれ感を味わわせたかもしれませんが、たまにはこういうタイプの作品があってもいいし、登場人物の大半が実はアンドロイドでも結局は人の心を、愛を描いている作品なので、そこが何より宝塚歌劇としてちゃんとしていると思いました。そういうところがちゃんとしていさえすれば、SFとしてザルな部分なんかいくらでも目を潰れるのです。
 中二すぎるとかオタクで恥ずかしいとかいう意見も多く目にしましたが、私はそんなでもなかったかなー。微笑ましかった。私が自分を理系脳だけどロマンチスト、だと思っているからかもしれませんが、似て非なるツボを感じておもしろく思えたのかもしれません。谷先生は文系脳を自認しているようですが、文理以前に「感情とは何か」という大前提がけっこうあいまいで出落ちに近いくらい破綻していて、それでもいつもわりと細かい整合性を求めたがる私が今回は楽しめた。論理の飛躍にオイオイとなりながらも、キャラクターが好きになれたから楽しく話の行く末を追えた。そして観終えて楽しく幸せになれた、それが大事かなと思いました。
 主人公のピンスポ、客席からの拍手、ソロ歌から始まって主要登場人物が順にそれぞれ印象的にかつ思わせぶりに登場し、最後は全出演者が出て総歌総踊りになるプロローグと、二番手格スターたちの場面に黒燕尾、ダブルヒロインのためデュエダンではなくトリプルダンス、のフィナーレがきっちり作れているのも勝因だったと思います。こういう基本をきちんと抑えられることも大事。というか基本のキもできていない素人くさい作品が最近は多すぎました。今回は、脚本の細かい言葉の使い方に引っかかることも多く、もっと神経使って書いてほしいと思わなくはありませんでしたが、そういうところは今後きっといくらでも直していけるでしょうから、まずはデビューを寿ぎたいです。そういうレベルに達する前にデビューさせちゃった人については、劇団、ちゃんと再教育してくださいね! ファンに「自分の贔屓に当てられたくない作家」を量産してどーする、って話ですよ!

 では、以下、完全にネタバレで、つっこみつつストーリーをおさらいしたいと思います。一度しか観ていないので、勘違いしているだろうところや記憶が怪しいところが多々あるのですが、ご指摘ください。がんばって考えて修正いたします。
 さてそんなワケでこれは、パラレルワールドというか、産業革命のあと勢いあまってアンドロイドまで開発されちゃったような歴史の地球の、20世紀中頃のヨーロッパ、のようです。実際の物理学者アルバート・アインシュタインにはアンドロイドに関して何かの研究があるとか功績があるとかは特になかったかと思うので(しいて言えば「知恵の実」イコール小型核融合装置?の方の研究には関連づけられるかな)、これは「科学者」といえばエジソンかアインシュタインかホーキング、程度のイメージによるネーミングにすぎないのでしょうね。でもいいタイトルだと思います。
 というワケでそのアンドロイドを開発した科学者であり主人公であるアルバートは、しかしもはや引退していて、なんなら失踪と言っていいくらいになっている。田舎の屋敷でアンドロイドの執事やメイドに身の回りの世話をさせて、世間からは引っ込んで暮らしている。イブ氏やたそがいい味を出していて、でもこのアンドロイドたちはだいぶ機械じみていて旧式で、アルバートが初期に開発したものをそのまま使っているということなのだろうか?とか思ったのですがそのあたりに関しては特に説明はナシ。でも世のアンドロイドがこの程度の出来の機械なのでは、人間の働き口を奪って人間が恐慌をきたし反アンドロイド運動に走る…なんてことにはなりそうにないけれどね、ともつっこみたかったけれどそれはおきます。
 アルバートが隠遁しているのは実はさる事故があって記憶をなくしたからで、親友のトーマスは彼を心配して入り浸っている。そしてある日、所属不明の野良アンドロイドみたいなエルザを連れてくる。エルザの動きはメイドアンドロイドたちより格段にスムーズで、メイドたちにはわからない、枯れた花は美しくないから飾っても意味がないということを理解する能力がある。それでも感情が、ことに「愛」がわからないから、それを教えてほしいと彼女は言う。人工知能AIが愛を理解できるなら、人間と共生する道が開かれるはずだから、と…
 アルバートはエルザと出会うことで、忘れていた亡き妻ミレーヴァの顔を思い出し、彼女の幻を見るようになる。エルザはミレーヴァと似ていたのだ。記憶を取り戻そうとする人間の男と、感情を学習しようとするアンドロイドの少女との、奇妙な共同生活が始まる…ワクワクさせられる、素晴らしいイントロだと思いました。
 一方、世間では、国家人間主義労働者党が政権目指して広報活動をしていて、アンドロイドへの不安や憎悪を民衆に植え付けようとしている。それはナチスのパロディになっていて、でも幹部のしーちゃんやあかちゃんがちょっとへっぽこだったりしてキュートでユーモラス。そしてカリスマ党首である亜蓮くんヴォルフ(亜蓮冬馬。だからこのキャラクターはベタに「アドルフ」でもよかったのである)には、じゅんこさんヨーゼフ(英真なおき)の傀儡である以上の秘密が何やらあるらしい…上々の展開です。
 ヨーゼフはかつてレオという名の科学者で、核融合の研究をしていたらしい。かつてアルバートと手を結び、小型核融合装置をアンドロイドの動力とすることで性能拡大できると考えていたらしい。さらにレオはアンドロイドを兵士として人間の代わりに戦争させることも考えていた。かつての戦争で妻子を亡くした彼は戦争を憎んでいた、ただし世界から戦争はなくせないだろう、ならばアンドロイドに戦わせれば人間は死ななくてすむ…最近のテロとか、憲法改正問題とかにも通じるようなネタもぶっこんできています、その意気やよし。
 さて、アルバートとエルザは村のお祭りに行くことになる。ベタですね、フェスタの狂乱は話の進展や展開に欠かせないものですからね。でもここまでアルバートはあくまで自分の過去や亡き妻にこだわっているように私には見えて、だからエルザとダンスしてドキドキして盛り上がっちゃってキスしようとしちゃって…という流れには私はけっこう驚きました。なんかそういう恋愛話の匂いをそこまで全然感じなかったので。エルザの関心もあくまで自分自身の心の動きにあったように見えましたし。話のパターンで考えたら主役ふたりがこういう展開になるのは当然なんだけれど、どうにも唐突に感じました。「恋」が描けないのであればそれは弱点かもしれないぞタカヤくん!
 エルザが「動悸がする」と何度も言うのにも引っかかっていて、そういう心臓の鼓動とか脈拍とか血流とかは生物のものであってアンタにはオイル循環ポンプ装置みたいなものはあるかもしれないけどそれは動悸とは言わないだろう、とかも私は考えてしまっていたりしたのですよ。これはあとで回収されるのですが(しかしそこでも言いたいことはあるのだが)。あとリミッターとかロボット三原則にかかわるような部分の設定の説明があいまいだったのも、ホントはちょっと良くないところです。何がどうなればピンチなのかが観客にある程度が予想つかないと、盛り上がれないからです。その上で予想を裏切り、けれど期待に応えるのがいい仕事ってものなのですよタカヤくん!
 エルザはアンドロイド友達のヨハン(朝月希和)のために人間に怒り刃向かい暴れ、アルバートと盛り上がってキスしかけてショートしてしまう。修理には、アルバートがかつて開発した小型核融合装置「知恵の実」が必要で、でもそれはアルバートの事故や記憶とともに失われてしまっていて、ヨーゼフや国家人間主義労働者党の幹部たちも探しているものなのだけれど、実はそれを保管していたのはトーマスで、義眼として?右目にしまっていたのだった。そして実は彼はミレーヴァの弟で、ミレーヴァが死ぬに至った事故のことも知っていて、科学者としての才能の差にアルバートに対し思うところがあって…えええまさかのこっちがワルでした展開!?
 事故があった地下室に行き、アルバートは記憶を取り戻す。かつてエドゥアルトというアンドロイドに「知恵の実」を搭載したこと、エドゥアルトが暴走しミレーヴァがアルバートをかばって死んだこと…
 トーマスが知恵の実をエルザに与えて再起動させ、エルザはレオからアルバートをかばって撃たれ、アルバートはもろもろのショックでフリーズする。そう、実は彼もまたアンドロイドだったのです! 妻の後負い自殺をしようとした彼を、トーマスが救い、脳を移植して?アンドロイドにし、ミレーヴァの心臓を移植してエルザを作ったというのです。
 簡単に死なせるわけにはいかないから? 償ってほしいから? 天才的な頭脳が惜しいから? 復讐? 憎悪? それとも愛? 混迷の中、幕…

 で、実は私はこれは演出上のストップモーションみたいなもので、アルバートも実はアンドロイドだったのだ!というのを上手く理解できず受け止められないまま幕間に突入してしまったのですけれど、とりあえず二幕。
 トーマスを介して、アルバートとミレーヴァのなれそめが語られます。このべーちゃんがもう素晴らしいわけですよ! もちろんしろきみちゃんの娘役力、ヒロイン力は私はものすごく評価しているのですが、しかしベーちゃんには一日の長がある。一幕はずっと亡霊としてたゆたうように舞台にいて、その存在感(という言い方は亡霊役にはおかしいのかな? しかし素晴らしい虚数「i」っぷりでしたよ!)も素晴らしかったけれど、二幕のこの回想場面でのピチピチの女子大生っぷりはもう最高オブ最高でした。
 またベタなんだこの回想が! あきらにメガネかけさせて白衣着せたら勝ったも同然だと思ったんでしょうタカヤくん、正解です!!!
 学生の身で天才の名を欲しいままにして、でも人づきあいが苦手で友達がいなかったアルバートに、心理学を研究しているミレーヴァが近づいてきて、一緒に研究してアンドロイド開発をしようと持ちかける。ぶっきらぼうな男と人懐っこい女。一緒に研究しているうちにいつしか…キャー!
 でもアンドロイドが商業流通するようになるとアルバートは時の人としてすっかり忙しくなって、ミレーヴァとはすれ違いが続いて、そんな中ミレーヴァが病に倒れて、そのとき彼女は妊娠していて…ベタだわ、でもベタは大事だわ。
 アンドロイドのエドゥアルドはミレーヴァの不調に気づけず、子供を流させてしまったことを悔いている。こういうのがすでに「感情」だし、そもそもプロトタイプっぽいたそハンス(天真みちる)すら命令違反ができた自分を喜ぶくらいなんだから「自我」もあるワケで、もう全然イロイロ駄目でつっこむのに忙しいんだけど物語も情報過多のまま進みます。
 アルバートはレオと手を組んで知恵の実をアンドロイドに搭載することにし、エドゥアルトが実験台一号になって、そして…アルバートはアンドロイドとして再生した。なくしていた記憶も戻った…なかなか長い回想場面でした。
 ここでちょっと飛躍しているんだけどおもしろい論理の展開があったのは、こうやって誰かをかばって身を挺すこと、自分の身を投げ出しても誰かを救おうとすること、誰かのために自分の未来を捨てること、それこそが愛だ、というんだけれど、アンドロイドには寿命がないから時間軸を持たない、今がないから差し出す未来もない、だから愛を知ることがないのだ、みたいな話の展開で。でもエルザと同じくアルバートもアンドロイドだったんだから、未来を持たないもの同士だから、対等だからそれでいいんだ、みたいな。オイオイなんだって? パードン? みたいな論旨展開なんだけど、なんだか押し切られてしまって。実際、人間とアンドロイドの恋愛は難しかろうがアンドロイド同士ならアリなんじゃね?と思わせられてしまう、というか。
 で、国家人間主義労働者党は選挙に勝って党首ヴォルフが首相だか大統領だかになることになって、あいかわらず民衆を扇動しアンドロイドを排斥し兵器利用しようとしていて、だけどエドゥアルトも亜蓮くんで、二役ではなく彼こそがヴォルフで、要するに今ヨーゼフの操り人形として反アンドロイド運動の急先鋒にいる彼が実はアンドロイドという皮肉なことになっているのです。で、ヴォルフがアンドロイドだと暴露されてしまい、アルバートはヨーゼフの操り人形のヴォルフとしてではなくアンドロイドのエドゥアルトとして生きろみたく迫るんだけれど、彼は党首ヴォルフではなくヨーゼフの息子ヴォルフとしての自我(「I」!)を確立し、「父の息子」として生きることを選択する。ヨーゼフは彼に亡き息子の面影を見ていて、もちろん利用していたんだけれど愛情だってあって、だから僕はそれに応えて生きる…みたいな。唐突なんだけど泣かせる展開で、アイデンティティの問題としてすごく深くて。
 で、なんか、人間でもアンドロイドでも同じで、できることもあればできないこともあって、でもとにかく愛が大事で、そうしたらみんなで平和に生きていけるはずで…みたいな話の展開になったんですよ。なんかホント細かい流れを覚えていなくてすみませんが、でもとにかくおもしろかったんです。そうかもね、そうだよねって思わせられちゃったのです。
 で、知恵の実のせいで?アルバートの寿命は尽きて(生物じゃないのに「寿命」という言葉はどうなんだ…耐用年数がすぎたとか、機能停止したとか? まあこのあたりはつっこんでもせんないかな)、エルザも同様で、だからトーマスはふたりを屋敷の庭に埋めてあげて、そしてそこにまた花は咲くだろう、と言うのです。機械だから土に返らないよ、産業廃棄物だよ肥やしにならないよその養分吸って花が咲くとかないよ!というつっこみは無粋なのでしません。もういいんです、なんかそういう感動的な輪廻が舞台には描かれていたのです。花は枯れるから美しい、枯れてもまた咲く、それが愛であり世界である、みたいな。怪しい宗教みたいだけど、ある種の真実でしょう。
 エピローグ、人間とアンドロイドが平和に共生する世の中になっていて(それとも夢なのか?)、「アルバートに似た男」と「エルザに似た女」が出会う。「きみは人間? アンドロイド?」と男に聞かれて、女は「さあ、どっちでしょう?」と笑う…いや、シュールですよ。見分けがまったくつかなくて(ユダヤ人が付けさせられていたダビデの星を思わせるような、アンドロイドが着る服に必ずあった歯車の意匠がこの場面ではなくなっていたので)、心も通うし恋もできるかもしれないけど、性交とか生殖はできないんですよね!?とか私はつっこみたくなりますからね。でもいいんです、ここのあきらとしろきみちゃんがキラキラしているから。そしてやっと解放されたようなミレーヴァのベーちゃんが、トーマスのマイティーがキラキラしているから。みんながキラキラしていて幸せそうだから。だからいいんです。愛がそこにあるから、愛を信じられるから。
 あとはかっちょいいフィナーレとパレードがあって幕、です。めでたい。素晴らしい。

 現実のことを言えば、機械に二足歩行させることすら大変で、人間のように動くアンドロイドなんて夢のまた夢です。AIの方にしたって、チェスや囲碁で人間に勝ったからってそれはそういうルールやシステムのあるゲームでは論理が勝つに決まってるからで、たとえば小説を書くなんて夢のまた夢、自然な会話の受け答えのひとつもできないのが現状です。文法にはイレギュラーなルールが多いし、人間は論理的には話さないからAIはそれに対応できない。感情を学ぶとかなんとかいうレベルでは全然ないのです。
 さりとてでは人間には心や霊や魂があるから高等なんだ、ってことはまったくなくて、感情なんて脳や神経の電気信号にすぎず、複雑なプログラムに従って作動しているだけかもしれず、そちらの方の研究から「感情を科学的に再現する」ことの可能性はとっくに見えてきています。だから機械と人間の差はあるようでやはりないような、なのです。
 愛とはなんなのか、というのは科学的な問いのようでもあるし哲学的な問題のようでもある。愛しいと思い大事に思う、懐く、とかなら動物だって愛を知っている。私たちも、例えば愛用品であるとか思い出の品とか、ただのモノを大事に愛すことはある。でもただのモノが人を愛す、人に懐くということはありえない。ではアンドロイドはどこから「ただのモノ」でなくなるのか? 人間の脳のメカニズムを完全に再現するプログラムができてアンドロイドに搭載すれば、アンドロイドは愛をも知ることになるのか…?
 これはもう、ロマンの問題だとしか言えませんよね。
 理詰めで進めても仕方ないんだろうし、スタートはあきらに白衣着せたら素敵なんじゃね?くらいからで、ダブルヒロインにしなきゃならないから死んだ奥さんと今の彼女にしようか、二股に見えるとアレだから今の彼女は奥さんそっくりのロボットってことにするか…程度から始めたお話であって全然かまわないと思いました。
 生徒をカッコよく見せたい、素敵に、美しく見せたい、楽しいことをやりたい、愛が大事だ、愛があれば大丈夫って言いたい…そんな意志を感じられるからです。かつ、作者が自分の欲望を満たすためだけに劇団を利用しているような感じは見受けられない。そこも大事。
 だからやっぱり、イロイロ破綻しているかもしれないけれど、がんばっていたし楽しい舞台でした、というのが結論かな、と私は思ったのでした。

 中の人々に関して言えば、実は私はあきらのジョン卿を観たときに意外なダイコンっぷりにちょっと目眩を感じたくらいで、これだけのルックスと渋い声を持っているのに場数踏んでないからかもしれないけど残念なことよ…とか思っちゃったのでしたが(相手役のゆきちゃんマリアがまた上手かっただけにねえ…)、今回の役はその難を上手く隠していてよかったと思いました。もともと真ん中って実はあんまり演技力が要らなくてただいればよくてしどころがないくらいのことの方が多くて、周りがアレコレ絡んでくるのの総受けしてればいいようなところがあると私は思っているので(そうじゃない、主役が芝居をしていかないと成立しないタイプの物語ももちろんありますが)、ちょうどよかったと思うのです。かつもちろんめちゃめちゃカッコいいワケですから、それで十分立派に成立するんですよね。
 そこに経験豊富なダブルヒロインが素晴らしく花開いたワケですよ。かつての女に似た女、というのは男のロマンなのかよくある話だけれど女からしたらケッ、ってなもんで、でも今回は上手くはまったしもちろんふたりはまったく似ていなくて、そこがまたよかったです。『太陽王』フィナーレのトリプルダンスは、私はちえちゃんが二股男に見える気がしてあまり感心しなかったのですが、今回はそんなことはなかったように思いました。えこひいきかな。
 パレードもふたり一緒に出てきて上手側が上級生のベーちゃん、でも先にお辞儀をする…というのも絶妙だなと思いました。ふたりともホントにヒロイン力あるし、特にベーちゃんは難しい役どころをものすごく上手くやっていたと思います。そしてしろきみちゃんはなんのかんの言ってもポストかのちゃん最右翼だと私は思っています。上手いし可愛い!
 『スターダム』から二作続けて二番手ポジションを務めているマイティーですが、任せて安心、これまたホントに上手くなったし華が出てきましたよねえ。プロローグとか鮮やかだったし、四人口のフィナーレはバリバリのセンターでした。ホントはこのバウの発表があったとき、別格スター上級生を大切にすることももちろん大事なんだけれど、将来ある若手路線スターにバンバン主演やらせていくほうが有効かもしれないよ、とかも思わなくはなかったんですよね。でも今回はやっておいていい経験だったかと思います。満を持してのバウ主演、そろそろ来てもマジでおかしくないと思うので、がんばっていただきたいです。
 三番手格が亜蓮くんで、これまた『スターダム』でもすごくよかったんだけれど、こんな大きな役を臆しもせずよくやってるよねえ、という将来性、大器を感じました。もちろん若さゆえかもしれないけれど、新公主演はすぐ来るよね、花組は安泰だなあ。
 あかちゃんがおもろいパートに回っているのもいい経験となると思うし、またいい味を出しているんだコレが! るなっち、しーちゃん、りおなにびっくがまた手堅いし、白姫あかりちゃんの存在感も素晴らしい。鞠花パイセンもホント上手いんだよねー! そしてやっぱりたそが素晴らしい。ひらめも可愛かったよ! そしてもちろんじゅんこさんのサポートは絶品でした。
 全ツ組は脇が若いなと思っていたらみんなこっちにいたんだねえ…という印象でした。カレーちゃんやつかさっちはゆっくり骨休めできているのかな。花組が元気なら宝塚歌劇は元気なのです、今後にさらに期待です!








 
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『眠れる森の美女』

2016年09月18日 | 観劇記/タイトルな行
 シアターオーブ、2016年9月16日13時半。

 1890年、あるところに子宝に恵まれない王様と王妃様がいました。ふたりは藁にもすがる思いで闇の妖精カラボス(この日はアダム・マスケル)に助けを求め、オーロラ姫(アジュリー・ショー)を授かることができました。けれど王はカラボスへの感謝を忘れ、怒ったカラボスは「姫は成人すると、薔薇の棘に刺されて死ぬ」という呪いをかけます。妖精王ライラック伯爵(クリストファー・マーニー)は、「呪いを解くことはできないけれど、死ぬ代わりに100年の間眠り続け、運命の相手からのキスで目覚める」という魔法をかけてくれました…
 演出・振付/マシュー・ボーン、音楽/ピョートル・チャイコフスキー、出演/ニュー・アドベンチャーズ。全2幕。

 マシュー・ボーンとニュー・アドベンチャーズ(とその前身)の舞台はけっこう観ていて、例えば『ザ・カーマン』、『愛と幻想のシルフィード』、『くるみ割り人形』、『ドリアン・グレイ』、そして二度観た『白鳥の湖』など。
 今回は非常に少女漫画みの強い、スッキリしたストレートなお話に仕立て上がっていたかと思いました。久々のチャイコ、コンテに近いけれど立派なバレエ、堪能しました。
 お祝いに訪れた魔女を両親が無視したために姫が呪いをかけられて…みたいな設定なのだとばかり思っていましたが、この両親は不妊だったのですね。でもオーロラがカラボスの娘ってわけではないんですよね? 不思議な気もするなあ。ともあれこのオーロラは活発な赤ん坊で、童話ではリラの精始め妖精たちに「のんき」「優雅」「勇気」みたいな美徳をひとつずつ授けられるんだと思ったけれど、今回はゴッドマザーならぬゴッドファーザーでリラの精はライラック伯爵になり、妖精たちからは「情熱」「再生」「豊穣」「鋭気」「興奮」が授けられます。
 なので成長したオーロラは成人の祝いに白いドレスを着るのを嫌がり、裸足で踊り出しちゃうような元気な女の子。イサドラ・ダンカンのイメージが重ねられているそうです。そして窓から忍び込んでくる狩猟番のレオ(クリス・トレンフィールド)とすでに恋仲です。もちろん両親には内緒。成人の祝いに訪れた求婚者たちとも一応すまして踊ってみせますが、にわか雨でお開きになったのを幸い、レオとローズ・アダージョを踊ります。ふたりの踊りは素晴らしいリフトはもちろんの子と、いじらしくて生き生きしていて愛と命の喜びにあふれていて、泣きそうになりました。
 カラボスはライラックは伯爵たちに退治されて追放され、死んでしまいましたが、実は息子のカラドック(カラボスと二役)がいて、彼が成人の祝いにやってきてオーロラを誘惑し、薔薇を渡します。母の復讐のためです。オーロラは危険だと思いつつも彼に惹かれてしまい、薔薇を受け取り、棘に刺されて倒れます。レオに疑いがかかり、大騒ぎになるところを、ライラック伯爵が救います。童話では確か両親や宮廷の人々も眠りにつくんだったと思いましたし、今回もそんなふうに見えたけれど、彼らはのちには出てきませんでしたね。とにかく伯爵は眠るオーロラを茨の城の奥深くに隠します。
 で、この妖精というのが実はヴァンパイアでもあって、オーロラの目覚めを待つと言うレオを、伯爵が噛んで不老不死のヴァンパイアにしてあげるのです。だから100年後でも大丈夫、というミソ。ただ、ここがあまりセクシャルなシーンになっていなくて、私としては残念でした。期待しすぎたか…というか海外ダンサーあるあるなんだけれどレオ役が王子様然としていなくて、単なる大柄なお兄さんにしか見えなくて、それくらいでないとあの超絶リフトはこなせないと思うんだけれど、ときめけなかったのですよね。カラドック役も大柄で、でも対峙して戦うのは小柄なライラックで、ここもなんか不似合いで萌えませんでした…
 というワケで100年の休憩を挟んで、2011年、観光客が集う城の奥深くで未だオーロラは眠り、その傍らにはカラドックがいます。彼はときおり彼女に触れてみて、キスしてみたりもする。でも彼女は目覚めず、ただ死体のようにだらんと眠り続けるばかり。カラドックはいつしかオーロラを愛し、死体のような彼女を抱き、けれど何も得られずに悶々と100年を過ごしてきたのでしょう。うわあヘンタイ、萌える。もはや彼が待つのはレオの訪れです。レオがオーロラにキスして彼女を目覚めさせたら、レオを殺して彼女を娶る。それしか考えていないのです。
 ここで、音楽の都合だとは思いますが、何故か「昨夜」になってカラドックのサバトが描かれ、レオとオーロラの逃避行とカラドックとライラックの決闘が展開されるのですが、この「昨夜」はなくてもよかったのではないかな…
 ともあれカラドックは滅ぼされ、オーロラは目覚めました。でもレオはヴァンパイアだよね、どうするの? オーロラは人間だからこのあと歳をとっていっちゃうよ?
 とか思っていたら、あっという間のラストシーンで、オーロラは妖精(かつヴァンパイア)であることを示す小さな羽根を肩甲骨のところにつけて現われ、レオとともに小さな活発な赤ん坊の手を引いているのでした。「そしてふたりは永遠に幸せに暮らしました、めでたしめでたし」ってことです。
 確かに人間だったら結婚なんてゴールじゃないし、「永遠に幸せに」なんてありえません。だからこれは正しい。レオが吸血鬼であることをやめ人間に戻れる道はあるのか、オーロラが人間でいることを捨てられるのか、みたいな葛藤のドラマはなかったけれど、まあそこまでは踊りでは表現しきれないものなのかもしれません。
 ヒロインを目覚めさせるのは実際にどこかの国の王子である必要はなくて、彼女にとっての「王子様」、要するに恋人、という解釈は正しい。恋人でもないのにデジレ王子が眠るオーロラにキスするなんてレイプも同然だし、それでオーロラが目覚めてデジレに恋するなんてホントはちゃんちゃらおかしいわけですからね。まあ童話やおとぎ話に現代的な整合性をつけようとしても無理なことも多いし無粋でもあるのでしょうが、今回はきれいにはまっていたと思いました。観ていて心地よく、楽しかったです。


 
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萩尾望都『AWAY』(小学館フラワーズコミックススペシャル)全2巻

2016年09月17日 | 乱読記/書名あ行
 2033年のある日、町中から大人たちが消えた。残されたのは子どもたちだけ。中学生・鹿賀一紀の選択は…? 未来の予兆をはらむ本格SFストーリー。

 個人的なことですが、部署を異動しまして、最前線の漫画を再び読むようになったのです。趣味で読んでいるとどうしても選り好みしてどんどん狭くなっていきがちですが、現在進行形で連載中の最前線の作品は本当にアグレッシブで新しくて開かれていて、時代に寄り添いかつその最先端を走っているのがよくわかります。
 具体的に言えば、「3.11」の影響はこんなにも大きい、いとうことです。やっと物語として立ち上がってきた、それくらいには消化された、ということなのかもしれないし、物語の世界を侵食するくらいに大事件だったと改めて認識させられた、ということでもあります。
 特に、単なる崩壊とか終焉を描くのではなく、ある種のデストピアもので、でも「今そこに常にある危機」としての何かの脅威がある状態での日常、というものを描いた作品に秀逸なものが多い気がしました。いずれも完結してみなければわかりませんが…
 こうしたものは青年漫画に多く、比べて少女漫画はそれほどには現実の影響を受けていないようにも感じられますが、すでに少し前の作品になりますがこの『AWAY』には少女漫画には珍しく、「3.11」の影が感じられたと思いました。まあ正確な意味ではこの作品は「少女漫画」ではないかもしれませんが。
 小松左京『お召し』を原案としているそうですが、要するに「昨日まではと違う日常が日常になってしまった世界」を描いた物語です。大人がいなくなる、でも、地震や津波がある、放射能汚染がある、でも、要するに同じことを描いているのです。
 ただ、この作品は残念なことに、完成度が高くないままに終わってしまいました。尺が足りなかったのかもしれませんが、放り出すようなラストは物語としてはダメだし何より弱いと思います。中途半端に設定だけが提示され、ストーリー展開としては不完全燃焼のままでした。なによりヒロインに漫画のキャラクターとしての求心力が欠けていました。これでは読者はついてきません。せっかくおもしろいことを描いてみせても所詮は他人事、になってしまうからです。ベテラン作家が陥りがちな罠なんだけどな…
 別に「何故こうなったのか」とかの説明はなくていいと思いますし、安易な解決方法とかもないのでしょうからそれを描かなくてもいいけれど、問題を提示しただけで終わるのでは「物語」ではないと思うのです。要するにオチがない。山がなくて意味がない…みたいなアレになってしまうと思うのです。それではもったいなかった。着手が早すぎたのかもしれません。迷いながら描いていたのかもしれません。もっと練って、昇華してから作品にするべきだったのかもしれません。
 スリリングで興味深いお題だっただけに、残念でした。



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大空祐飛『Live Mojica』

2016年09月13日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 ヤマハホール、2016年9月7日19時(初日)。

 綴る「文字」と奏でる「MUSICA(音楽)」を融合した造語をタイトルにしたライブステージ。構成・演出・脚本/北條馨梨、音楽/北條馨梨、竹内大輔、楯直己。

 大空さんは金のラインが入ったアシンメトリーのカッティングの黒のドレスに黒のショートブーツ、ポニーテールに赤い口紅。
 最初の三曲が「My Favorite Things」「You’d Be So Nice To Come Home To」「You And The Night And The Music」というおなじみのもので、気だるく優しく味がある感じで始まり、今の大空さんはこういう音楽をこういうふうに歌い届けたいんだな、というのがよくわかる気がしました。
 ただ、その後に日本語の歌詞の歌になると、大空さんの技量のせいもあるのかもしれませんが(^^;)、ものすごくいいホールだったためかすごく響いてかえって歌詞が聴き取りづらく、ちょっと残念に感じました。英語の歌詞の歌もそうですが、言葉と旋律、みたいなものにこだわるライブだというなら、歌詞を映像に出してもよかったのかもしれません。歌詞そのものでなくても歌の世界観がわかる詩なり、写真なりを映してもおもしろかったと思います。もちろんそういうものなしで、歌と音楽のみでそういうものを観客の脳裏に現せてこそ、なのかもしれませんけれどね。
 でも大好きだという「あしながのサルヴァドール」なんか特に不安定な音程の歌で、私はけっこうヒヤヒヤしてしまい、世界観を堪能するどころではなかった気がしました…やっぱり「こう歌いたい」というイメージに追いついていないところがあるのではなかろうか…まあそこが大空さんの可愛いところでもありますが。
 そしてLive on Act「旅人-タビビト-」という、朗読劇みたいなものを挟むのですが、ひとり芝居としてすごくおもしろかった面がある一方で、中二感がたまらなく恥ずかしく、古臭く感じられる面もあったと私は思いました。設定はともかく、あの映像とか、ベタでわかりやすいかもしれないけどダサくてつらい…通信文とかも文字に対するこだわりを標榜しているにしてはザルい…もうちょっとプロの仕事が見たかったです、私はね。
 元は人間ならアンドロイドではなくサイボーグだろう、とか、生体部分が残っているなら何百年も延命なんかできるはずなくて駄目になるのは充電機能ではなくその生体部分だろう、とか、通信文が日本語なんだからDの本名はサンディではなくサクラとかヒカリとかの日本の名前であるべきなんじゃないの?とか、そういうことが気になっちゃう人間なんですよ私は!
 ライブというのはファンサービスなのかもしれません。ファンで埋まる程度のキャパのハコだろうし、アーティストひとりがいればなんとか構成できるものなのかもしれないし、興行としては収支が立てやすいのかもしれません。くわしくないのでテキトーなこと言っていますが。大空さん自身が今こういうものをやりたい気分なんだろうし、こういう歌での発信もしていきたいのでしょう。
 でもファンが増やせるほどちゃんとしたものになっているかというと疑問に感じたし、だからこれはファンサービスみたいなものとしての興行でもいいんだけれど、やっぱりもっと作りこまれたちゃんとした戯曲のちゃんとした舞台に出ていい芝居をして女優として活躍してもらいたいし、宝塚時代を知らない人にも新たにファンになってもらいたいな、そういう芸能活動をしていってもらいたいな、とちょっと考えさせられてしまったのでした。
 やっぱりいい声で、いいお芝居なんですよね。だからちょっと、こういうものでは、もったいなく感じられてしまったのです。私には、ですが。望みすぎなのかもしれませんが。
 単なるファンとしてむやみやたらと盲目的に活動することは私自身がもうつらくなってきている、というのもあるのかもしれません。現役に贔屓がいて、そっちの方が忙しいし楽しいからね。だから単なる「わりと好きな外部の女優さん」なら、初日にむりくり駆けつけたりむやみにリピートしたりはせず、中日すぎたくらいの舞台がおちついたところあたりでちゃんと一回観る、というので十分な気もしているのです。というか今後そういうふうに観ていきたいので、そういう作品に出てくれるといいなという、まあこれは単なる私のわがままです。
 でも要するに『テアトル・ド・ユウヒ 2』をやってくれたらいいってことですよ。大空さんのイメージをきちんと具現化してくれる力量のある、そして倍増させてくれる才能のある演出家と組んで、しっかりした舞台を構築していただきたいのですよ。そうしたらもっと、世界を広げていける、ファンを増やしていけると思います。私たち古くからのファンももっと新しいものが見せてもらえると思いますしね。
 後半の歌も素敵でしたし、アンコールの選曲も素晴らしかったし、ツアーTシャツとデニムになってマフラータオルを恥ずかしそうに手にしている大空さんは激カワでした。あとバンドメンバーの男性と並んでも誰よりも長身なのもラブリー! 癒やされましたし、楽しかったからこそ、欲が出るのでした。

 年末のお芝居も楽しみにしています。初日は宙組全ツ千秋楽とかぶったので現役を取りました、すみません!



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