駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『お月さまへようこそ』

2022年07月29日 | 観劇記/タイトルあ行
 パルテノン多摩大ホール、2022年7月28日19時(初日)。

 6名の俳優が6篇の短編の各役を複数演じる、詩情あふれる舞台。
 作/ジョン・パトリック・シャンリィ、翻訳/鈴木小百合、演出/石丸さち子。全1幕。

 そもそも四回公演二パターンの役替わりだったのですが、初日当日に小日向星一のコロナ感染による休演が発表されて、五人で全回一パターンのみの上演となった模様です。よくぞ幕が開いたものですねえ…いや、幕を使わない演出の舞台でしたが。
 てか多摩センターとか百億年ぶりくらいに行きましたが、ザッツ都下!てか郊外!って駅前、街で私は苦手。
 パルテノン多摩自体は以前からあって、中がちょっとリニューアルしたかなんかなんでしたっけ? それで呼ばれた公演のようですが、ハコがデカすぎて不釣り合いでは…空虚なくらいに空間がある施設で(それはその背後に広がる公園もそうでしたけれど)、中でも大ホールは綺麗で素敵な国際フォーラムという感じで、千人前後は入る大きさでしたでしょう。グランドオペラとかの上演にぴったりっぽそう。なのでこの日はセンターブロックのみ、前から十列目くらいまでしか埋まっていませんでした。このあと週末に向けて多少は観客が増えるのかもしれませんが…音は良かったからいいけど、でも演じる方もこれではちょっと視界が寂しかったのでは? クリエとかドラマシティくらいがよかったのではないのかしらん、とは思いました。
 そして舞台は…この劇作家が初めて世に認められた作品だそうですが、うーんなんか私はよくわかりませんでした。月と恋をテーマに、その情熱とか奇跡とか詩情とか、なんかそういったものを表現したいってことなんだろうなー…とは思ったんですけれど、別に特におもしろくはありませんでした…そしてむしろ恋の狂気、ルナティックなナンセンスっぷりを感じました。
『西部劇』はよかった。大空さんの素敵お衣装、お守りのガーターベルトなんかも拝めたしね! 舞台写真出ないんですかね! ここのお姿でお礼状作ったりしてくれると最高なんですけどね、まあしないよね知ってる!
 そして石丸さんがものすごく愛しているという人魚の話の『喜びの孤独な衝動』は私もいいなと思いました。私もセントラルパークに行ったらこの池に行っただろうと思いましたね。でもどちらも南沢奈央の場面なのでした…
 あとはラストの表題作もよかったですね。このメガネのやる気ない感じのバーテンダーの大空さん、とても素敵でした。そこからカーディガン脱いでスカート履き替えてメガネ取って歌手になって歌って幕を引くのもとても素敵。それで言うと幕開きの歌手ももちろん素敵でした。そこは満足。
 でもなんか『どん底』は、なんかもっといいSFめいた寓話になりそうだったのに、なんかよくわからなかったし、その老後バージョンをつけ足したというのも私はなんかそこまで響かなかったかな…大空さんの老恋人はこれまた素敵だったんですけれどね。
 結局のところ石丸さん作品には当たり外れがあるかな、という印象ですかね。林正樹の生ピアノはとても素敵でしたが、ベタな選曲は舞台の雰囲気を壊していたようにも思いました。全編オリジナルでもよかったのでは…
 ポスタービジュアルとか、すごく素敵だったんだけどなあ…うーん、私は不完全燃焼な観劇でした。



 
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『ガイズ&ドールズ』

2022年07月27日 | 観劇記/タイトルか行
 帝国劇場、2022年6月14日18時。
 博多座、7月24日12時。

 1930年なかばのニューヨーク。スカイ(井上芳雄)と呼ばれる大物ギャンブラーがいた。仲間のネイサン(浦井健治)は婚約者アデレイド(望海風斗)へのプレゼント代と賭場代を得ようと、スカイに指名した女を落とせるか賭けを申し込む。自信たっぷりのスカイだが、ネイサンが指名した女性は、清楚で超堅物な救世軍の軍曹サラ(明日海りお)だった…
 原作/デイモン・ラニヨン、音楽・作詞/フランク・レッサー、脚本/ジョー・スワリング、エイブ・バロウズ、演出/マイケル・アーデン、振付/エイマン・フォーリー、装置/デイン・ラフリー、日本語台本・訳詞/植田景子。1950年ブロードウェイ初演。マーロン・ブラントやフランク・シナトラ出演の映画『野郎どもと女たち』も有名なミュージカル。全2幕。

 宝塚歌劇星組版の感想はこちら
 発表時はやはり豪華スター陣の配役に目がくらみ、新演出になるのも楽しみだししかも外国人演出家(『春のめざめ』で有名な方だそうですが私は名前も知らず、すみません…)、きっとお洒落に仕立ててくれるに違いない!とときめき、しかしチケット取れるのかね博多まで行っちゃう?とみりお担の親友と盛り上がって都合三回手配してしまったのですが…
 マイ初日、けっこう前方の下手サブセンブロックの中央寄りととても良い席で拝見しましたが、あまりのつまらなさに驚愕しました…全然良くない!
 てか宝塚歌劇と違ってフィナーレがないのに、休憩込み3時間たっぷりやるって今どきどうなの? よーっぽど内容がなければ許される仕儀ではないと思うんですけど…
 あとまず舞台前方に置かれている、半円形にくり抜いた黒い板が嫌。なんであんなに舞台を狭く使うわけ? もっと小さいハコの方がこの作品には合うんだってことならこの企画がそもそも駄目ってことじゃん。あとたくさんの人が喜んでいるっぽい舞台真ん中のビルのセット、意味あります? デカくて邪魔なだけでは? 二階があるビルでそこにアンサンブルが入って働いている様子とか見せているけど、メインキャストが行くことはないし(三階?屋上??にナイスリーが行くけど)、無駄では? 地下が伝道所になっていてビル全体がセリ上がると現れるようになっているんだけど、せせこましいし階段の上り下りも狭そうで見苦しい。何よりこのセットが本舞台のほとんどを埋めていて、周りにブロードウェイの通りの様子なんかが全然見えない。サラが目の敵にする通りの猥雑さが窺えないのです。それじゃ駄目じゃない?
 そりゃ宝塚大劇場の舞台の間口の大きさには比べられないんだけど、とにかく全体にあまりに窮屈で、かつお洒落さが皆無だと私は感じました。
 衣装(衣裳/有村淳)も、サラもアデレイドもビジュアルで出ているお衣装以外はなんか妙にくすんだ色目で、可愛くなかったです。演出家の好みか指示か、当時の風俗ってことなのかもしれないけれど、もっと鮮やかな色を使ってもよかったのに…
 冒頭の、映画のクレジットみたいな映像を見せる演出も、なんならよくあるし私は舞台演劇には邪道ではと思っているクチなので、全然感心しませんでした。
 そして本編が始まると…宝塚歌劇ってやっぱりよくできているんだなとまず思ったのは、スターが登場するときには、まあ音楽が鳴るパターンは最近は少ないけれど、とにかくすごくわかりやすく「ハイ出ましたよ!」って演出してくれるじゃないですか。少なくとも明るいライトが当たってめっちゃわかりやすい。でもそういうのがないままに、ネイサンもスカイもわりとなんとなく登場するので、そりゃ私はこの良席だしふたりを俳優としてけっこう知っているから見分けがつくけど、キャラとしてのつかみや魅力には欠けるし、とにかく全体に薄ぼんやりしてるなあと思ってしまいました。
 あと、これまたお衣装の話かもしれませんが、普通の男性俳優がグレーや紺のスーツを着て出てくると、多少着崩れた様子があっても、それがビジネスマンなのかヤクザなギャンブラーなのか全然わかりませんでした。イヤこの時代の実際のギャンブラーが歌舞伎町のヤクザみたいな、あるいは宝塚歌劇版の紫だのエメラルドグリーンだののデーハーなスーツ着てるわけないじゃん、ってのはもちろんあるかもしれないけれど、でも舞台の演出として、キャラの記号として、もっとわかりやすくするべきではないの?
 これはヨシオとかウラケンとかがある種の演劇界のアイドルなのでみんなが人柄とかも知っちゃってて、どうしてもいい人に見えちゃう、ってのもあるのかもしれないけど…でもそれでいったら宝塚歌劇だって同じことで、やはり演出や記号や、何より芝居が足りてなかったのではないでしょうか。
 そう、なんか芝居が、というか役者の演技が全体にぼんやり感じられたんですよね…もともとそんなに書き込まれた脚本ではないのかもしれないけれど、それをなんとかするのが役者の力量では? でもなんかヨシオもウラケンも手抜きしてないか?って思えるくらい上っ面の演技をしているように感じました。歌は別にフツーに上手いんだけど。でも感情が伝わらないから全然心が動きませんでした。
 そしてヒロインのみりおが全然良くなかった…この人って真面目だから、できてないってのが自分でわかってて、それが態度に出ちゃってるんじゃないの?とも思いました。現役時代は歌える人枠だったのに外部では歌がきついのはあいかわらずで、高音が出ないならこういうザッツ・ソプラノのヒロインのお役を引き受けてはいけないのではと思ったし、とにかく細くて小柄すぎて舞台で映えない! 別に歌舞伎役者みたいに顔がデカい方がいいとは言わないけれど、登場時にオーラが全然なかったのは問題では…サラって、お祈り姉ちゃんとか揶揄されつつも、それさえなければ口説きたいと野郎どもが思うようなめっちゃ美人、って設定なんじゃないの? でも全然そこらの小娘に見えました。ヒロインがこれじゃ萌えないよ…だからハバナではっちゃけようと私は全然ノレませんでした。とにかく閉じていたと思う。全然ディンドンしてなかったです。
 あと、リアルチューにびっくりしましたね…まずあの場面、何を歌っていて何を表現しているシーンなのか私には皆目つかめなくてただ眺めていたら、いきなりのキスだったので、あっ恋に落ちたってこと?それか誘惑し、魅了されたって場面だったの!?と素で驚きましたし、今どき実際にする口づけ(!)だったことにも仰天しました。こんなにヒロインふたりが宝塚のOGで同期、みたいな売り方してるんだからキスも宝塚式でよかったのでは? まあスカイも単なる誘惑のつもりだったのにサラが可愛くてつい本気出しちゃって性急にキスしちゃった…みたいなことを表現したかったのだろうから、むちゅーっとくっついている口と口を見せなきゃならなかったのかもしれないけど…別に「あのみりおが男性とキスなんて!」みたく騒ぐ気はないんだけれど、ヨシオの妹が同期ってのも喧伝されている事実だし、そんな兄がアンタまさか手を出すなんてイヤー!(><)とはなりますよね…しかも二度も三度もさあ…
 それから、だいもんアデレイドはそりゃ上手かったけど、でもやはり無理してチューニングしている感じがしました。舞台をさらわないように(『ガラスの仮面』で言うところの舞台あらしですね)わざとセーブしてるんじゃないのかな、とかね。あとはみりおのサラとちゃんと違うポジションにいるキャラとして存在していようとしているというか…イヤそれは役者としてはまったく正しいことなんだけれど、でもそういうことを無理してやっているのが垣間見えるこの座組、芝居、演出全体がそもそも駄目なんじゃないの?って気が私はしました。『ネクスト・トゥ・ノーマル』の方が断然よかったですよね…
 あと、結局アデレイドって男に騙されている、ちょっとアタマの足りないブロンドのショーガールの役なわけで、だいもんはそりゃいい塩梅でやってるんだけど、こんななんでもできる人にこんな役やらせんでくれよ…と悲しい気持ちに私はなりました。
 年相応のアデレイドでいい、みたいな意見も聞いたけど、そうかなあ? わたしはこっちゃんアデレイドが絶品だったと思っているし、あれくらいすっとんきょうに突き抜けてくれれば吹っ切れて観られたかなと思ったんですよね。そしてたとえば16歳で婚約して14年待たされているなら30歳ってことですけど、そしてこの時代ならそれは立派な行き遅れのおばさんだったんでしょうけど、今の感覚だとアラサーって20歳と変わらないくらいぴちぴちしている人が多いし、こっちゃんアデレイドを若すぎると思ったことは私はなかった気がします。あと、くしゃみの数が減ってませんでした? でもコレ、このお話の根幹に関わる大問題ですよ?
 星組版の記事でも書きましたが、このお話のキモは、女性は結婚できないことにストレスを感じていて、男性は結婚することにストレスを感じていて、だからネイサンと結婚できないアデレイドはくしゃみを連発しているし、アデレイドと結婚したネイサンはくしゃみをするようになる、ってところです。あと、結婚って要するにギャンブルで、まあ未来のことはやってみないとわからないんだからすべて賭けみたいなものなんですけど、とにかくそのことに気づいたギャンブル嫌いの多少凝り固まっていた女性ふたりが、結婚という賭けに打って出る、ってのがおもしろいワケです。あるいはそのアイロニーがいい作品なんでしょ? でもそこが今回も全然わかりやすく出ていないなと思いました。
 さらに言うと、確かに未来がこれからどうなるかなんて誰にもわからなくてすべて賭けなんだけれど、でもあまりにも分が悪い賭けなら打って出る必要はないわけで、そんな配当の安そうなギャンブルみたいな結婚ならやめちゃえば?という視点が現代に生きる観客にはあるわけじゃないですか。そりゃ作品当時は男も女もよっぽどの事情がないと結婚しないなんてことはない時代だったのかもしれないけれど、今上演するなら今観る観客がどう受け止めるかってことを慮る必要があるわけでさ…
 それから言うと、この作品はもう、コンテンツとして寿命を終えているんじゃないでしょうかね? 曲はいいし、いくつか有名になったものもあるけれど、ストーリーがもうしんどい。もっと刈り込んでぐっとテンポアップして、こういう時代もありました、そういう時代のラブコメです、オトナのレトロなファンタジーです、って感じにお洒落に作れるならまだしも…(というか今回私はそれをとても期待していたわけですが)
 いやそれでも、「結婚」なるものを巡って男女で違うストレスがあるのだ、ってのがなんかもう、ねえ…もはや我が国以外では婚姻は男女間でのみするものでもないしさ、いろんな理由で非婚化って進んでいるしさ(我が国では自由や多様化のためというより貧困のためである点は本当に嘆かわしい…)、そんなにストレスなら無理してせんでいいよ、もっと愛して愛されて結婚する楽しく美しいお話プリーズ、って思っちゃうんですよね。アイロニーとか要らないわけです。
 スカイやネイサンはあまりキャラが立っておらず、対してサラやアデレイドはわりとちゃんと設定があるわけですが、それは要するに当時の制作者の男性陣が女性をこの2種類程度にしか考えていなかったということなのであって、それがもう古いんですよ化石レベルなんですよ、もう終わコンなんですよ多分…宝塚歌劇でファンタジックなお伽話、として上演するのでギリ、なんじゃないですかね…?
 マイ楽を終えたあと親友が言い出しておもしろいなと思ったのは、今ならもう『GUYS AND GAYS』みたいな作品を作るべきなんじゃないの?という意見でした。たとえば精神的マッチョなデイトレーダー男性ふたりと、真面目なLGBTQ活動家男性と長い間待たされ関係を内緒にさせられているドラァグクイーン男性の物語…とかに翻案しておもしろくなるなら、そのほうが観たいですよねもはや…

 はー、みっきぃもよかったけど今回もアーヴァイド(林アキラ)がよかったです。彼だけがよかったくらいです。
 久しぶりのミサノエ~ルもきっちり仕事してましたけどね。マリオももちろん上手いよ、でもどなたかが言っていましたがそもそも似たような役者を揃えすぎなんですって。みんなミュージカルの主役が張れるタイプでしょ、そんな佃煮感いらないよね…
 客席もどっかん湧いてなかったし、まーったりしていたように感じられました。でも博多座ではカテコのおねだりがすごくて退いたな…中止になったりしているんだから、スタオベになったらそれを最後にしてさっさと規制退場アナウンス流して客電つけるべきだと思いました。だらだら何度もやらせてヒューヒュー言わせて、感染が広がったらどうすんの…?
 あと、そもそもそんな出来のいい、集中した、盛り上がった舞台じゃなかったじゃん…
 帝劇公演はマイ初日のあとわりとすぐにコロナで中止となり、二度目予定だったチケットが飛び、三度目の予定だった博多座はなんとか無事に観られてこれがマイ楽となりましたが、さすがに全体に掛け合いのテンポなどが良くなっていてマシに思えましたし、みりおは歌はあいかわらず微妙だったけど芝居はいいな、ちゃんとサラをやってるな、と思えるようになっていました。だいもんのチューニング具合もより良くなっていた印象です。
 でもやはり全体に翻訳が良くなくて、洒脱な会話になっていないぞとかジョークや諧謔が日本語に落とし込みきれていないぞとイライラさせられどおしで、私はやっぱり観ていてとにかく疲れたのでした。まあノット・フォー・ミーということだったのかもしれませんが…ウダウダお読み苦しいことばかり書いていてすみません…

 ちなみに博多旅行は、太宰府にお参りに行ったり、ザ・ルイガンズに泊まって海の中道海浜公園をサイクリングしたりマリンワールドに行ったりと、夏休みを満喫できて楽しかったです。ことあるごとに手指消毒して、マスクも二重にして、ノーマスクで騒ぐ子供たちにはなるべく近寄らないようにして気をつけたつもりです。引き続き引きこもれるところは引きこもり続けて、しかしもういつ罹ってもいいように解熱剤やうがい薬やのど飴やトローチやゼリーの準備だけはして、それでもなんとか罹らないですむよう身を清め息を潜めて、生き延びたいと思います。みなさまもどうぞご安全に…




 

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宝塚歌劇雪組『ODYSSEY』

2022年07月26日 | 観劇記/タイトルあ行
 梅田芸術劇場、2022年7月23日11時半。

 躍動感あふれるダンス・ショーケースと古今東西の名曲で綴る華やかな世界巡りのレヴュー。作・演出/野口幸作。今年1月に東京国際フォーラムで上演予定だったが全公演中止になり、当初とは一部メンバーが違うものの「再出航」したミッドサマー・スペクタキュラー、全2幕。

 まあ私はショーを観るのが下手なので批評もまったく正しくできませんが、休憩込み2時間45分は長かったですよね…長く単調に退屈に感じる場面も多かったし、全体の尺としても長く間延びして感じられました。ショーとしてたいしたコンセプトもないわけですし、アポロン(朝美絢)とセレネ(朝月希和)が誘う海賊ブルーム(彩風咲奈)の航海、ったって要するに手垢のついた各国巡りで、そのイメージも選曲もベタというかなんちゃってイメージのオンパレード場面ばかりで、目新しさもおもしろみもこだわりも私には感じられなかったので。ただ、2幕の方がおもしろくは感じました。あとは、先日の月組の『RoN』なんかもそうだけれど、最後に日本(月組公演では地球)にたどりついてタカラヅカをやっておけば万事丸く収まる、と思っている節があるのがホントどうかと思うけれどある種の真理でもあるので、それで丸め込まれてしまったところはあるのでした…
 28日以降はB日程として、先日まで星組東京公演に出ていた美穂圭子が専科として特出するそうですが、それ以前のA日程ではそこはすべてはばまいちゃんがやっています。もちろん歌えるし劇団が押したい新進娘役さんであることもみんな知ってるものだとは思うんですけど、でもなんかちょっと…ともかやありすちゃん、なんならひまり、もっと言えばひらめちゃんにももっと歌わせてくれてもよくない? みんなで分け合ってもよくない?? と私は思いました。私はB日程を観る予定はないのですが、これはB日程では「もっと組子に歌わせてくれてもよくない?」ってなっちゃうんじゃないかなあ…美穂姐さんが歌えるのもみんな知ってるんだけどさ、でもさあバランスとしてさあ…
 とブツブツ一応もの申しておきますけれど、でもはばまいちゃんは素晴らしかったです。けっこう内心ドキドキしてたりするんじゃないの?という破格の登場の仕方やピン場面など多々ありましたが、物怖じせず堂々とやっていて、もちろん歌は上手いし綺麗でキュートで、よかったです。
 ついガタガタ言いたくなるのは娘役の扱いが全体にちょっとなんだかなー、だったからでもあります。まずメイン男役の女装祭りは、まあサービスとしてはアリだと思うしいいんですけれど、はいちゃんに二度やらせるのはどうかと思いました。中国の美女(眞ノ宮るい)だけでいいじゃん、ジャンヌはなんならぶーけちゃんとかでよかったんじゃないの?
 女装祭りでは囚われた王妃(華世京)のかせきょーがよかったかなー。背が高い…というか単純にでっかいんだけど、トールハンサムウーマンって感じで素敵でしたし、咲ちゃんにはそれを受け止めるだけの包容力がちゃんとありました。このアラビア場面のダンスは、身長が同じくらいのアイスダンスのカップルみたいなダイナミックさがあって、見応えがありました。選曲はベタすぎて失笑ものでしたけれどね…
 あがちんの女装はスペインのカルメン(縣千)。凜々しく肩もデコルテも腕も立派で強そうなカルメンでしたが、これまた物怖じせずノリノリでやっていたのがよかったと思いました。ミカエラ(野々花ひまり)はひまりで、『赤と黒』ではマチルドをやらされていて、どっちかは配役変えろよ芸がないな野口!と思いましたけどね…もちろんひまりはどっちも素敵でした。でもそういうことじゃないでしょ? 第二ヒロイン、当て馬キャラを同じ生徒にやらせてどーする!
 咲ちゃんの女装は2幕のイタリア、マーメイドの美女Sで神々しいまでのダルマ。ホント脇の下から生えてそうな長いおみ足で、そら拝むよね…とありがたく堪能させていただきました。
 あとはあすくんの歌手のリオの女(久城あす)がとてもよかったです、さすがでした。てか今回メインは咲ちゃんあーさあがちんはいちゃんかせきょーで、りーしゃもあすくんも叶ゆうりも完全バック扱いで驚いたんですけれど、たとえば雪祭男子なんかでは叶ゆうりの色気とアピールの上手さが素晴らしく、これまたさすが上級生と唸らされたんですよね。このあたりのスターもちゃんと大事にした方がいいよ野口…
 しかし一方でかせきょーの明るく華やかなオーラや大物感、スタイルや体格含めた持ち味などはさすが逸材なわけで、そら上手くのびのび育ててほしいと思いました。なのでひまりと多く組ませたのは大正解で、ひまりはお姉さんっぽく大人っぽく色っぽく組むこともできるし、組んだ男役をより素敵に見せるチャーミングさやフレッシュさやテクニックもきちんと持っている上級生娘役さんなので、サポート態勢として万全でした。
 あとはこの人数だと、私はやっとうきちゃんを識別できるようになりました…残念ながら好みの娘役さんではないのですが。でもたまにいるよねこーいう超絶小顔で超絶スタイルのダンサー娘役…上級生では祭りの女といい、杏野このみちゃんがさすがの上手さでした。でも沙羅アンナの顔が好きでつい見てしまう…あと私の麻花すわんセンサーの感度が上がり、ビシバシ見つけられるようになりました。ともかとかりあんも好きでけっこう追っていましたよ…
 さききわでは1幕のオーロラのデュエダンと2幕のあーさのカゲソロで踊るデュエダンがやはり素敵でしたね。ひらめちゃんは前回公演で仕上がりきってるなー!と思ったら卒業発表だったわけですが、今回もすさまじいまでの娘役力で、ひとりで踊るときは本当に伸びやかで、咲ちゃんと組むときはしっかり息を合わせていて、これまた唸らされました。反りはすごいし、片脚を高く上げる振りが何度かありましたが決してドレスの裾がぺろんとめくれたり落ちちゃったりして脚を丸見えにさせることなく、優雅にキープしていて感心させられました。下級生たちはたくさん学んでほしいです。
 『海が見える街』リプライズ場面はまあ楽しかったけれど、やはり前回の方がよかったかな…そしてジェラール・フィリップのくだりは、なんか『アパショ』のヴァレンチノ場面みたい…?と思いましたが、なんにせよ世代としてもあまり客に刺さっていない気がしました。実際のところ、どうなんでしょうかねえ?
 というわけで一度しか観ていませんし、フラッグも買わず振りにも参加しないノリの悪い客の浅い感想で申し訳ありませんが、ドラマシティ公演が千秋楽まで中止となってしまったので、こちらだけでもなんとか千秋楽まで無事航海し続けてほしいとは思っています。
 健康と安全を、祈っています! 太陽と月の神様のお恵みがありますよう…!!





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宝塚歌劇星組『めぐり会いは再び next generation/Gran Cantante!!』

2022年07月19日 | 観劇記/タイトルま行
 宝塚大劇場、2022年4月23日13時(初日)、24日11時、5月30日13時(千秋楽)
 東京宝塚劇場、6月18日13時半(初日)、23日18時半、28日18時半、30日18時半(新公)、7月5日18時半、19日18時半。

 今より少し遠い昔、ヴェスペール王国の王都マルクトでは、北の一番星が最も高くなる星祭りが始まろうとしていた。十年に一度、セフィロトの花が咲く今年の星祭りでは、旅芸人一座による余興やダンス大会、そして王女の花婿選びが行われるとあって、街は多いに盛り上がっている。田舎領主オルゴン家の末息子、ルーチェ・ド・オルゴン(礼真琴)は故郷を出て大学に進んだものの、卒業後は友人のレグルス・バートル(瀬央ゆりあ)が経営する弱小探偵事務所の手伝いをして暮らしていた。恋人のアンジェリーク(舞空瞳)との関係も十年になるのにいっこうに進展せず、縁談が持ち上がったアンジェリークを引き留めなかったことをきっかけに喧嘩別れしたきり。そんなある日、探偵事務所に奇妙な依頼が舞い込んで…
 作・演出/小柳奈穂子、作曲・編曲/青木朝子、編曲/多田里紗、オリジナル作曲/吉田優子。2011年に上演され、好評のうちに翌年に続編が上演されたシリーズ第三弾。

 マイ初日の感想はこちら。シリーズ1作目の感想はこちら、2作目はこちら
 お芝居もショーも楽しくて、私には珍しく東京公演は追加、追加で予定外にたくさん観てしまいました。まあ、はるこのご卒業公演でもありましたしね。出かける予定があって東京大楽を見られないのが残念です…無事の完走をお祈りしています。
 さてしかし、特にお芝居に関しては、問題というか齟齬を感じていないわけではなかったので、まずはそのお話をしたいと思います。毎度話が長いというかつっこみがうるさいというか前置きがくどくて申し訳ございません。

 さて、前2作は言わずと知れたちえねね時代の小品でした。それが10年の時を経てこっとんでの、きちんと尺が95分あるお芝居になることになったのです。
 こっちゃん自身はちえちゃんのすごくファンでリスペクトもしているんでしょうしそれは全然良きことで問題ないのですが(礼音の礼、なんですよね?)、トップスターとしてもトップコンビとしても特性というか在り方というかタイプが実はけっこう違うので、そこはスタッフ側が、要するになーこたんがもっと気を遣ってより似合うよう作品を仕上げてあげてもよかったろう、と私は思う、という話です。もちろん尺が尺だけに前2作と違ってもうちょっとストーリーに背骨がないと、シリアスみもないと…ということで宰相オンブル(綺城ひか理)パートが生み出された、のはわかるのですが、要するにそれよりも肝心なのは主人公の在り方、生き様だろう、ということです。やはり全体にシリーズ物として既存の客を喜ばせる方に気が行っちゃってて、お話の根幹が揺らいでないかいなーこたん?ということです。
 ルーチェは2作目において、ヒロイン・シルヴィアの弟として登場したキャラクターでした。こまっしゃくれて小生意気で婚姻制度に懐疑的な弁の立つ少年…みたいな役どころでしたでしょうか、今手元に映像がなくて見返すことも検証することもできずイメージで語っていますすみません。結局、シスコン気味だから姉の結婚に反対していただけだった、とか自分がガールフレンドと喧嘩中だから姉とその婚約者に八つ当たりしていただけだった…ということが明かされて、お話は終わったんじゃなかったでしたっけ? なので私が初日雑感に「要らねんじゃね?」と言ってのけた「Love Detective」(ちょっと宝塚楽曲っぽくないけどこっちゃんはこういう歌も本当に上手いので、私は大好きな曲なのですが、しかしタイトルが絶妙にダサいななーこたんいいぞ!(笑))のあとの銀橋上手とっつきで言う台詞は、前作の自身の台詞を自嘲的に繰り返している…という場面だったんですね、失礼いたしました。
 それはともかく、なので何故ルーチェがそんな人間になってしまったかということは今回の作品で明かされていて、それが死に際の母親の手を取れなかったことを悔やんでいるから、とされているわけです。でもこれ、感覚的にはわからなくもないけど、理屈としてはちょっとわかりづらいですよね。
 彼はこの行為の何を嫌がり怖がり忌避していたのでしょうか? 愛する母親が病み衰えていて死にかけていて、知らない人みたいで単純に怖かった? それはわかります。子供は死や病とは無縁に暮らしているものだから、初めての死臭にとまどい恐れ嫌い逃げた、というのはわかる気がするからです。あるいは王子さま呼ばわりが気恥ずかしかった? あるいは、人はどんなに愛し合い慕い合っても死によって引き裂かれることがある、だからすべて無意味なんだ…とやや厭世的に考えるようになってしまった? だから傷つかないようそもそも近寄らなくなってしまった、だからアンジェリークとも本格的な恋人同士のおつきあいに進めないでいる…そういうことなのでしょうか?
 実はここがクリアになっていないと、主人公が抱える障害がよくわからなくて駄目なのです。物語とは基本的に主人公が障害を乗り越えてハッピーエンドに至るものなので、まずその障害がわからないという、土台がグラグラしていることになるからです。それが今回のこの作品が、よくよく考えるとモヤる原因なのです。
 死からは誰も逃れられないし、人の心も変わることがあるのだから、今どんなラブラブアツアツな関係でも絶対に永続しない、それで別れたとき悲しい思いをするくらいなら最初から関係を持たない方がマシ…とルーチェが思い込んでいる、とするならば、「確かにいずれ誰もが死ぬし残念ながら心変わりをすることもありえるんだけれど、でもだからこそ縁があったのならそれまでの時間は思い切り愛し合おう、それこそが人生の実りだ」みたいなことを確信するようになる事件を用意して、主人公がその境地に至ってヒロインに告白してハッピーエンド、って流れが作れるわけです。だからそれならたとえばユリウス(天寿光希)は、オルゴン家からお暇をもらって田舎に帰って趣味の芝居三昧の楽隠居することになった、それでお別れの挨拶に来た、とかにする手があるわけです。愛別離苦、けれど慈しみ合い楽しかった日々がなかったことになるわけではない、別れを恐れて誰ともつきあわないなんてそれこそ人生の無駄ですよ、とユリウスがルーチェを諭し励まし、アンジェリークのもとへ向かわせる…というような流れが考えられるわけです。今とほぼ同じでも、実はだいぶ違ってくるわけです。
 でも今はなんか。ルーチェの状態が茫漠としています。どちらかというと、相手の好意に対して素直に応えられない、今ひとつ応える自信がない、みたいな状態だとされているようにも見える。でもそのテレやひねくれや意地っ張りや自己評価の低さの原因は特に語られていないわけで、だとしたら乗り越えさせようもないので、お話としてどうしたらいいのかなんかよくわからないことになっちゃってるわけです。花婿選びの課題をクリアしたからどうこう、というのは実は障害にもその克服にもなっていません。だってこんなの、誰が勝ち残ろうが当のアンジェリークがルーチェ以外の相手を選ばないことはハナからわかっているからです。だってアンジェリークが愛しているのはルーチェなんですから。愛がすべてに勝つことは宝塚歌劇では自明のことだからです。
 そもそも、この国の王位は男子が相続しているようですが、現コーラス王(朝水りょう)には娘しかいないんだから、王女の夫を次期国王とする、なんてまだるっこしいことをやっていないで、王女が王位を継げるようにすればいいだけのことなのです。アンジェリークは「強くなりたい」と言いますが、それは身代金目当てかはたまた父王の政敵による陰謀だったのかはわかりませんがとにかく誘拐されかかった過去があるからで、次こそは悪い人たちに勝てるようにせめて自分の身は自分で守れるようになろう、と剣術の稽古をすること自体は間違ってはいないしできないよりはできた方がいいだろうけれど、実は本質的な解決にはなっていないわけです。体力、筋力的に女性は男性に劣ることがある、護身術でできることには限りがある。けれど為政者としての能力に性差はないはずなのであり(周りが認めるか、といった環境はともあれ)、父の役に立ちたい、いつまでも叔父の家でただのお嬢様をやっているよりは王宮に戻って王女として働きます、と言うひっとんアンジェリークなら、「王位は私が引き継ぎます! 議会の承認とかいろいろ必要だろうけど、努力します、がんばります!」とか言えちゃいそうなんですよね。それこそが悪者に勝つことにもなるでしょう。もちろん王位についても悪者に狙われることはありえるだろうけど、王位を狙う悪者に対して先に王になってのけちゃうってのはやはりひとつの勝利だと思います。
 そしてこういう展開こそが、こうした世界観のお話を現代に上演する意義でもあるでしょう。架空のファンタジー世界まで現実の女性差別意識に囚われる必要はないのです。宝塚歌劇が愛がすべてに勝つユートピアを描くなら、そこは男女平等も達成されるユートピアであるべきなのです。
 だからルーチェが「僕が国王になんてなれると思いますか」と悩むのも、そもそも王者こっちゃんに継げない国なんかないよって点で若干失笑ものでむず痒いのですが、ルーチェはわりとフツーの一青年なので、そら確かにこんなフツーのそこらの男が王女と結婚しただけで次の王になるとかこの国ほんま大丈夫かいな、とはなるので、観客はこのルーチェを応援しづらくてモヤるのです。
 そもそもルーチェたち学生時代の友人5人組はモラトリアムとかなんとか歌っていますが、ルーチェ以外の4人は好きなこと、やりたいことをちゃんとやっていて、ただ今のところ芽が出ていない、それだけでは食べていけてないというだけであって、これはモラトリアムではなく修行期間というか下積み期間なだけなんだと思うんですよね。やりたいことが見つけられないでいる真のモラトリアムなのは、実はルーチェだけなんです。レグルスの助手みたいなことをしているけれど、彼は別に探偵になりたいわけではない。この方がよほど問題で、彼は大学まで出してもらっておきながら卒業後も何もせず、ただガールフレンドとの些細な口喧嘩を気に病んで日々を送っているだけの男になっちゃってるんですよね。そんな25歳、駄目だろう。礼真琴がやっていても許せないくらいです。
 モラトリアム男が目覚めるお話なら、お話はルーチェが何かやりたいことを見つける流れにならなくてはいけません。それは、恋した相手がたまたま王の娘だったので僕は次の王になるみたいです、みたいなことでは駄目なんだと思うのです。そんな王のなり方はあかん、どんな架空ファンタジー世界でもあかん。
 もしこの流れなら、ルーチェはレグルスの手伝いをする過程で困っている人々の手助けをすることに喜びややりがいを見出す、というような流れにするべきです。レグルスが目指しているのは安楽椅子探偵みたいなことで、本当は街を骨持ってさまよい歩いて迷子の犬を探すなんてことはやりたくないので、ルーチェが代理でやって見つけて感謝されて自分も達成感に震えて嬉しくなる…みたいにするといいと思うのです。で、世のため人のために働くことって、突き詰めれば要するに為政者になっちゃえば上からまとめて民のためにいろいろできるんじゃね?って流れにできるかもしれないじゃないですか。それで彼こそが王に向いているのだ、とするのはお話としてできる流れだと思うのです。
 でも、アンジェリークが王になって、ルーチェは単なる王配で、普段は街で探偵の手伝いをやっていて、次の仕事はダアト追跡だ!…とかの方が収まりがいいかもしれないし、続編が作りやすくなるかもしれません(笑)。まあまあ平和そうな国ではあるけれど、妻が公を、夫が民間を担当してよろず相談引き受けます、というのは最強カップルだし、この国イヤ組?も最強で幸せだねえ…って大団円、いいじゃないですか。このあたり、もっと深く考えて作ってもよかったと思うんですよね今回の作品…
 今回はオンブルの暗躍がお話の背骨になっているわけですが、ここは彼の王へのほとんど逆恨みというかこじらせ愛みたいなものが犯行動機(笑)なので、シリアスすぎていないところはシリーズ全体の明るいトーンから浮きすぎていなくていいな、とは思います。
 でも王が娘を彼にではなく甥のローウェル公爵(輝咲玲央)に預けたのは、別に彼を信頼していなかったとかそういうことでは全然なくて、身内のことは身内で、とただ親戚に頼っただけだと思うんですよね。たとえばそのころにはまだローウェル公爵夫人はご存命で(今回出てきていないのは亡くなった設定だからだと思われます。まあ本当のところを言えばキャラとして必要がないとか配する生徒がいないとかの都合はあるんだろうけれど、わりとどこの家も母親役の夫人がいないことになっているのはやや気になりました。中年女性に表だった役割を与えない現実を架空ファンタジー世界でまで踏襲しなくていいんだぞなーこたん!)、でも長く子供に恵まれていなかったので、とかの事情があったのかもしれないし、対してオンブルは妻を亡くしていて男手ひとつでロナン(極美慎)を育てていて大変そうに見えたのかもしれません。だから王には全然悪気はなかったんだけれど、でもオンブルの方はショックだったわけで、これはもう王と臣下のコミュニケーション不足が問題なのであって、誰か取りなしフォローする人がいるとよかったんでしょうけれどヴィゴー大司教(大輝真琴。この国の宗教はキリスト教ではないんだろうから、司教といえど妻帯し子供を持つことは許されているようですね)はそういうふうに気が回るタイプではなかったということなのでしょう…ここも夫人が出てこないので、やはり男手ひとつでジュディス(小桜ほのか)を育てるのにてんやわんやしていたころだったのかもしれません。
 まあでも、復讐なのか意趣返しなのかはともかく、王の娘に息子をあてがい孫を手の内に入れて外戚として権勢を振るう、というのは王の血筋に生まれなかった男ができうる最高の栄達点でしょうから、まあそう動くよね、というのはわかります。そう言い聞かされて育ったロナンが、父のために良き息子であろうとして父の命令に従い、しかしそれとは別のところで恋が生まれてしまって、割り切ろうとはしたけれど…というのは良きドラマでした。
 ただ、なので主人公のルーチェと悪役たるオンブルの決闘場面がお話上のクライマックスになっているわけですが、ここがまたモヤるわけです。「子供をいいなりにしようとするな、子供の好きにさせてやれ」みたいなことをルーチェがオンブルに叫ぶわけですが、一般論としては至って正しくとも、ルーチェ自身の実感がこもった言葉では全然ないので、上滑りして聞こえるのです。
 だってルーチェには父親との葛藤がないからです。ここにクライマックスが来るのなら、ここの台詞はルーチェがロナンを慮って言っているように聞こえて実は自分のことを言っている、オンブルに言っているように見えて実は自分の父親に言っている、という構造になるべきなんだと思うのです。そういう真実の叫びだからこそ響くんでしょう? でも、ルーチェの父親たるオルゴン伯爵は今回影も形もありません(回想場面ではまっきーがやってるけど)。なんならユリウスがレオニード(音波みのり)にその夫のことを「ご主人様」と言っていることから、伯爵家の当主はマリオに代替わりしているのでしょう(そもそもレオニードもすでに「伯爵夫人」と呼ばれていましたね)。この世界の爵位は生前に譲れるものなのでしょうか? マリオ、アルビレオ、シルヴィア、ルーチェ兄弟姉妹の父親は、存命なのかしらん…?
 ともあれ、ルーチェが父親に対して屈託があるとすれば、それはむしろ命令とか干渉とかよりもネグレクト気味であることのように、私には思えました。この世界の貴族は称号も爵位も領地や財産もすべて長男総取りで次男以下には何もないのか、はたまた何かが残してもらえるのかはわかりませんが、次男のルーチェはずいぶんと幼いころから実家を出されて王都に留学させられています。もちろんその方が最高級の教育が受けられる、とかはあるのかもしれませんが、実際のルーチェは寂しがって泣き暮らしているようでもあり、彼にとってはあまり良くなかったのではないでしょうか。そして大学卒業後も、領地に戻って伯爵家の仕事を手伝う、みたいなことはまったくしないですんでいる…というのは放任と言えば聞こえはいいけれど、家族としては無視されていると言ってもいいくらいなのではないのかしらん? なんにせよ、結婚相手まで父親に決められているロナンとは父子の在り方が全然違う。そもそもルーチェはロナンを「言いなりでいいのかよ!」とか責めますが、放任されてなんでも自由にできるはずなのに好きな人への告白すらしていないルーチェに、誰かに何かをしろと責める権利などあるのだろうか…ともモヤるのです。
 ことほどさようにルーチェの立場、生き方、その障害がきちんと設定されていないから、その乗り越えるべき障害とその象徴のように立ちはだかる悪役、それを乗り越え退治してハッピーエンド、とお話が綺麗に流れていかないのです。今、全体になんとなく可愛いし元気だしいじらしいしにぎやかでわちゃわちゃしていて楽しいのでなんとなく騙されていますが、実はこの作品は構造としてけっこうもろい。たわいない、くだらないとかよりそのもろさが、緩さが、一本筋の通ってなさが、もう一歩感動を呼ばない原因なんだと思います。
 惜しい、実にもったいない。綺麗な構造と真実の想いがあれば、たとえたわいのない喧嘩ップルの痴話喧嘩話だろうとしょうもないお家騒動だろうと、もっとぐっと感動できるものになったはずなんです。なーこたんならできたと思うんですよ、でもシリーズということに引っ張られすぎたり、なんとなくお話を作ってしまった部分があるんだと思うのです。なんせ忙しそうだしね! でもそこはがんばって踏ん張ってほしかったぞ、とは言っておきたかったのでした。

 その点にさえ目をつぶれば、本当に可愛いハッピーラブコメで、楽しく観られたのでした!
 ホントこっちゃんは上手い、なんでも上手い。開演アナウンスからもう声が若くて青くて甘いルーチェ仕様なの、ホント卑怯でそこからもうニヤニヤしちゃう。ピカチュウかルーチェか、みたいなまっ黄っきのお衣装がまたぱーっと明るく似合うことよ!
 なーこたんお得意の勢揃いオープニングもよく考えられていて、とても上手い! ひっとんアンジェリークの手をペンギンみたいにして横にちょこちょこツーステップしてルーチェを追っかけていくみたいな振り(伝われ)も、めっかわすぎました。花婿選び最終決戦の時に着てくるドレスは、私は初見で吹いちゃったくらい、小さい子供が塗り絵で描くような稚拙な色とデザインのお姫様ドレスで目も当てられない、というのが本当のところだと思うんだけれど、それを着こなす頭身バランスとプリンセス力にまさしくひれ伏す思いでした。
 せおっちも温かなお人柄の出るいいお役でしたよね。ただ私はレグルスとティア(有沙瞳)がつきあって長いカップルだということは全然わからなかったし、そういう設定ならもっとちゃんとそういう台詞なりエピソードなりいちゃいちゃなりがないとラストが効かない、と思いました。そのラストも、アレじゃプロポーズなんだか、稽古場が欲しいティアがただ同居を承諾しただけなのか全然わかんないじゃん! 最後にチューすりゃいいってもんじゃないよ、もっとダイレクトにわかりやすくやってくれよー、とは何度でも言っておきたいです。
 くらっちは無双でなんでも上手いから安心として、水乃ちゃんは棒だからこういうお役、というのは裏目に出たと私は思っています。特に最初の機械の性能の披露?のくだりは機械の動作音のSEを入れないと、あの紙が最初から箱に入っていただけにしか見えないでしょ! イヤ最初から入ってるんだけど、舞台としては機械がギコギコ動いてあの絵ができた、って見えるようにしないと、笑ってるアニス(水乃ゆり)がバカみたいでしょ!
 せおっち同様私があまり興味がないぴーですが(ホントすみません…)、しかし今回ホントに上手いんだなと刮目させられました。歌も演技もとても安定していて、声もよく通りますしね。セシル(天華えま)、とてもよかったです。
 あかちゃんもさすが。そして美味しい役まわりをもらっているかりんさんは本人比で日々良くなっていると思うのですが…私はファンなので「父上、私は本当はジュディスと結婚したい!」「ロナン…!」で毎度泣くのですが(私は小桜ほのかが苦手なのですがしかし上手いとは思っていて、特にこの台詞は毎回ホントいいので本当に悔しいのでした…)、しかし番手と歌劇団の推し都合でやらせてもらっているだけで本当はここをもっと上手い人がやると芝居はより締まるのではなかろうか、と思わないではない…ああバウ大丈夫かな…と小姑になりそうなくらいにはこじらせているので上手く語れませんすみません。
 みっきぃもさすが。そしてはるこにいろいろありがとうなーこたん…! 初日に歌い出したときには「なんてことしてくれんの!?」と手に汗握りましたしそれは大劇楽でもまだそうだったけれど(ショーにあったようにみっきぃが歌いはるこは踊る、でなんの問題もなかったのに、はるこの餞別に歌を贈るなーこたんてば…!)、東京に来たらさすがに安定してきてやはり場数…!と思いましたよね。サービス男装は初演と変わらない可愛らしさで、ホントすごいよねジェンヌって…!と感動しました。通いまくった宙組の『シェイクスピア』で観たドレスをたくさん着てくれて、それも嬉しかったです。

 新公も観られたので以下簡単に。
 ルーチェはさんちゃん、咲城けいくん。これを土産に組替えですね、がんばれ! 声が特徴的で本公演のリドル・ル・カインがぴったりの印象で、出だし超緊張していてそらこっちゃんのようには歌えないよね…というなかなかしんどいスタートでしたが、その後は健闘していたと思います。ただやはりずいぶんとほわほわしたキャラにはなっていたかな…あとお化粧はもっと良くなる気がしました。そういう意味でも組替えはチャンスでしょう、がんばれー!
 アンジェリークはうたち、詩ちづるちゃん。こちらは先日組替えしてきたばかりですがもう大活躍で嬉しいです。ひっとんのお衣装には着られて見えるところもあったけれど、歌が上手い芝居がいいディスコ場面のダンスもめっちゃよかった!とベタ褒めしたいです。ソロ、泣かせてくれました…!
 レグルスはかのん、天飛華音くん。さすが新公主演経験者、落ちついていました。5人組だけでなく新公全体の扇の要になっていたと思いました。優しそうでいい人っぽそうで、芝居が的確で声がいい。本公演でもこれから組の大きな戦力になっていくことでしょう。
 ティアは星咲希ちゃん、手堅かったけどあんま可愛くなかった気が…すすすすみません…
 セシルは稀星かずとくん、これが絶妙に上手かった! 本役のカストルを観てると背が足りないのかな?とか思っていたのですがそんなことはなく、すらりとスマートで、歌が上手く、このキャラらしいへっぽこぶりとがんばりぶりを嫌味なく見せていて、大物感を感じました。これからが楽しみ!
 アニスはアヤネミランダカー、綾音美蘭ちゃん。本役さんとは役作りを変えてきていましたが、どうかなー…私はちょっと微妙に感じてしまいました、すまん。
 アージュマンド/アンヌ(瑠璃花夏)は乙華菜乃ちゃん、可愛かった! オペラでガン見してしまいました。
 ローウェル公爵は羽玲有華くん、個人的MVP。説明台詞も歌もしっかりしていて、新公だとタルくなりそうな場面を上手く締めていたと思いました。
 レオニードは水乃ゆりちゃん、すみませんやはり棒だった気がします…はるこのあのまろやかさとキュートさ、お茶目さはやはりなかなかに得がたいものだったのです…
 フォション(ひろ香祐)は透綺らいあくん。うーんフツー…てかこの役、本役も微妙だと個人的には思っているのでした…
 マダム・グラファイス(万里柚美)は紅咲梨乃ちゃん、良き押し出しでした。
 コーラス王が奏碧タケルくんで、最近えくぼが素敵な美形として注目しているので、もっとおもしろいところに配役されればいいのにーと歯噛みしました。
 ロナンは大希颯くん、押されているのでしょうが私は苦手なのでしたすみません…
 オンブルは鳳真斗愛くん、濃くて上手かったですねー!
 そしてジュディスの鳳花るりなちゃんが私好みの派手めの顔の美人で色っぽくて歌が上手くて、もう夢中でした! かりんさんロナンと彼女のジュディスの組み合わせが観たかった…!(強欲)てかジュディスって大司教の娘のわりにはあんな悪女系のお衣装なのはなんでなんでしょうね? アレは高級娼婦か悪い方の女優崩れみたいなキャラが着るお衣装ですよ…むしろ役の設定としてはそっちの方がおもしろかったかもしれません。金蔓としてしか思っていなかったお坊ちゃんといつしか本気の恋に落ちちゃって、けれど身分違いだし向こうは王女と結婚しようとしている…ということに悩む、というベタだけどわかりやすいヤツでよかった気がしました。新公はそのセンにめっちゃ合っていたろうと思うんですよね…!
 それから可愛くて夢中という点ではポルックス(詩ちづる)の藍羽ひよりちゃんも可愛かった! お衣装が違っていたのはなんでだろう? うたちのでは小さすぎて入らなかったのかしらん…
 あとはエメロード(美穂圭子)の都優奈ちゃんが、いつでも本公演いけますけど何か?な歌いっぷりでさすがでした。
 るりはなはブラン(白妙なつ)だったので、まあしどころがなかったかな…ユリウスの紘希柚葉くんはちょっと変わった声でしたが、良きお芝居でした。あとはルベル(天飛華音)に大抜擢の馳琉輝くん、ピチピチピカピカでした。良き。


 レビュー・エスパーニャは作・演出/藤井大介。
 スペインに絞ったのが大勝利で、久々に良きダイスケショーを観た気がしました。
 まあこっちゃんが歌える踊れるということもあってどの場面にも出る!くらいに働かされていたので、全ツ版はありちゃんも加わるし、もう少し休ませてあげてもいいのでは…とは思いましたけれどね。
 でもでも、友会のおかげで10列目どセンターにお友達と並んで座ったことがあったんですけれど、もうもうこっちゃんから目が離せませんでした。タカラヅカのトップスターにやってもらいたいことを全部、存分に、惜しげもなくやってくれるんです! キザる、微笑む、スカす、伏し目、ウィンク、ニヤリと笑う、キメる…もうもうたまりませんでした! いつもはこっちゃんの歌を聴きながらかりんさんやはるこ以下好きな娘役をオペラで追っていることが多い私も、この日ばかりはずーっとこっちゃんガン見でしたよ、はー楽しかった! タカラヅカのショーってやっぱこうじゃなくちゃね!と思います。
 出だしはなんのこたない『アパショ』なんだけれど、アサコはともかく大空さんのナゾの唸り声からしたらずっと素敵な(オイ)スキャット?からの静かな「オーレ」、ライト! 黒幕飛んでハットも飛ばしてビカーッ!と始まるショーにテンション上がらない人なんていないでしょう! ざかざか降りてくる組子の隊列が美しい。白と紫のお衣装も素晴らしかったです。マントぶん回すのは『ネバセイ』と被っとるやんけ、というつっこみはそれでも一応しておきますけれどね…でもいいとなったらすぐやる、という節操のなさも大事かつ良き、ではありますかね。
 プロローグのシメはあかちゃんとぴー残り。ここの娘役ちゃんもいつも識別しきりたいと思いつつ果たせませんでした、無念…
 セビーリャの春祭りはせおっちカバーロの「NINJIN娘」、かりんさんしか観てないので全貌がよくわかっていませんすみません。ここのなんてことない青スーツの姿、ホント若くて身体の薄っぺらいリアル青年に見えてもうときめきしかないんですよー。男役が男に見えてときめく、なんてことあまりなかったんだけどな私…???
 何度観るんだって『ファンサン』ひまわりのお衣装ですが、ここのザナホリアたちにもくらっち、るりはな、ミランダカーと観たい子たくさんいるのに目が足りません!(マイ楽で下手にいると教えていただいた鳳花るりかちゃんをチェックできましたありがとうございました!)
 そして、今のは前座だったんだなと思わせるパティオ祭りのこっちゃん登場! ライトかっけー!! エルモサSははるこ。ホント男役に負担をかけない、そして相乗効果でお互いを艶やかに色っぽく見せる、美しく軽やかなダンスをするんだよねー! でもそこからひっとんボニータが出てきてこれがまたバリバリ踊るんだからすごい。まさか田原俊彦がこんなにカッコいいとは…! ここもエルモサにこりらや水乃ちゃん、うたちがいるのに目が足りないんだー!
 続いて中詰め、とっぱしはかりんさんですが毎度風呂上がりかな?みたいな滝汗で出てくるので、いつかしれっとドライに美しく出られる日が来るといいね、と常に念じています…歌は毎度力一杯タイプですが、いいんですのびのび育て…(ホントか?)
 そしてこっちゃんが美穂姐さんと柚長従えてええ声で歌う贅沢さよ…! センターが水乃ちゃんうたちというのもアツい! スター銀橋渡りではあかちゃんにすっぽり包まれるはるこが本当に愛らしくて泣きました。コーラスも東京ではすごく良くなっていましたよ…!
 みっきぃが歌い男役のススピカたちにこっちゃんが囲まれる場面では、かのんがやっぱり硬質の色気で目立つ気がしました。でもタケルのことも観ていたよ…!
 からの、ダルマひっとんのプリンセッサ、キター! ホントええ脚や…! 火祭りラストのトップトリオ銀橋残りもとても良きでした。
 そして闘牛祭りへ。みっきぃの破格の扱いに唸りました。そして闘牛士こっちゃんとトロ(雄牛)なのに女装?のせおっちとのラブ??場面へ。イヤしかしこっちゃんホントすごいな…(ここもマイ楽でトロのるりなが観られたー!)
 続くオラシオンひっとんのダンスの素晴らしいことよ! こういうお衣装だとちょっとちゃぴを彷彿とさせますよね。こっちゃんが出てくるまでは完全にトップスターで、せおっちに対しても全然遠慮してなくて、そしてせおっちが振り遅れて見えるのが好きでしたすみません。そして圧巻の「オンブラマイフ」へ…ねえ、こんなに沁みる歌声ってあります??? 浄化されますよね…
 フィナーレとっぱしはかりんかのんから。ロケットは東京では初舞台生バージョンではなくなりましたが、主席の娘役ちゃんがそのまま星組配属になってキーパーソンを務めているのにほっこりしました。
 そして彼ジャケを着た(笑)ひっとんが路線男役と次々踊り、こっちゃんの登場を待ち、娘役と次いで男役と群舞、そして白いお衣装での炎のデュエダン、バチバチでとても良きでした。男役のお衣装がついこの間もこの組のなんかで着たヤツじゃん…ってのは残念でしたけどね。さらにみっきぃエトワールのパレードまで、盛りだくさんですお腹いっぱいですでももう今すぐアタマからもう一回観たいです、となる、元気な、エネルギュッシュな、熱い、楽しいショーでした。志摩スペイン村、行ってみたいです!(笑)
 こっとんにはもっともっとショーの傑作が来るんじゃないかなあ…ここにありちゃんが来るとかホント楽しみだなあ…まあまあファン歴が長い私ですが、わりと雪と星に疎いところがあったので、今の星組が一番好きかも…! 次の全ツもかりんさんバウも、楽しみにしています!!





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『クラウディア』

2022年07月13日 | 観劇記/タイトルか行
 東京建物ブリリアホール、2022年7月12日18時。

 愛を禁じられ、戦いに明け暮れる「根國」と「幹國」というふたつの民族しかない世界。神親殿(湖月わたる)という神が定めた絶対の掟に背いて、ふたつの恋が芽生えた。民族を越えて密かに育まれる愛と自覚せぬままお互いを想い合う愛のふたつが、やがて世界そのものを揺るがしていき…
 脚本・演出・振付/岸谷五朗、主題歌/サザンオールスターズ、衣裳/山本寛斎事務所。全編サザンの楽曲を使用した音楽劇で、岸谷五朗も寺脇康文も出演しない「Produced by 地球ゴージャス」作品。2004年初演、全2幕。

 そんなに回数を観ているわけではないのですが、何故か惹かれるものがあって行って、そしていつもなんかソリが合わないなと思って帰ってくる…というのを繰り返しているのが私にとっての地球ゴージャスです。過去にはこちらこちらこちらなど。
 やろうとしていることはいつもわりと大がかりなエンタメで、そのコンセプトはいいと思うし、この作品も初演当時はジュークボックス・ミュージカルなんてまだまだ珍しかったと思うので斬新だし、なのでいいと思う部分もホント多々あるんですけど、でもなんか…大味に感じたり笑いのツボが違ったり、なんかこう…あまり良くない観客ですみません。
 今回も、歌って踊れて殺陣もタップもできるアンサンブルは素晴らしくて最強だし、ロミジュリみたいな設定での(衣装も赤と青に別れているし)ラブストーリーってのもベタだけど素敵だし、役者はみんな素晴らしく歌えて踊れて音楽劇だもんこうじゃなくちゃね!とたぎるのですが…
 でも、なんでこんな台詞なの? いや、わざとこうしているんだとは思うんですけれど…ロミジュリに引っ張られてシェイクスピアふうってことなの? なんかヘンにポエミーな、文語的とも言えない、要するになんかリアリティのない芝居がかった大仰な言葉遣いの台詞の羅列で、私は設定がファンタスティックなんだからそこに生きるキャラの在り方やしゃべる言葉はリアリティがあって普遍的なものにしないと共感しづらくない?と考えるタイプなんですけれど、作者はそうは思っていないということですよね…
 あと、キャラが全然立っていないのも気になりました。書き割り、お人形みたい。長、とか歌姫、とか女剣士、みたいな役職というか立場というか設定しかなくて、性格とか生い立ちとか人となりみたいなものが全然見えない、記号的なキャラクターで、ますます作り物めいていて、私は共感も感情移入もしづらいなとちょっと退いて観てしまいました。
 それと、これまで「再演は皆無で時代が後退しない限りありえない」としてきたこのプロデュース企画が今回この作品を再演したのは「時代が後退した」から、「人類が犯した『大きな過ち』の時代へ急速に遡った』から、というのはものすごく納得なのですが、「初演でぶつけた反戦というテーマが一八年後の今日、最も必要不可欠なテーマになろうとは」というほど、これって反戦の物語かなあ?と私は疑問なのでした。小うるさくて申し訳ない、でもこれ、ちょうど再演観てきて原作漫画を再読したところだから思うのかもしれないけれど、『風の谷のナウシカ』同様に反管理、反コントロールの物語でしかなくない? つまり、戦うことは残念ながら人類の本能に組み込まれてしまっているのかもしれなくて、でもそれも含めて人間なんだから、たとえば闘争本能を抜いてより優しく賢い人類を作ろうとするとか、そういう不遜なコントロールや管理は、たとえ神や宇宙人であろうとやめろ、俺たちに手を出すな、俺たちは自分で考えて自分で決めて自分で生きる、もしその結果滅ぶならそれも受け入れる、だが外から口出しするな手出しするな、俺たちの生命は俺たちのものだ、俺たちが自分で滅びの道から抜け出すようがんばって変わる、変われるはずだ、だから手出し無用、生きねば…ってお話なんじゃないのかなあ? というか、そうなるようもっと整理すべきだったと思うのです。
 神親殿(なんて名前だ、なんて漢字を当てるんだ。まさしくカルト宗教ですよタイムリーすぎます)がしていたことって要するに、人類は放っておいたら愛し合いもするがその陰に必ず憎しみが生まれ戦いが生まれ戦争して爆弾使いまくって地球もろとも滅ぼしそうになったので、人間に愛を禁じ、男女とも成人したら乱交して国のための子供を作りその子供は親から離して国が養育し戦士に育て、闘志の発散のために隣の国との小さな戦争を続けさせ、ただし人が死にすぎないようにまた生まれすぎないように、銃器は規制するし男女の数も管理する、そういうコントロールされた社会を作っていた、ってことですよね? それに対し、個別に愛し合ってしまった細亜羅(この日は甲斐翔真)とクラウディア(この日は田村芽実)は抗い、細亜羅と昆子蔵(この日は小栗基裕)も実は幼なじみなので本当は戦いたくなく、そして昆子蔵は実はクラウディアの父親だったので(一体何歳の設定なんだ…)親子の情が湧き、そんな昆子蔵がクラウディアにかまう様子を見て自分の中の彼への想いに気づく織愛(美弥るりか)がいて(愛が禁じられているのに名前にこの字を使うことは許されているのか…)、この世界の有り様はこれで本当に正しいのか?となっていく…というお話になっているんだと思います。で、神親殿と実はその弟だった(ここでも姉弟萌えが…!)龍の子(この日は新原泰佑)が退治されて終わるわけですが、でもそれだけなんですよね。
 細亜羅も昆子蔵も織愛も死んで、クラウディアだけは生き残るけれど、残された二国の民が平和を誓うとか愛を取り戻すとかそういうことは特に描かれない、ように私には見えました。だからこれは単に男女の自由恋愛を取り戻した、神から解放されたというだけの話で、別に反戦とか平和の話ではないように私には見えました。
 でも、それにしてはそういう社会の仕組みを作り人類を導こうとした神親殿の理屈が中途半端というか未整理で、イヤそれは間違っているヒロインとともに立ち上がろう、オー!みたいな構造にストーリーがなっていなかったのがモヤモヤしましたし、SFとしても中途半端に感じられました。成人したら乱交、ないし組織が決めた相手と番い子供を作れ、なんてまさしく旧統一教会がやっていることでおぞましすぎるんですが、それが何故いけないのか、何に反しているのか、ということが全然語られていなかったように思いました。そもそも細亜羅とクラウディアがどう出会い何故恋に落ちたのかも描かれていないし、ふたりは衝動に酔っているだけで本当に理解し合い愛し合っているのかちょっとナゾな描写もあったりするので、主人公側が正しい!って感じがあまりしないのも、ストーリーとして弱いんですよね。なんかそういう全体のゆるさ、ぬるさが、せっかくおもしろいこと、いいことをやっているのにもったいなくて、毎度歯がゆくてイライラさせられて、なのにこんな豪華な座組でいいセット作っていい音楽でいいパフォーマンスしてて、悔しいやら虚しいやら…という砂を噛むような思いを私は毎度させられるのでした。脚本は手放さない気がするから、誰かもっといいプロデューサーがつくといいんじゃなかろうか…それか岸谷さんはせめて演出だけに徹するとかね。あ、でも今回振付はすごくよかったと思うので、振付もできちゃう岸谷さんってホント異才だなあとは思うんですけれどね。
 というわけでストーリーにはとても不満(というかもったいない感満載)なんですけど、役者がみんなよかったのと、お目当てで行ったみやちゃんが素晴らしすぎたので、まあチケット代の元は取ったかもしれない…というのはあります。みやちゃんの女剣士役、殺陣と歌とダンス、絶品でした。刀の錆になりたい人生でした。コロナ対策かキスは宝塚式に見えたけど、どうかな? あとラストの田村芽実のシャウトね! 素晴らしすぎました。
 この日のヤンは中河内雅貴。ダブルキャストを多く配し、同じ組み合わせの回が全然ないようです。大変だろうけど、通うファンには楽しいだろうしコロナ対策にもなっているのかもしれませんね。
 …と思っていたら、私が観た回を最後に中止に入ってしまう模様…残念です。
 第7波、確実に来ていますよね…ホント政府は何もしないよね、外国人観光客はノー検査で入れ出すし、隙あらばGoTo施策をやりたがるし…うちの両親は4回目のワクチンを無事に終えましたが、老人以外にはマジで基礎疾患持ちにしかもう打たないつもりなんでしょうか。それでは感染拡大が止められないのではないでしょうか…
 興行側も、もう3日おきに全員検査するとかはやめているんだと思うんだけど(それだと必ず誰かしら陽性が出るから)、それでもやはり発熱や体調不良の申告はさせているんだと思うんですよね、それはコロナでなくてもあたりまえのことではありますが。で、やはのメインどころに症状が出ると、ダブルキャストを組んでいない舞台はアンダーがいてもやはり続行はつらい…ということになるのではないかしらん。
 対策に飽きたり、疲れたりするのはわかるんだけど、地道にやっていくしかないと思うので…がんばれ演劇界! がんばれエンタメ! そしてこんな選挙結果じゃ怪しいかもしれないけれど、引き続き支援してあげてください政府! 何より国民の生命と生活を守ってください! 頼みますよ…
 私も襟を正して、気をつけつつ、生き抜きたいと思います。



 




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