駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇雪組全国ツアー公演『黒い瞳/ロック・オン!』

2011年04月25日 | 観劇記/タイトルか行
 市川市文化会館、2011年4月23日マチネ(初日)。

 1733年、ロシア。女帝エカテリーナⅡ世(晴華みどり)が支配する帝国内では、圧政に苦しむコサック民族が反乱の機会を窺っていた。そんな中、地方貴族の陸軍少尉ニコライ・アンドレーイチ・グリニョフ(音月桂)は女帝陛下への忠誠を胸に、故郷を離れて任地ベロゴールスクへ向かう。雪で方向を見失ってしまい、通りがかった浮浪者に宿まで案内されるが…
 原作/プーシキン、脚本/柴田侑宏、演出・振付/謝珠栄、作曲・編曲/高橋城。98年に月組で初演。

 ミミちゃんがめでたくトップ娘役に決まって、トップコンビのプレお披露目公演となりました。
 『はじ愛』以外ずっと再演ものだけれど、これはハマった。特にキムは、マミさんよりニコライっぽかったんじゃないかなあ。
 従者のサヴェーリィチ(一樹千尋。さすがすぎる!笑いもガンガン取ってたし、最優秀助演者とはこういう人を言うのではなかろうか)に「若旦那」とか呼ばれちゃうのがすっごく似合う、首都に赴任して華やかな社交生活を送りたかったのにとか言って口とんがらかしちゃうのがものすごく似合う、愛されて育ったまっすぐなお坊ちゃん。まだ何も知らない、何もしていない、まっさらな青年…
 童顔ってのもあるし、純粋雪組育ちの御曹司っぷりが表れるのかもしれないけれど、ホントにこういうキャラクターがニンで、嫌味なくハマっていました。
 これは個性だし、強みだよね。
 原作『大尉の娘』ではどうなのか未読なので知りませんが、よく考えるとニコライって意外に自分では何もしていないんです。
 いやマーシャ(舞羽美海)を助けに行ったりとかね、もちろん自分でも動いてはいるんだけれど、それは大局を見たものとか理性的な行動とかではなくて、なんと言うか情熱ゆえの、若者らしい、場当たり的な行為でもあって、主人公っぽいアクションとは違うわけ。
 政治や物語はニコライを置いて、勝手に進展していく。ニコライはそれを見て成長するけれど、基本的には傍観者のままなんですよね。
 それが間抜けに見えないくらいのチャーミングさを持つことが、演者には課せられているワケです。これはなかなかに大変なことだと思う。そしてキムはそれを軽々とクリアして見えました。これはすごいことです。
嫁を得て、まさに水を得た魚(笑)。ラブラブっぷりもハンパないし、広大な大地に花開いた、小さくても豊かな恋の花を気持ちよく祝福して見終われる、素敵な舞台になりました。

 ミミちゃんもハマりました、よかったよかった。
 プロローグの雪の少女では初演のユウコの軽やかさにはさすがに及ばなかったと私は思った。
 しかしとにかく「かわいい演技」が彼女は絶品なんですよ!
 『ロミオとジュリエット』のときにも思ったんだけれど、アミちゃんはどんなに歌がうまくても(実は私にはそれほどには聴こえなかったのですが)芝居がかわいくなかった。本当の彼女は可愛らしい少女だとしても、舞台の上で「可愛くある」ためには他にまたある種の技術が必要なんだと思うのです。研1の彼女には残念ながらまだそれがなかった。ミミちゃんにはこれまで、それを養う時間もチャンスも与えられてきて、それをちゃんとものにしてきたのだと思うのです。
 プロローグのミミちゃんは可愛かった、もうそれだけでまさにつかみはOK!です。
 そのあと登場するマーシャにニコライがころっと一目惚れするのもむべなるかな、シヴァーブリン(沙央くらま)が岡惚れするのもむべなるかな、なんですよ。
 そしてエカテリーナが心打たれるのも納得、なんですねー!
 お衣装もよく似合っていたし、本人もファン時代に通った作品だというし、うれしかったんでしょうね、のびのびと演じているように見えました。いやめでたい。

 そしてまっつのプガチョフ(未涼亜希)!
 ツイッター情報によれば、早くも二日目にして芝居が変わってよりワイルドになったとのことですが、まーコサックにしちゃ綺麗すぎるんじゃないの、なんなのそのダダ漏れのノーブルさと色気は!ってつっこみたかったですが、とにかく存在感があって、線が細いということはなくて、また新しいプガチョフ像でした。芸達者だから黒い役がホント映えるよね!
 キムのキラキラ感に対してまっつのギラギラ感、というのがまたいいのかもしれません。橇の場面の歌のハーモニーの美しかったこと! 相乗効果とはまさにこのこと、とシビれました。

 シヴァーブリンは憎々しげでよかったなあ、でももうちょっと彼は彼なりにマーシャを愛していたんだけれどね、ってのがほの見えるようになるといいかなあ。
 ミロノフ大尉(飛鳥裕)のハートフルさ、ヴァシリーサ(舞咲りん)の肝っ玉夫人っぷり、よかったです。
 パラーシカ(沙月愛奈)はこんな儲け役だったっけ?という印象。サヴェーリィチとのコメデイリリーフっぷりが完璧で、かつマクシームィチ(香綾しずる)との恋仲の展開が泣かせました。マクシームィチはもっと良くなってくると思うなあ。

 そして出色だったのかカオリのエカテリーナですよ!
 アツもよかったんだけれど、なんかもっとずっと強くて、帝王で、でも女で…
 確か史実としては、もちろん当時のことで夫とは政略結婚で、かつ政治的にもめて夫を皇帝の座から下ろして自分が帝位についちゃったんじゃなかったでしたっけ? それもすべて国のため、ではあったのだけれど。
 そんな中にプガチョフが夫の名をかたって反乱を起こして、そら怒髪天ついてあんなヘアスタイルにもなろうってものです(ちがいます)。
 そんな男以上に男らしい女帝陛下だけれど、マーシャの訴えに耳を傾けるさまは優しい女友達そのもの。というか、マーシャの真摯な訴えに、そういう愛情とか恋心とかを思い出させられたのでしょうね。それがよくわかる、百合百合しい名場面でした(台無し)。
 女官長かな? 花帆安奈センパイのレーヴィン夫人もとても雰囲気があってよかったです。

 お芝居全体としては、初日だったので固かったり装置転換などドタバタしていた部分もあったかなーと思います。
 懐かしくもまだらにしか覚えていなくて、特に前半はこんな話だったっけっかなー、なんか焦点がよくわからん話だなーとか思ってしまったのですが、メリハリ出てくると印象がまた変わるんじゃないかな。
 後半はとても良くて、いいもの観たなーという感じで見終われるのが本当にいいと思います。それから台詞が本当にいい。もちろん私が柴田スキーだというのもあるけれど、いちいち赤字入れたくなる感じはまったくないもんなー。
 一回しか観られなくて残念でしたが、堪能しました。今後の進化をツイッターで追うのが楽しみです(^^)。


 ショーは作・演出/三木章雄。
 前トップコンビの退団公演の再演なワケですが、新場面もあり、楽しく見ました。
 プロローグからの手拍子、懐かしかった!
 キムだとカラッとパリッと若い、ハツラツ・ヤングスター!って感じでよかった。ミミちゃんもいい感じでした。
 ミッドナイト・レディの女豹っぷりも良かったし、ダルマのザ・メロディーも良かった!

 新場面ではソノカのDHから持ってきたというパリの紳士の館がですね…いったいどういう設定なんですかね、男娼館って感じでもなかったんですけれど…?
 紳士たちが次々紳士Sに絡むのにSは払っていき、なのにまっつ紳士だけにはSから誘いかけるってどーいうこと!?
 しかもそのあとカオリおねーさまがバーンと出てきて「女もいるよオラオラ!」みたくなって、さらに淑女がふたり出てくるんだけどミミちゃんの淑女Sの扱いがなんか良くなくてさ、ここはちょっと不満だったわー。

 ゴージャスレディーがご当地アドリブをかましていて楽しかったです。

 ショーではカオリがノリノリで踊ってよく目立っていました。
 パレードは、まっつの二番手羽にも感動したけれど、その前の毛皮飾りがちゃんとヒロミだったのにも泣けた…
 直前でコマがお辞儀したとき落としたコサージュの花を、お辞儀しがてらさっと拾ってニッコリしたのに、シビれました…!

 という訳で、全国を巡るのにいい、バランスのいい佳品かと思います。行ってらっしゃい!!
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宝塚歌劇花組『愛のプレリュード/Le Paradis!!』

2011年04月25日 | 観劇記/タイトルあ行
 東京宝塚劇場、2011年4月5日ソワレ、19日マチネ、21日ソワレ。

 1933年、サンタモニカ。フレディー・クラーク(真飛聖)は世界大恐慌のあおりを受けてリゾート地としてのかつての賑わいを失った故郷の街並みを数年ぶりに目にしていた。友人のスティーブ(愛音羽麗)と共にボディガードを依頼してきたクライアントの家を訪ねると、研究者のドイル(悠真倫)が一人娘キャシー(蘭乃はな)の護衛を頼んでくるが…
 作・演出/鈴木圭、作曲・編曲/吉田優子。

 トップスターの退団公演なのでサヨナラ仕様になっているのはいい。
 しかし…しかし、陳腐だけれどね…
 私ががっつりファンでもこれは目をつぶれなかったんじゃないかなあ…
 終盤の役者の力技の演技で感動させているけれど、うっかり感動したけれど、でもアタマの半分では突っ込みと失笑が渦を巻いている、というのはちょっとつらかったなあ…
 いや泣かせるよ、いいことやろうとしているんだよ、でもいろいろ見え見えなのがねえ…
 いかにもな悪役が計画の途中で真意をべらべらしゃべっちゃうとか、あるわけないじゃん。
 アンダーグラウンドの仲間たちだったのが、突然アツい中学生日記みたいな展開とかね…アツくていいんだけどさ、でもさあ…
 相棒だしね、同志だしね、腕の中で死ぬのもいいよ、でもスモークの中セリ上がらなくてもよかったかもね、握手もしていいけど二度もしなくていいかもね、抱きしめなくてもいいかもね…
 いやいいんだけどでもむずがゆいんですよ!
 もっとスマートにスムーズに感動させて泣かせてくれて浸らせてくれる技ってもんはないのかプロなのに! いくら大劇場デビュー作といえど!!

 一番引っかかったのはテーマです。
 命が大事、それはわかるよ、こんな折だしね。
 しかしお金は汚い、そんなのいい大人が言うことか? しかもこんな折なのに。チャリティ公演にして義捐金の募金募ってんのに?
 子供じゃあるまいし。お金は必要です、いいも悪いもないよ、そんなこともわかんないの? 本当にお金に困ったことあんの? 困らせられたことあんの??
 キャシーに言わせるのはいいよ、彼女はおそらく学校を出たての、まだ成人とはいえないような年齢なんだろうからね。でもフレディーにはそれを諭させなければいけない。自分で稼いだこともない者が、親の金で食わせてもらっている者が、お金は汚いとか親の事業がいやだとか言うもんじゃない、とね。
 彼女が入れあげている孤児院にしたって、匿名の人間からの謎の寄付で成り立っていて、彼女自身はただ子供たちと遊んであげることしかできない。それはもちろん大事なことだけれど、でも着るものにも食べるものにもこと欠いている子供たちの命を救うことはできないんだよ?
 そういうこと、わかってる?ってきちんと言うべきです。
 その上で、もちろんお金が狂わせる何かもあって、たとえば警官の汚職とか贈賄とかそういうことです。ジョセフ(壮一帆)はそれに嫌気が差して警察を辞めてしまったわけですが、それも子供っぽい行動に見えないようにきちんとしてほしかったわけですよ。

 あとは細かい台詞をいちいち直したい…
 それは添削レベルです。本質的なことじゃない、だからこそプロデューサーでも誰でもいいから、作者本人じゃない人が軽くチェックするだけでいいんだからやるべきですよ!
 まずドイルの「研究」「発明」「事業」「装置」統一しよう! 全部少しずつニュアンスが違います、つまりきちんと想定できていないってことなんですよ。事件のキーなんだからもっとちゃんと設定してほしい。ドイルが俗世間には疎い研究馬鹿タイプなのか、新発明とか科学の発展とかには本当には興味がない事業家タイプなのかでもぜんぜん違ってくるのに、あいまいすぎる!
 それからフレディーの過去につついて。もっとクリアにわかりやすく説明しなさい。撃たれて大怪我して意識不明の重態になって昏睡状態で植物状態だった、ってことでしょ?
 なんだ銃弾が命を狙っている、って。銃弾の前に沈んだ、って。それは詩的な表現だとかいう問題ではない、単に回りくどくわかりづらいだけです。台詞に詩情は確かに必要だが、この作者の技術はまずそんなところには行っていない。それ以前にクリアすべき問題が多すぎです!

 ラストの台詞と演出は素晴らしい。花道から照らすライトがフレディーのシルエットを幕に作るというのも素晴らしい。
 こういうところはいい、クサかろうがなんだろうがいい。
 その前のキャシーとのキスシーンもいい。説明不足なのは痛いけれど、目眩や痺れを抱え命の危険にさらされながらも、彼自身もまた人の命を救わないでは生きられないわけで、そのためには孤児院の先生には納まっていられず、ボディガードの依頼があればどこへでも行くわけで、だからキャシーとは別れなければならない。
 だけど…キスしてしまう。罪作りかもしれないけれど。行くならするな、するなら行くなって言いたいところだけれど。でも。
 それでもとめられないのが恋心です。証を残したいと思うのが人情です。
 トランクと帽子を音立てて投げ捨ててフレディーが振り向いてくれたとき、キャシーと一緒に私の心臓も跳ね上がりました。そういうものです。
 てかこれないとホントにヒロインがジョセフになっちゃうしね…
 
 ともあれある種のいい迷作を観たよ。
 しかしこれからは大劇場作家のラインナップに並ぶんだろうから、本当に精進してください。主題歌を何回歌おうが星空と海が常に出てこようがそんなことは瑣末なことです。もっと大事なことが作劇にはある、それをつかんでくれ早く。えらそうですまん。



 ショーは作・演出/藤井大介。いやレビューでした。キラキラのギラギラのパリ、これでもかこれでもかと愛いっぱい夢いっぱいでおなかいっぱいの夢の時間でした。
 退団公演として正しい。

 チョンパから始まる怒涛のプロローグ。
 ギャルソンとミディネットの小粋なカフェ(いつもきらりばっかり観てた!可愛いよきらり!!)。
 雨の中のジゴロとベルのつかの間の出会い(ジゴロのコーラスがすっごくよかった!)
 対談者のひとり、めおちゃんを送るプランス・ブラン役。同期のミツルによるプランス・ノワールと、若手男役たちのダルマによるユイット・ノワールの構造も完璧。
 ランちやんがセンターのロケット。
 そして夜の王と夜の王妃のデュエダン。二番手男役の女役、鉄板です。
 そのあとすぐえりたんが男に戻ってブリュイヤント、というのも目覚しい。ここのショード、しゅんさまとまーくん、ドゥースのじゅりあとゆまちゃんも素晴らしい。
 ファンティークはキュート、ムッシュ・サクレは客席登場がいつも本当に楽しそう。羽扇のダンスールたちも麗しい。
 エスポワールたちが呼ぶ金色の太陽。そして愛の男たちによる黒燕尾のダンス!
 マドモワゼルを迎えてのデュエダン。そしてひとり銀橋で歌う絶唱。「I LOVE YOU」はもちろん、ファンからしたら「I LOVE YU」だ。
 エトワールはこれも対談者のあまちゃき。パレードは笑顔…

 美しい。
 濃い。
 輝いている。
 愛にあふれている。
 
 いい公演でした。
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三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』(文春文庫)

2011年04月17日 | 乱読記/書名ま行
 東京のはずれに位置する都南西部最大の町まほろ市。駅前で便利屋を営む多田啓介のもとに、高校時代の同級生・行天春彦がころがりこんだ。ペット預かりに塾の送迎、納戸の整理…ありふれた依頼がこのコンビにかかると何故かきな臭い展開に…第135回直木賞受賞作。

 瑛太と松田龍平で映画化されるのに合わせて文庫になったようで読んでみましたが、そうかこれで直木賞を取ったのか。ほんとに賞ってワケわからんわ。もちろんおもしろかったがこれがベストだとも賞にふさわしい作品だとも思えないのですが…

 まあいいか。
 あと、映画のキャストは若すぎないか。最近はむしろこれくらいの年恰好の男の方がバツイチだったり小さい子供を持っていたりするのが自然かもしれないけれど、作中のふたりはもっとしょぼくれたおっさん、中年男性って感じでないかい?
 いやいいけど。

 期待していたわりにはややぬるいかな、まあウェルメイドということでいいのかな、という読後感ではありました。
 テーマやモチーフにもよるけれど、私はこの作家はもっと書ける人だと思うので。
 あ、エッセイもおもしろいけれどね(^^;)。

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堂場駿一『チーム』(実業之日本社文庫)

2011年04月17日 | 乱読記/書名た行
 箱根駅伝出場を逃した大学の中から、予選で好タイムを出した選手が選ばれる混成チーム「学連選抜」。究極のチームスポーツといわれる駅伝で、いわば「敗者の寄せ集め」の選抜メンバーは、なんのために襷をつなぐのか…選手達の葛藤と激走を描いたスポーツ小説。

 昔はお正月は昼まで寝ているのが普通だったので、箱根駅伝はたいてい五区と十区しか見ていませんでした。
 近年、三浦しをん『風が強く吹いている』を読んでからここ数年は、八時前に起きて全区間見ています。
 というわけでかなりリアリティが感じられて、楽しく読みました。
 本当に選手はこんなふうにいろいろ感じて考えて、走っているんだろうな、と思えました。
 エピローグはやや蛇足だったかもしれないけれど…ま、こういうものは締め方が難しいものなので、いいか。
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『トップ・ガールズ』

2011年04月17日 | 観劇記/タイトルた行
 シアターコクーン、2011年4月7日マチネ。

 ロンドンに暮らすキャリアウーマンのマーリーン(寺島しのぶ)は男性社員との熾烈な出世競争の末、ついに重要ポストを勝ち取った。彼女の昇進を祝って、古今東西のトップ・ガールたちが集まってくる。ヴィクトリア朝時代に世界中を旅した女性探検家イザベラ・バード(麻実れい)、日本の帝の寵愛を受けて日記文学に名を残す二条(小泉今日子)、女性であることを隠して法王になったヨハンナ(神野三鈴)…史上最強のガールズトークの一方で、現実社会では…
 作/キャリル・チャーチル、演出/鈴木裕美、翻訳/徐賀世子、美術/松井るみ。1982年ロンドン初演、7人の女優が16役を演じる舞台、全2幕。

 第一幕第一場、いわゆる「史上最強のガールズトーク」場面が意外に冗長に感じられてどうなることかと思ったのですが、その後は各女優の圧巻の豹変ぶりと演技力に魅せられてあっという間でした。
 二条ともども現代でもややうざいウィンを演じた小泉今日子は的確な演技。
 女傑フリートを豪快に演じるとともに、もしかしたら多少知恵が遅れている、でも繊細で天才肌なのかもしれない少女アンジーを演じてみせた渡辺えりの凄み。
 「忍耐強き」っていうよりどこかネジが外れてるんじゃないかっていうグリゼルダをいい感じにKYでほわほわと演じた鈴木杏は、未来が上手く描けないでいるジニーンと、もしかしたら無自覚だけれどレズビアンなのかも、とも思わせられるくらい逆にミソジニーっぽいネルをも演じて変幻自在。この人、かつてのジュリエットなんかもよかったけれど、若くて可愛いだけの女優さんじゃないよねホント。
 ウエートレスとしてはひっそりと、子役キットは憎々しげな子供らしく、そして疲れたOLショーナは圧倒的なリアリティをもって演じた池谷のぶえも鳥肌もの。
 浮世離れしたヨハンナといかにも現代的な女性ルイーズを演じた神野三鈴。
 そして豪快なイザベラ、過保護で過干渉な妻キッド夫人、マーリーンの姉ジョイスを演じた麻実れい、さすがの声、態度、芝居…
 マーリーンの寺島しのぶだけが一役ですが、時間を遡る形で芝居をするのでこれも大変な役だったでしょう。
 このキャストなしではなかなか成立し難い演目かもしれませんねえ。

 ただ…初演当時も、今再演される意味も、あるとは思うのだけれど、基本的には救いがない、というかオチがない話でした。
 古今東西のトップガールたちのシルエットに囲まれて怯えるマーリーンとアンジーの姿に、ほんとにぞっとしたもん。そんでそれで終わりなんだもん。ええええ!?ってなもんです。
 トップガールたちは「私たちの高みにまで上がってこられるかしら?」と挑発しているのかもしれません。そしてマーリーンは確かにそこに挑んでいるのかもしれない。しかしどうもトップガールたちがみんな幸せではなかったようだとも見えているので、じゃ、なんのためにそんなことをしようとしているの?ってなっちゃうわけですよ。
 ことさらに男が悪いとか恋愛は不毛だとか社会が悪いとか言っているわけではないんですが、能力は高いのに幸せになり方が下手な女たちの話、ということなのかと思うとちょっとしょんぼりしてしまうのでした。
 もうちょっとだけ、何かを提示してくれると、うれしかったかなあ、私は、ね。
 人は幸せになるために生きているのだと思う。その人にとって何が幸せかは、人それぞれだけれど。そして何かを得れば何かを失うものかもしれないけれど、まったく何もなしでゼロで人生虚しいばかり、ということはありえないと思っている、信じている、から。
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