駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇花組『スターダム』

2015年07月30日 | 観劇記/タイトルさ行
 宝塚バウホール、2015年7月28日マチネ。

 優勝者には歌手デビューの権利が与えられるオーディション番組。かつては絶大な人気を誇ったものの、スターの不在により視聴率が低迷し、いつしか打ち切りの噂までささやかれるようになっていた。そんな中行われた新シリーズの一次選考で、とある挑戦者が歌い始めた途端、スタジオの空気が一変する。彗星のごとく現れた青年の名はリアム(鳳月杏)。彼の歌声に類まれなる資質と可能性を見出した番組関係者たちはにわかに色めき立つ。財閥の御曹司ながら歌手を目指すネイサン(水美舞斗)をはじめ、各地での選考を経て集まった個性豊かな面々とともに、番組が用意したレッスンに励むリアムだったが…
 作・演出/正塚晴彦、作曲・編曲/高橋城、玉麻尚一、高橋恵、振付/伊賀裕子、平澤智。月組から花組に組替えした鳳月杏の初バウ主演作。全2幕。

 何度も言っていますが、私は宝塚歌劇初観劇演目が『メランコリック・ジゴロ(正確には「ン」は1号小)』初演だったので、ハリーのファンです。だからハリーには甘い。盲目的と言ってもいいかもしれません。近作では『マリポーサの花』『ロジェ』『ダンサセレナータ』あたりはつらかったけれど、全然見限れない。そんなに評判の良くなかった『ラストプレイ』『ルパン』とか好きだし、小公演だと『はじ愛』も『THE KINGDOM』も好きでした。
 今回の演目はちなっちゃんのバウ初主演作、という点がトピックなのだと思うけれど、私がこの座組の中で一番好きなのはだから、ハリーですすみません。だからちょっと偏った感想になると思います、重ね重ねすみません。私、今わりと花に弱いんだよね…(萌えない、熱がないという意味です)
 最初に言っておくと、私はおもしろかったです。私は好きです。特に二幕。ベタな展開にちょっと笑っちゃいつつ意外にうるっとしてしまい、そのまま怒濤のフィナーレになだれ込んでもうハイテンションで手拍子入れまくりで、すごく楽しく観終えました。
 でも、ホラ、だからこそ、だったらさあ…と語り出すと私は長い、というのは、ここにいらしてくださっているみなさんはもうご存じですよね…と甘えてみる(笑)。というか最近、「感想を楽しみにしています」とか言っていただくことが多くてすごく嬉しいです。こんなごくごく個人的な、偏った感想と口うるさい意見だけのブログを読みに来ていただいていること、本当に感謝しています。
 基本的にはとにかく言葉にして吐き出さないとアタマの中がいっぱいになってしまってパンクしそうでつらいので、自分のために整理して書きつけて、そうしたら安心して綺麗さっぱり忘れられて次に行けるという、キャパの小さい困った自分のための、本当の意味での備忘録として始めたブログなのですが、やはり読んでくださる方がいるとか、共感や同意やイヤ違うよこうだったよとご指摘くださったりとかの反応がいただけるのが嬉しくて、せっせと書いているようなところもあるのです。
 引き続きおつきあいいただけたら嬉しいです。

 さて、日本で言えば『スター誕生!』とかになるのでしょうか(古い?)、この手のいわゆるオーディション番組というものを実は私はほとんど見たことがなくて、ある種の社会現象みたいなものになったことがあったというのも知識としてうっすら知っている程度だったので、それってそんなに一般常識な有名な出来事だったの? こんなナンバーじゃなくてちゃんと台詞で説明してから始めた方がよくない? とか思いつつも、まあ冒頭としてはザッツ・ハリー・ミュージカルな展開だよねー、などと思いながら眺めていきました。
 で、ズカズカ現れたちなつリアムのオーラ、掃き溜めに鶴(失礼!)感におののき、しかし「歌うの? 踊るの?」と言われたらそらダンスやろ! と思ったら歌うんだ! みたいな、まあでも歌手になる話だもんね、でも残念ながらこの歌唱にはそこまでのインパクトはないんじゃないかうーむ…などと思いながら観ていきまして。
 で、ああ群像劇なのね、なるほどなるほど、まあストーリーはないけどシチュエーションものなんだからそれはそれで仕方ないし、若手ながら生徒はみんながんばってるじゃん、と思いつつも、しかしむしろこの中では上級生口の方が演技が怪しいというか、ぶっちゃけハリー芝居ができていないのでは? と思い始めてしまい…
 なんか観ていてだんだん、ハリーが描きたかったもの、脚本に書いたものと実際の舞台に現れている芝居とに勝手に乖離を感じてしまい、ああこれがハリー芝居に慣れている月組上級生たちだったら、とか、イヤでもハリーがもっと細かく演技指導して演出つけてやるべきだろう、最近そのあたりがヌルくないか? とか考え始めてしまい…
 で、一幕ラストまで来て、カッコいいんだけどでも、主人公が一番描かれていないんですけど? コレこの先大丈夫なの!? となってしまったんですね。

 ただ、たそサイモン(天真みちる)がリアムに言う、おまえは他のオーディション挑戦者みたいにギラギラしていない、やる気が感じられない、それじゃ駄目だ、みたいな台詞は印象的だったんですね。そういう、「熱くなり方(ヘンな日本語ですみません)がわからない」みたいな人がいるって、最近すごくすごく身に染みて感じているので、個人的に(><)。
 で、これはハリーがちなっちゃんに当て書きした役なんだろうし、確かに月組時代の、同期のゆうきなんかの陰に隠れていたころのちなつにはちょっとそういう空気があったかもしれないなと思うと、主人公としてやや変わっているかもしれないけれどけっこう今どきな、おもしろいキャラクターを振ってきたなあと思いましたし、そういう人間がどう熱くなるか、みたいなものを描いてくれるのかな? それって興味あるし、おもしろそう! とときめいたんですね。
 だって、いると思うんですよそういう人。すごく努力したりしなくてもたいていのことはなんとなくそこそこできちゃうって人。だからこそこれがやりたいとかここで死ぬ気でがんばるとかがない人。でも真剣じゃないってことじゃないし本気じゃないってことでもない。ただがむしゃらになり方がわからない、みたいな人。もう一皮剥ければ、もうひとつ弾ければ、一段階上に行けるのに、と言われがちな人。
 そういう人が、何をきっかけにどう変わるのか? それを描くドラマなのかな、と思ったんですね。
 ただそれにしては、リアムはちょっとサイモンに言われただけであっさり本気になっちゃった、ような…? アレレ…?? みたいになり…
 かつ、だったらジェイク(亜蓮冬馬。やっと認識できましたが騒がれるわけだ、いいもの持ってるね!)との場面とかをもっと上手く活用して、もうちょっとリアムのこのキャラクターを説明しておかないと、わかりづらいんじゃないの? と思ったのですよ。
 ふたりは友達で、おそらくはハイスクールの同級生かなんかで、卒業後は共に整備士になって自動車の修理工場みたいなところで働いているらしくて。ジェイクにはカスタムカーを作りたいとかの夢があって、この仕事が好きでがんばっていて、でも経営的に苦しくて悩んでいる。対してリアムは車に対してそこまでの情熱がない。
 でも高校時代にちょっとバンドを組んだことはあって、それは楽しかった。歌うことは好きだった。だから今回、軽い気持ちでオーディションに臨んだのだけれど、周りはみんなもっとガツガツギラギラしていて、本気で歌手になりたいと考えていて、なのに俺は…みたいな、そういう部分をもう少し出しておかないとダメなんじゃないの?
 ハリー芝居に特有の「ああ」とか「うん」とか「そうだな」とかのごくごく短い台詞を、味と雰囲気を漂わせて発するちなつはとても素敵なんだけれど、しかし今のままではあまりにもリアムというキャラクターふわっとしか見えてこなさすぎじゃない? …というのが、私の幕間の感想でした。

 そうしたら二幕があの展開ですよ。えっ、リアムってそんな重い過去がある設定のキャラクターだったの? だから中途半端にしか歌に情熱を傾けられないってことだったの? だったら一幕からそれをもうちょっと出していかなきゃダメだよ脚本! …となったのでした。
 わかって観たらまた違うかもしれないんだけれど、何度も観る観客ばかりじゃないし、これはやはり構成に難があるのでは…?
 しかも、じゃあそういうハードな人生を歩んできていて、だから今ひとつ歌に本気になれなかった青年が、それでもやっぱり歌うことが好きだ、歌いたい、となる話…としては、やはりこれって、やや弱い…よ、ねえ?
 あと、これは最初の私の思い込みがよくなかったとは思うのだけれど、ちなつってそういう重い過去を背負って人生投げかけてて斜に構えたところがあるクールで影のある役、みたいなものが、意外に似合わなくないですか? それよりもっと、当初私が勝手に思い込んだような、今どきの、普通の、まあまあ才能がありながらも熱くなったり努力したりしてそれを開花させるガッツみたいなものが今ひとつないほややんとした青年…みたいな方がニンじゃない? というか本人の素ってそっちじゃない? イヤ知らないんだけどさ、周りにちなつファンが多いもので、その話から察するに、さ。イヤ素がどうだろうとちゃんと役を演じるべきなんだけど、その役がなんかちょっと…コレでいいの? と思ってしまったので。
 ぶっちゃけ、リアムよりラトヴィッジ部長@『THE KINGDOM』の方がキャラクターとして素敵だったと思うし、それを演じていたちなつが素敵に見えた気がしない? という…
 えーでもそれってもったいないじゃん、今回せっかくの主役なのに! と、ちょっとしょぼんとしてしまった私なのでした…

 その点を除けば、後半の展開はベタとはいえおもしろかったし、全体にユーモラスな部分も出てきて客席からも笑いがドッカンドッカン起きてて、すっごく弾むように進みましたし、痛みに歌い続けられなくなったリアムをネイサンがフォローして歌い継ぐくだりは、ベタすぎる! とちょっと気恥ずかしくて笑っちゃったけど嬉しかったし萌えたし、実はけっこう感動しちゃいました。そうキタか! とか、来たキタ! って感じ、大切だと思います。予想を裏切り、期待に応えるってヤツですね。個人的にはここのリアムは、右腕をずーっとぶらんぶらんにしておいてほしかったけどね。

 というワケで、全体としては私はとても楽しく観たのですけれど、もうちょっと手を入れたら万人がもっとすっきり「ああおもしろかった! リアム素敵だった!! ちなつサイコー!!!」って手放しで大絶賛する傑作青春ロマン&アクション群像劇、になりえたのではないかな? と思うと、ちょっと残念なのでした。
 群像劇としては、ジェラルディン(朝月希和)の母親など、未回収の部分はもうちょっと手を入れてほしかったかな。
 また、個人的には、べーちゃんダイアン(桜咲彩花)がジェイクのガールフレンドなのはいいにしても、リアムにも彼女に対して「友達の彼女だけど、でもちょっと気になる…」くらいの想いがある、程度でいいから、やっぱりラブが欲しかったなーと思います。
 あと、じゅりあジェニファー(花野じゅりあ)、るなティモシー(冴月瑠那)、たそサイモンの大人チームのある種の業界ズレしたドライさ、疲れ、あきらめとか、りおなヴィクター(冴華りおな)やさなぎデイビッド(舞月なぎさ)のコミックリリーフ・パートが、芝居としてもうちょっと立ってくるといいのにな、とも思いました。ぶっちゃけここにるうちゃんとかひびきちとかが入っていたらもっと…とか思ってしまったわけです、申し訳ない。
 でも下級生たちはがんばっていましたねー!
 くり寿ちゃんの歌はホントよかったし、高峰くんもよかった。千幸くんの台詞の声も良くて、一之瀬くんなんか100期なんだとか? 全然ちゃんとしてました。すごい!
 殊勲賞はイヴォンヌ(鞠花ゆめ)だったかなー。『次郎吉』も素晴らしかったけど、さすが伊達に上級生やってませんね、鮮やかでした!

 というわけでヒロインというか娘1格はマイティーでしたね(^^;)。でも私はネイサンのキャラクター設定には萌え萌えでしたが、マイティーがハマっていたかと言われるとちょっと違う気もしましたし、ちなマイにもそこまでの萌えは感じませんでした。
 ただフィナーレというかパレード、ラインナップでちなつを見るマイティーの表情は完全に娘1だなと思いました(笑)。
 歌は正直もうちょっと歌えるなと期待していたので、すんごい聴かせるというほどではない…という気がしたのが残念でした。
 でも痩せたし垢抜けたし、あたたかい確かなお芝居をする人で、新公主演もやらせてもらえてバウ二番手も立派に務めて、それこそステップアップしどきだと思います。がんばれ!

 そしてちなっちゃん…漏れ聞くところによると初主演に気負うことなく淡々ゆるゆるとしているそうですね(^^;)。イヤいいと思います。そこで豹変! 確変!! みたくならないところがいかにもです。
 でも化けなかったからダメかと言うとそういうことではなくて、この作品は多くの観客に「鳳月杏ここにあり」と思わせたと思いますし、組替えや扱いの正当性や実力、華の認識をさせたと思います。納得のスターさん、として地位が確立されたと思う。まずはそれが大事かな、と思います。
 スタイル抜群で色気があってダンス最高で芝居心があっていい声していて華があってオーラがあって、もっともっとその魅力を生かし開花させる場所がこの先も与えられてしかるべきスター! だと、素直に思えました。それが大事だと思うのです。
 公演は折り返し地点に入りましたね。体調をキープすること、その上でさらにいろいろチャレンジしていくこと、舞台全体を見てかつ自分もさらに輝けるよう励み続けること…真ん中で公演を背負わされないと勉強できないことがたくさんあると思います。存分に吸収してほしい、そしてこの先大きく化けてほしい。応援したいと思います。
 ものすごいチケ難だそうで、一回とはいえ友会が当たって観られて本当によかったです。またせっせと貢ぎます…






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王家に抱く夢 2

2015年07月27日 | 日記
 エチオピア・チームのことばかり考えているかと言われるとそうではなくて、私はもちろんこのお話はまずアムネリスの物語なのではないかと思っていますし、残された者にこそドラマがあるとも思っています。
 ラダメスの「戦友」ケペルとメレルカは、大劇場初日こそ親友というよりあくまで部下に見えてしまいましたが、後半では銀橋アドリブなんかも入るようになってきて、だいぶ友達に見えてくるようになりました。
 基本的にはニコイチなのだけれど、愛ちゃんがケペルを暑苦しく演じているので(褒めてます)、ケペルの方がよりまっすくで直情径行型、メレルカは温和で理性的なキャラクターなのだろう、と捉えています。
 そして私は最近ずんちゃんがとみに好きで、メレルカを単にそういういい人としてやっているのではなくて、もうちょっと深いところまで世間が見えている、クールでちょっと意地悪なところがあるようにも作っているのではないかしらん…と勝手に妄想しています。ただニコニコしているだけではない気がしているんですよね。ちょっと酷薄そうな笑みが意外に似合うタイプ、というか。
 ケペルはまっすぐだからラダメスのこともまっすぐ好きで友達だと思っていてその力量も認めていて、ラダメスが将軍に選ばれたときも素直に喜んででも次は俺だってと単純に思って決して変に妬いたり拗けたりしない、すごく爽やかに熱い人なんじゃなかろうか、とかね。
 対してメレルカは本当はもうちょっと癖があって、たとえばケペルがラダメスの孤独にまったく鈍感だったのと違ってメレルカはちゃんと気がついていて、でもラダメスの悩みなんて現時点では言っても詮無いことだと思ってスルーしていて、器用になりきれないラダメスのことを心配しているような、その甘さを陰で少し嘲笑っているようなところがあるのかもしれない、とかね。
 ケペルはアムネリスとラダメスのことを本当に似合いのカップルだと思っていて、自分もアムネリスを好きなことには気づいてすらいない感じ。だからラダメスに妬いたりもしないの。でもメレルカにはラダメスがアムネリスの自分への好意に気づきつつも全力でスルーしようとしているのがちゃんと見えていて、アイーダの存在は知らないにしても、他に好きな女がいるのかな、でもそれは愛人にして結婚はアムネリスとしとけよ、とか考えていそう。
 ケペルはラダメスの変化とか死の意味とかが上手く理解できず、ただただ親友が自分のそばからいなくなったことがショックでつらくて悲しくて大号泣大痛飲するタイプ。そしてメレルカはその自棄酒につきあいながら、不器用にしか生きられなかったラダメスを思って静かに泣くのです。あいつは愚かだった、だが羨ましい、自分にはできない生き方だ、と…ケペルは潰れて寝てる(笑)。「星が綺麗だ…」(それは『ベルばら』)

 王族が満月の夜に石室にこもって祈りを捧げる儀式は、毎月のことではなく、たとえば夏至とか冬至とか春分秋分とかの、年に一度のことなのかもしれません。
 父のあとを継いでファラオになり、エチオピアを滅ぼし、ラダメスを処刑し、その他の近隣諸国との外交戦略を計って国を安定させることに必死で、わき目も振らずに一年を走り抜けたアムネリスは、再び巡ってきたその日をどう迎えたのでしょうか。
 周りからはすでに、外国の王族や国内の有力貴族の子弟を王配に迎え世継ぎをなすよう、うるさく進言されていたことでしょう。政略結婚は王族の務めです。真面目で責任感の強いアムネリスが、国家の将来と王位の行方をきちんと考えなかったわけはありません。でも忙しさに紛れてはいても、ラダメスから受けた心の傷はまだまだ癒えず、結婚のことなど考えられないでいたのではないでしょうか。
 その夜は神に祈りを捧げ、神から導きを得るいい機会だったのかもしれません。しかしそれ以上に、父親を失った悲しい思い出、ラダメスに裏切られ少女のころから密かに胸に抱いていた恋が砕けた、つらい思い出の方が蘇る苦しさの方が強かったことでしょう。
 掃き清められてはいても、禍々しいとしか思えない、石室への扉。いつものようにケペルとメレルカが護衛に立とうとしてくれている、しかしどうしてもひとり石室に入る勇気が出ない…
 立ちすくみ震える女王の手をケペルの熱い手が握り、メレルカがケペルの背中を押した、のかも、しれません。ケペルがアムネリスと一緒に石室に入り、メレルカがひとりでその扉の前で番をした、のかも、しれません。
 アムネリスは父王のように命令を下したわけではなかったけれど、ケペルを巻き込んでしまったことに動揺したことでしょう。
「朝まで、もう出られない」(おお、『王家』だね)
「私はあなたのどんなご命令にも従います。あなたがファラオだからではありません、私があなたを愛しているからです」(♪あなたを愛してるから、なら『王家』だが、『翼』の気配が…)
「生涯かけて愛し抜くと誓う?」
「千の誓いが欲しいか? 万の誓いが…」(ああ『ベルばら』)
 でも、ケペルはずっとずっと、アムネリスを愛していたのです。メレルカはそれを知っていたのです。だからこれは、きっと自然なことだったのです。
 あと、これはどなたかがつぶやいていらしたのだけれど、やがてしばらく日が経ったときに、ケペルがふいに、自分はラダメスのただの身代わりのすぎないのかなあ、とか不安になって、アムネリスに
「それだけの女を愛したのか、そなたは」
 とツンと言い返されるとイイ!と思うのでした。
(ブンブン首振るケペル…想像するだけでカワイイ…)

 そして唐突ですが、メレルカはアルバアと結婚するといいと思います。
 アムネリスの女官たちもまた有力貴族の子女であるはずで、適当な時期に適当なところに縁付いていくのが自然だと思われます。
 ワーヘドたちが歌っていたように彼女たちはみなアムネリス様マンセーでラダメス将軍のファンで、けれどその想いを「♪誰も口にはできないのに」だったのけれど、そんな中でアルバアだけはわりと以前から実はずっとメレルカが好きだった、とかだっら楽しいな、という、これは私の勝手な同期ドリームです。
 アムネリスと王配ケペルとの間に王太子が生まれるころ、メレルカとアルバアとの間にも男の子が生まれ、アルバアが王太子の乳母になりメレルカが王太子の撫育官(それは『白夜』)になる、という、ね。乳兄弟として育ったふたりは今度はどんなドラマを紡いでくれるのかしら、という…そんな、夢です。

***

 …というワケで、『王家』東京初日が楽しみです! けっこうチケ難だという話ですが…だ、大丈夫かな、なんのかんの言ったってたくさん観たいんだけど…ガクブル。





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宝塚歌劇月組『1789』

2015年07月26日 | 観劇記/タイトルあ行
 宝塚大劇場、2015年4月24日ソワレ(初日)、25日マチネ、5月5日マチネ、ソワレ、12日マチネ、ソワレ(新人公演)。
 東京宝塚劇場、6月23日ソワレ、25日ソワレ、7月7日ソワレ、14日ソワレ、23日ソワレ。

 初日雑感はこちら

 一番感動したのは、東京マイ初日だったかもしれません。
 お友達のおかげですごく良いお席で観られた、ということもありましたし、大劇場マイ楽から日が経っていて新鮮に楽しめたということもありましたし、大劇場に比べて東宝は小さいので舞台がより緊密になっていたのが強く感じられましたし。
 初舞台生の口上がなくなったことで浮いた時間は全体的に満遍なく使われていて、新場面や台詞が増えたとか何かの演出に手が加わったとかといった大きな変更はなく、ただよりメリハリのついたくっきりした舞台に仕上がっていて、なおかつまさおロナンが本当に良くなっていて、ああこれはロナンの物語だ、民衆の物語だ、ロナンが主人公なんだとごく自然に思えて感動できたのが何より良かったです。
 イケコが忙しくてあまり本番を観られず東京のお稽古でもいじらなかったことが今回は効を奏したというか、最初からきちんと仕上がっていましたよね、この作品は。その上できちんとアベレージを上げてきた。素晴らしい仕事を成し遂げた月組子に感動です。
 外部での上演が決まっていますが、私としては珍しく食指が動きません。どう変更されるのか観たい、という興味はなくもないのだけれど、結局初演がよかったな、月組版がよかったな、とか言いそうな自分が今から見える…それくらい、満足した、好きな作品でした。

 というわけで今回は各キャラクターと生徒さんについてなど。

 まずはまさおロナン(龍真咲)。さすがでしたよね。この役をこういうふうに演じてこういうふうに成立させられる人はなかなかいないと思います。個性と言ってしまえばそれまでだけれど、もはやトップ・オブ・トップでもあり、イケコ演出の海外ミュージカルの初演をずっとやってみたかったと言っていただけのことはある、いい、大きな仕事をしてくれたと思います(エラそうな物言いで申し訳ない)。
 何より歌がいい。何回か観ていると「あれっ、この人今日はなんか調子悪いな、お疲れなのかな」と思う歌声なんかがあったりするものですが、私が観ている限りではまさおに関してはそんなことは一度もなかったです。それって本当にすごいことだと思います。細いのに、出番も多いし、本当は負担な部分もあるだろうけれど、ノリに乗っている勢いもあるし、充実期として押し切れるんだと思います。今後の作品にも期待!
 東京で私が個人的に驚いたのは、パレ・ロワイヤル場面がおもしろく思えるようになっていたこと。ここはロベスピエールさんが出ていないので私の萌え的にはお休みタイムだったわけですが(オイ)、真ん中でキラキラして未来に向けて弾けているまさおロナンを見ていたらもういじらしくて希望しかなくて、すっかり好きな場面になってしまっていました。
 オランプとの恋の落ち方は確かに唐突なんだけれど(牢獄脱出からの上手花道下でのやりとりがちょっと増えて、多少は心の動きが見えやすくなったかな?)、もうそういうものなのです、主人公とヒロインは恋に落ちるものなのです!ってことでいいと思うし、そのあとの恋に落ちた表現、恋心からの行動には説得力ハンパないわけで、素晴らしかったと思いました。

 ちゃぴのアントワネット(愛希れいか)がこれまた本当に素晴らしく、トップコンビが恋人同士の役ではないという宝塚歌劇的に異例の(しかし実はけっこう例はある)配役に最初は異論の声も大きかったと思うのだけれど、今となってはこの配役しかない、このアントワネットはちゃぴにしかできない、というところまで達しましたよね。
 アントワネットという人物はこうまで高潔ではなかったのではないか、もっと愚かしい人間だったのではないだろうか、という意見もあるかもしれませんが、ちゃぴが脚本から読み取ったアントワネットのキャラクター、作り上げようとした人物像が今のアントワネットなのでしょうし、それでまったく問題ないと思います。物語の中で愛すべきキャラクターであることは大切なことだと思います。キュートでお茶目で若い頃はちょっと浅薄ででもとにかくチャーミングで、それが恋を知り愛に悩み子供を失って大人になり王妃の務めに目覚めた…史実がどうとかより、女性の生き方として共感させられる、すばらしい演技だったと思います。
 オランプに暇を出すくだりは私は当初はユリユリしいものを見て勝手に喜んでいたのですが、ちゃぴトワネットがそんな俗なところを超えた一段階も二段階も人間的に上のところに達していて、もはやそんな場面ではなくなりました。「選ばなくてはいけないわ」とアントワネットはオランプに言い、彼女自身は王妃の務めを選択したわけですが、それはフェルゼンへの若き日の愛を捨てたということなのか、国王への敬愛という新たな愛を選んだということなのか…
 後半ではオランプの涙を拭ってあげる仕草も見えるようになりましたが、当のちゃぴが鼻水もテラテラの号泣で、あああなたの涙は誰が拭ってくれるというの、と思うともう大号泣でした。というかそもそもここの歌は泣けましたが、公演後半ではその前の場面でアルトワ伯から歌い継ぐ「全てを賭けて」のリプライズから泣けました…
 フィナーレでのハキハキしたダンスも素晴らしい。ひとつの頂点に達してしまったかもしれないけれど、まだまだいろいろなものが観たいよ、いてね、ちゃぴ。

 カチャのデムーラン(凪七瑠海)は…ごめん、ダントンと並んで全然観られてないので何も言えません…でも「世界を我らに」の歌なんかは低音が本当によく出て力強くなっていってて、よかったなあと思いました。
 ただやはりやりようがない役のようにも見えました…ダブル二番手の上席としては、ううーむ…

 みやちゃんのアルトワ伯(美弥るりか)は儲け役でしたよね。大胆な鬘のせいでさらに背が低く、というか全体に小さく見えてしまったのは残念だったかと思いますが、この悪役をみやちゃんが生き生きと楽しそうに演じているのがよくわかりましたし、美貌が生かされていて素晴らしかったです。新公のあーさが私には苦戦して見えましたが、そういうことだと思うなあ。
 パレードの王子様(正式な役名は「フィナーレの歌手」)も素晴らしかったし、男役場面の四人口では一番ナチュラルにウィンク飛ばしてて、ときめきまくりでした。

 珠城さんのロベスピエール(珠城りょう)は東京マイ初日に鬘がのっぺりして見えて泣きそうだったんですけれど、だんだんいい具合に乱れてきて、ボディ・パーカッションもいつも素晴らしくいい音で、使い減りしなさそうな(オイ)体格の良さ、頼りがいのある感じ、どうしても二重顎に見えちゃう顔の作りまでが愛し過ぎてたまりませんでした。
 後半のお衣装のジレの背中側が赤いのが、フロックコートが翻るときにチラチラ見え隠れするのですが、あれは彼がのちに革命の狂気にとりつかれていくことを暗示しているのかもしれませんね…でもこの作品においては、あくまで理想に燃える青年を熱く爽やかに演じていて、よかったと思います。
 ロナンと衝突する場面なんかも、日本人だとすぐ相手の言い分を飲んで意見を合わせようとするのだけれど、彼らはきっと違っただろう、ということで、けっこう平行線な演技をあえてしているんですよね。いいなあと思いました。
 このあとデムーランやダントンとはどんなふうに袂をわかっていくのでしょうね…どなたかがつぶやいていましたが、ロベスピエールを主人公にその生涯を描いた一本立てのミュージカルってできそうですよね。貧しい生まれ、親友との決別、生涯独身であったこと、下宿屋の娘との内縁関係(時ちゃんはこの設定なんですよね)、革命の頓挫…ドラマがあるなあ。
 フィナーレはシンメのありちゃんの方がそりゃダンスは断然上手いんですが、いいんです大丈夫ですクリスタルな額の汗がいつも最高です、あいかわらずぎこちないウィンクが最高です! ドラゲナイでさらに弾けてくれることを切に祈っています。そして次の主演作はゼヒまったく似合わないであろうラブコメを…! 女子に振り回されるヘタレでしょぼくれた珠城さんが観たいです、殻を破っていこう!!

 専科からは美城れんのルイ16世、素晴らしかったですね。ラストの歌声もいいしキビキビ踊っちゃうところも素晴らしいけれど、冒頭の鷹揚な出方、優しいんだけど弱い、愚かでも悪くもない男、といったあり方が素晴らしい。
 フェルゼンに亡命を提案されて「国王に国を捨てろと言うのか」と言い返す台詞が、怒っているようなときもあれば苦笑いしているかのようなときもあり、残ると言ってくれたアントワネットに対してフェルゼンのことを問うときの台詞も、優しかったりつらそうだったり…毎回ほろりとさせられました。素晴らしい専科さんです。
 そしてコマのダントン(沙央くらま)は…うーん、演出どおりなんだろうけれどロナンが娼婦をしているオランプに気づくくだりでの笑いを取る流れが私は嫌いなのです。笑いごとじゃないだろう、と思うので。
 革命家グループでは兄貴分の、気のいい女好きの明るい男…なんだたろうけれど、これまた少々やりようのない役だったかもしれません。専科として今後、どういう仕事をしていくのかな…がんばってほしいです。

 組長ナガさんのピュジェ中尉(飛鳥裕)は慈愛に満ちた父親像でいつも素敵。
 副組長のすーちゃんはポリニャック伯夫人(憧花ゆりの)、こちらも大人のずるさと情感があってとてもよかった。でもエトワールはあずちゃんがよかったです。
 ペイロール伯爵(星条海斗)のマギーはノリノリでしたよね! 豊かな声量、計算されつくした嫌味な貴族っぷり、素晴らしかったです。専科に行ってますますの活躍を祈ります。
 オランプ(早乙女わかば、海乃美月)はわかばとくらげの役替わり。先にくらげを観たせいもありますが、私はくらげオランプの方が役作りとして好きでした。ただ作品のヒロインとしては圧倒的な華のあるわかばの方が正しかったのかな、とも思いました。
 ただとにかく歌がねえ…「この愛の先に」が不協和音に聞こえなかったことが残念ながら一度としてなかった気がするのですよ…四重唱の「世界の終わりが来ても」はごまかせたとしても、ね…
 ソレーヌ(花陽みら、晴音アキ)も役替わり、こちらもはーちゃんの方が好きでした。ただふたりとももうちょっと声量と歌唱力はあるとよかったかな、期待されていたほどではなかった気がしました残念ながら。
 この役替わりは集客にはなんら役に立たなかったと思うけれど、ただでさえ役が少ない娘役にチャンスを与えるという点ではよかったかと思います。ただ、次期トップ娘役選びの何かになっているとも思えず、謎と言えば謎な企画、かな…
 そしてありちゃんフェルゼン(暁千星)。大劇場後半で鬘が変わってよくなったけれど、やはりちゃぴの進化がすさまじかっただけに、相手役としてもの足りないままだったかなー。新公とかはすごくよく歌えてて芝居も『指針』新公のときなんかより断然よくなっていたので、成長中なのだとは思いますけれどね。なので『舞音』新公はゼヒまゆぽんで…れんこんもありもまだ先があるんだから…

 ネッケル(光月るう)のるうちゃんがまた素晴らしかったですね! 本当に硬軟なんでもできる人ですね、月組芝居の要のひとりだと思います。
 娼婦たちではまいまいが好きだったなー! 私は以前はちゅーちゃんの方が好きでまいまいはいかにも堅くおとなしくおもしろみがなく見えていたのですが、最近めっきり好きです! でもなっちゃんやさち花さまの迫力もハンパなかったです。あと時ちゃんがキビキビ踊っていてよかったなあ。
 ギヨタン博士(響れおな)のひびきちの顔が私は大好きなんですが(イヤお人柄も敬愛しています。以前参加させていただいてお茶会で感銘を受けました…)、今回変におっさんに作っていず、妙に若々しいのがなんか、一歩間違えたら国王陛下のお稚児さんにも見えて、なんかもう萌え萌えでした。
 美形揃いすぎる印刷工たちではやはりとしちゃんのダンスね! 素晴らしかったですよねー。もっと仕事させてあげたいなー、階段下りとかわかるけどなんかねー、という気がしました…
 おとぼけ秘密警察はゆりちゃんラマール(紫門ゆりや)にまゆぽん、あーさ。ゆりちゃんの雨漏りポーズが本当に可愛くて! コミックリリーフとしていい仕事をしていました。
 あとはジョーやれんこんのいい仕事っぷりが印象的でした。

 大劇場新公も拝見しまして、『指針』新公で芝居が棒だったありちゃんをとても心配していたのですが、歌がかなりしっかりしていて大健闘(でもロックなリズム感はまさおの方があった…若いんだからがんばれ!)でした。演技も良かったし、ダンスはもともとものすごく上手いのがわかったし。まだまだ足りないけれど真ん中力があって、また違ったロナン像としてもおもしろかったです。
 アントワネットのさくらちゃんもとてもよかった! まろやかで豊かな歌声で、情愛にあふれていて。女役っぽいという人もいたけれど、役に合わせてわざとやっていたのだと思います。まだまだ若いしこれから絞れてもっと可愛くなると思うし、なんでもできるいい月娘に育ちそうだと思いました。
 逆に、オランプの時ちゃんが地味でヒロイン力がなくて驚いたかな…
 デムーランのるねくんはとてもよかった。優しげな理想家って感じで、ダントンやロベスピエールとの対比が本公演より強く出ていた気がしました。歌も上手い!
 れんこんロベスピエールも大健闘していたと思いました。珠城さんとはまた違った熱さ、骨太さがあってよかったなあ。歌もよかった。
 あーさアルトワが苦戦して見えて(東京で鬘を変えてきたのはいい工夫です!)、まゆぼんペイロールも実はニンじゃないんだな、背伸びして見えるなと思いました。
 やすの国王は素晴らしすぎました。あとネッケルの蒼瀬侑季くんね、殊勲賞だよね! 素晴らしかったです。
 あとフェルゼン輝生かなでくんの凛々しさ美しさね! 芝居や歌はもの足りない気がしましたが、まずは美しくあることが大事な役かなとも思えたので、印象的でした。
 兵士とか民衆(女)とかがんがんバイトして出まくりの新公長の長・ちゃぴが目覚しく鮮やかで、挨拶もハキハキと楽しかったです。

 最後に、やや個人的な所感。
 東京マイ楽で、これまたお友達のおかげで良席だったということもありますが、ラストもオペラグラスで珠城さんロックオンなどせず全体を眺めていられて、それでなんかものすごく感極まってしゃくりあげるほど号泣してしまったのですが、それはその昼間にとある出来事があったからなのでした。
 その日の午後に会社で、セクシュアル・マイノリティ差別に関する啓蒙セミナーみたいなものが開催されたのですね。
 私は性自認は女性で性的指向としては男性が好きという、きわめてつまらないヘテロセクシュアルで、セクシュアル・マイノリティの当事者ではないのだけれど、女性であるという点で最大のマイノリティ差別である女性差別の当事者だという意識がとてもあるのですね(本当のことをいえば男女はほぼ同数なのであり、女性差別はマイノリティ差別には当たらないのかもしれませんが、社会的な成り立ちから考えて同じ分類にあると私には思えます)。だから差別には敏感です。また、個人的に性愛の問題にとても興味があり(下世話と言われても仕方ないですが)、セクシュアル・マイノリティに関してはとても関心を持ってきました。
 だからセミナーの内容自体は私には目新しいことは特になかったのですが、講演なさる方の話し方がとても聡明で明晰でデリカシーに富み、講義がわかりやすいものであったことにはたいそう感心しました。
 なので、セミナーの最後の質疑応答で、参加者から出される質問のレベルの低さに絶句したのです。講義の内容が、メッセージが全然届いていないんだ、と愕然としました。
 マジョリティ、この場合は特に、要するに女好きの男ってことですが、こうした人たちは単に数が多いということに胡坐をかいていて、まったく鈍感で想像力がなく、その自覚すらないんだな、と絶望的になりました。マスコミの人間はリベラルで先進的で頭が良くて心が柔らかいなんて幻想だったのです。
 数が多いからといって、その方が良くて正しくて優れていてあたりまえで自然だ、ということにはならないのです。数が少なかろうと相手も同じ人間なのです。同じように尊重されなければなりません。特にセクシュアリティは個人の尊厳にかかわる大きな問題です。他人から故なく侵害されていいものでは決してない。これは人権の問題なのです。
 ギャグ漫画だからいいだろうとか、バラエティ番組だから許される、とかいうことではないのです。数が少ないということだけで相手を勝手に貶めてそれで笑いを取るような下品な作品を作るべきではない、ということなのです。そんなことおもしろくもなんともない、笑えることではないのです。オカマという言葉を一字だけ伏せ字にすればいいとか、ホモではなくホモセクシュアルと言い換えればいいのかとか、そういうことではないのです。
 広く世間にコンテンツを発信し、子供にも読まれ世の中にも影響を及ぼす仕事をしている者として、恥ずかしいことをしてくれるなというメッセージだったのに、全然理解されていない様子に、私は久々に怒りで手が冷たくなり震えるのを感じました。で、時間が押していたにもかかわらず、キレて挙手して質疑ではなくスピーチをぶちかました。それを司会者が拾ってまとめてセミナーは終わりましたが、私はその後もしばらく興奮して泣き出しそうでした。泣かなかったけど。
 そのまま働いて終業して日比谷に行って観劇して、号泣しました。
 1789年の時代にあった身分差別というようなものは現代ではほとんど解消されたのかもしれません。それでも未だにこの世にはさまざまな差別があって、人権宣言に謳われているようにすべての人が自由に生き周りから尊重され幸せになれる世界は、残念ながら確立されてはいません。ロナンたちが傷つき倒れそれでも戦ったように、私たちもまだまだ傷つきながらも戦い続けなければならないのでしょう。明日への希望を捨ててはならないのでしょう(それは『王家に捧ぐ歌』)。
 でも、つらい。でも、がんばる。
 そんなことを思って、泣けて泣けて仕方がなかったのでした。
 せめて自分は、この舞台を観て得た感動をただ消費するのではなく、そのメッセージを体現して美しく生きたい、と思いました。自分が、差別しない人間として生きる、差別を許さない人間として生きる、自分が幸せに生きてみせる。
 そしてできれば、世の中をほんの少しでもいい方に向けられるように、みんなが幸せに生きられる世の中になるように、できることをできるだけする。それが、この舞台に感動させてもらった者のせめてもの務めだと思いました。
 その務めをまっとうしたい。人生の最後まで、すべてを賭けて。
 それくらい、私は世界を愛しているのでした。見捨てられないのです。この世界をひっくり返すなんて無理だから(なのよウバルド!)、少しずつでも変えていくしかないのです。そのためならセミナー会場中に退かれようと私は暴れる。言うべきことは言い続けます。
 それでも世界は私を受け入れてくれることでしょう。そんな世界を私は求めていく(だからそれは『王家』)。
 ということで、千秋楽、おめでとうございました。






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柚木麻子『ナイルパーチの女子会』(文藝春秋)

2015年07月25日 | 乱読記/書名な行
 ブログがきっかけで偶然出会った、大手商社に勤める栄利子と専業主婦の翔子。よい友達になれそうと思ったふたりだったが、あることが原因でその関係は思いもよらぬ方向に…

 帯にある「女同士の関係の極北を描く」とある惹句はやや正しくないとは思いましたが、とにかく怖くておもしろくて、あわわわわとなりながら読みました。
 コミュニケーション不全みたいな問題って性別とか特に関係ないし、解決できるとか改善されるとかってことではないのかもしれないけれど、物語としては一応、希望が持てる終わり方になっているとは思うので、よかったかと思います。安易だとか嘘っぽいとかは思わなかった。人は自分や周りと折り合ってとにかく生きていかなければならないのだし、できれば幸せに生きたいものだからです。

 私はひところは「私は友達が少ないから」と、特に自虐的な意味ではなく単なる事実としてよく周りに言っていたのですが、今となっては事実ではないので口にしなくなりました。大人になってこんなに新しい友達が持てるようになったのはツイッターと宝塚観劇趣味のおかげです。呑んで食べて宝塚の話をしているだけでもその人の人柄や人生観は表われますし、それが好きになれなければ何度も会わないし、別に深い話とか今はしていなくてもいずれ機会があればするようになるだろうと思える、宝塚以外のことでも話せるであろうちゃんとした友達だと思っています。
 でもいわゆる「女友達」という意味では、確かに私も作るのが下手なタイプの子供だったかな…
 まずもって性格的にさっぱりしていて女の子らしくなかったし、兄弟は弟がひとり、隣の家には私と同じ歳の男の子を頭に三兄弟がいて、小学校に上がる前はこの五人でしょっちゅう遊んでいたのだと思います。もちろん男の子の遊びを。私は運動神経は悪いけれどおてんばでガキ大将タイプだったので、きっとボス猿のようだったのでしょう。
 もう少しものごころがつき出すと本や漫画が好きになり、自分でお話を作ったり絵を描いたりすることも好きになったので、外では男の子と元気に遊びまわって、家に帰ったらひとりでお絵かきして遊んでいる子供になりました。このころから女の子の友達もできるようになったとは思うけれど、仲良しグループみたいなものを作ることはなかった気がします。
 中学生のときに引っ越しをして、転校生に話しかけてくれる女子グループがあったので、そこで初めてそういうつきあいを知ったかも。家が近所で親同士も仲良くなったりして、私が就職で地元を離れるまではけっこう緊密でした。
 高校一年のときのクラスメイトふたりを今でも生涯の親友だと思っているのですが、当時は三人とも違うグループにいて、仲良くなり出したのはクラスが別れてからかむしろ卒業してからでした。なんとなく話が合って趣味が合って、寄り集まるようになったんですよね。その後ひとりは結婚し母親になり、お互い忙しくて数年会わないときなんかもザラにあったし、でも話が出て都合がついたらすぐ四泊六日の海外旅行に行って喧嘩もしないで楽しくすごせる、パソコンの買い替えから恋愛相談までなんでも持ちかけられる、貴重な友達です。
 社会人になると新しく知り合うのは仕事関係の人ばかりで、多少親しくなっても友達というのとは違う気もしましたし、仕事が終われば疎遠になったりもするのでなかなか難しいものです。同期の女子とも単に同期というだけですごく親しくなったかというとそんなこともなかったし。だから私は友達が全然いないけれど、何かあればなんでも言えて頼れて親身になってくれる親友ふたりがいるからそれで十分、あとは家族と、ときどきは好きな男と、仕事と趣味があって健康でいれば楽しくて幸せ、と思っていました。
 この物語の登場人物たちのような意味で「友達」を求めたり、それにこだわったりしたことは、なかったのかもしれません。幸いなことに。
 でも、私は弱虫だから、なければないですませようとすると思うのですね。ないのに欲しがるのってつらいじゃないですか。私はそのつらさに耐えられない。だからなくて平気なことにして、自分を慰める、甘やかす。そういう方に走るのです。でもそうじゃない人っているんですよね。私にはそうした人は、つらさに浸れる強さ、苦しめる強さを持っている人に見えます。だから同情しづらい、という…
 だから今回も、登場人物たちに共感するとか同情するとかはなくて、自分とは違う生き方をしている人たちのように見えてしまって、でももしかしたら生き方って意外に当人が選べるものでもないのかもしれないしその意味では同情するけれど、しかし怖い、つらい…と思いながら読みました。
 光明が見える終わり方でよかったです。あと、何より彼女たちは私よりずっと若いしな。それは明るい未来を示していると、私には思えました。


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Mono-Musica『BLACK SHEEP』

2015年07月20日 | 観劇記/タイトルは行
 ブックカフェ槐多、2015年7月19日16時の回。

 喫茶店の一席で男たちが興じる「ニーベルング・ゲーム」は、やがて享楽の片隅に見えない悪意の花を咲かせていき…
 脚本・演出/ヤマケイ、音楽/橋本かおる。カフェ音楽劇、45分のふたり芝居。

 この劇団は女性キャストだけのオリジナル・ミュージカルを上演していて、以前『BROTHER MOON』を知人に誘っていただいて観劇して感心し、今回もまたお誘いいただいて出かけてきました。
 小さな小さなブックカフェに毎回14人だけ観客を入れて、お茶をしていて時間になると音楽が流れて役者が現われ、空いていた席に座って芝居を始めるという、なんとも贅沢な時間と空間でした。
 このところふたり芝居づいていますが、美女ふたり(男Aは杏、男BはMIKU)がどちらも悪い男に扮し、膨大な台詞を明晰に語り、豊かな声で鮮やかに歌い、いつのどことも知れぬ街の事件を立ち上げ、ざらりとした余韻を残して去っていく…という「舞台」に、シビれました。おもしろかった!
 もう少し大きなハコできちんとステージ作ってちゃんと照明当ててやっても十分成立すると思いますが、この場所からインスピレーションを感じて企画してしまったのだろうから仕方ない(^^;)。ある種のファンサービスでもあるのかもしれませんし、役者さんの方もそうはいっても近すぎる観客の視線は気にならないわけではないとも言っていたので、いい修行の場でもあるのかもしれません。それで磨かれるものもあるのでしょう。てかこんなに近くで見ても美人で、でもちゃんと役になっていて、すごいな!
 年末には姉妹ユニットの公演もあるようです。都合が付けばまた行きたいです。
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