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駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『マスタークラス』

2025年03月22日 | 観劇記/タイトルま行
 世田谷パブリックシアター、2025年3月20日19時。

 世界中のオペラファンを虜にした、二十世紀最大の歌姫マリア・カラス(望海風斗)。引退後のカラスは、ニューヨークの名門音楽学校ジュリアード音楽院で若きオペラ歌手たちに公開授業を行う。授業では、ユーモアを交えつつ的確だが辛辣な言葉で、芸術に向き合う術を惜しみなく伝えていくカラス。生徒の歌声に、過去の輝かしい舞台や思い出が蘇り…
 作/テレンス・マクナリー、翻訳/黒田絵美子、演出/森新太郎。1995年フィラデルフィア初演、96年日本初演(主演/黒柳徹子)。全2幕。

 当初はだいもんのひとり芝居のようなイメージを持っていたのですが、ちゃんと生徒役その他役者はいました。ストプレですが、歌わないこともなかったです。だいもんはだいぶ以前からオペラ歌手についてイタリア語とオペラ歌唱のお稽古をしていたそうで、それが見事に発揮されていた舞台かと思いました。というか素晴らしい当たり役では!? 向こう20年くらい、何かにつけて再演してもいいのでは!? この作品を、このお役をやるためにこれまでのキャリアがあったのでは!? 戯曲として、舞台として、作品として好み、というのもありますが、もう本当にだいもんが絶品でした。上手い人だと知ってはいたつもりですが、感服しました。どうしてもファンが観に来る舞台になっちゃっていたかもしれませんが(とはいえ私はマクナリーの名前にまず惹かれましたが)、こんな素晴らしい俳優がいることをもっと一般の演劇フアンに知らしめたい!と思いましたよ…当初チケットがあまり売れていないようなことも聞いていたし、「トラムじゃなくて世田パブ? デカすぎでは??」とか私も思っていましたが、なんのなんの尻上がりにチケットが売れたようでよかったです。デカいハコでもマイクなしの生声で普通に演じられるだいもん、強い、強いよ…! セット(美術/伊藤雅子)もホントよかったし、えー松本とか観に行っちゃいたいぐらいです!
 客席を公開授業の観覧者に見立てて、客席が明るいうちからカラスがつかつか出てきて、まず「拍手は要らない、授業なんだから」みたいなことを言う。上手いですよねー、引き込みますよねー。マクナリーは実際にカラスのファンで、ジュリアードでのマスタークラスも聴講したことがあるし、自分でも劇作を教えたことがあって、その難しさやなんやかやがこの作品に結実したそうです。そのアイディアが素晴らしいですよね…!
 名選手必ずしも名監督ならず、みたいなことはどんな分野にも言えて、カラスが決していい教師ではなかろうことは何も知らなくても想像できます。わがまま、とか横暴、というのとはちょっと違うのかもしれないけれど、慇懃無礼で神経質そうでこだわりが強そうで…というクセ強の、老齢にさしかかった中年女性芸術家…みたいなのを演じるだいもんがホントに見事! 膨大な台詞の量、バンバン出るイタリア語、あたりまえだけれどほぼ出ずっぱり、でも移動も多い。俳優としてやること多過ぎ、でもカラスなら自然にやっちゃうわけで、そんなカラスに見えるんですよだいもんが! もうもう、シビれました。
 生徒役は劇団四季女優や実際のオペラ歌手で、これもまたよかったです。ホントこんな生徒いそう、と思える。そして彼らがわかりやすいアドバイスや評価を求めるのに対して、カラスはもっと根源的な精神性みたいなものを語ろうとする。そして誘われる回想、本物のカラスのアリアの録音が流れて…この演出がいい。そして現役男役ばりの声でオナシスもカラスの最初の夫バッティスタ・メネギーニも演じちゃうだいもんがまたたまらん。上手いんだコレがまた…!
 伴奏者マニー(谷本喜基。音楽監督も)が退場したあとの、カラスの語りが真のテーマ、メッセージかなと思いました。もちろん彼女はオペラ、歌、芸術について語っているのだけれど、すべての物事に通じることのように思えたので。
「この世から『椿姫』がなくなっても、お日様はちゃんと昇ります。オペラ歌手なんかいなくても、世界はまわっていきます。でも、わたしたちがいると、その世界が少し、豊かに、そして賢くなるんじゃないかって。芸術なんか全くない世界に比べて。歳を取るにつれて、わからないことが多くなってきます。でも、これだけははっきりしてきました。わたしたちがしていることは、とても大事なことだって」
「肝心なのは、あなたが学んだことを、どう生かすかっていうことです。言葉をどう表現するか、どうしたらはっきり伝わるか、自分の中にある魂をどう震わせるか。どうか正しく、そして素直な気持ちで歌を歌ってください」
 私たちは歌手じゃないし芸術家ではないかもしれない、でも日々の営みを生きている。すべてのことにこの精神は必要なんだと思うのです。より良い世界のために。世界は、人の世は、愛するに足るものだから…毀誉褒貶のあったカラスは決して幸せな人ではなかった、という見方もできるのかもしれないけれど、こういう考え方をして、それを若い人に教えようとしていたということは(というかカラスをそう描いたマクナリーは、かもしれませんが)、彼女は確かに愛情にあふれた幸福な、そして間違いなく偉大な人間だったということなのではないか…と思ったり、しました。そこに、ものすごく感動しました。大事なことを教えられた、良き公開授業でした。
 実際に歌う生徒役さんたちも大変な労力だろうと思うと、ソプラノふたりにテナー、道具係にまでカバーがいるのは素晴らしいな、と思いました。プロンプターも配されていて、万全ですね。ものすごくシンプルなようで無限に深い、良き演劇に触れました。大満足でした!!!








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宝塚歌劇花組『マジシャンの憂鬱/Jubilee』

2025年03月13日 | 観劇記/タイトルま行
 博多座、2025年3月11日12時。

 20世紀なかば、ヨーロッパのとある国。上流階級の人々の間で人気のあるクロースアップ・マジシャンのシャンドール(永久輝せあ)は、あるとき客のひとりである貴族の女性が愛犬の行方がわからないと嘆くのを聞き、その居場所を見つけ出すかのようなマジックを披露する。やがて彼の言葉どおりその犬が発見されたことから、シャンドールは透視術を持ったマジシャンとして世間で評判になっていき…
 作・演出/正塚晴彦、作曲・編曲/高橋城。2007年月組初演。

 初演の感想はこちら。大空さんがたいした役をやらせてもらえていないこともあって、私の評価は決して高くありません…なんてったって役が少なすぎて、大劇場向きじゃなかったよなあぁ、という印象。ただおださん始め(笑)ジェンヌにファンが多いのは、このシャンドールあさこの飄々とした感じがお洒落に思えて憧れなんだろう、とも思います。ヴェロニカ(星空美咲)が皇太子妃の侍女でボディガード、というキャラクターなのも、宝塚歌劇のヒロインらしからぬ感じで人気なのかもしれません。
 ただ、真相としては結局、皇太子ボルディジャール(聖乃あすか)が進歩的で理想家肌で国家の民主化を進めるべきだという考え方の持ち主で、それだと既得権益が損なわれると感じた悪徳軍人と政治家が皇太子を牽制すべく、彼の同志でもあった皇太子妃マレーク(美羽愛)を交通事故に見せかけて暗殺し、しかし埋葬されたマレークは息を吹き返して墓守夫妻(高翔みず希、凜城きら)に保護され、しかし記憶を失っていて…ということなんですけど、なんかこの国大丈夫なのかな、とか考えちゃうんですよね(笑)。皇太子は四年もの間ずっと妻の死の真相を知りたいとジタバタしていたようですが、事故として特別不審な点はなかったようだし、どこかで諦めて前を見て国政に乗り出す時期では…?とか思っちゃうのです。妻が夢枕に立ったので…とか、そこに透視ができる超能力マジシャンの評判を聞いて…とか、なんか、なんか…では? つまりぶっちゃけご都合主義っぽいというか、うーん…せめて二年後の話なら…? まあそういう問題でもないか。
 何より、チーム・シャンドールがほぼ機能していないことが作劇として私は嫌なんですよね。初演でもエリちゃんがいれば大空さんなんか要らないじゃん、と思ったものでしたが、今回も、びっくやはなこはともかく、だいや、れいん、ことのちゃんともしどころがなさすぎで悲しすぎました。これから役を深めてナンバーの中でより個性を出して…とかはしていけるのかもしれないけれど、別にヤノーシュ(侑輝大弥)が演技してみせたりレオー(天城れいん)が試作してみせたりすることが事件の解決に役立つとか、ストーリー展開に関係するとか、ないじゃん。じゃあ彼らの俳優だの詩人だのって設定は無意味じゃん。こういうのが嫌なんですよ私は…
 再演決定を聞いて、あさこじゃなくても「なんで?」ってなりましたよね…そのせいだけではないんでしょうが、客入りも良くないんでしょうし。『ベルばら』とか持ってこないと博多座一月なんて埋まらないでしょ今どき、とか思ってしまったのですよ…今さら脚本に大きく手を入れることもしないんだろうしさあ、とね。まあでも観ないと何も語れないので観てきた、というわけです。で、やっぱりおもしろいのかコレ?と思いました、すみません。

 ただ、ひとこにはあさこのいい感じのチャラさとかがなくて、うっかり超能力者扱いされてほぼ詐欺師になりつつあることにとまどいも感じている様子がよく表れていて、そんな折に依頼されちゃった皇太子妃の件についてもホントはなるべくなんとかしたいんだけど…みたいな真面目さが窺えて、これはこれでいいシャンドールだなと思いました。また、スーツや燕尾をとっかえひっかえで現れてほぼ出ずっぱりで、美しいスタイルが堪能できたのも良きでした。
 星空ちゃんは、ちょっと前はむしろこういうお役しかできなかったよね、という感じのキャラですよね。こちらもドレスをとっかえひっかえ、目に楽しかったです。ただ、カタコンベで意外な弱さを見せたり、皇太子妃を守って死んだ妹のことがあったりというのはわかるんだけど、やっぱりラストはトートツに感じたかな、と…一緒に旅をするとか、告白とかまではわからなくもないんだけど、キスまでするのかー、とかちょっと思っちゃったんですよね。着せたコートごと引き寄せて、というキス自体は素敵だったんですけど、彼らの恋が本当に始まるのはこの先の旅路で、では?とかも思ってしまったもので…うぅーん、もっといい席で何度か観たら、恋心が動く繊細な芝居が見えたのかもしれませんが、すみません。
 あとは、ほのかちゃんには早くもっといい当たり役が来るといいよねー、とか、あわちゃん可愛いよねー、とかしかない…あ、さおたさんとりんきらがさすがなのはさすがでした。
 酒場の歌手は湖春ひめ花ちゃんでした。


 レヴュー・グロリアは作・演出/稲葉太地。
 本公演版の感想はこちら
 主にカチャとあかちゃんが抜けているわけですが(あとらいと)、そつなく埋めている印象でした。さおたさん、りんきらがちゃんと場面をもらっていて良き、ほのかセンター場面も増えていて良きでした。客席下りも大盤振る舞いでしたしね。
 ひとこほのかに続く三番手ポジションを、ゆりちゃんががっつり締めていたのもとても良きでした。路線幹部、推せる…!
 戴冠式ラストの星空ちゃんの高音がものすごかったです。エトワールは湖華詩ちゃん。
 ちょいちょい詩希すみれちゃんを観ていたら終わりました…


 博多で美味しいものをたくさん食べて、元気に公演していただきたいです。完走をお祈りしています。







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『ミセン』

2025年02月13日 | 観劇記/タイトルま行
 めぐろパーシモンホール、2025年2月10日18時半。

 囲碁のプロ棋士を目指し対局を積み重ねてきたチャン・グレ(前田公輝)だが、プロ棋士の採用試験に失敗し、後援者の紹介で大手貿易会社ワン・インターナショナルにインターンシップとして入社する。熾烈な試験を勝ち抜いて入社した同期インターンたちは、成績トップのアン・ヨンイ(清水くるみ)、現場主義のハン・ソギュル(内海啓貴)、成績2位のチャン・ベッキ(糸川耀士郎)という秀才ばかり。学歴のないグレが配属されたのは、会社の残務処理班と呼ばれている営業3課で、鬼才オ・サンシク課長(橋本じゅん)とサポートのキム・ドンシク課長代理(あべこうじ)がグレのメンターとなるが…
 原作著者/ユン・テホ、脚本・歌詞/パク・ヘリム、音楽/チェ・ジョンヨン、翻訳・訳詞/高橋亜子、演出/オ・ルピナ、振付・ステージング/KAORIalive。韓国のウェブコミック、WEBTOONの大ヒット漫画を原作に、ドラマ化もされ、日本でリメイクドラマも放送された作品をミュージカル化。全2幕。

 韓国ミュージカルの輸入かと思っていましたが、リーディング公演が昨夏ソウルで上演されたものの、ホリプロが韓国スタッフを使って作った和製(と、この場合は言っていいのか…?)ミュージカルだったんですね。『ナビレラ』『愛の不時着』『マリー・キュリー』『デスノート』『キングアーサー』などのそうそうたるスタッフさんたちのようでした。それは素晴らしいことだけれど、邦人作家を育てるべきではないのか…?
 原作漫画は未読、韓ドラも日本のリメイクドラマも未見で、囲碁の知識は『ヒカルの碁』から学んだもののみ、という状態で、でもトウコさんも出てるしおもしろそうだし…とチケットを取りました。以前バレエか何かで一度来たことがあるハコでしたが、後方どセンター席で観ることができました。
 大阪、愛知と来て最後が東京上演というちょっと珍しいスケジュールで、好評が西から聞こえてきていて、楽しみにしていたのですが…
 …が、私は全然ダメでした。多くの人がいい、いいと言っているものが刺さらないと、しょんぼりしますよね…だがこれが私の感性だ、仕方ない。
 プロ棋士にはなれなかったけど、囲碁のセンスを武器にのし上がっていって「貿易王に俺はなる!」…みたいな話だとは別に思っていませんでした。人間は囲碁のようには動かないから、囲碁のセンスは実社会では役に立たないだろうな、と考えていたので。なのでむしろZ世代というか今どきの若者、あるいは何か挫折経験がある人間(いない人間なんているのか、というつっこみはさておき)が奮起したり奮闘したりするお話…みたいなものかな?とは考えていました。でも…この主人公、何もしなくないですか? 特に1幕。
 ラインナップまで見て、グレ役者とじゅんさんが上下から同時に出てきたので、ああ『ナビレラ』とかと同じで実質はW主演というか、むしろオ課長こそが真の主役…みたいな構造だったのかな?とも思ったのですが、別にバディものだったわけでもないし、グレは基本的にずーっとただ突っ立ってるだけじゃありませんでした?
 私は商社の仕事のことは何も知らないけれど、そして自分ではとても特殊な業界のマーケ仕事をほんの数年やったことしかないんですけど、でも商売ってこんな単純なものじゃなくない…?と思わざるをえませんでしたしね。いくらフィクションだから、とはいえ…原作漫画やドラマではもう少しディテールが描かれているのでしょうか? グッズにまでなっている靴下のエピソードも…うぅーん。
 あと、韓国ミュージカルあるあるだと思うんですけど、歌い上げ系の大ナンバーがひっきりなしに続いて、芝居のパートがほぼないんですよね。なので音楽的な素養がない私はこれだとむしろ退屈するのでした。だってその間は芝居が、ドラマが進まないから…歌も登場人物たちの心情を歌うようなエモーショナルなものじゃなくて、状況を歌うというか、転換させていく歌が多いんですけど、それも私の好みではなかったのでした。
 あとは群像劇っぽすぎるというか…そのわりにはインターン四人それぞれのエピソードも弱いし出番も実は多くないし…せっかくまあまあスターを配役しているのに…
 そして、ダンスではなくフォーメーションを見せるだけの振付、ステージングもまったく好みじゃありませんでした。そう、いいとか悪いとかではなく好みの話をしています。私が好きな、好ましいと思うタイプのスタイルの演目じゃなかった、残念、という話です。お仕事ものとして云々、と語るレベルの手前の話です。
 トウコの二役はさすがだと思いました。
 …おしまい。すんません!
 いやーくるみちゃんも内海くんも好きだし期待してたのになー…メガネくん大好きなのでベッキ糸川くんにもロックオンだったのになー…禅さんはさすがだし東山光明の爪痕の残しっぷりとかすごかったんだけどなー…なー…なー……(遠ざかる)
 すみません、残念な観劇でした。



 





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「マグノリアホール開場15周年×逸翁コンサート100回記念 ~森奈みはる&白城あやか~」

2025年02月02日 | 観劇記/タイトルま行
 マグノリアホール、2025年1月31日17時(初日)

 何度も語って申し訳ありませんが、私の宝塚歌劇初観劇はヤンさん、ミハル、ミキちゃん時代の花組『メランコリック・ジゴロ/ラ・ノーバ!』でした。ちなみに月組はユリちゃんとヨシコの『風共』から、雪組はトンちゃんサヨナラの『ブルボンの封印』から…かな? 星組はシメさんサヨナラの『カサノヴァ 夢のかたみ』からかな。なので74期トップ娘役3人(のちに遅れてアキちゃんも就任しましたが)は私の青春です、当時娘役本同人誌も出しちゃったものでしたよ…!(笑)
 なので今回の開催告知に飛びつき、しかし抽選に外れ、一方で当初2月1日14時公演のみの開催だったのが17時公演も追加になり、しかしその抽選にも外れ、ついで前日17時公演が再追加され、そこにやっと「今まで外れた方優先で…」みたいな案内が来て飛びつき、無事にチケットが買えていそいそと出かけてきたのでした。…ら、最前列最上手のかぶりつきのお席をいただきました、ありがとうございます…!
 ピアノは毎度おなじみ吉田優子先生。黒のホルターネックのドレスが素敵!
 オープニングは会場後方扉からふたり揃って登場で、椅子の列を分けて二本作られた通路をそれぞれ練り歩きながらの『キス・ミー・ケイト』の「Another Opening」。私はミハルサイドでした。この期の初舞台公演ですね。私は間に合っていませんし、他での上演も観たことがない演目で、再演をずっと願っているのですけれど…どうなの劇団?
 それはともかく、ミハルはマスタード色のドレスに茶色のファー、アヤカは白いドレッシーなブラウスにブルーのロングスカートと、だいぶテイストが違うお衣装でした。てかアヤカのウエストが! まるで現役娘役みたいな薄っぺらさで、内臓どこに入ってんの!?って細さで仰天しました。こんな「主婦」います!? しかも色白すぎる…! 正直、今の流行りのツヤテカメイクではなくやや粉っぽかったので、そういう意味では年相応ではありつつも、これが美魔女ってヤツか…!と震えました。
 一方でミハルのほうは「最近どう?」と聞かれて「太ってる!」と朗らかに応えてネタにするような人なのですが、まあフツーの体型ではありますよね、それこそ年相応…アヤカの方が高いヒールを履いていて、ミハルはなおさらちんまくて、でもとてもキュートでした。胸が高まりまくりです…!
 セットリストは、まずはふたりが花組で一緒だった3年間の曲から、ということで『ザ・フラッシュ!』のプロローグや「ジタン・デ・ジタン」、そして『ベルばら』の「ごらんなさい~駒鳥が鳴いている」など。でも合間に挟まれる当時の失敗談トークがすごすぎて、もう抱腹絶倒でした。ミハルはなんでも忘れちゃうんだけれど(笑)周りの同期はよく覚えているもので、何かというとエピソードが掘り返されるようです。アヤカも下級生時代はよくやらかしたとのことで、ハケ際に転んだだの出遅れならぬ出忘れがあっただの、いろいろ披露してくれました。過剰に悪びれていないところがすがすがしくてよかったです…!(笑)
 これも私は観たことがない『会議は踊る』の「唯ひとたびの」も素敵でしたし、『春の風を君に』の「風は何処から吹いてくる」も素敵でした。「明日にかける橋」で前半は終了、10分の休憩がありました。
 後半は、デザインコンセプトが同じで細部が違うお揃いのドレスで出てきてくれて、ミハルが黒、アヤカが白。靴もアクセも髪型も変えてきて、さすが娘役さんです! そういえばピアノの傍らに置かれた給水ボトルのキャップがピンクとブルーで、組カラーでミハルがピンクでアヤカがブルーかなと思ってたら逆でした(笑)。確かに当時、組カラーってそこまでこだわっていた気がしなくもなくもないかもしれません…
「タカラヅカ行進曲」で後半を始めて、今度はソロを交互に歌って『グランサッソの百合』(このあたりのバウ公演も秀作は再演してほしいなー…!)の「これが恋」、『ワン・タッチ・オブ・ヴィーナス』の「Foolish Heart」、『パパラギ』の「心はいつも」に珍しい『ベイ・シティ・ブルース』の「オリヴィアの幻想」(このあたりのナカグロや音引きの有無をプログラムの表記から校正できてしまう自分が怖い…)。ラストソングはアヤカがつい「ひまわり」と言ってしまう「おひさま」でした。
 優子先生のハモりのアレンジが素晴らしくて、ミハルのソプラノとアヤカのアルトがよく響き合って、ときどき司会のキンさんのカゲコーラスも加わって、まろやかな歌声を堪能しました。まあ正直アヤカは腹筋が出来ていなくて怪しいところもあるかなとは思いましたが、なんせ主婦ですからね…! 男児四人で一時は毎朝お米を八合炊いていたと言うんですから驚きでした。今はガラス工芸作家さんとしてもご活躍ですしね。
 マグノリアコンサート、数回観に来ていると思いますが、どうしても元男役さん偏重、ないし元トップコンビ企画になりがちかと思います。でもこういう娘役同士、というのも実にいいものですね。キャルさんやさっちん、ユウコの話が出たのも胸アツでした。ジュンナとユウコとグンちゃんとユリちゃん、とかも観たいぞ! トップでなくても、ネネレミとかさ。まだまだ本道のミュージカル出演などで忙しいかもしれないけれど、96期とか、100期とか…萌え企画、待っています!
 アヤカの子育てが大変だったころは全然会わなかったこともあったそうですが、今は会えばまた昨日も会っていたかのような意気投合っぷり、仲良しっぷりなのがよく伝わって、楽屋もさぞにぎやかなのでしょう、優子先生はふたりの喉の心配をしていました(笑)。でもきっとしゃべるのと歌うのは違う声帯を使うんですよ…! いつまでも明るく朗らかで、美しくたくましく、元気で輝いている娘役スターを観られて幸せでした。
 ミハルの舞台、また観に行きたいものです…!














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『モンスター』

2024年12月22日 | 観劇記/タイトルま行
 新国立劇場、2024年12月18日18時(東京初日)。

 シティでの仕事を離れ、教育の現場で新たな人生を歩み出したトム(風間俊介)。トムが担当することになった14歳の少年ダリル(松岡広大)は、トムの「座りなさい」という言葉にもまったく耳を貸さず、落ち着きなく歩き回り、挑発的にトムに質問をぶつけ続ける。一方、トムの帰りを家でひとり待ち続ける婚約者のジョディ(笠間はる)は、トムの様子に不安を募らせていたが…
 作/ダンカン・マクミラン、翻訳/高田曜子、演出・美術/杉原邦生、音楽/原口沙輔。2005年に執筆された戯曲の日本初上演、全2幕。

 大阪、水戸、福岡で上演されてきて、ラストが東京公演だそうです。風間俊介が好きなので、そして新国立の海外戯曲は好みのものが多いので、作品に関してくわしいことは知らないままに出かけてきました。
 トリガーアラートは出ていなかったと思うけれど、こういう音や光の演出がダメな人はわりといるのではないかしらん…など案じながらの観劇となりました。私は鈍感というか、自分の心身を守ることが得意なので(それでここまで生きてこられたのだし)シャットダウンしたり距離を取って観たりができる方だと思うのですが…もちろんショッキングな効果を上げたい意図はわかるけれど、まあ悪趣味ギリギリに感じたかな、とは言っておきます。
 ほかにダリルの祖母リタ(那須佐代子)が出てくるだけの、四人芝居です。要するにこの、あまりにも狭すぎる人間関係、コミュニティが問題なんじゃないでしょうか。他に同僚や友達や隣人や…がいないわけないと思うのですよ、もちろんそうした人づきあいが苦手そうな人たちばかりなんですけれどね。それにトムがある種不安定な人間だったからこそ、ダリルは彼にある種懐いたのでしょう。
 でも、もうちょっと他に、健康で健全な人間がいるだろう、と思うのです。そこに頼ろうよ、でなきゃ共倒れになるのなんて目に見えてるよ、めくらがめくらの手を引くようなもんじゃん(すみません、あえてこう書きます)、と思わないではいられませんでした。そういう状況をあぶり出すための展開なのはわかっているけれど、結局希望が見えない終わり方になっているわけで、それは現実が厳しいものだから舞台もそうなっているのであって安易なハッピーエンドなど描けない、というのもわかるんだけれど、でもじゃあそれをあえて舞台でやる意義ってなんなのかな…とも思ってしまったのでした。
 最終場のイントロは、もちろんわざとなんですけど悪趣味ギリギリでしょう。墓地を横切るトムらしき人影は、シルエットだけれど喪服を着ているようにも見える。だからジョディないしおなかの子供が死んだのかも、ダリルに殺されちゃったのかも、と観客に思わせるわけです。そのあと、娘の墓参に着たリタが現れ、その姿をベンチに座って見ているトムは普段着姿で、子供や妻のことを語るので観客は一安心するのでした。
 でも、ダリルは施設に入れられてしまったし、ジョディは家から出られなくなっている。トムはシティの仕事に戻り、おそらくストレスフルな生活を送っている。リタは老い先が長くなさそうで、崩壊の予感に満ち満ちて作品は終わるのでした…いやぁ、つらくない?
 これは単に問題児のダリルがモンスターだ、という話ではない、というのはもちろんわかります。貧困その他で子供に皺寄せがいって健全な生育が阻まれたり、愛情や尊重を受けずに育っていってしまう、そうした家庭に行政のサポートが行き届かない社会全体の問題だ、万人に万全な環境を用意できない人類そのものがモンスターなのだ…というようなことはわかるし、でも全部すぐには無理でも身近なところから少しずつ、と真摯に働いている人たちはいっぱいいるわけで、そしてみんながみんな病んでることもないと思うし、もっとなんとかなるケースだって多いだろうよ、と思うと、救われないダリルとか、この先どう育てられるのか不安しかないトムとジョディの子供に対して、胸ふたがれてつらいのです。自分だって清貧といえば聞こえはいいけれど経済的にはまあまあ苦しかったろう共働きの両親に育ててもらって、たまたままあまあ健全に健康に育ててもらえたけれど、それってホントただのラッキーだったんだろうなあ、とか(イヤ両親の努力にはもちろん感謝しているのですが)思いますし、船板一枚下は海…って状況なのもわかるんですけれど、でも全体としてはもうちょっと世界に、人生に希望を持っていたいタイプなので、わりとしんどい、リアルなだけのお話にはちょっと鼻白んでしまったのでした。演出としてはかなり抽象化されていたとは思うのですけれど…へっぽこですみません。
 役者はみなさん素晴らしかったです。他の舞台でも何度か観てきた人でしたしね。おもしろい作品だな、とは思いました。プログラムの座談会のキャッチに「観るときっと傷つく。だけどいい作品。」とありましたが、そうねえ、そうかもねえ、どうだろうねえ…
 ところでこのプログラムは値付けが高すぎると思います。いろいろ厳しい折とは思いますが、そこは指摘しておきます。





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