世田谷パブリックシアター、2025年3月20日19時。
世界中のオペラファンを虜にした、二十世紀最大の歌姫マリア・カラス(望海風斗)。引退後のカラスは、ニューヨークの名門音楽学校ジュリアード音楽院で若きオペラ歌手たちに公開授業を行う。授業では、ユーモアを交えつつ的確だが辛辣な言葉で、芸術に向き合う術を惜しみなく伝えていくカラス。生徒の歌声に、過去の輝かしい舞台や思い出が蘇り…
作/テレンス・マクナリー、翻訳/黒田絵美子、演出/森新太郎。1995年フィラデルフィア初演、96年日本初演(主演/黒柳徹子)。全2幕。
当初はだいもんのひとり芝居のようなイメージを持っていたのですが、ちゃんと生徒役その他役者はいました。ストプレですが、歌わないこともなかったです。だいもんはだいぶ以前からオペラ歌手についてイタリア語とオペラ歌唱のお稽古をしていたそうで、それが見事に発揮されていた舞台かと思いました。というか素晴らしい当たり役では!? 向こう20年くらい、何かにつけて再演してもいいのでは!? この作品を、このお役をやるためにこれまでのキャリアがあったのでは!? 戯曲として、舞台として、作品として好み、というのもありますが、もう本当にだいもんが絶品でした。上手い人だと知ってはいたつもりですが、感服しました。どうしてもファンが観に来る舞台になっちゃっていたかもしれませんが(とはいえ私はマクナリーの名前にまず惹かれましたが)、こんな素晴らしい俳優がいることをもっと一般の演劇フアンに知らしめたい!と思いましたよ…当初チケットがあまり売れていないようなことも聞いていたし、「トラムじゃなくて世田パブ? デカすぎでは??」とか私も思っていましたが、なんのなんの尻上がりにチケットが売れたようでよかったです。デカいハコでもマイクなしの生声で普通に演じられるだいもん、強い、強いよ…! セット(美術/伊藤雅子)もホントよかったし、えー松本とか観に行っちゃいたいぐらいです!
客席を公開授業の観覧者に見立てて、客席が明るいうちからカラスがつかつか出てきて、まず「拍手は要らない、授業なんだから」みたいなことを言う。上手いですよねー、引き込みますよねー。マクナリーは実際にカラスのファンで、ジュリアードでのマスタークラスも聴講したことがあるし、自分でも劇作を教えたことがあって、その難しさやなんやかやがこの作品に結実したそうです。そのアイディアが素晴らしいですよね…!
名選手必ずしも名監督ならず、みたいなことはどんな分野にも言えて、カラスが決していい教師ではなかろうことは何も知らなくても想像できます。わがまま、とか横暴、というのとはちょっと違うのかもしれないけれど、慇懃無礼で神経質そうでこだわりが強そうで…というクセ強の、老齢にさしかかった中年女性芸術家…みたいなのを演じるだいもんがホントに見事! 膨大な台詞の量、バンバン出るイタリア語、あたりまえだけれどほぼ出ずっぱり、でも移動も多い。俳優としてやること多過ぎ、でもカラスなら自然にやっちゃうわけで、そんなカラスに見えるんですよだいもんが! もうもう、シビれました。
生徒役は劇団四季女優や実際のオペラ歌手で、これもまたよかったです。ホントこんな生徒いそう、と思える。そして彼らがわかりやすいアドバイスや評価を求めるのに対して、カラスはもっと根源的な精神性みたいなものを語ろうとする。そして誘われる回想、本物のカラスのアリアの録音が流れて…この演出がいい。そして現役男役ばりの声でオナシスもカラスの最初の夫バッティスタ・メネギーニも演じちゃうだいもんがまたたまらん。上手いんだコレがまた…!
伴奏者マニー(谷本喜基。音楽監督も)が退場したあとの、カラスの語りが真のテーマ、メッセージかなと思いました。もちろん彼女はオペラ、歌、芸術について語っているのだけれど、すべての物事に通じることのように思えたので。
「この世から『椿姫』がなくなっても、お日様はちゃんと昇ります。オペラ歌手なんかいなくても、世界はまわっていきます。でも、わたしたちがいると、その世界が少し、豊かに、そして賢くなるんじゃないかって。芸術なんか全くない世界に比べて。歳を取るにつれて、わからないことが多くなってきます。でも、これだけははっきりしてきました。わたしたちがしていることは、とても大事なことだって」
「肝心なのは、あなたが学んだことを、どう生かすかっていうことです。言葉をどう表現するか、どうしたらはっきり伝わるか、自分の中にある魂をどう震わせるか。どうか正しく、そして素直な気持ちで歌を歌ってください」
私たちは歌手じゃないし芸術家ではないかもしれない、でも日々の営みを生きている。すべてのことにこの精神は必要なんだと思うのです。より良い世界のために。世界は、人の世は、愛するに足るものだから…毀誉褒貶のあったカラスは決して幸せな人ではなかった、という見方もできるのかもしれないけれど、こういう考え方をして、それを若い人に教えようとしていたということは(というかカラスをそう描いたマクナリーは、かもしれませんが)、彼女は確かに愛情にあふれた幸福な、そして間違いなく偉大な人間だったということなのではないか…と思ったり、しました。そこに、ものすごく感動しました。大事なことを教えられた、良き公開授業でした。
実際に歌う生徒役さんたちも大変な労力だろうと思うと、ソプラノふたりにテナー、道具係にまでカバーがいるのは素晴らしいな、と思いました。プロンプターも配されていて、万全ですね。ものすごくシンプルなようで無限に深い、良き演劇に触れました。大満足でした!!!
世界中のオペラファンを虜にした、二十世紀最大の歌姫マリア・カラス(望海風斗)。引退後のカラスは、ニューヨークの名門音楽学校ジュリアード音楽院で若きオペラ歌手たちに公開授業を行う。授業では、ユーモアを交えつつ的確だが辛辣な言葉で、芸術に向き合う術を惜しみなく伝えていくカラス。生徒の歌声に、過去の輝かしい舞台や思い出が蘇り…
作/テレンス・マクナリー、翻訳/黒田絵美子、演出/森新太郎。1995年フィラデルフィア初演、96年日本初演(主演/黒柳徹子)。全2幕。
当初はだいもんのひとり芝居のようなイメージを持っていたのですが、ちゃんと生徒役その他役者はいました。ストプレですが、歌わないこともなかったです。だいもんはだいぶ以前からオペラ歌手についてイタリア語とオペラ歌唱のお稽古をしていたそうで、それが見事に発揮されていた舞台かと思いました。というか素晴らしい当たり役では!? 向こう20年くらい、何かにつけて再演してもいいのでは!? この作品を、このお役をやるためにこれまでのキャリアがあったのでは!? 戯曲として、舞台として、作品として好み、というのもありますが、もう本当にだいもんが絶品でした。上手い人だと知ってはいたつもりですが、感服しました。どうしてもファンが観に来る舞台になっちゃっていたかもしれませんが(とはいえ私はマクナリーの名前にまず惹かれましたが)、こんな素晴らしい俳優がいることをもっと一般の演劇フアンに知らしめたい!と思いましたよ…当初チケットがあまり売れていないようなことも聞いていたし、「トラムじゃなくて世田パブ? デカすぎでは??」とか私も思っていましたが、なんのなんの尻上がりにチケットが売れたようでよかったです。デカいハコでもマイクなしの生声で普通に演じられるだいもん、強い、強いよ…! セット(美術/伊藤雅子)もホントよかったし、えー松本とか観に行っちゃいたいぐらいです!
客席を公開授業の観覧者に見立てて、客席が明るいうちからカラスがつかつか出てきて、まず「拍手は要らない、授業なんだから」みたいなことを言う。上手いですよねー、引き込みますよねー。マクナリーは実際にカラスのファンで、ジュリアードでのマスタークラスも聴講したことがあるし、自分でも劇作を教えたことがあって、その難しさやなんやかやがこの作品に結実したそうです。そのアイディアが素晴らしいですよね…!
名選手必ずしも名監督ならず、みたいなことはどんな分野にも言えて、カラスが決していい教師ではなかろうことは何も知らなくても想像できます。わがまま、とか横暴、というのとはちょっと違うのかもしれないけれど、慇懃無礼で神経質そうでこだわりが強そうで…というクセ強の、老齢にさしかかった中年女性芸術家…みたいなのを演じるだいもんがホントに見事! 膨大な台詞の量、バンバン出るイタリア語、あたりまえだけれどほぼ出ずっぱり、でも移動も多い。俳優としてやること多過ぎ、でもカラスなら自然にやっちゃうわけで、そんなカラスに見えるんですよだいもんが! もうもう、シビれました。
生徒役は劇団四季女優や実際のオペラ歌手で、これもまたよかったです。ホントこんな生徒いそう、と思える。そして彼らがわかりやすいアドバイスや評価を求めるのに対して、カラスはもっと根源的な精神性みたいなものを語ろうとする。そして誘われる回想、本物のカラスのアリアの録音が流れて…この演出がいい。そして現役男役ばりの声でオナシスもカラスの最初の夫バッティスタ・メネギーニも演じちゃうだいもんがまたたまらん。上手いんだコレがまた…!
伴奏者マニー(谷本喜基。音楽監督も)が退場したあとの、カラスの語りが真のテーマ、メッセージかなと思いました。もちろん彼女はオペラ、歌、芸術について語っているのだけれど、すべての物事に通じることのように思えたので。
「この世から『椿姫』がなくなっても、お日様はちゃんと昇ります。オペラ歌手なんかいなくても、世界はまわっていきます。でも、わたしたちがいると、その世界が少し、豊かに、そして賢くなるんじゃないかって。芸術なんか全くない世界に比べて。歳を取るにつれて、わからないことが多くなってきます。でも、これだけははっきりしてきました。わたしたちがしていることは、とても大事なことだって」
「肝心なのは、あなたが学んだことを、どう生かすかっていうことです。言葉をどう表現するか、どうしたらはっきり伝わるか、自分の中にある魂をどう震わせるか。どうか正しく、そして素直な気持ちで歌を歌ってください」
私たちは歌手じゃないし芸術家ではないかもしれない、でも日々の営みを生きている。すべてのことにこの精神は必要なんだと思うのです。より良い世界のために。世界は、人の世は、愛するに足るものだから…毀誉褒貶のあったカラスは決して幸せな人ではなかった、という見方もできるのかもしれないけれど、こういう考え方をして、それを若い人に教えようとしていたということは(というかカラスをそう描いたマクナリーは、かもしれませんが)、彼女は確かに愛情にあふれた幸福な、そして間違いなく偉大な人間だったということなのではないか…と思ったり、しました。そこに、ものすごく感動しました。大事なことを教えられた、良き公開授業でした。
実際に歌う生徒役さんたちも大変な労力だろうと思うと、ソプラノふたりにテナー、道具係にまでカバーがいるのは素晴らしいな、と思いました。プロンプターも配されていて、万全ですね。ものすごくシンプルなようで無限に深い、良き演劇に触れました。大満足でした!!!