駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

ふらり、ひっそり、ひとり。旅 その2/三重県

2022年08月30日 | 日記
 第1回の日記はこちら
 今回は完全自力手配の旅でした。前回の宝塚歌劇星組のショー『Gran Cantante!!』が個人的にすごく楽しくて、ロケットなどでパルケエスパーニャの音楽が使用されていると聞いたので、基本的にノリが悪くてテーマパークとか全然興味ない派の私ではありますが、珍しく行ってみたい!元の曲を聞いてみたい!とムズムズし、それを中心にプランを組んだのでした。
 本当ならそのまま宙組の『ハイロー』初日観劇につなげたかったのですが、頼んでいた取次がお断りになり、なら、とかえってゆっくりお宿を堪能してこられました。行くとなったら朝食も食べられず、超早朝出発になっていたでしょうからね。三重から兵庫、そら意外に遠いんですよね…
 雲が多いけど基本的には晴れで、でも夏の酷暑がだいぶ和らぎ始めていて、快適な気候で恵まれました。

 スタートは勝手知ったる東海道新幹線のぞみ号で名古屋まで。いつもの観劇遠征では新大阪まで乗るワケですが、名古屋だとホントすぐ着きますね。
 そして伊勢志摩方面への乗り換えを…と検索したら、乗り継ぎ6分の案内をされて、名古屋駅ってまあまあ大きいのに大丈夫? 降りる場所とか出る改札とかも最短を押さえて、ロスのないようにしなくては…と急に車内で焦り出す私。が、実はこれは私が数字を読み違えていて、ちゃんと16分の乗り継ぎ時間が取られていました。しかもJRと近鉄の乗り換えは通路もあって、案内に沿って進めば3分程度で行ける距離でした。でもこれまた名古屋は中日劇場や御園座へ行くときの地下鉄東山線への乗り換えくらいしかしたことがなかったもので、ドキドキしてしまいましたよ…
 一応、PASMOはどこでも使えるだろうと1万円チャージしてきたので乗車券はそれで行けるとして、特急券はネットで買っておこうかな…とまたまた検索。そうしたらどうも残り3席だったみたいだったんですけど、ちゃんと取れてよかったね私!?
 というわけで無事に近鉄名古屋駅へ。お目当ての特急しまかぜがちょうどホームに入ってくるところで、プチ鉄オタとしてはやはり撮影タイムとなりました(^^)。そして指定された号車へ…2席と通路挟んだ1席の並びのゆったり仕様で、前回の鉄活同様にシートの膝下部分も動かせるゴージャスなお席で、とても快適。そして乗務員さんが記念乗車券までくださる歓待ぶり! 嬉しくて、まだ昼でしたが車内販売でクラフトビールとおつまみも頼んじゃいました。
 前回は2席側の展望がやはり良く、海がどーん!と見えたものでしたが、今回の線路は海添いを走る部分はあまりなく、車輌のどっち側に座ってもゆったり広がる田畑の大平原が眺められて、これまた気分爽快でした。席は家族連れやグループ客で埋まっていましたが、意外に静かで、快適でした。
 2時間ちょっとで鵜方駅に到着。路線バスに乗って志摩スペイン村へ。夏休みでもありますし、大荷物の旅行客も地元っぽい若者たちもたくさんバス停に並んでいました。
 10分くらいで到着。エントランス・インフォメーションで1日パスポートを買いつつ、お宿への送迎バスの発車時刻を確認。さーっと流すだけだろうし2時間後くらいでもいいんだけど…と思っていましたがそんな便はなく、まあならそれまで中でゆっくり時間をつぶそう、とコロコロをコインロッカーに預けて、ぶらりひとりテーマパークへ。
 売店もわりと丹念に見ましたが、スペインとかポルトガルとかの、いわゆる南欧チックな、ちょっとぼてっとした感じの食器でカラフルな絵付けがしてあるのがものすごく可愛くて、配送もしてくれるというしかなりかなーり悩んで、やめました…宝くじが当たったら食器道楽がしたいくらい食器が好きなのですが、今は日々ひとりで使うには十分以上の物を持っていますし、増やしてもしまうところがないしそうそう使ってあげられないかもしれないし…と涙を飲んだのでした。あとはリヤドロのお店もあったけれど、それこそ手が出ませんよね…と撤退。
 その後、何故か日本食レストランに入って冷製トマトラーメンで昼食にしました。だってなんかスペイン料理って気分じゃなかったんですもん…
 さて、その後はパーク内を一周してみて、混んだり並んだりしていないようならアトラクションにも乗ってみようかね、とぷらぷら散策スタート。売店やレストランが並ぶアーケードや、回廊が囲む広場、その中央にある銅像、花壇、周りの建物など、確かにヨーロッパふうで、ちゃんと綺麗でしっかりしていて安っぽくなく、眺めていてとても楽しかったです。人出も適度で、芋洗いでもなければ閑散としすぎて薄ら寒くもなく、実にいい感じ。敷地は広く、お隣の区画に移るにも城門を潜り石作りの橋を渡るような感じで、確かにちょっと海外旅行気分が味わえて楽しかったです。最初に入ったのがアトラクションではなく美術館みたいな博物館みたいな施設だったので、そういうものもあるのか、と新鮮に堪能できました。
 でもそこからは、意外とアトラクション乗りまくりになってしまいました…どれも並んでも5分かそこらだったので、つい…そして周りが家族連ればかりだろうとグループやカップルばかりだろうと、臆する私ではないのです。そして係員さんはみんな、子供たちにもたいそう丁寧で親切でしたが、ひとり客にもとてもにこやかに案内してくれました。
 最初に乗ったのは、ゴンドラふうのボートで運河みたいな水路をのんびり辿るもの。水上は涼しく、両側に飾られたお人形たちが可愛らしく、ほっこりしました。
 続いて「ドンキホーテの冒険の旅」と題された、屋内コースターみたいなのに乗りましたが、コレが楽しかった! 乗り物は気球船みたいなデザインになっていて、レール部分を暗くして見えなくしているので、乗っていると本当に宙に浮かんでいる感覚なのです。そしていい感じに揺れる(笑)。これまたお人形たちが物語の各場面を務めて見せているのを辿るようなものでしたが、とにかくコレで乗り物楽しい!魂に火が点きましたね。私が普段ちょっと乗り鉄っぽいのは、乗り物に乗ることそのものよりは、パンクチュアルに運ばれることとかに惹かれているものなのですが…
 なので、「氷の城」と名付けられた氷点下の世界を体験できる施設を挟んで、「スプラッシュモンセラー」へ。いわゆるスプラッシュマウンテンですね。ずぶ濡れになって出てくる子供たちとかがいてちょっとビビりましたが、まあペラペラのワンピだし着替えもあるし、と乗りました。結果、しぶきを被る程度で済みましたが、楽しかった! そして回転ブランコ系の「アミーゴバルーン」、さらに「グランモンセラー」へ。これは眼鏡が吹っ飛びそうな激しさのジェットコースターで、眼鏡をずっと手で押さえて乗ったのでちょっと堪能しきれなかったかも…スイング系の「スウィングサンタマリア」のあと子供用コースターの「キディモンセラー」を楽しみ(小さくてもスピーディーで十分スリリングで楽しかったです!)、最後は吊り下げタイプのジェットコースター「ピレネー」で締めました。ここでは荷物と一緒に眼鏡も預けました。ガンガン揺さぶられるのでやっぱり目はけっこうつぶっちゃいましたが、眼鏡を振り落とされる心配はしなくてすんだので、怖さが堪能できてよかったです。「しぇぇぇぇ」と叫んだり歯を食いしばったりでしたが、まだまだジェットコースターに乗れる体力が自分にあることが確認できてよかったです。ヘンにふらついたり、それこそ吐いたり、しませんでしたしね。
 ディズニーランドに二度しか行ったことがなくて、そういう可愛い系のテーマパークにはあまり興味がなくて、でも絶叫系アトラクションの遊園地は好きだ、と思ってきましたが、さすがにいい歳なのでこの20年くらいは乗っていなかった気もしましたしね。でもお友達と行ったサンリオピューロランドも意外に楽しかったし、今回もフォトジェニックなパートではのんびり写真を撮ったりと楽しかったので、こういう施設も嫌いじゃないんだな、という発見もありました。
 ショーやグリーティングの時間に合わせて動く、ということをしなかったので、結局『グラカン』の元の楽曲には巡り会えませんでした。ま、そういうこともあるよね…
 というわけで遅い方のバスの便までたっぷり遊んで、お宿の「都リゾート 奥志摩アクアフォレスト」まで、小さな送迎バスで30分ほどのドライブ。地図としては半島に入っていく感じだったんでしょうが、緑濃い中を走る細い車道をひたすら突き進み、周りに何もなさそうな感じがいっそ爽快でした。
 英虞湾を眺められる、広々としたツインルームにチェックイン。シングルユースでしたが浴衣やタオル、アメニティなどが二組用意されていて、浴衣は湯上がり用と寝間着用にそれぞれ使わせていただきましたありがたや。
 アクアパレスと名付けられた大浴場にマイタオル持参で行って露天風呂にのんびり浸かり、風呂上がりには天文館という天文台があるので覗いてみましたが、大きな望遠鏡に家族連れがわらわらかぶりついていたのでパスして夕食へ。ビュッフェでしたが、お刺身がことに甘くて美味しかったなー! クラフトビールを追加注文。
 部屋のお風呂で髪を洗って、のんびりテレビを眺めて、早々に寝ました。旅先は時間があるんだからアレコレしよう、といろいろ持ち込んだりもするんですけど、のんびりして脳が緩んで難しいことが考えられなくなるので、読書すらあまり進まないんですよね…
 翌朝は7時半ごろ起きました。ホテルの庭というか敷地というかが広々としていて、遊歩道や展望台などいろいろあるので、30分ほどお散歩。朝風呂して、朝食ビュッフェに行き、荷造りして11時チェックアウト。売店を冷やかしてお土産など買い、ロビーでのんびりしていたら、送迎遊覧船のお迎えが来て、ゴルフ場のカートみたいなのに乗って桟橋まで送っていただけました。遊覧は30分ほど、これまたのんびり、かつミキモトさんの英虞湾でのあれこれの解説を聞きつつ、賢島港に到着。
 歩いてすぐの賢島駅から近鉄名古屋まで伊勢志摩ライナーに乗って(これまたデラックス車輌のひとりシートでのんびり行きました)、名古屋から東京、そして最寄り駅まで。夕方早めの帰宅で、荷解きして洗濯して旅は終わりました。

 伊勢神宮は過去に三度ほど行ったことがありますし、30年くらい前にはタラサ志摩に女子3人で行って豪遊した記憶もあります。なので三重県自体は初めてではなかったし、今回は観光らしい観光もせず、単にテーマパークで遊んでお風呂に入り鉄活をしただけの旅でしたが、楽しかったです。乗り継ぎをあれこれ考えるのも楽しかったし、ツアーでゾロゾロ行くのではない完全なひとり客でも、適度に放置し適度にかまってもらえて嫌な顔はされないんだな、というのが身をもって知られてよかったです。
 次はまた乗り物にたくさん乗れそうなツアーにひとり参加を申し込んでしまいました。またまた行ったことのある県ではありますが、無事に定員に達して催行されるといいな。そして感染もおちついて、心配なく行けるといいな…


〈旅のお小遣い帖〉
東京駅までの電車賃 168円
のぞみ(ex早割21ワイド) 9800円
ホットコーヒー 300円
特急しまかぜ 4700円
ペットボトル&漁師あられ 519円
クラフトビール&ととかま 1260円
バス 390円
パルケエスパーニャ1日パスポート 5400円
コインロッカー 400円
冷製トマトラーメンセット 1950円
奥志摩アクアフォレスト レギュラーツイン夕朝食付きシングルユース(入湯料込み) 27600円
送迎遊覧船 1500円
伊勢志摩ライナー 4070円
クラフトチューハイ&焼きエイヒレ 675円
のぞみ 10310円
天むす 734円
アイスクリーム 370円
最寄り駅までの電車賃 168円







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劇団チョコレートケーキ『追憶のアリラン』

2022年08月23日 | 観劇記/タイトルた行
 東京芸術劇場シアターウエスト、2022年8月18日18時半(初日)。

 1945年8月、朝鮮半島は35年の長きにわたる日本の支配から解放された。喜びに沸く半島で、在朝の日本人は大きな混乱に巻き込まれた。拘束され、裁かれる大日本帝国の公人たち。罪状は「支配の罪」…ひとりの日本人官僚の目を通して語られる、命の記憶の物語。
 脚本/古川健、演出/日澤雄介。2015年初演、全1幕。[生き残った子孫たちへ 戦争六篇]のうちの一作。

治天ノ君』を観たくらいの劇チョコ初心者ですが、その後もずっと気にはなっていて、グンちゃんご出演とあって出かけてきました。
 日本の韓国併合に関してはもちろん学校でも習いましたし、私が韓ドラにハマっていたのは2001年からの十年ほどですがロケ地だけでなくひととおりの観光もして、DMZなども訪れたしそのときもいろいろ勉強したつもりです。だから大日本帝国の軍人が悪者とされるのはわかる、でももっと一般的(?)な公務員について思いをはせたことはあまりなく、いろいろと考えさせられました。劇作家の母方の祖父はこの物語の主人公の豊川千造(佐藤誓)と同様、実際に当時のピョンヤンで(ポメラは「ピョンヤン」って打つとすぐ「平壌」と変換するんだ、すごいな…)検事を務め、終戦後は拘束され、帰国後は晩酌しながらアリランを口ずさんでいた人だそうです。グンちゃんはその奥さんの咲子(月影瞳)さん役でした。
「内鮮一体」という用語は私は今回初めて知ったのですが、「大東亜共栄圏構想」同様、平和を謳うならまずおまえが出て行けという、盗っ人たけだけしい理論ですよね。観劇の参考資料としてロビーに置かれたプリントに用語解説があり、共栄圏に関して「太平洋戦争を正当化する日本の理論」と一刀両断で、胸がすきました。「アジアから欧米を追い出し、アジア全体で栄えよう」というのはわからなくもないけれど、まず自治や独立、そして連帯が大事なのであり、その先には欧米を敵とみなすこともおかしいという考え方があるはずで、こんなもの今考えれば当時の日本がお山の大将になるためのおためごかしにすぎない、とわかります。
 でも当時、ある種の理想論として、また現実的な対処法として、あるいはごく素朴な善意として、人種とか関係ないでしょ、平等でしょ、一緒に仲良くしようよ…と動いた人たちがいた、というのもわかります。そしてそれがそのとおり受け入れられることも、逆にいっそうの反発を被ることがあることも、わかります。そんなドラマを描いた物語でした。登場人物全員にそれぞれの考え方が、生き様があり、どれもわかる気がして、観ていて苦しい、心揺さぶられる物語でした。
 検事四人でも、立場やキャラクターがいろいろと違う。四席検事で、両親は日本生まれ日本育ちの日本人でその間に生まれているから日本人なんだろうけれど朝鮮生まれで日本の地は踏んだことがない、という川崎豊彦(渡邊りょう)の在り方は、特に興味深いなと思いました。この物語にはいわゆるハーフのキャラクターは出てきませんでしたし、すべて日本語で上演されているので言葉の問題も扱っていませんでしたが(俳優もすべて日本人なのだろうし)、人種ってなんだろう、「~国人」ってなんだろう、民族や文化や言葉が固有なら独立しているということなのか、でもそれは混ざることも変わることもあるだろう…とか、考え出すともうぐちゃぐちゃになることばかりなのでした。現にこの時点では大韓帝国という国はもはやなく、なのですべて「大日本帝国」の国民(臣民?)のはずで、なのに朝鮮人のなんのと言われて区別、差別される、って何…?って話ですし、そのあと朝鮮は同じ人種、文化、言葉を持ちながら南北のふたつの国家に分断されるわけです(そしてそれは今もなお続いている…)。何もかもが理不尽すぎる気がします。
 そんな中で、豊川さんが朴忠男(浅井伸治)を「ぼくさん」ではなく「パクさん」と呼び、普通に、親切に応対したのは、何故なのでしょうか。作品では特に理由は語られておらず、単にそういう人柄であるとか、彼がまあまあリベラルでまっとうな人であるとか、そういうふうにされています。一方で、立場故というものもあるだろうけれど明らかにアタマが悪い、人が悪い感じの憲兵隊長・荒木福次郎(佐瀬弘幸)みたいな、それこそ同胞相手でも頭ごなしに相手を下に見て横暴に振る舞う人間もいる。そしてさらにもう一方の人民裁判側だって、いろいろな立場のいろいろな考え方の人間がいて、一長一短で、今の私たちの目から見てわかる部分も、それはダメだよって部分も、ヤバい今もこうかもって部分もある。さらにさらに、裁判の証人になる朝鮮人父娘たちもまたそれぞれ違うことを考え、言う…そんな、みんなそれぞれの正義が、理想が、信念が、良心が、打算が、保身が、ぶつかる物語として、圧巻なのでした。
 まあちょっと、緩急がないというか焦点がわかりづらい感じはあって、気持ち長く感じたというか、集中力や求心力に欠けて見える部分もあった…かな、とは感じなくもなかったのですが、これは私の問題や、これから舞台が練れてくるとまた違うのかもしれません。
 それにしても、7年を経ての再演で、「劇中で行われている事と現在の情勢があまりにも酷似していることに驚きを感じ、何も変わっていない事を痛感します。残念です」と演出家が語るとおり、今まさに再演されるべき演目で、未だ刺さるところの多い作品なのでした。特に荒木さんの戦後の変わり身の感じとか、もう情けなくてホントつらかったです。客席から立ち上がって「帰れ!」と叫びたいくらいでした。ここでの咲子さんの動きはさすがすぎました。まあ女性キャラクターにこういうことばかりさせるなよ、ってのはなくもないけれど…ともあれ荒木さんが選挙に出るのは絶対に地元のためとか国のためではない、自分の名誉や虚栄や権勢やお金のためだ、と丸わかりの醜悪さがもう、ドラマとしてはサイコーでしたが、ホント「今」を感じさせて絶望的でした…
 舞台が三層に別れて見える作りで(舞台美術/長田佳代子)、奥と手前は川を挟んだ対岸のようにも見えました。開演前、その間に置かれて照明が当てられた机が朝鮮半島のように私には見えましたが、ラストは一部を除いたキャストがまた机を移動させてその形を作り、そこを朴さんが歩いて行く…というところで暗転して終わる演出でした。彼は生きて南北を移動して、今もソウルないしピョンヤンで元気にしているに違いない…と思えるラストだったのかな、と思いました。感動的でした。
 そのあとのラインナップで、奥の舞台から手前の舞台に出てくるグンちゃんに佐藤さんが手を貸しているのにキュンとしました(^^)。
 良き舞台でした。

 次回作は来年7月、1990年の日本の、特撮ヒーローものを制作する会社を舞台にした物語だそうです。私得すぎる…私は92年入社なので、私よりちょっと上の世代の男性クリエイターたちの物語になるのかな? 興味深いです。「自分たちの仕事が所詮は過去の名作の焼き直しにすぎないことに忸怩たるものを感じ」って、むしろなう、今ですよね。今アラフィフくらいで会社の中で発言権があって過去に自分がハマったものの焼き直しを企画している人たち、山ほどいますもんね…でもこれは30年前の物語なので、当時は今とは違うまた別の事情なりなんなりがあったのでしょうか…観てみたいと思います!

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宝塚歌劇花組『巡礼の年/Fashionable Empire』

2022年08月22日 | 観劇記/タイトルさ行
 宝塚大劇場、2022年6月4日13時(初日)、5日11時、21日13時、18時(新公)。
 東京宝塚歌劇場、8月16日18時半。

 1832年、パリ。フランスは革命という動乱の時代を経てもなお、権力を握り続ける貴族と、台頭著しいブルジョワジーによって牛耳られていた。毎夜開かれるサロンでは、享楽と所有欲に溺れる貴族たちがお抱えの芸術家たちに腕前を披露させ、芸術家たちは己の技と魅力で名を揚げるべくしのぎを削っている。今宵、ル・ヴァイエ侯爵夫人(美風舞良)邸のサロンに集まった貴婦人たちのお目当ては、フランツ・リスト(柚香光)。類いまれなる美貌と超絶的な技巧を武器に、パリのサロンを席巻している若きピアニストである。しかしライバルでもあり同志でもあるフレデリック・ショパン(水美舞斗)は、人気が高まるにつれて自分を見失っていくリストを案じていた。ショパンはリストにある批評を見せる。ダニエル・ステルンというペンネームで書かれたその記事は、リストを礼賛するものではなく、彼が向き合うべき本質が書かれていた…
 作・演出/生田大和、作曲・編曲/太田健、斎藤恒芳。「リスト・フェレンツ 魂の彷徨」とサブタイトルがつくミュージカル。

 初日雑感はこちら
 東京初日の開幕が遅れて、私の新公チケット(スライドする26日は予定アリ)もバースデー観劇も吹っ飛び、唯一保持していた友会チケットでの観劇が東京マイ初日にしてマイ楽か、でもご縁あれば追加しよう…とか思っていたら関係者に陽性が出たようで、長い中止期間に入ってしまいました。なので一応ここで感想をまとめておきますが、ともあれ生徒始め関係各者の心中は察しかねるくらいに心配です。東京公演のれいちゃんの開演・終演アナウンス特別版、本当に心がこもっていて感涙もので、客席から自然と拍手が送られていたのに…みなさんの心身の健康と公演の無事の再開を祈っています。でも健康第一、焦りは禁物ですからね…!
 とはいえ、生徒の現役生活は有限でもあり、今回もこの公演での退団者がいるのですから、なんとか一回でも多く上演させてあげたいし、ファンにも通わせてあげたいところではあります。しんどいなあ…でも次の『うたかたの恋』を一回先送りにして『巡礼』をもう一回やらない?という意見が出ちゃうのもわかります。もちろん大劇場サイズに戻ったものも観てみたいけれど、やはり役が少ない印象は拭えないし、言うても再演なわけでなんとなく出来の想像もついちゃうし、それより今回の新作当て書き佳作をまだまだ観たいしもっとたくさんに人にも観ていただきたい、という気持ちはわかるからです。私もこの作品、かなり好きです。ショーも楽しいので、もうちょっと回数観たかったな、と今は後悔しきりです。
 作品としても、リストとタールベルク(帆純まひろ)の対決からのリストとマリー(星風まどか)の別離、までの流れはほぼ完璧だったと思うんですよね。東京で同伴した後輩が、パリでの束縛や虚栄を嫌って逃げた先でやることがあのキャッキャウフフ捕まえてごらんなさ~い、でええんかいなとつっこんでいて、確かになとは思っちゃいましたが、まあそれだけ自由に、自然に、心のままにいちゃつくことすらふたりはパリではできていなかったんだろうし(リストとサンド(永久輝せあ)の関係は別に隠されていたわけではないんだろうけれど、でもサンドが人妻でもあるし、やはり大手を振ってキャッキャウフフ、というのとは違ったことでしょう。そして人妻という意味ではマリーも変わらないんだけれど、誰も知り合いのいないジュネーブで、というのはやはり解放度が大きいかと思います)、そうしたのびのび自由な日々で新しい音楽が生まれた、ってことの方が大事なはずなので、ホントここまでの展開は申し分ないと思うのです。マリーは、その披露されたリストの新曲の素晴らしさに改めて感動し、しかし当のリストの方は久々に浴びた聴衆からの喝采に酔い、虚栄心みたいなものが再びくすぐられてしまう…「どーして男ってこー…」案件です、あるあるです、これでふたりの道は分かれざるをえない、ドラマチックすぎます、実によくできています。これまた同じ後輩が端的に言ってのけましたが『ヴェネチアの紋章』の構造と同じです。両想いで、それで十分だって女は言っているのに、男はさらに余計なものを手に入れようとする…そして破滅する、破局する物語です。ある意味、王道です。男女の生き様として真理ですらある。だからこそ何度も繰り返し描かれるのでしょう…
 そこからの展開も、流れ自体は私は全然嫌いじゃありません。おおむね史実でもあるし、演劇的な時空の歪みや改変含めて上手いと思うし、好きな構成です。ただ、どうしてもハンガリー場面が『エリザベート』っぽいとか革命場面が『1789』っぽいとか魂の彷徨場面での人物の交錯の様子が『fff』っぽいとかの、でもこれはオマージュとかなんとかいうレベルではなくてやはりイメージが貧困なのかただ引っ張られちゃっているだけのパクリに近いダメなヤツだろう、ってあたりが、ちょっと残念すぎるのでした。
 まあこのあたりは百歩譲るにしても(いいのかそんなに譲って)、ラストの修道院でのリストとマリーの再会場面は、史実としてあったのかどうかは知らないのですが(ふたりは晩年までペンフレンドでお互い良き理解者だったけれど、もう会うことは二度となかった…んでしたっけ?)、少なくともこの作品の中では現実の出来事である、かつかなり年数が経ったころのエピソードである、としてあるというのをもっと明快に打ち出してくれるとなおいいのにな、と思いました。この場面すらリストの幻想のようなものなのかと解釈している観客も多いようだったので。でもそれじゃダメじゃん、そりゃこれはサンドが言うところの「あなた(=リスト)の物語」なんだけれど、ここは彼の都合のいい想像や妄想であってはダメじゃん。
 リスト音楽院の生徒たちがきゃいきゃいした天使のような、ちょっと非現実的な存在のように演出されているのはあえてだと思うし、むしろ効いていると思うんですけれど、だからこそそんな中で再会した生身の、歳とったふたり…というのがいいのであって、それをもっとはっきり感じさせてほしかった、と思うのです。れいちゃんもまどかにゃんもちゃんと年老いた芝居をしているんですけれど、それだけでは伝わりきらないものってあるので、もう「○年後」みたいな文字出したりナレーション入れてもいいから、もっともっとわかりやすくしてほしかったです。
 あとは、ホントのホントのラストシーンね。私はせっかくピアノが舞台に置かれているんだから、リストが弾いてマリーが聴き入る構図まで作って終わるか、せめてふたりがピアノに手をかけるくらいまでして終えた方がよかったのではないかと思いました。ふたりは、この作品では触れられていませんでしたが、子供までなした中であり、けれど結婚はしなかったし、今も恋仲とは言いきれない関係で、でもそうしたある種わかりやすい関係である色恋を超越したような、お互いがお互いの魂の理解者であり離れて暮らしても人生の伴走者でありソウルメイトであり、音楽を媒介に唯一無二の関係を築いたふたりなのであり、そしてその音楽は至高の芸術として今も残るものなのである…ということを、もっと感動的に表現してもらいたかったのです。主役ふたりのそういう在り方って意外と新しいと思うし、トップコンビのラブラブが観たい観客にも「こういうのもいいな」と思わせるだけの魅力があるものだと私は思うので…でも今の、ふたりが寄り添って、ちょっとこちらを振り返って終わる、みたいなのは、私にはどうにも中途半端に思えて、せっかくの物語シメが、結論が、ぼんやりして弱いんじゃないのかなーてもったいなく思ったのでした。変な元サヤ感が漂うようじゃダメだと思うのですよ…しょぼん。

 しかしれいちゃんリストは当たり役で、これが代表作のひとつと言っていいのではないかしらん。いや前作も良かったですけれどね。ピアノだんじりがこんなに似合うトップスター、なかなかいませんよね! 華も実もある、でもナルシーに寄るのが似合う持ち味、いいですよね!! そしてれいちゃんの繊細な芝居心が生きる役、作品でもありました。回想場面など、そんなに大ナンバーにせんでも…なところはありましたが、当人比で大健闘していましたしね。もちろんビジュアルも素晴らしく、観ていて本当にせつなく、萌え萌えで、楽しかったです。
 もはやなんでもできるトップ娘役になってきたまどかにゃんですが、マリーもとてもよかったです。個人的にはヘンに母性に振りすぎなかったところが好き。また、サンドに憧れ、筆力がある、自立して働く女性(というのはやや言いすぎかな…)の先駆けでもあった実在の女性ですが、これまたカリカリギスギスしすぎていない感じもよかったです。でもヨロメロしすぎていなかったのももちろんよかった。絶妙なバランスでした。あと歌が本当にいい…! 心情がよく乗っていて、毎度泣かされました。
 マイティーも、ニンではない役どころだと思うのですがホント上手い。作品内の在り方のバランスもとても良く、さすがだなと感心させられました。
 そしてひとこジョルジュ・サンドが本当に本当に絶品でした…! 宝塚歌劇の枠の問題もあるので難しいのかもしれませんが、ならホント外部でもいいので、彼女が主役の物語は作られるべきですよね…! そしてその宝塚歌劇の枠においては、今回は男役3番手スターが扮するという形になったわけですが、この男役123とトップ娘役で構成されるリストとマリーとショパンとサンドの四角関係は本当に素晴らしく、緊張感がありバランスが良く、またとてもおもしろいものでもありました…! プログラムの写真もとても良き。
 実際ももっといろいろ濃かったようですしね、ホントはもっといろいろな形で掘れますよね。でも今回の在り方、切り取り方もとてもよかった。リストの共犯者のような同志のような恋人、彼の才能を信じ理解し誇りに思い、本人よりも大事にすらしているところもあり、リストの移り気に関しては高をくくって放置したりやっぱり妬っかんだり…リストと別れたと見るとマリーに手を差し伸べる、みたいなところもすごくいい。そしてずっと寄り添ってくれていたショパンにいつしか心を移し、寄り添い合うようになり、その死を見取り、また去っていく…男装も、ドレス姿も、本当に素敵でした。またひとこのちょっとヘンな、かすれた声が役に絶妙に似合っていました。これまた当たり役のひとつと言っていいのではないでしょうか。脚本もその解釈による演技も本当によかったです。
 ジラルダン(聖乃あすか)のほのちゃんは、『冬霞の巴里』のヴァランタンがよかっただけにちょっとしどころがない役になっちゃっている気もしましたが、この脚本の中では、それでもインテリジェンスやカリスマ性を見せて、きちんと爪痕を残していたかと思いました。あとホント垢抜けましたよね、一皮剥けましたよね…!
 それからするとタールベルクのせのちゃん(ほづみん、まひろん、せのと呼び方が定まらずすみません…)の方がいいお役をやっているようにも見えましたが、まあなみけーがいなくなった分のお仕事をしているようでもある、かな。芸術家グループも、個人紹介ソングがなかったのは本当に残念で、ジラルダンの妻デルフィーヌ(星空美咲)の星空ちゃんも、これではちょっとしどころがない気がしました。だいやもらいとも注目して見ていたんですけどねー…あとはなこは役とはいえちょっとうるさすぎやしなかったか? もっと上手くできる人だと思っていたんですけれど…次のバウに期待。
 これでご卒業のつかさっちとくり寿は、それぞれトップコンビにある意味で敵対する役まわりなので、なかなか評価は分かれるところかとは思いますが、さすがの存在感でしたし、いいお役をやってお涙ちょうだいで去っていくばかりが退団者ではないと思うので、まあよかったんじゃないかなと思います。なんてったって力量があるのは観てわかりましたしね。ご卒業後のご活躍にも期待しています。
 東京公演では休演者が増えて、愛蘭みこちゃん美羽愛ちゃん美里玲菜ちゃんが並んでパリの貴婦人をやっていたりしてもう眼福でした。初音夢ちゃんや湖春ひめ花ちゃんも顔がわりと特徴的なので、パリ市民でも音楽院生徒でも識別しやすく、これまた可愛くてがんばっていてウハウハでした。花娘はいつの時代でも百花繚乱で素晴らしいなあ…!
 

 大劇場新公を観られたので、以下簡単に感想を。担当は中村真央先生。A先生のお嬢さんだそうで、ドーターだから中村Dか?とか言われているそうですね。台詞や演出の大きな変更はなかったかと思います。
 リストは初主演のだいや。れいちゃんみたいにピアノが得意ではないと見えて、ハナからド緊張しているのが丸わかりのスタートでしたが、ビジュアルは良かったし、おちついてきてからはちゃんとリストになれていて、とてもよかったと思いました。もっともっとお芝居が観たい!と単純に思えたなあ。『青薔薇』新公とかもよかったんですよね、らいとともども応援しています。
 マリーは、すでにバウヒロインもやっているけどこれが初の新公ヒロインの星空ちゃゃん。さすが場数を踏んでいるだけあって安心安定の、そして歌がやはりとても上手い、おちついたヒロインで、舞台を締めていたと思いました。
 ショパンは鏡星珠くん。誰?という抜擢だったと思いますが、しっかりしていてよかったです。ちょっとキョロちゃんかりんきらっぽく見える顔立ちな気もしました。
 サンドはたおしゅん。一時期起用されたあと出てこないなー、とちょっと心配していたのですが、ビジュアル含めて綺麗にまとめていて、かつ声がもう完全女子でそれもまた色っぽく、これまたとてもよかったです。
 そして本公演ではまどかを観てしまうのであまりきちんと観られていなかったダグー伯爵をらいとがやってくれたので、改めてちゃんと観たのですが、なんかいいお役じゃないですか!(笑)きゅんきゅんしました。らいとは前回の新公主演を経て今度はこういうおじさん役も勉強させてもらえて、いい感じなのではないかと思いました。
 ラプリュナレド伯爵夫人はあわちゃん。こちらもヒロインも経験して舞台度胸たっぷり、リストを呼びつける怒号(笑)の巻き舌も素晴らしく、場をさらっていましたね。
 アデル(美羽愛)が二葉ゆゆちゃん、可愛かった! そしてオランプ(都姫ここ)の愛蘭みこちゃんがもうめっかわでした! てかここ、ロッシーニ(一之瀬航季)の夏希真斗きんともども浮かれた音楽家カップルとしてちょいちょい本公演と違うことをやっていて、でもそのバランスも良くて、とてもよかったです。
 あとは美空真瑠くんのヴァランタンがちゃんとまっすぐ押し出せていたこと、ユゴー(高翔みず希)の南音あきらくんがええ声で落ちついていたこと、アダム・リスト(航琉ひびき)の颯美汐紗くん、フェステティクス伯爵(羽立光来)の青騎司くんやラマルティーヌ(峰果とわ)の遼美来くんもええ声だったこと、が印象的でした。
 愛蘭みこちゃんのバイトチェックが忙しかったことは告白しておきます…いやもう可愛すぎて夢中です!


 ショー・グルーヴは作・演出/稲葉太地。
 まあ宝塚歌劇においての「お洒落」って独特なものがあるので、コレがお洒落帝国なのかどうなのかは議論百出で揉めるところかもしれませんが…作品自体は私はとても楽しく観ました。なんてったってれいまいが踊れてまどかひとこはさらに歌えるので、ショーが単純に楽しい!ってのはありますよね。なんか各場面のコンセプトとか設定とかつながりがよくわからなくてもね…
 しかしらいとだいやはほぼ同じ場面のバックダンサーとして出るので、散らしてほしかったわー。一方観たい娘役は糸ちゃんや深音ちゃん、みこちゃんあわちゃんみさこちゃんあたりでこれまた忙しかったです。ラビリンス、通称「ローマ風呂」場面は色っぽくて良きでしたね-。ロケットのセンターはあわちゃんと星空ちゃん。星空ちゃんはやっと固まった笑顔だけじゃない感じになってきたかもしれません。クラブミスティのまひろんの影みたいな役のふたりもよかったです。だが私はあわちゃんを推す…! てかここのマイティーはホントすごかったです!!
 モーメントの娘役のお衣装の下着感はホントどーにかしてほしかったけど、続くフューチャー場面がほのちゃん以下の下級生たちバリバリ踊りターンで、ホント見応えありました。そうそう愛蘭みこちゃんがプロローグや中詰めやここの鬘を大劇場と東京で変えてきて、はーどっちも好き!と悶えましたねー!!!
 あと今回のフィナーレの群舞、私はかなり好きです。やっぱり燕尾が観たい、という意見があるのもわかるけれど、毎回だとねーというのもあるし、こういうのってホント花組っぽい洒脱さだと思うので。デュエダンもとても素敵だけれど、まあお衣装の色目には目をつぶりましょうかね…
 エトワールはでぃでぃ、ご卒業おめでとうございます。つかさっちもくりすもソロがたくさんあって、餞別としてちょうどいい感じが私はしました。このところちょっと破格すぎでは?な公演が続いていたと思うので…
 東京では研1さんも加わって、また休演代役もあってあちこちちょいちょい変わっていたようなので、そのあたりももっともっと観たかったです。やはり本公演は週8回、45日間の公演に伸ばしてもいいかもしれないぞ、とも思いますね…いつどれくらい中止にせざるをえないかまるで見えないご時勢だからこそ、ね…
 劇団もいろいろ模索中だとは思いますが、引き続き応援していますので、どうぞがんばっていただきたいです。
 月組大劇場公演はなんとか千秋楽が無事やれてよかったです。次は宙ハイローですね、無事に開幕しますように…! 今はただ、祈るのみです。



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こまつ座『頭痛肩こり樋口一葉』

2022年08月15日 | 観劇記/タイトルさ行
 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA、2022年8月12日13時。

 明治23年(1890年)、樋口夏子(貫地谷しほり)19歳のときの盂蘭盆から、明治31年の彼女の母・多喜(増子倭文江)の新盆まで、それぞれの年の盆の16日、夕方から夜にかけて。夏子の次兄の家や借家にて。
 作/井上ひさし、演出/栗山民也、音楽/宇野誠一郎、美術/松井るみ。1984年にこまつ座旗揚げ公演として初演。全2幕。

 2013年にも観ていて、そのときの感想はこちら
 女優6人による、8年の物語。ヒロインと、その母と、妹と、母が乳母として育てた女性と、同じように親戚同然のつきあいを続けている女性と、夏子にしか見えないナゾの?幽霊、の物語です。
 幽霊はともかく、他はみなそれぞれに貧乏で、それは色恋のせいだったり、社会のいろいろなせいだったりで、要するに男性のせいと言ってもいいような、でも彼女たちが苦しんでいるのは貧困だけではなく他にもいろいろな要因があって、それは彼女たち自身のええかっこしいや噂話や足の引っ張り合いなんかもあったりするので、男を糾弾するようなシスターフッドの物語ではない…かな。でも、ちゃんとフェミニズムのお話だとも思います。井上ひさしはもちろん男性だけれども、捨てたもんじゃないわけです。
 ラスト、ひとりになった邦子(瀬戸さおり。声がハキハキ通ってとてもよかったです)が荷物をまとめて旅立っていくわけですが、そこに多喜がかける台詞が、どの口が言うと無責任なような、でも最大限のエールのような、言祝ぎのような…で、もちろん邦子には聞こえていないのだけれど、でもきっと届いていることだろう、と信じて終われる、ほっこりした舞台ではありました。史実はどうか、よく知らないのですが…しっかり者の末娘には幸せであってほしいものです。
 ただ、夏子が訴えた、紙の上で、筆の力で、婦人の宿を…といった女性が生きやすい暮らし、世の中は、まだ実現できていないと言えましょう。その意味でまだまだ道半ばであり、何度も上演される意義がある作品なのでしょう、とも思いました。
 ただ、きっちりできあがっている戯曲なのでそれは生かして、でもキャストをもっと一新して若返らせて、芝居を濃くまた速く元気にして、もっと若い観客に観てもらえるように作ってもいいんじゃないのかな、とは今回、思いました。あまり変わっていないキャストも多いようだし、またこまつ座を観に来るとアラフィフの私でも若輩者ですみませんという気になる毎度の客席の年齢層の高さ、また男性率の高さなのですが、またみんな光の速さで寝るからさあコレが…チケットを買ってるんだからその時間をどう使おうと客の自由かもしれないけれど、なんかあまりにもったいないというか、これじゃ舞台の、作品のためにならないよ、とも思うので…私より二十も三十も若い人が、それこそ夏子と同じ歳のような人たちが観たくなるような作りにがっと変えてもいいんじゃないのかな、とかちょっと感じたのでした。それでもこの作品の良さ、持ち味は簡単には変わらないでしょう。また、こういう作品で救われた気持ちになる今の若い人、というのも多いのではないかと思ったりもするのでした。

 前回観たときタモだったところがたぁたんになって、歌声がとてもまろやかで素敵だったのが印象的でした。まあ私もOGが出るから観に来るようなところがあるミーハーなのだけれど、こまつ座もだいぶ観てきて何周もしてる作品もあるしそろそろ見切っちゃうかもしれないぞと思うと、より若い人に入ってきてほしいと思うのでした。



 
 
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宝塚歌劇雪組『心中・恋の大和路』

2022年08月10日 | 観劇記/タイトルさ行
 シアター・ドラマシティ、2022年7月23日16時。
 日本青年館ホール、8月10日15時(大楽)。

 大坂の飛脚問屋・亀屋の忠兵衛(和希そら)は、大和の新口村より養子に入り、今では当主として差配を振るっている。しかし新町の遊郭・槌屋の梅川(夢白あや)と馴染みになってからというもの、梅川恋しさに槌屋に通い詰め、できることなら梅川を身請けしたいとまで考えるようになっていた。だが遊女の身請け金など、とても一介の商人が用意できる額ではない。だがある日、他の客が梅川の身請け金の手付金を納めてしまったことを知った忠兵衛は…
 原作/近松門左衛門、脚本/菅沼潤、演出/谷正純、作曲・編曲/吉﨑憲治。近松の代表的な世話もの『冥途の飛脚』を原作にしたミュージカル、1979年初演。全2幕。

 本当なら青年館でも観られる予定で、そのあとに感想をまとめるつもりだったのですが、チケットを持っていた回までの中止が発表されましたので、泣く泣く書いております…
 と書いたところ、その後中止期間が延長され、さらにその後東京公演再開と追加公演開催が発表され、でも友会抽選には外れ、でも当てた後輩が誘ってくれて、なんと大楽を観劇することができたのでした。これでバースデーれいまど観劇が吹っ飛んだ悲しさが多少は紛れました…
 全回のえりあゆ版を観たときの感想はこちら。他にOG公演や、汐風幸主演のときも観ています。

 例によっていい感じに細かいところを忘れて観たわけですが、まあもう開演アナウンスがヤバいワケです。そらなのに、そらのめっさええ声なのに、妙にはんなりしている。そのはかなさがもうヤバい、と絶望感を早くも漂わせ始めているのでした。
 そして『心中』といえばラストの雪山の舞台装置が有名かな、印象深いかなと思うのですが、私はこのプロローグ(正確には「第一場 街道」)の怖さがハンパなく思えて、この作品のむしろ白眉だなと感じました。抽象的で、象徴的な場面でもあります。そしてそらの歌はめっさええ声でめっさ上手く、しかしもう幽玄で力がなく、ヤバいワケです…
 あとはもう、どちらかというと単純な筋を追っていくだけの舞台なのですが、もうそのどうにもならない感じがホントしんどい筋立てなのでした。ま、2幕は演劇的にちょっとユーモラスだったり、おもしろいところもありますけれどね。
 しかしそら忠兵衛の幼さというかはんなりゆうるり無頓着な明るさ、弱さ、だらしなさ、頼りなさはちゃんと意味があって、それは夢白ちゃん梅川の幼さ、あどけなさ、いとけなさと綺麗に対応しているのでした。彼らがどんなふうに出会ってどんなふうに恋に落ち、今どんな恋をしているのかはほとんど描かれていません。だから観客にはわからないし、「それこそが本物の恋だよ! 貫けるよう応援するよ!!」みたいな気持ちにも実はなりにくい。その意味でも、ある種、ホントしょーもない話ではあると思います。
 ただ彼らはこのしんどい状況の中で、ただ寄り添い震え、どうすることもできずに抱きしめ合っているだけです。その幼さ、たわいなさは、もっと以前に、あるいは誰かが、周りが、なんとかしてあげられなかったの?とも思うのです。でもそういう部分も特に描かれることもなく、お話はただ転落へ、破滅へ向けてゴロゴロと転がっていく…そういう、恐ろしい舞台です。
 よくよく考えると、忠兵衛は養子だそうで、それは妙閑(千風カレン)が石女だったかはたまたその夫が種なしだったかのせいなんだろうけれど、なので妙閑がなさぬ仲の息子とどうもなじめず、折り合いが悪く、なんならいじめめいた折檻をしていたらしい…というのは、まあわからなくはないし仕方ない気もします。でも家業の跡を継がせるためにもらった子供なんだから、最低限の教育はしなきゃ駄目でしょう。そりゃ仕事自体は、伊兵衛(真那春人)始め優秀な番頭がつつがなくやっていくものだから、主人の役目は体面を保って店に座り、仲間との寄り合いに顔を出し、適当に釣り合う嫁をもらって跡継ぎをこさえることだけなんです。それさえやってくれればあとはどう遊ぼうと崩れようと実はなんとでもなる。なんなら店の金に手をつけてもかまわないわけで、番頭や手代たちに給金が払えなくなろうと店の儲けは主人のもので、自由にしていいっちゃいいのです。
 だが、客の金に手をつけることは許されない。それは店の金ではない、ただの預かり物で、運ぶことを依頼されている物で、他人の財産です。そのことだけは、たとえどんな折檻をして身体に言い聞かせることになろうと、教えておかなくちゃならなかった。それが商人の世界でしょう。
 でも忠兵衛は、グレたとかスネたとかいった悪いヒネ方はしなかった代わりに、何事についてもきちんと深く考えることをしない、ほややんとした若者に育ってしまったのでしょう。親友の八右衛門(凪七瑠海)にも、それはどうしても正せなかった。だから、そら可愛いかもしれないけどなんとなく出会っただけのただの遊女に入れ揚げ、のぼせ上がり、封印切りをしてしまった…それだけの、いたってアタマの悪い話なのでした。情熱が故の、とか真の恋のなんとかの、とかいった人生の真実みたいなことは別になくて、ただ愚かで幼いだけのお話なのでした。
 でも、しただけのことの責任は取らなくてはいけない。それで彼らは大和路を行き、雪山に入る。別にハナから心中を考えていたわけではないのではないかしらん、とは思います。といってなんとかなる、という希望を抱けていたとも思えません。そして具体的に展望についてはほぼ、ない。彼らはただ愚かで幼くて、深くものを考えられないままに行き当たりばったりに逃げていて、それでただ雪路に遭難しただけなのでしょう。永遠の愛がどうとか真実の恋がどうとか、そういうことではないんだと思います。でも、周りの人間はそう歌うしかない。それが、八右衛門や与平(諏訪さき)の絶唱に表れているんだと思います。そういう物語なんだと思います。
 別に泣けないわけではありませんでした。特にゆうちゃんさんが卑怯なまでに上手いので、孫右衛門(汝鳥伶)とのくだりなんかはそりゃ胸に迫ります。でもやはり全体としては愚かしい話だなと思うので、その愚かしさ、幼さをいじらしい、愛しいとも思うんだけれど、うーんなんかもっと違う生き方あったろう、命を大事にせんかい…とかどうしても言いたくなってしまうのでした。
 あとは、歴史的な事実として、いわゆる遊郭なるものが存在したことは確かなんだけれど、それは要するに人身売買、しかも特に若い女性、の場所でありシステムであり、買春の場でありシステムなのであって、そりゃストックホルム症候群ではない色恋もあったかもしれないしなきゃやってらんなかったのかもしれないけれど、でもやはり遊女と間夫の真実の恋とかなんとかいうフィクション、物語をいつまでもいつまでも再現して、アリだとしている場合じゃねーんじゃねーのかなー、とかどうしてもアタマの片隅で考えちゃうんですよね。こうした史実は変えられないし、検証も反省もしていかないといけないんだけれど、令和の世になってもまだ是正がきちんとできていないわけで、そんな中でフィクションとして消費し続けている場合なのか、という気がしてしまうのです。せめてそういう物語はもういっさい扱うのをやめる、だって嘘だから、醜悪な事実を隠蔽するためのただのおためごかしだから…という認識をしっかり持つことにする、そしてどんなに当たりそうでも儲けられそうでも紅涙を絞れそうでももうやらない、と強い覚悟を持つ、みたいなことがそろそろ求められているのではないかしらん…とか思ったのですよ。まして女性の女性による女性のための宝塚歌劇では、なおさら。それか、逆説的に、宝塚歌劇でなら、百歩譲って女性が演じているのでまだ容認できないこともないけれど、外部では、リアル男性が演じるのは、もうつらい、しんどい…となっているのではないかと思います。
 だから、名作かもしれないし財産かもしれないけれど、これを最後の再演とする、としてもいいかもしれませんよ? 実際、このテンポやこの演出、今のホントのヤングな観客にはどう映っているんかいな、とかちょっとヒヤヒヤしたりもしましたしね…いや生徒はホント緊密ないい芝居をしていたと思うんですけれど、でもホントもう、そもそも論として、という話です。買春ダメ絶対、ってちゃんと男性が本気で考えるようになって初めて、過去にこんなことがあってそこにこんな恋物語が咲くことがあってね…というフィクションが成立しうるのではないでしょうか。今、まだ、全然ダメでしょ。買春議員ひとり、自認させられないくらいのゆるさなんだしさ。パパ活ってなんだよ、パパとかおこがましいんだよヒヒオヤジが…

 さてしかしホント生徒に罪はなく、そらはそらホント上手いです。夢白ちゃんも、いい役作りだったと思います。
 一方、艶やかな大輪の花として大門から去るかもん太夫(妃華ゆきの)の押し出しも素晴らしい、さすが雪娘上級生! そしてりなくるが可愛かったので私は満足です。
 抑え役に回ったカチャも素敵でしたし、ラスト絶唱は沁みました。すわっちはちょっとキィキィしゃべっているように私には聞こえたけれど、やはり手堅かったですよね。
 ゆうちゃんさん、まりんさんはさすが。まなはるもホント上手い、二役もよかった。あと一禾くんが専科かな?みたいな出来で見事でした。2幕に娘役ちゃんたちが歌う場面がたくさんあるのもよかったです。

 この作品のカーテンコールは伝統的に主演ふたりがお辞儀して終わり、だけとされていましたが、今回の東京公演3回ではいずれも3回のカテコがあり、そのうちの2回目に全員が整列して、カレンちゃんとそらのご挨拶が入るようになりました。大楽はそのあとスタオベになったので、そらが下手袖から緞帳前に出てきてご挨拶してくれました。そのとき明かしてくれたのは、これが谷先生のご厚意というかご配慮で、こんな状況でもあるし、「みんな好きなだけ顔見せてこい!」みたいになったんだそうです。素敵なことですね。伝統や先例にこだわりすぎない、ありがたい措置だったと思います。ファンも嬉しかったことでしょう…
 また、『カルト・ワイン』での反省を汲んで、収録カメラも入っていたようで、大楽上演中にディレイ配信が発表されました。そのあと、スカステ放送や円盤化もあるのではないかしらん。3番手主演作まで円盤化するようにしたようですしね。
 東京まで収録チームを寄越すことや、ライブ配信、ライブ中継なんかは手間暇や経費に比べて収支は全然見合わないとも聞きますが、ファンの裾野を広げていることは確かだし、がんばって続けていってほしいと思います。舞台は生が一番、なのはもちろんなんだけれど、記録としても映像が残ることは本当に大事なことでしょう。なので『カルト~』が本当になんともなっていないなら、ゼヒとも再演を…でもチャボがいないかもしれないけど、ううぅ…

 次の集合日や、大劇場初日前にはひらめちゃんの後任も発表されて、雪組もまたひとつの時代の移り変わりを経験することになるのかもしれません。疫病の余波はまだまだ続くでしょうが、どうぞなるべくご安全に、健康第一で、その中でみんなが幸せでいられますように…私も自分にできることはしつつ、いつ罹って自宅療養する羽目になってもいいよう喉飴だのゼリーだのスポドリだのを蓄えつつ、日々萌えに悶えて免疫力を上げたいと思っています。みなさまもどうぞお気をつけて、良きお盆をお迎えください。











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