駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『ジャージー・ボーイズ』

2022年10月31日 | 観劇記/タイトルさ行
 日生劇場、2022年10月27日13時。

 ニュージャージーの貧しいイタリア系の若者がどん底の生活から抜け出す道はみっつ。軍隊へ行く、マフィアに入る、スターになる。そんな町で犯罪と隣り合わせの生活を送るトミー(この日は藤岡正明)は、兄と友人ニック(この日は大山真志)とともにバンドを組み、スターとしての成功を夢見ていた。そこに現れたのが弟分のフランキー(この日は中川晃教)。トミーはフランキーの歌に天賦の才能を見出し、彼の「天使の歌声」が成功へのチケットだと確信するが、なかなか日の目を見ない。そこへ加入したのが作曲の才能にあふれるボブ(この日は東啓介)で…
 伝説のヴォーカルグループ「ザ・フォーシーズンズ」のフランキー・ヴァリ、トミー・デヴィード、ボブ・ゴーディオ、ニック・マッシの四人のメンバーそれぞれの視点から辿る、栄光と波乱に満ちた春夏秋冬の物語。
 脚本/マーシャル・ブックマン、リック・エリス、音楽/ボブ・ゴーディオ、詞/ボブ・クルー、翻訳/小田島恒志、訳詞/高橋亜子、演出/藤田俊太郎。2005年ブロードウェイ初演、2016年日本初演。コンサート・ヴァージョンも含めると五度目の日本上演、全2幕。

 20年に帝国劇場で予定されていた三演がコロナ禍でコンサート版での上演となり、やっとミュージカル版で上演できる…となったのが今回だったようですね。かつ、これまでずっとシングルキャストでやってきたフランキー役に花村想太がついに参戦、というトピックスがあって話題だったのかと思います。観たことがなかったので気になっていて、でもいわゆるジュークボックス・ミュージカル(プログラムによればカタログ・ミュージカル)で、ライブみたいでストーリーは薄いよ、アナタには向かないかも、と何人かの知人友人たちから聞かされていました。でもやっぱり気になったので、リセールチケットでチームBLACKを手配して出かけてきました。今回のもう1チームはGREEN、尾上右近と有澤樟太郎、spiだそうです。中川グリーン、花村ブラックみたいな役替わりというかチェンジ回もあったそうですね、おもしろい趣向だと思います。過去のチーム名はレッド、ホワイトなどだったとか。
 セットが三階建てで(美術/松井るみ)、舞台の上下の袖近くにモニターが詰まれていて、盆もよく回って、印象的でした。というか、私はバンド名も歌手名も知らず曲も「Sherry」と「君の瞳に恋してる」しか知らないぐらいでしたが、まったくもって問題なく楽しめました。というかおもしろかった! 別に、ライブみたいで話がないということは全然なかった! キャラもドラマもストーリーもしっかりしていました。もちろんキャストがアンサンブル含めてみんな歌が上手くて芝居が達者だったということもあります。音楽もので歌えない人がやるとか、ホントやめてほしいですからね。そして実話というかある種の史実(というほど昔の話ではなく、ニック以外はみなさんご存命なわけですが)をもとにしているとはいえ、非常によくできた、上手く構成された物語、舞台だと思いました。もちろん本当のところはもっといろいろあったのかもしれないけれど、それはまた別の問題なので、これはこれとして、作品として上出来ならそれでいいのです(あとは当人たちや関係者たちがこれでよしとしているのであれば)。私はワクワク楽しく観ました、ラストは泣きました、フィナーレは気持ちよくスタンディングして手拍子しました。ペンラもけっこう振られていたのでリピーターが多い舞台なのかもしれませんが、ハナからうちわ受けしているとか歌も聞かずに手拍子して盛り上がってうるさいとかはまったくなかった。非常にお行儀のいい客席で、みんながみんな集中して真摯に舞台を見守っていて、新参観客としても居心地がよかったです。次にまたキャストを変えて公演されるならまた行きたい!と思いました。
 こちらなんかでも語っていますが、私は自分に音楽やチームの素養や経験がないこともあって、バンドものやオーケストラものにそれだけで強く惹かれます。もちろんそれだけに出来が悪いものには辛口になりがち、というのもあるかもしれませんが…今回は本当に終始ワクテカでした。
 少年院? 刑務所?? ともあれそんなところを入ったり出たりの転落人生スレスレで生きていたトミーとニックが、「天才」フランキーと出会いやっとバンドの原型を為す、トミーが語る「春」。さらにボブが加わってバンドができあがり、売れ始めていく、ボブが語る「夏」。成功や栄光につきものの(何故つきがちなのか! 何故ちゃんとできないのかは私にははっきり言って謎ですが!!)酒、女、ドラッグ、ギャンブルといったトラブルから始まる不和、それこそバンドに秋風が吹き始める、ニックが語る「秋」。そしてフランキーが語る「冬」は解散と再結成コンサートと死別のエピソード…実によくできていると思いました。逆に、こんなに「物語」に定番なドラマチックな事実があっていいのか、と思えるくらいです。
 真に才能があるのは「天使の歌声」の持ち主フランキーと、全作曲を手がけたボブ、というのはわかります。でもバンドってそれだけじゃ絶対にダメなんですよね、バンドのリーダーはトミーだ、というのはすごくよくわかります。彼がやりたくて仲間を集めて始めたんだし、音楽的なことはもしかしたら平均的であっても、プロデュース力やマネージメント力があるタイプ、要するに人間力あふれるタイプで、猿山のボスだろうとボスはボスなんです。パワーと情熱と求心力がある。一方で、そういうマッチョな男ほどもろく、空威張りしがちがある、というのもまたすごくよくわかる。そこにこれまたニックみたいな、無口な、温和な、オトナな、みんなに慕われ頼られる縁の下の力持ちタイプの第四の男が必要だ、っていうのもものすごくよくわかる。だからこの四人だったのでしょう、そういうのを全部まるっと含めてバンドという生命体なんですよね。
 でも、そのニックがトミーにキレる。それもまたすごくよくわかります。そして亀裂が入り、やがて崩壊する…使えないほど稼いでいても常に足りなくなるのがお金、そして揉めごとの争点になるのもまた常にお金だったりもします。そして家族、そして健康、そして人生…音楽より、バンドより、大事かもしれないものはこの世には実はたくさんあるのでした…
 そんな普遍的な事実を、感傷的になりすぎずに、しかしとても絶妙に魅せてくれる、素敵な作品だったと思いました。
 女性陣もまた素晴らしい、役も中の人も。男性陣も何役もこなして、スイング含めて立派でした。メイン四人はみんな何かの舞台で観たことがある人で、私は今回それで選んだわけですが、お初も多いグリーンも観てみたかったです。見比べていたらまたいろんな発見があったんだろうなあ。そういうのもこういう舞台の醍醐味ですよね。
 このあと新歌舞伎座、博多座、大楽は横須賀までのツアー、ゼヒ事故なく無事の完走をお祈りしています!
 









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宝塚歌劇花組『フィレンツェに燃える/Fashionable Empire』

2022年10月30日 | 観劇記/タイトルは行
 梅田芸術劇場、2022年10月15日16時半。
 神奈川県民ホール、2022年10月23日15時半。

 フランス革命に端を発する激動の余波がヨーロッパ中に広がり、イタリアで国家統一運動の気運が高まり始めていた頃。フィレンツェの貴族、バルタザール侯爵家の長男アントニオ(柚香光)は常に家のことを第一に考える、品行方正な青年だった。対照的に次男のレオナルド(水美舞斗)は自由奔放な熱血漢で、巷の人々とのつきあいを通じて国家統一運動への関心を抱くようになり、父(高翔みず希)の不興を買っていた。正反対のふたりだったが、強い兄弟愛で結ばれていた。ある日、侯爵家の遠縁にあたる亡きクレメンティーナ公爵の妻パメラ(星風まどか)が、侯爵に招かれてフィレンツェにやってくる。元は酒場の歌姫で、親子ほど歳の離れた公爵の四度目の妻となって貴族の列に加わったパメラに、フィレンツェの貴族たちは冷ややかな視線を注ぐが…
 作/柴田侑宏、演出/大野拓史、作曲・編曲/寺田瀧雄、作曲・編曲・録音指揮/吉田優子。1975年に雪組で上演されたミュージカル・ロマンスの47年ぶりの再演。

 確か演目が発表されたとき、初演を名作として紹介するネット記事が出回って、初期といえど柴田作品だし、ずいぶんと間を開けた再演となるけれど単純に楽しみ、と私は期待が高まったんですよね。
 そのわりには初日に聞こえてくる感想が「………」みたいなものが多く、どういうことかいな…と梅芸に出かけました。プログラムで大野先生がやたら若書きだのカッコつけだのと言い訳をしている様子なのも気になりましたが、実際に観てみたら確かに「………」でしたね。別に話がわからないとかはないし、こういうキャラこういうドラマこういうストーリーを描きたいのだろう、というのは十全にわかる、しかしいつおもしろくなるのかなーと思いつつ静かな舞台を眺めているうちに特に盛り上がることもなく終わってしまったのだった…という感じでした。そらフィレンツェに風が吹く、と言われてしまうのもむべなるかな…でした。この客席の空気は、舞台上で実際に演じている生徒たちにも伝わっちゃうと思うんですよねー…それがつらい。決して生徒のせいではないだけに、つらいなと思いました。
 ただ、横浜で二度目に観たときには、こちらがある程度補完して観るというのもありますし、生徒もさらに熱を入れて脚本に描かれていない部分も演技で埋めようとしているのがわかって、けっこうおもしろく観てしまいました。それでもやはり脚本、演出がもっとちゃんとしないと、出演者にできることには限りがあるので、もうちょっとなんとかしてほしかった…というのが正直なところです。
 上演台本と実況音源、譜面、断片的な映像しか残っていなかった作品だそうですが、誰かの記憶に傑作として残っていて再演企画が持ち上がったということでしょうか。それか、今の座組に合うと判断されたとか? 初演の記憶を語る猛者もタイムラインには現れたので微妙なところではありますが、でもただまんまやるのではなく、もっと換骨奪胎して手を入れて、ほぼがっつり作り直しちゃってもよかったのではないか、と個人的には思います。それでも柴田先生が描きたかったロマンは十分に残り、かつより深く伝わったろうと思うのです。ちなみに台詞にはあまり感心しなくて、馥郁たる言葉や言い回しは全然ないな、言葉足らずでわかりにくくまどろっこしいばかりだなと感じました。なのでそこも、残すも残さないもなく書き足し書き換えちゃえばいいのに、と思いました。それでも残るキャラクターや人間関係のドラマ、作品が持つロマン、香気は大野先生の手腕なら出せたろうと思えたからです。何より、これがのちによりブラッシュアップされてたとえば『琥珀色の雨にぬれて』になったのだな、などと思わせられる、柴田先生特有の個性がそもそもちゃんとある作品でした。
 ただ、いくら宝塚歌劇の主人公は白い好青年で真ん中にただ美しく佇むだけでしどころがないことになりがち、とはいえ、アントニオをもうちょっと活躍させるなりなんなりさせないとあまりにあまりだろう、とは思いましたし、おそらくストーリーのクライマックスであろう決闘のくんだりに主人公が不参加ってどーいうことなの、とはマジでつっこみたいです。しかも私は初見はこのくだり、あちこち視線がチラついたせいもあるかもしれませんがどこから誰の銃が何故出てきたのかさっぱりわからず、パメラに何が起きたのかもさっぱりわからなかったので、本当に呆然としてしまいました。そんなんじゃ、ダメじゃん…あと、これはのちの作品で改善されたということなのでいいとは思いますが、パメラが死ぬ必要はまったくないので、ヒロインを死なせることで悲劇を作るというしょーもない真似を柴田先生といえど若いころにはやらかしていたんだな、ということがよくわかって勉強になったのはよかったですが、これも現代の今上演するなら、大野先生が変えちゃってもよかったと思うんですよね、どうせ柴田先生にはバレないんだからさ。
 そのあたりが痛恨だったかなーとは思います。あとは組の123はおろか4番手まで出る全国ツアー公演なので完全に役不足になっちゃってますが、そこはもう目をつぶるしかないのかな、と思います。星空ちゃんアゲアゲ演目としてはアリなんでしょう。キキ嫁に来たりするのかなー…私はあいかわらずダメなので、先にまどかがやめたりそのあとマイティと組んだりされると真ん中を観なくなっちゃうなーとか思ったりしています、すみません。しかしアンジェラ(星空美咲)はもちろん難しいけれどとてもいいお役だと思いますが、まだ足りてない感じがしたんだよなー…このあとの確変に期待します。

 というわけで、れいちゃんアントニオはお髭で驚きましたが、これは単にご本人が目先を変えたくてやってみた、というだけなんでしょうか。親世代に対して自分や弟のレオナルドの若さに言及する台詞があったので、髭だしおちついて見えるキャラだけれど年齢設定としてはそう上なわけではない、というお役なのかなあ? そのあたりの情報量がまったくない脚本なので、これは単純に不備だと思います。観客に優しくなく、不親切すぎました。
 ただ、冷静沈着で物静かな紳士で周りからの信頼は篤い、という人柄なのだ、ということはれいちゃんの演技から確かに伝わってきたので、それはよかったと思います。そんな彼が、いわゆる騎士道精神からパメラをかばい、手を差し伸べた。しかしそれが思いもよらぬ本気の恋に発展してしまい…というドラマなんだと思うのです、この物語は。が、そのあたりも実は脚本の説明が全然足りていなくて、伝わりきっていない感じで、私は観ていて何度も歯噛みしました。れいちゃんのお芝居自体は素敵だっただけに、悔しいです。
 パメラは、兄弟の母の兄の四度目の妻、にあたります。この伯父はどうも器量好み、もっと言えば若い女好きの困ったおっさんだったようですね。それで、爵位も財力もありながら次々と女房を取り替えて(離婚はできなかった社会の話かなと思うので、次々死なれたということでしょうしそれは気の毒ではあるのですが、決していい夫ではなかったろうし、妻たちには心労で身体を傷めた部分も多かったのではあるまいか…)、四度目にいたっては貴族でもない、娼婦まがいの馴染みの酒場の歌手を落籍させて…みたいな妻で、そして今度は自分が死んだわけです。パメラより四十も歳上だったというし、荒淫による老衰だったのかもしれませんが、その後話に出てくるように、確かにパメラが悪い薬でも何か飲ませた、というのはあるのかもしれません。
 今回の夜会には、未亡人として引きこもっていたパメラを兄弟の父が久々に華やかな席に引っ張り出したことになっていますが、では兄弟の母ないしパメラの夫の生前は、親交はあったのでしょうか? なかったのならそれは何故? それとも兄弟はこの夜会でパメラと初めて顔を合わせたのでしょうか? あるいは夜会に出席するために彼女がこの家を訪ねてきたときが初めて? そのあたりの説明がまったくないのも良くないと思いました。私は初見時、いわくありげに見つめ合うアントニオとパメラを観て、おや元カレカノ設定か?と思ったのですが、のちにでも何が正解かの解説がないので混乱しました。単に強く印象づけられた、というだけのシーンのつもりだったのなら、あとででもそう台詞で言わせてくれないとこちらにはその演出意図、演技意図がわかりません。
 また、わざわざ夜会に招いた侯爵の真意もよくわかりませんでした。この人は次男にイカイカしている以外は貴族の好々爺という感じなので、別に意地悪な意図はなくただ善意で、パメラの気晴らしのためにやったのかなとも思いましたが、その後彼女に対してなんのフォローも特にしません。社交界に集うフィレンツェ貴族たちの冷たい視線が彼女に注がれるだろうことが想像できないくらい、お馬鹿さんということなんでしょうか? それともそろそろ妻の実家から出ていけ、本来の階級に帰れ、身の程を知れと遠回しに言いたくてわざわざ呼び出したの? だからレオナルドが彼女をからかうのも放置したの? それをアントニオが救ったということなの? そのあたりの説明も欲しいところです。
 パメラは賢い人なので、周りのウケは悪かろうと覚悟はしつつ、侯爵の好意にも応えねばなるまいと感じてわざわざ出向いてきたんだと思いますが、覚悟はしていてもカチンと来るものは来るし売られた喧嘩は買う性格なのでしょうから、レオナルドの挑発に乗ってみせます。スカートをたくし上げて流行りの戯れ歌を披露し、招待客の男性たちを翻弄し、女性たちの眉をひそめさせてみせる。まどかにゃんはこういう、いわゆるアクの強い女の役ができる娘役にすっかり成長しおおせ、まさに仕上がりきった大輪の華となりました。でもこの歌の色っぽさ、下品さは中途半端だし、ちょっと長くてタルい。『ベアベア』で水乃ちゃんがやってみせたくらいの「やってられっかよ」感があってもよかった、それくらいの方がわかりやすかったかもなと思うと、その演出の不備にまたイライラさせられました。
 あとは、もちろんパメラと公爵とは利害が一致しただけの夫婦で愛なんかなかったのはわかるしいいのですが、実際にはパメラは何故この結婚を承諾したのかとか、どんな結婚生活だったのかとか、死別したあと彼女自身はこの先どうしようと考えていたのか、みたいな情報がまた全然ないのが良くないと思いました。歌が好きで上手くてそれで満足していたのか、それでも貧困がつらくて抜け出したかったのか、結婚してからは歌う機会などなかったろうけどそれをどう考えていたのか、このあとは遺産で悠々自適だけれど心は死んだように生きていくつもりだったのか、それとも元いた店を買い取り経営するプランでもあったのか…パメラの人となりに直結する要素だと思うので、もっといろいろ書き込んでほしかったです。
 夜会のあと、兄弟が語ってイタリア統一運動の話が出たり、まのくんが妙にいいお役で登場したりして話が広がってちょっとおもしろいんですけど、ここではキョンちゃんの年寄り芝居の意外なまでのできなさっぷりがおもしろすぎました。ここらへんを任せられる上級生がバウに行っちゃってるんですねー…そして家政婦長みたいなマリア(凛乃しづか)にも私はあまり感心しませんでした。芝居の人じゃないんだなー、びっくり…
 マイティは、兄ラブな熱い男、なんて今さらな役どころかと思いますが、テレもせず斜に構えたりもせずきっちり演じていてさすが、と思いました。
 しかしアントニオとパメラが本気で恋し合っちゃうところも、ちょーっと弱いですよねー…これだけだと「え、もう?」って感じがしちゃったんだよなー。もっと言葉を足すか、エピソードを重ねるか、ドラマチックな演出つけるかしないと、いくらこのふたりがトップコンビで主役なんだからそら恋に落ちますよ、ってわかっていてもトートツでイージーに感じました。もっと、今までの誰とも違う、やっと本当の貴方に触れた、本当の私に触れてくれた…みたいなのをお互いに思っていることを盛り上げて見せてくれないと、ラブロマンスを観るつもりで来ている観客でもまだ盛り上がりきれないなー、と感じました。残念ですよ大野先生!
 さて、モテる女の悲しさで、パメラを付け狙っている第三の男・オテロ(永久輝せあ)が登場しますが、このあたりの展開、話の広げ方は本当に上手い、さすが柴田先生!と思うのでした。そしてひとこのこの小物感、小悪党っぷりはイイし、けっこう美味しい役だなとも思いましたね。まあソロは足してもよかったろうとは思いましたけどねー。おそらくは酒場時代の客で、何度か寝たこともあるのかもしれませんが恋仲とは言いきれない、パメラにしたら別れて数年経ったら顔も忘れるような男ってことです。でも男の側は奇妙に執着している、たまらん! ひとこがまた楽しそうにやっていていいなと思いました。あと顔がイイ(笑)。
 それと柴田ロマンあるあるの役まわりのマチルド(咲乃深音)がまた絶妙によくて、これまた美味しい目立つ役で、みょんちゃんがこういうところをやらせてもらえるのって別箱ならではだと思うので、ファンの私はもう小躍りでした。てか本公演でもぼちぼちこういう役が回ってくるかなー、花組も上級生がどんどんいなくなっているからなー…
 本人にきちんという前に弟に言っちゃうアントニオってどーなの、って気がしますが、ともあれ本気になったとなるとすぐ結婚!ってなっちゃうのがいかにもアントニオで、それを聞かされたレオナルドはパメラの良さを全然わかってなくて、彼は彼女を財産目当てで結婚したド平民の性悪女、みたいに思っているから、敬愛する兄さんを魔の手から救わなきゃ!あの女の化けの皮を剥いでやる、ついては俺がコナかければ乗ってくるだろう、それで兄さんにあの女の正体を見せつけ結婚をあきらめさせるんだ!となるわけですが、ここの台詞がちょっと良くなくて、レオナルドもパメラにすでに気があるみたいに取れないこともないのがとても良くないです。
 一方、シュザンテ伯爵家。一瞬無駄遣いに見えたミトさんですが、実はこういう貴族の女性、かつ母親役をちょうどいい塩梅でやるのが抜群に上手くて本当に感心しましたよね…ところでアンジェラはアントニオの幼なじみとされていますが、レオナルドとはそう親しくないということなのでしょうか? しかし歳はむしろレオナルドの方と近いのでは? それは星空ちゃんだとそう見えるというだけ? というか年齢設定の話も本当は台詞で出してほしいんですよね、アントニオはいくつでレオナルドとはいくつ違いなのか、パメラはアントニオより歳上なのか実はそうでもないのか、アンジェラやレナート(聖乃あすか)はいくつなのか、知りたいです。今と感覚が違うとしても、年齢は重要なキャラクターの要素だと思うのです。
 ともあれここは実は単なるほっこり場面ではなく、長女ルチア(春妃うらら)のおっとり具合も三女セレーナ(愛蘭みこ)のおしゃま具合もとても滋味深く、アンジェラの許嫁のはずがどうにも扱いが邪険にされがちなレナート、というのがまた後ほど効いてくるので本当に上手い。そして確かに今まで単なる幼なじみで、異性としてはおもしろみのない人としか思えなかった相手が、別の人を愛したと聞いて急に足下に火が点いたようになる感じ、すごくわかる!となるのですよ…こういう心理、こういう状況、こういう人間を描く力が柴田先生にはある、だから私はファンなのでした。
 本当なら、パメラはもっと別格娘役がやる役みたいにしてアンジェラをヒロインに仕立ててもいいくらいなんですよね。観客の大多数はアンジェラの方が感情移入しやすいというか、少なくともそのポジションの在り方が親近感を感じやすいと思うので。そういう意味で大きな、いいお役だと思いましたし、星空ちゃんはきっちり務めていると思いましたが、まだあっぷあっぷして見えたかな…なんで劇団はこんなに急ぐのかな……
 さて、レオナルドがパメラに迫り、パメラは彼の真意を察して、そして愛するアントニオの将来の邪魔に自分がなることに思い至って身を引こうと決心し、だからレオナルドに応じる振りをする。そこで初めてレオナルドは、パメラの賢さや優しさ、アントニオへの愛を知り、本気になってしまう。そしてふたりの姿を見たアントニオは、パメラの嘘の愛想尽かしを真に受けて、絶望する…もう、もう、もう…! なんて上手い展開なんだ! しかしここも今ひとつわかりづらいんだ、もったいないよー…!!
 そしてカーニバル。初見は単調すぎてどうしようかと思いましたが、ここも意外に意味があるので単なるあるあるのお祭り場面と思う勿れ、という感じです。ただ懐かしいお衣装がわらわら出てくるのには気が散りました(笑)。あと、やはりここは盆と、もっと大人数が欲しかったよね…でも三昼夜のお祭り騒ぎの中で、お祭り見物をするアンジェラとその同伴を務めるアントニオの心の動きが繊細に描き出され、パメラやレオナルドと交錯する流れ、さらにパメラを追い兄弟をつけ狙うオテロの手がビットリオ(愛乃一真)やロベルト(侑輝大弥)に伸びて…というのもおもしろく、実によくできていました。
 そして決闘…オテロの死体が長々舞台に残るのは、盆などがないので回収できないから仕方ないのか、はたまた『ノバ・ボサ・ノバ』のような効果を狙ったものなのか…うぅーむ。そして確かにここに主人公は関わりようがないのだけれど、それで本当にいいのか、物語の構造の問題としてはなはだ疑問に感じるのでした。
 パメラの死に責任を感じていることもあって、レオナルドは家を出ると言い、アントニオや父親、マリア、カルロ(航琉ひびき)たちと別れの盃を交わす…いいシーンだし、初演はやはりこの兄弟のダブルトップ感みたいなものがもっと強かったのかなとも思うのですが、ここをクライマックスとするのはやはりちょっとつらいし、パンチに欠けましたよね…最後はプロローグのリプライズで幕。
 この主題歌「愛のエレジー」は、確かにいい曲だなと思いました。でもそもそもタイトルは『フィレンツェに燃ゆ』がよかったよね、まああまり燃え上がっていない話だけどね…むしろ埋み火の物語、そんな渋さがありました。私は嫌いじゃない。しかしたとえばくーみんが『エルベ』を潤色したように、いつかまたもっと違う形で観られないのであれば、残念ながらこれでもう封印で…という作品でもあるかな、と思いました。
 そうそう、目立つんでバイトが苦しいほのかちゃんがちゃっかり小うららちゃんとくっついていたの、ホントよかったと思いました。みこちゃんも可愛かったので私は満足です。しーちゃんやカガリリはちょっともったいなかったかもしれませんね、残念…


 ショー グルーヴは作・演出/稲葉太地。
 本公演の感想はこちら
 退団者とまひろん、はなこ、らいとが抜けたくらいでは代わり映えがしないよな…と思っていましたが、なんとさすが我らのまどかが全場鬘を変えてきて、どれも可愛いので最高にアガりましたありがとう!! そしてくりすのところは主に湖春ひめ花ちゃんがガンガン歌っていてとても良きでした。みこちゃんもラビリンスだのミスティだの場面が増えて目が忙しかった! ミスティのまひろんのところはだいや、凜々しい肩と背中でよかったです(笑)。あとはモーメント始めみくりんがバリバリ踊っていて、とってもよかったです!
 フィナーレは紫コートバサバサ場面(オイ)にまどかも加わって、とてもイイ! エトワールはみょんちゃん、これまためでたい。だいやもセンター降りさせてもらっていました。装置などかなり簡素になっていて、寂しいは寂しかったですが、やはり楽しいショーでした。
 今回は長野、仙台、名古屋へ回る全国ツアー、どうぞ最後までご安全に!


コメント (2)
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藤咲えり『All by myself』

2022年10月24日 | 観劇記/タイトルあ行
 E.S.Arrow、2022年10月22日14時。

 元宝塚歌劇団宙組娘役91期生の卒業10周年記念ライブ。編曲・構成/竹内一宏。

 茶屋町アプローズの地下にあるライブレストランで、何度か居抜きで店名が変わっているようですが、スカステの音楽番組の収録に使われたり、OGのライブに使われたりしていたのでずっと気になっていました。ゲスト/澄輝さやとということで出向いてきましたが、やっと行けてよかったです。まあまあギュウギュウで6、70人くらい入っていたかな? ステージもいい感じの、素敵なお店でした。
 バンドのベーシストさんが編曲や音楽監督めいたことはしてくれていたようでしたが、基本的にはえりぃのセルフプロデュース公演とのことで、センスいいなー!と感心しました。そして現役時代から好きだったけどあいからわず美声で高音も低音もよく出てまろやかで、体型も変わらずスッキリ美しく、目も耳も脳も幸せでした。もうちょっと長く在団していたらもっと歌手起用もされていただろう、と思うのだけれど、あのときが彼女の旅立ちの決意の時だったのだろうし、今もこうして芸能のお仕事は続けてくれているわけで、ファンは嬉しいよなと思ったりしたのでした。

 開演ベルが『ベルばら』のリンゴ~ンと鳴るあのSEで、ヤバい小公子が来たらどうしよう、とか思いましたが、Act1のえりぃはシンプルな黒のドレスにアップスタイルの髪型で、ライブを終えてお疲れ気味の歌手が馴染みのバーを訪れて馴染みのバーテンダーを相手に昔語りをする…といった設定で展開されました。なのであっきーは声のみの出演。でも男役声でバーテンダーの台詞が聞こえてくるところから始まるものだから、心臓飛び上がりましたよね…!
 子供のころによく聞いた、という形で、名前にも通じる「いとしのエリー」をスキャットふうに歌い、初めて宝塚歌劇を観た『浅茅が宿』から「ふるさとの歌」を歌い、初舞台の『エンター・ザ・レビュー』で袖から聞いていたという「我が心のアランフェス」を歌い…ちょいちょいいい合いの手トークを入れるバーテンダーの台詞と芝居がまたこそばゆい(笑)。でも来し方を語り行く末を改めて見つめ始めた女性は「Smile」「明日への手紙」を歌い、ちょっと元気になってバーを去る…そんなお芝居仕立ての30分に満たないくらいの一幕で休憩に突入。なんてお洒落!と感服しました。
 Act2は照明によってはピンクにも見える白かクリーム色のレーシーなドレスに髪も下ろして登場、ディズニープリンセスキター!な『リトルマーメイド』の「パート・オブ・ユア・ワールド」からスタート。バンドの泡音も絶好調でした。そして最近ハマっているという中島みゆきの「ファイト!」。どういう選曲理由かはくわしく語られませんでしたが、日々をちゃんと生きて、今の世相その他に腹立たしいことがあるのだろうか…と思うと、その地に足ついた常識人っぷり、生活者の視線を頼もしく感じたりもしました。そして地声で歌うのも上手いんだこれがまた!
 そこからはゲストのあっきーが黒スーツにボルドーのブラウス、ちょっとウェービーな長い髪をうなじで金のヘアアクセでひとつまとめにして、ちょっと『オーシャンズ11』フランク・カットンふうの男役スタイルで登場。まずは最近また再演が発表されて思い出が疼いたところだった『バレンシアの熱い花』より「瞳の中の宝石」。もちろんロドリーゴ・バージョンで、ロドリーゴにだけあるパートのソロから…! 瞬時にあのグレーの燕尾やフリルのブラウス姿が蘇りましたよね。というかあの全ツ初日、この会場の真上の梅芸で、あまりの麗しき貴公子っぷりに爆泣きしたよね私…あのときのシルヴィアはららたんでしたが、えりぃはタニ主演の大劇場公演時に新公シルヴィアだったんですよね(そしてあっきーは新公ではその弟のマルコス役だった…)。時空を越えた共演、沁みました…!
 しかしトークとなるとなんかテレテレなのはおもしろかったです。芝居でもショーでもあまり組んだことがなくて…ということでしたが、男役と娘役は役付きのスピードが違うので、下級生時代だと同期で組むことはなかなかナイですよね。事実、えりぃはまゆたんと組んで踊るときに(名前は出さず「仮にMさんとします」としていましたが(笑))まゆたんについていたあっきーがタイミングの取り方や癖など完コピで練習相手になってくれて、おかげさまでカンペキだった、というエピソードを披露してくれましたが、そもありなんって感じでした…あとはこんなに細いのにリフトが上手くて信頼できるとかいろいろ持ち上げてくれるかと思えば、ゲスト打診をしたら「イヤイヤ私なんかでいいんでしょうか」とすごくネガティブな反応で…みたいなことも笑って暴露してくれて(笑)、トークの戦力にはまったくなっていないゲストを立てつつ話を楽しく回すえりぃがホント輝いて見えました。ちょいちょい関西イントネーションにもなっていたけれど、あっきーはよそ向き仕様になっているのか全然引っ張られていませんでしたね。
 音校時代は数少ない寮外生として一緒に宝塚南口駅から登校していて、でも登下校中の私語厳禁だから誰かが遅刻して現れなかったりしたときのアイコンタクト技術が発達した、とかの話もおもしろかったです。あとは研3のときの余興の幹事でヤンキーというか不良のコンセプト?で揃えて、あっきーは特攻服にバッテンつけたマスク姿だったとか…ところで組宴会や余興もコロナ禍の今、失われて久しい文化なのかしらん? 心配だわ…
 続いて『カサブランカ』より「過去は聞かない」。これはあっきーはスカステの音楽番組で歌っていたし、えりぃも新公イルザだったから、ということであっきーがセレクトしたそうですが、新公ではこのデュエットは丸々カットだったそうで、えりぃとしては懐かしかったわけではないけれど十数年越しにチャレンジできて楽しかったそうです、よかよか。ちゃんと青いスーツのリックと赤いドレスのイルザが見えましたよ!
 そしてえりぃのお着替えタイムを捻出するために、なんとあっきーがソロを2曲もいただきましたえりぃファンの方々申し訳ございませんありがとうございました。最初はなんとお初の「朝日の昇る前に」…! まっすぐ歌っていても白スーツの後ろ姿が見えた気がしましたが、のちにお見送りのときにファンからもらったアドバイスを参考に、夜の回では背中を見せてから振り返って…という振りに変えたんだそうです。天才! ギャツビーはそうでなくっちゃね! 何故選んだのか、瀬奈版のファンだったのか、月城版は観たのかなども語れたらなおよかったと思うぞファンは基本的にまずヅカオタなんだから喜んだと思うぞトークがんばろうネ!
 続いてお茶会などでも聞いた「ブルースレクイエム」。『ボニー&クライド』の、と紹介していたけど『凍てついた明日』だからあきちゃん! でも今度新作海外ミュージカルが上演されるネ楽しみだネ! 先日そらもトウコさんと歌っていましたが、やはり名曲ですね…! しみじみ。
 そしてデコルテも肩も出した紺のドレスに着替えたえりぃが再登場して、ふたりで『モーツァルト!』より「愛していれば分かり合える」! 好きー!! ハモリも美しく、浸りました…! 大好きなデュエット曲をこのふたりで聴けて、本当に至福でした。
 あっきー退場後は最近ハマっているというボサノバから「イパネマの娘」、そして自分の声で録音したコーラスに重ねて歌う「アヴェマリア」、ラストは坂本九の「心の鐘」でした。
 アンコールには再びあっきーも呼んでもらえて、送り出し音楽は「さよなら皆様」で(笑)、お見送りもあって、お茶会とかこういうトーク・ライブみたいなイベントってホントいいよねまたやってー現役もー!と心底から思いました。
 お見送りのときには「次は! 是非! ソロライブを!」と熱く要望をお伝えしておきましたが、例によって苦虫くんな困り眉でとんでもないと手をブンブン横に振っていました…どうしてこの人ってこう…(ToT)
 まあでも久々に生で拝見して、やっぱり好きな顔と声と姿と歌と芝居心の人だ!と思ったので、気長に応援し続け見守り続け、またお手紙など書きたいと思いました。ホント『刀剣』なんぞに出ようとは、ほぼほぼ奇跡なのでは…!? でもせめて自身の卒業10周年にはなんかイベントしよう?と熱く願うことはやめられないのでした。
 客席は会友の同窓会状態で、夜の回もハシゴするお友達たちと大休憩(笑)にHUBでプチ打ち上げもできて、楽しかったです。やはり入り出で並んでしゃがんだ仲は未だに熱いよ…! やはりこういう機会がときどきは欲しいものです。
 えりぃ、ありがとう! また聴きに行きたいです!!








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新国立劇場バレエ団『ジゼル』

2022年10月23日 | 観劇記/タイトルさ行

 新国立劇場オペラパレス、2022年10月21日19時(初日)。

 中世ドイツの村、ブドウ収穫の最終日。村人たちは午後から始まる収穫祭を楽しみにしている。公国の王子であるアルブレヒト(この日は奥村康祐)は親友ウィルフリード(この日は清水裕三郎)の助けを借りて隣村の村人に変装し、内気で美しい村娘ジゼル(この日は小野絢子)を口説いている。ジゼルは彼の本当の身分を知らない。森に住むヒラリオン(この日は福田圭吾)も密かにジゼルに恋をしていて、彼女が謎めいたよそ者に好意を寄せる様子を目の当たりにし、世間知らずのジゼルに忠告するが、彼女は耳を貸そうとしない。ブドウ園を営むジゼルの母ベルタ(この日は楠本郁子)は、心臓が悪く身体が弱い娘を心配してアルブレヒトとの交際も認めない。信心深いベルタは、恋人に裏切られて亡くなった乙女たちの霊が墓地に来た若い男を息絶えるまで踊らせるという怪談のような言い伝えを信じていて…
 振付/ジャン・コラリ、ジュール・ペロー、マリウス・プテイパ、演出/吉田都、改訂振付/アラスター・マリオット、音楽/アドルフ・アダン、美術・衣裳/ディック・バード。1841年バリ・オペラ座初演。新制作。全2幕。

 東京バレエ団では何度か観ていて、こちらこちらなど。
 前回は退屈したような私の感想ですが、今回はとてもおもしろく観ました。
 まずセットが鮮やかで、秋の森が舞台奥に広がって奥行きを感じられるのが素晴らしく、群舞もとてもまとまっていて、ソリストたちはさりげなく見えるけれどものすごいテクニックをバンバン披露してくれて、そして主役カップルはとても演劇的な、芝居心あるバレエを踊ってくれて、まるで台詞が聞こえるような、ストーリー展開がとてもわかりやすい舞台をみせてくれました。まあ、そもそもそんなに難しい話ではない、というのもありますが…
 2幕もけぶる月夜にスモークと幻想的な照明が美しく、一糸乱れず超絶バランスを見せるコール・ドが素晴らしく、ミルタ(この日は寺田亜沙子)は前半はちょっと棒に思えたのですが、むしろ無機的に踊ろうとしていたのかなと思えたのが、ジゼルがアルブレヒトをかばって立ちふさがったときに、自身の愛の記憶が蘇ったことに打ちのめされたかのようにへたへたとくずおれたからでした。
 静かで拍手すら憚れるような繊細な音楽のなかで、怖ろしいほどのテクニックを繰り出し、かつせつない恋心を踊ってみせる主役ふたりが本当に素敵でした。アルブレヒトは、1幕はやはり遊び半分のところはあって、だからクールランド公爵(夏山周久)や婚約者バチルド(この日は益田裕子)が現れるとわりとあっさり観念して自分の本来のポジションに収まるわけですが、そこからのジゼルの狂乱っぷりと死に、なんてことをしてしまったんだと打ちのめされるわけです。そして深い悔恨を胸に墓参に訪れる。そこで出会うジゼルの幻というか愛の記憶というか恋の妄執というかはたまた悪鬼亡霊というか…と、もう一度恋をする。けれどもうどうにもならない、彼女はどうかするともう触れることすらできなくなる存在でしかない。ジゼルはミルタの呪いをはねのけてアルブレヒトの命を救ってくれる、けれど朝の光が差し始め、彼女は自らの墓に戻っていく…
 この朝焼けが美しかったので、私はアルブレヒトは花束を墓に捧げて、朝日の方へうなだれてしょんぼり立ち去っていくような形にするといいのではないかな、と思いました。彼は彼女に救われた命を生きなければならない、それがどんなにつらいことでも。意に沿わぬ相手と結婚し国を治める者として空虚な人生を送らざるをえないのだとしても、それこそが償いでもあるのだから。でも、舞台は彼が墓の前で泣き濡れ倒れ伏して終わったので、せっかくジゼルが救ったのに後追いで死んでしまったようにも見えて、それじゃ2幕のことは全部不毛になっちゃうじゃん、とちょっと感じてしまったんですよね。なのでそこだけが不満でした。
 でもあとはシンプルながらも緊密で美しい舞台を堪能しました。短いし、ビギナー向けの演目でもありますよね。
 そうそう、チュチュが、材質の関係なのかなんなのか、静電気ではないと思うんだけれどいい感じに払う腕にまとわりついてくたくたと漂い、すごく効果を上げていると思いました。ウィリたちにはまとう霊気のようでもあり、ジゼルには恋や情念のオーラのように見えて、素敵でした。
 他の主役カップルだとまた違った味わいがあるんでしょうね、次はそういう見比べ方もしてみたいなと思いました。









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『レオポルトシュタット』

2022年10月21日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 新国立劇場、2022年10月20日18時半。

 20世紀初頭のウィーン。レオポルトシュタットは古くて過密なユダヤ人居住区だった。一方で、キリスト教に改宗し、カトリック信者の妻(音月桂)を持つヘルマン・メルツ(浜中文一)はそこから一歩抜け出していた。街の瀟洒な地区に居を構えるメルツ家に集まった一族は、クリスマスツリーを飾りつけ、過越の祭りを祝う。ユダヤ人とカトリックが同じテーブルを囲み、実業家と学者が語らうメルツ家は、ヘルマンがユダヤ人ながらも手に入れた成功を象徴していた。しかしオーストリアが激動の時代に突入していくとともに、メルツ家の幸せも翳りを帯び始め…
 作/トム・ストッパード、翻訳/広田敦郎、演出/小川絵梨子。2020年ロンドン初演、オリヴィエ賞受賞作の日本初演。全1幕。

 ストッパード作品はいろいろ観ていて、こちらこちらこちらなど。
 今回のお席は抽選で取れたのが10列目で、でも劇場に行ってみたらなんと最前列、しかもほぼセンターでした。足下の床はそのまま舞台と地続きで、庭か歩道の花壇を思わせるような草花とそれに隠された照明装置が区切りになるだけでした。正面にプログラムの表紙やポスタービジュアルに使われたような豪奢なソファ、その奥に1ダースの人がつけそうな大きな長いダイニングテーブル、上手下手にはそれぞれ椅子とコーヒーテーブルがあり、シャンデリアと柱の他にはセットらしいセットはない舞台で、中劇場の舞台は大きいしそれぞれの部分を場面ごとに使い分けて進む形なのかな…と思っていました。ら、いざ舞台が始まると、その大きな空間全部がメルツ家の大広間というか家族が集うダイニングルームというか…なのでした。そしてわらわらと現れる大家族、その妻や夫や子供たち、家族同然の友人たち、使用人たち。子供たちは大騒ぎしながらクリスマスツリーの飾り付けを始め、ツリーのてっぺんにダビデの星を飾ろうとして大人たちの微笑みを誘い、その大人たちは三々五々ソファや椅子に腰掛けて、それぞれ昔話や恋バナに花を咲かせたり学術的な議論を戦わせたりしている。のどかでにぎやかで豊かな一族の描写に、すぐさま心つかまれました。
 もちろんキム目当てで行ったんですけれど、ヒロイン格なのかなと思っていた彼女がとても時代がかったドレスと髪型で、でもとても似合っていて、そして柱に映されて表示される年号の1899年は確かに前の前の世紀なのであって、そりゃこれくらいレトロというかクラシカルに思えて当然なのだ、でもこの物語は確かほぼ現代と言える1955年で終わるはずで、彼女がそこまで生きながらえるならまさに地続きで、「歴史」として区分けしてしまい込んでしまえるものではないんだ…とすぐに気づかされました。残念ながらグレートルはそこまで存命ではなかったのだけれど、寿命としては生きていてもおかしくなかった年齢だったわけで、やはりそれは病気もあったけれど時代が、戦争が中断させた人生だったとも言えると思えたのでした。
 人種とか民族とか宗教とか政治とかは、現代日本人が最も苦手とする分野なのではないかと思います。でも少しの知識と想像力があれば、メルツ家やヤコボヴィッツ家の人々が語っていること、置かれた状況、選ぶ道などは十分に理解ができて、共感もできるのでした。そしてわからなくてもわからないなりに、それが多分に豊穣だったり複雑だったりすることは感じ取れる。ヘルマンがどんなに苦労して、どんなに強い意志でこの空間と人間関係を築いたか、楽しんでいるか、保っているかは十分伝わりましたし、それが理不尽な、圧倒的な暴力で奪われたこともまざまざと見せつけられてビンビン伝わりました。子役と一緒に怯えて泣くところでしたよ…似た経験は私たちの祖父母もしていたのかもしれません、きちんと伝えられずまた学んでこなかっただけで。それをこうして舞台を通して学習しているのかもしれません。
 グレートルの浮気相手のフリッツ(木村了)が市民(「市民」! カッコ付きで呼びたいよ! なのに何もない、それが怖い)と二役をやっているのがまた怖ろしいんですよね。印象的な美貌の役者さんなので同一人物?とか混乱しちゃうんですが、それもまた狙いなのかもしれません。ヘルマンがコキュ(これはフランス語だと思いますが)になって受ける屈辱と、のちにこの「市民」から受ける屈辱…という言葉では言い表せない何か、はおそらく全然レベルや方向性が違うもので、なのにこの順番で起きると当時はそれが最大の問題だと思えるのだし、けれど歴史は不可逆なのであって…みたいな、なんとも言えない重い衝撃を受けました。
 子役もまた何人かで何役かをするのですが、これがまたものすごく上手いのですよ舞台として…! ほとんど卑怯です。あと、こういう言い方はホント駄目なんだと思うのですが、ローザの瀬戸カトリーヌとサリーの太田緑ロランスのバタくさい顔立ちが本当に効果的だったと思います。日本で日本人で日本語でやる以上、そのあたりは必要だと考えられての配役だったのではないかしらん?
 第5幕(幕はないので場か章の方がいい気もしますが)の、戦後まで生き延び、しかし四散し、もはや家族とは言えない、暮らす場所も年齢も世代も違う三人のそれぞれの生き方や考え方、アイデンティティ、スタンスがまたグサグサ刺さりました。ナータン(田中亨)はレオ(八頭司悠友)を糾弾するけれど、これはストッパードの来歴に近いキャラでもあるようで、そして私には彼の生き方、在り方を全然責められないと思いました。周りにそう育てられたのだろう、自分でも自分をそう育ててきたのだろう、それをそのときそこにいなかった人間に責められるいわれはない、と思いました。ナータンもまた完全ではなく、記憶の捏造をサリーに指摘されています。でも責めたくなるナータンの気持ちもわかる、サリーの気持ちも。そして書き出される家系図と、蘇る思い出、現れる在りし日の姿の人々…そこにはのちに自殺した人、戦死した人、病死した人、ダッハウで、アウシュビッツで殺された人々がいる、みんな笑いさんざめいている。人種も民族も宗教も支持する政党もバラバラで、でもひとつの家族だった、人々…
 美しい、悲しい、せつない、あたたかい物語でした。この場所はレオポルトシュタットにはなく、しかしそれがタイトルになっていることで、これが決してユダヤだけの物語ではないのだ、と逆に強く訴えているのだと思いました。特に多様性や反戦を訴えている作品ではないとも思いました。でもこの家族の輪を広げていけたら、論戦してたとえ平行線でも笑って同じ食卓につけるような関係が築いていけたら、いくつものお祈りを同時にすることすらできるのだから、人はもう少しだけ愛に、神に、平和に近づけるはずなのではないか…そんなことを考えさせられました。
 中劇場はグランドミュージカルをするハコかと思っていましたが、盆を上手く使ったこういう大人数の芝居をじっくり見せるのにもいい場所なんですね。そしてまあまあな台詞の量だし転換早いし、集中力の要る大変な作品だったと思いますが、役者さんはみんな達者で素晴らしかったです。そしてみんな本当にそれっぽかった、それが演技だと言われればそれまでなんですけれど、本当に堪能し浸りました。満足な観劇でございました。



 
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