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駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

韓流侃々諤々neо 13『太陽の末裔』

2024年08月29日 | 日記
 2016年KBS、全24話。BS japanextで全16話で見ました。
 主人公はソン・ジュンギ演じるユ・シジン。韓国軍、特殊戦司令部の大尉。
 ヒロインはソン・ヘギョ演じるカン・モヨン。ソウルの大病院に勤める外科医。どちらかというと彼女視点で物語が進むので、彼女の方が主人公っぽいかもしれません。韓ドラでは兵役のエピソードはけっこう出てくるものですが、本物の職業軍人のキャラクターってなかなかいなくて、ちょっと馴染みがありませんものね。韓国の軍隊は対アメリカ的には自衛隊と近い関係なのだと思いますが、視聴者にとってもおそらくそこまでメジャーじゃなくて、モヨンの視点から特殊な仕事の、けれど魅力的な異性と知り合ってしまい…というとまどいやときめきとともにストーリーを追う形になるんだと思うのです。
 特殊戦、というのがまたミソで、実在するのかファンタジーなのか謎ですが、要するに単に戦争に駆り出されるのとはちょっと違って、紛争地域で要人警護をしたり、人質の救出作戦を請け負ったりするようなチーム、とされています。シジンはそのアルファチームのチーム長で、コードネームは「ビッグ・ボス」。若いわりには階級も上でもちろん優秀でチームの人望も篤いナイス・ガイ、素顔は飄々としていて軽口ばかりの一見優男ですが…という感じ。イヤもうこのキャラ造形がお見事でした。
 対するモヨンもとてもいいヒロインでした。カットされていたのかはたまた特に描かれていなかったのかはわかりませんが、勉強ができたし理系科目も嫌いじゃなかったのでそちらに進学した、どうせならお金を稼げる方がいいから医者になった、と嘯く女性で、家が医者一家なのでいやいや…とか幼いころ難病だったのを救ってもらったから…みたいな設定がなく、こちらも飄々としているのです。でも決してクールで冷酷ということはなく、かといってしゃかりきにタダでなんでも面倒見ます、なんてこともしないタイプです。病院内でもそれなりに出世したい、少なくとも正当に評価されたい、という要求はあって、でも腕もないのに愛想と賄賂で同期の女性がのし上がっていくようなのには歯噛みして、セクハラパワハラにも噛みついて、そうしたら干されて紛争地域への医療奉仕に行かされてしまい、シジンと再会して…というような展開です。アラサーなんだろうけれどこれまた飄々としていて、周りに結婚しろとか子供はどうするんだとか言うようなキャラがいないのもいいし、本人も美貌を褒められると「美人ですけど何か?」と返すような茶目っ気があり、変に煮詰まったり焦ったり悩んだりしていない、中年とは言わないけれどもうピチピチの若さではない、しか充実した日々を送っていて自分の足で立っている等身大の女性、というすがすがしい造形なのが素晴らしかったです。ソン・ヘギョは私にとっては『ホテリアー』のセカンドヒロインで『オールイン』や『秋の童話』のヒロインで、女子大生になるやならずやみたいなお役をやっていた印象が強い女優さんでしたが、まあ綺麗なお姉さんになっていて変わらず素敵な女優さんで、うれしかったです。
 四角関係…というかセカンドカップルは、シジンの部下ソ・デヨン(チン・グ)と女性軍医のユン・ミョンジュ(キム・ジウォン)が構成しました。デヨンは上士とのことですが、つまり下士官なんでしょうね。おそらく歳はシジンより上なのかなと思いますし、副チーム長で信頼し合っていてプライベートでも仲はいいんだけれど、ずーっとお互い敬語で話すんですよ、それがめっちゃ萌えました。任務を離れたらタメ語、とかじゃないの、ずっとお互いですます調でしゃべってるの。仲良しのふたりのそういうプレイなんだろうな、と思いました。チン・グがまた、私が以前韓ドラを見ていたころはまだ線の細い美青年枠のスターだったと思うんですけれど、いい感じに幅が出て男臭くなっていて、質実剛健なこのキャラにぴったりでした。
 ミョンジュは特殊戦司令部司令官の一人娘で、医師免許取得の際にモヨンと面識があった…んだったかな? 父親がシジンと結婚させようとして配属して、でもふたりともその気がなく、司令官の手前は婚約者同士のように振る舞うんだけれど、実際に出会って恋に落ちたのはデヨンとミョンジュで…というような関係性です。デヨンの階級が低いので、このおつきあいは司令官には認めてもらえないだろう、というある種の身分差の問題が発生しているのでした。
 ひょんなことから出会ったシジンとモヨンが、それぞれ派兵、派遣されたモウル(どのあたりがモデルなんだろう? 宗教描写は避けられているのかなとも思いましたが、イメージとしてはイスラム圏の、町もあるけれどたいていは砂漠…みたいな国、地域?)で再会して、お話は進んでいきます。8割方モウルでのお話だったかな? オールロケだったんでしょうか、すごいなあ…
 で、こういうドラマは日本では作られないな、とホント感心してしまったんですよね。そこがホント見どころありました。
 つまり日本でやろうとすると、もっと自衛隊プロパガンダみたいなものになっちゃうか、でないと『VIVANT』みたいなのになっちゃうんだと思うんですよね。あれはキャラクターの設定は似ていたかもしれないけれど、展開のさせ方が脚本的に、設定的に荒唐無稽すぎて変におもしろい方にいっちゃってましたし、ラブも絡めていましたけど、まあザルで残念な出来でした。それからすると、もっと全然ちゃんとしていました。
 まず、ヒーローもヒロインもどちらも人命を扱う仕事をしている、という捉え方が秀逸すぎました。もちろんシジンの方は必要なら暗殺めいたことまでするのが任務なんですけれど、自分も命懸けで、そういうギリギリ仕事で、一方でモヨンの方は医師なので、救える命はそれがどこぞの大統領だろうが村の子供だろうが全力で手を尽くす、という真剣さで働いているのです。その裏表なような、対等なような、な構造が抜群に効いていました。例えばヒロインがスーパーヒーローに守られるだけ、みたいな形にはまったくなっていないのです。ふたりが対立もする、共闘もする、なんなら彼女が彼の命も救うまである。
 その中でヒーローも、軍人なんだけれど、軍務で動いているんだけれど、でもそれは単に国家の利益のためではなくて、彼にとっての国家は国民を守るためにあるもので、国民の利益になるものだと信じられる任務については全力でがんばり、怪しいものには反抗する気骨がある人間として描かれています。そしてそれが主人公のキャラだから、信条だから、ではなく、この世界線ではこれが正しい考え方であり理想であり正義だ、ここが守るべきラインなのだ、とされているのです。この一線が引ける創作家が日本にはいないと思うんですよね、残念なことに…だから、特殊戦なんて架空の組織だと思うんだけれど、これを自衛隊に移してドラマにすることなんて日本では絶対にできないと思うのですよ。たとえやっても、ヒロインはこういう形では立てられないと思うんですよね…それが情けなくて、絶望的な気持ちになります……
 周りのキャラやひとつひとつのエピソードもとても良くて、なんとなくカットや編集には気づいていましたが、これはフルバージョン見たいな!と思いました。あとソン・ジュンギの顔がめっちゃ好みだったので(笑)、他のドラマも見てみたいです。
 セカンドカップルの方もホントいいんですよー! ミョンジュ父はいつものアボジオモニーズで、でもあまり軍の高官なんて役をやる印象がないおじさま役者だったので、それもちょっとおもしろかったです。
 オチもよかった。今回は無事だった、でも次はわからない。でもそれはみんなそうで、別に軍人じゃなくても、みんないつ車に撥ねられるかわからないし、未来なんて不確かなんです。だから好きなら、逃げずに食らいついて、つきあい続けるしかない。そういう前向きなラストシーンだと思いました。モヨンがぐだぐだ悩みすぎてかわいそうな自分に酔っちゃうようなタイプのヒロインじゃなくて、本当によかったです。それは医師という仕事から学んだシビアさもあるのかもしれない。でも大人だな、いいな、と自然に思えるのです。こういうヒロインの造形も、日本のドラマではまだまだないと思うのですよ…
 あとは、けっこう前のドラマだと思うんだけれど、モヨンの同僚にちゃんと車椅子の医師がいること。障害者でもごく普通に働いている、という描写が普通にあることが素晴らしい。これも日本のドラマにまだ全然ないでしょう。あとは助手席の相手にキスするために、運転手が自動運転スイッチを入れる描写! すごくないですか!? 韓国ってもうそんななの!? 驚いたし激しくときめきましたよ…!
 ホント全然進んでる…!と打ちのめされつつ、楽しく見てしまいました。有料チャンネルでないフルバージョン放送、お待ちしています!!








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『記憶ティアラ』マイ初日雑感&再びのトップ娘役絶対必要論

2024年08月26日 | 日記
 初日が開いて一週間、宝塚歌劇星組大劇場公演『記憶にございません!/Tiara Azul』を観劇してきました。
 原作映画は未見。三谷幸喜氏自身がプログラムに書いていますが、彼の作品は舞台より映画はライトなので、まあそれをさらにダーイシがどこまでいじってくるかによるかな…など思いつつ、とりあえずフラットに観ました。わりと映画まんまだったらしいですね? 田原坂46以外は、かもしれませんが…これもご当地アイドルというよりは選挙のキャンペーンガールみたいな感じで、まあまあ意味も出番もあり、楽しかったのでよしとしましょう。
 プロローグが今の政治や総理に不満を抱く民衆の声ソングで、そこからセットがハネたら大階段で、組閣のときによく見る赤絨毯の階段になっていて、大臣らしきスーツ姿の男女がバリバリ踊ってトンチキな「献金マンボ」を歌う…まあ、つかみはオッケーでしたね(笑)。その後も、暗転は多いかなとは思いましたが、それなりに上手く舞台化できていると思いました。わりとみんなに役があるのがいいな、とも思いましたしね。
 そもそもの映画からして、政治風刺の意図はなく、単なる政権コメディ、群像人情喜劇として作られているわけで、現実の政治がもはや笑い事では済まない事態になっていることを考えるとちょっとどうなんだ、と思わなくはないのだけれど、でもやっぱりそれを描くのは宝塚歌劇の役割ではないなとも思うので、そう割り切って観れば、こっちゃんの上手さ、達者さ、チャーミングさが光り生かされた、良き演目に仕上がっていたかと思いました。ちょっと『食聖』なんかにノリが似ているというか…こういうわちゃわちゃした群像コメディが今の星組は上手いんだな、と感じました。あと、現代ものなんだけどファンタジー、みたいな塩梅もちょうどいい気がしました。ざらりとした気にさせられるところもないこいもないことも含めて、ですが…
 私が意外に萌えて、かつおもしろく観てしまったのがありちゃん井坂(暁千星)さんとひっとん聡子(舞空瞳)さんの不倫ターンです。これは映画ママなんでしょうが、宝塚版ではカットされるのでは?など予想されていたかと思います。でもがっつり浮気していて(笑)、でもそれが自然だし当然だしなんかフツーですごくよかったんですよね。だって記憶をなくす前の黒田(礼真琴)さんってホント嫌な奴だったんだろうし、息子もほぼ育ち上がってて嫁の義務は果たしたんだし、関係が冷え切っているなら浮気のひとつやふたつしない方がむしろ不自然でしょう。聡子が、それでも彼を好きだから帰りを待つの…みたいなキャラにされていなくてむしろよかったです。
 聡子が井坂にどこまで本気なのか、とかはよくわかりませんでしたが、そのグダグダ具合も私にはちょうどよく見えました。アルゼンチンとかタンゴ云々とかも原作にあるのかな? とまれそんな縁があって、かつ夫の首席秘書ということでまあまあいつも近くにいて会うのに便利なんだろうし、ついしなだれかかっちゃって、井坂さんの方でも抵抗しとおすのも面倒でつい…って感じで後悔しているような、仕方ないかと思っちゃってもいるような…ってテキトーな感じが、わりとリアルですごくいいなと思ったのです。井坂さんも以前の黒田さんのことは仕えていても人間として嫌いだったんでしょうし、ぶっちゃけ仕事もできない男だと見下していたんでしょうが、その異種返しとか暗い復讐みたいな側面があまりなさそうな感じが、またよかったです。私がクール眼鏡スーツ男キャラが好みってのもありますが、ありちゃんの井坂さんが冷酷になりきれていない、かといって人間臭すぎもしない、絶妙なしょーもない感じでフラフラしそうなところを懸命にスッキリ立って見せているような感じだったのに、きゅんとしたのかもしれません(笑)。
 あと、ちゃんとダブル不倫なのもよかった(笑)。ひとつの場面で上下に区切って並行で見せるのはよかったですね。まあこのときの黒田さんには記憶がないので、ややかわいそうではありますが…前日に月組全ツ梅芸公演『琥珀色の雨にぬれて』を観たんですけれど、1920年代のフランスの四角関係がロマンチックで、令和(かな?)の日本のそれがダメってのはないだろう、と考えたというのもあります。男性の、とか男役の名誉?を取るならカットするとかマイルドにするとかもありえたのかもしれませんが、ダーイシの露悪っぷりなのかやっぱりある種のミソジニーの発露なのかはたまた何も考えていないのか、そのままやっていて客席もまあまあ笑っていたので(ホンと言うとマジョリティはフツーの主婦なんじゃないの?と思うと、こっそり青筋立てられてるのかもな…とも案じはしますが)、よかったのではないでしょうか。ギリギリの品もあったと思いますしね。
 記憶を取り戻した黒田さんが、記憶がなかったころの純粋さや真面目さも混ぜた新人格の黒田さんになって、心機一転やり直し、聡子さんともやり直したいと願い井坂さんに「妻と別れてくれ」と言う…というのも、情けないっちゃ情けないギリギリでしょうしそれこそ宝塚歌劇でなかなか観ないシチュエーションですが、こっちゃんがやっぱり上手くてちゃんと笑いを取るし、なんとなくほのぼのよかったね、とみんな丸く収まる感じになるのは、やはりトップコンビの魔法があるからだと思うのですよ…!
 なので、ひっとんの後任は立てない、という発表翌日の観劇だったのですが、「六人のオンナ」の場面はしょんぼり観ることになりました…妻のひっとんはともかくとして、ここで黒田さんを囲むのは家政婦の白妙なっちゃん、愛人の小桜ちゃん、秘書のうたち、政敵(?)のルリハナ、元カノ?の都優奈ちゃん…他にも田原坂に今回新公ヒロインの綾音美蘭、新公ヒロイン経験者のひよりんとなのたんがいるというこの多士済々の中で、誰も、ダメなんだ…?って気にさせられるじゃないですか…それは、ないよ……後述。

 カルナバル・ファンタジアは竹田悠一郎先生の大劇場デビュー作。とーってもよかったです! お祭りものは鉄板ではありますが、とても景気のいいショーで、終始楽しく観ました。アルゼンチンのグアレグアイチュ(ってどこ???)で行われているカルナバルからインスピレーションを得たのだとか…
 お祭りに、山車を出してグループで踊りまくるようなダンスチームの、お祭り当日の昼間から夜の本番、そして翌朝まで…といった一応の流れはあり、こっちゃんルカ、ひっとんエリアナ、ありちゃんイグナシオ…という通し役があるような、まあでもプロローグやフィナーレはないっちゃないような…なんですが、とにかく景気が良くて観ていてだんだんハイになって細かいことがどーでもよくなるタイプのショーで、楽しかったからいいのです(笑)。羽飾りがふんだんに使われて、ダルマもガンガン出てきて、ホッタイアレンジかな?のギラギラお衣装やらトンチキお衣装までゾロゾロ出てきて、進化系ひき潮みたいな裸足のデュエダンに泣かされ、フィナーレのデュエダンはこれまでアクロバティックな競技ダンスみたいなバリバリしたものを踊ってきたふたりがゆっくりと、空気を抱き合い動かし合うような、流れるように美しくシンクロする綺麗な振りを踊り、最後に銀橋に出てきて、こっちゃんがティアラをひっとんの頭に乗せる…ハイ、百億点です。
 あと、基本的には小桜ちゃんとシンメでしたが、でもやっぱり二番手娘役格はうたちだったと思うのよ…なんでダメなのよ、何がダメなのよ…正直、こっちゃんがゴネてるの?と邪推してしまう…だってきぃちゃんにもくらっちにもNG出したんでしょうからね。てかそもそも当人が卒業したがっているのを劇団が慰留しているんだとは思いますが…じゃあもういいじゃん、ありうたちかりん政権になっても問題なくない??
 そのありちゃんですが、二番手スターのセンター場面でショーの名場面って生まれていくものだと思うのですけれど、今回のタンゴはマジで絶品でした! こっちゃんとはまた違ったタイプのダンサーなんですよね、そして下級生のころにやたらただ踊らされていたのとは全然違う踊りが、いまやできるようになっているんですよこれは全ファンが惚れ直すヤツ…!! いやぁ圧巻でした。
 早くまた観たい! 次回は月バウとハシゴで行きます!! 台風、遠慮して!!!



 というわけで、これが「星組トップ娘役について」というニュースが出て翌日の観劇だったので、以前、宙組トップ娘役についての発表があったときに書いた「2016年観劇総括(と、トップ娘役絶対必要論と、年末のご挨拶)」の一部を加筆修正して、以下、再掲します。組や個人の名を変えたくらいでほぼ変えていません。つまり、そういうことです。恐ろしいことに、事態は、劇団はまったくなんの前進もしていないのです…

※※※

 さて、今年はまたまたあれこれ激動ですね。雪組トップスターと星組トップ娘役の卒業がすでに発表済みなワケですが…
 ひっとんの後任を立てないとされたことについては、発表が遅かったので怪しいなと思わないでもなかったのですが…正直、ショックです。
 だって夢白ちゃんの相手役を固定せず柔軟に対応します、とは絶対にならないわけじゃん。博多座『ミーマイ』だって『BIG FISH』だって十分柔軟な対応だったじゃん。なんなの?
 小桜ちゃんでは足りない、うたちでは早いというなら、あわちゃんでもみちるでもはばまいちゃんでもじゅっちゃん(これはないか)でも、誰を組替えさせてでも、とにかく誰かを次期トップ娘役として就任させていただきたかったです。誰でもいいわけではもちろんない、しかし誰かが必要です。あまとくんやつんつんを娘役に転向させるとか? でなきゃひっとんを慰留してほしかった。乱暴な物言いなのは承知しています、仮に名を挙げた生徒さんのファンの方々、すみません。
 でもそれくらい、トップ娘役の空位って意味がないことだと私は考えているのです。百害あって一理もないと言いきりたい。
 今のようなトップスター制度、トップコンビ制度が確立されたのは宝塚歌劇100年の歴史の中で昭和『ベルばら』ブーム以降のたかだか30年かそこらでしかない、だからそんなに大騒ぎすることではない…という言い方もできるでしょうが、しかし1/3近くも歴史があるなら十分に伝統だと思います。そしてトップ娘役の不在は過去にほぼ成功例を見ていません。てか成功例ってナニ? 歴史から学ばずして何をどう改善させ、未来につなげていけるというのでしょう。
 ターコさんの前にモックさんが卒業して、ターコさんが卒業するまでの1公演。サエちゃんの前にエミクラちゃんが卒業して、サエちゃんが卒業するまでの1公演。そしてまぁさまの前にみりおんが卒業して、まぁさまが卒業するまでの1公演…これらは暫定的な処置として、まだわからなくもありませんでした。
(イチロさんは、トンちゃんが卒業したあとすぐハナちゃんだった…よね? 違っていたらすみません)
 でもアサコのときは本当に観ていて楽しくなかった、つらかった。当人はミホコと一緒に卒業したかったのを慰留されたのかな、と私は思っていましたが、卒業までの3公演、結局はほぼほぼあいあいが各作品のヒロインを務めながらもトップ娘役扱いはされないという不遇を受け、男役二番手スターのきりやんがショーなどで女役に回ってデュエダンの相手を務めたりと、不規則で不自然な状態が続きました。あまりにもあまりでした。
 のちに当人も相手役がいなかった時期はつらかった、みたいなことを語っていますし、この空位のあと月組トップ娘役に就任したまりもも見本がなくて困惑した、みたいなことを語ったことがありました。あいあいも、打診されて断ったとかではなく、なる選択肢がそもそも与えられなかったのだ、というようなことをのちに語りました。みりおも、当時の娘役たちに目標がなくなって空気が悪かった、とのちに語りました。だからみりおは、何人替わっても必ず相手役を持ったのではないかしらん…
 生徒たちにそんな負担をかけてどーする、と劇団には言いたい。
 何より、常に主演する役目を負うトップスターとって、固定された相手役がいないことは負担になると思うのです。トップ娘役という固有の相手役が持てることはトップスターだけの特権、というよりむしろ権利だと私は思う。そういう共闘するパートナーがいないとしんどすぎて耐えがたいくらい、トップの大任は重いのだと思う。だから劇団には相手役を与える義務があるのではないか、とすら私は思うわけです。
 多様な作品でたくさんの娘役に個性を発揮する機会を、なんておためごかしにすぎません。だってぶっちゃけそんな筆力ある作家がいないじゃん。ヒロインひとりですらまともに描けていないくらいの作品を平気で上演しているくせに、ちゃんちゃらおかしいです。
 誰かを次期トップ娘役にしないということは、みんないいから選べない、と言われているというより、みんなダメだと言われている気が私はしてしまうのです。それが悲しい。
 仮に帯に短し襷に長しだろうがなんだろうが、立場が人を育てるということは絶対にあるんだし、誰かに決めてやらせてみればいいんです。絶対的と思われる二番手格がいたって、そのトップ就任にはガタガタ言う人は必ず存在します。誰に決めたって文句は必ず言われるんですよ劇団は、だからそういうことは無視して誰かに決めるしかないんです。そのために他の生徒をやめさせるようなことだって、今までさんざんしてきたじゃないですか。トップスターを1公演でやめさせることすらやってきたのに、何を今さら日和っているの? 何が怖いの? 何を目指してるの?
 女性は、あるいは日本人は、あるいは宝塚歌劇ファンは、清く正しく美しく、確立された規律に従い遵守する傾向が強いと思います。だから例外を嫌う、不測の事態を嫌う、ということもあるかと思います。でもそれより何より、この措置の意味がわからないから嫌なのです。いいことだと思えないから嫌なのです。
 逆に言えば誰が就任しても、そう決められれば、文句を言いつつも結局は受け入れるし観に行くんですよ。だってファンだから、だって決まったことだから。
 でも、トップ娘役を置かない、という決定は受け入れがたい。少しも早く収拾して、星組次期トップ娘役を決定していただきたいです。
 キムお披露目の際に相手役たるトップ娘役を定めず、ヒロインをダブルキャストで上演したときも、結局その状態は1公演で終わりましたよね。あれもなんの意味もなかったと思っています。今回も早々にそういう判断が下され、方向転換されることを祈ります。
 セクシャルマイノリティなど、多様な愛と性の在り方が顕在化してきた現代において、変わらずマジョリティであるのが男女の異性愛だと思われますが、現実においてはまだまだ幸せな帰結を見ることが少ないじゃないですか。お互いの無理解や無理強いや、不平等な婚姻制度を始めとする社会制度の不備、さまざまな抑圧や偏見、家事育児仕事の不均衡の問題などなど幾多の障害が山とあり、美男美女がお互い対等に愛し合い信じ合い許し合い支え合い幸せになることなど、まさしく夢物語の中にしか存在しないのが現状です。
 その夢物語を紡いでくれるのが宝塚歌劇でしょう。そして私たち観客はそれを観て、ただの夢物語に現実をひととき忘れるだけの逃げ場とするのではなく、現実が目指すべき理想の姿、あるべき未来の指針を見て、より良い明日目指して日々の現実を生きる心の支えにしているのだと私は思うのです。愛し合い、支え合い、人と関わり合いつながり合うことは美しい、と思いたいから、信じたいから、それを見せてほしいのです。だから宝塚歌劇を観るのです。
 青春を捧げて己を鍛え光り輝く生徒たちの真ん中に、常に結ばれるカップルを演じてくれる最も美しい一対の男女(役)がいる…そのことがどれだけ大切で重要なことか、想像できないというのなら、それはあまりに鈍感にすぎませんか? 組のトップスターとトップ娘役は、その男女のカップルを常に演じ、舞台の上で真実の愛を生き、美しい輝きを放ってくれる存在なのです。大切でないはずがない。
 そしてそこにはただひとりのトップスター、そのただひとりの相手役、という魔法が必要なのです。現実はそう単純にはナンバーワンにもオンリーワンにもなれず、一対にもなれていないからこそ、絶対に絶対に必要な魔法なのです。
 誰でもいいなら、どんな組み合わせでもいいなら、その魔法は消えてしまう。というか、それでもファンは、各自の贔屓をすでにそのように愛しているのです。トップになることがすべてではないこともちゃんとわかっているから、トップになれなくても、ならなさそうでも贔屓を愛している。その上で、それでもそこにトップコンビが存在していること、それが大事なんじゃないですか!
 ただひとりの男と、そのただひとりの相手の女、という幻想を女が手放したら、人類は滅亡します。今、その幻想が手放されつつあるから、非婚化と少子化が加速度的に進んでいるんですよ…それでいいの? いいわけないよね??(いやホントはソレでもいいんだけど、それが人類の進化の行き先なんだけど、それはここでは置きます)
 ことありは仲良しだし相性もいいからトップコンビの代わりでもいいじゃん、とは私には思えません。ありちゃんが娘役に転向するとかでないなら、二番手男役スターがトップスターの相手役だとは私は言いたくない。そもそも男女の異性愛すらなかなかまともに描けていないのにBLやろうなんてちゃんちゃらおかしい。というかそもそもそういうニッチなジャンルにメジャーは手を出すべきではないのである! メジャーの矜持を持たんかい!!
 私はトップ娘役の不在に反対です。できる手段で劇団に意見を伝えていきたいと思います。
 …でも「高声低声」に投稿してもボツなんだろうなー……がっくし。
 















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イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』

2024年08月25日 | 観劇記/タイトルか行
 東京芸術劇場シアターイースト、2024年8月22日19時。

 怪談は昔も今も変わらない。東へ西へ旅した八雲は知っている、この世は実に奇ッ怪だと…
 原作/小泉八雲、脚本・演出/前川知大。2009年にシアタートラムで初演したものを、劇団公演としてリメイク。全一幕。

 イキウメは何度か観てきて、今回の5人の役者さんはさすがにもう顔と名前を覚えました。てか仲居役のおふたりは女装するのかしらん、とか思いましたすみません…
 小説家の黒澤(浜田信也)が執筆のために長逗留している温泉宿に、警察官の田神(安井順平)と検察官の宮地(盛隆二)が行き会わせて…というようなところから始まる物語です。私は八雲は読んだことがないのですが、おそらく彼の書いた小話?みたいな、「常識」「破られた約束」「茶碗の中」「お貞の話」「宿世の恋」の5つのエピソードをつなげて、百物語のようにして語るような、その場面を演じてみせるような…を繰り返していくうちに、黒澤の過去や田神たちが追う事件の真相が見えてきて…というような構造の演目でした。
 エピソードはそれぞれ、怖いような、オチがなくて「はて?」というような、不思議なものばかりで、それが演劇の不思議さ、幽玄さの中で展開されて、恐怖の意味でもスリリングでおもしろいという意味でも、ゾクゾクさせられました。
 ただ結局は、黒澤が舞子(平井珠生)を若いころに死に別れた恋人の生まれ変わりだと信じ込んで、その遺体を攫ってきて後追い心中?した…というような顛末になるのでしょうか。なので怖いのは結局は世の中、生身の人間なのであって、幽霊なんてそんな悪さはしない可愛いものだ…ということになるのかもしれません。不思議な、ヒヤリと、ざらりとさせられる、実に鮮やかな舞台でした。
 他に旅館の女将が松岡依都美、仲居が生越千晴、大窪人衛、森下創でした。おもしろかったです!








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八月納涼歌舞伎第三部『狐花』

2024年08月22日 | 観劇記/タイトルか行
 歌舞伎座、2024年8月20日18時15分。

 江戸末期、風が吹き荒れるある夜のこと。神職を生業とする信田家に何者かが押し込み、家の者が次々と殺されてしまう。その惨劇の中、信田の妻・美冬(市川笑三郎)は我が子を下男の権七(松本錦吾)に託して逃がす。そこへ覆面の男たちが現れ、美冬を攫い、屋敷に火をかけて…
 脚本/京極夏彦、演出・補綴/今井豊茂。サブタイトルは「葉不見冥府路行(はもみずにあのよのみちゆき)」。作家生活30周年を迎えた京極夏彦が初めて歌舞伎の舞台化のために書き下ろした新作歌舞伎。同作品名で新作ミステリー小説として先行発売。「百鬼夜行」シリーズの主人公で、中野で古本屋・京極堂を営む武蔵晴明神社の宮司にして陰陽師である中禅寺秋彦の、曽祖父を主人公にした物語。

紅蓮の炎を模した幕が飛んでアバンが終わると、一面に咲き乱れる真紅の曼殊沙華、並ぶ鳥居、そこにたたずむ黒衣の男(松本幸四郎)と狐の面をつけた男(中村七之助)…なのでこれが中禪寺洲齋と、火事を逃れた赤子が育ちあがった青年なのかな?と類推できて、しかしそこから一筋縄ではいかない物語が展開していくのでした。
 歌舞伎役者がやっているだけで、歌舞伎ではなく普通のストプレみたい…という感想も聞きましたが、その後の火事その他セットなどに外連味があることもあって、私はちゃんと歌舞伎かな、とは思いました。ただ、役者の動きがどうにも少ないのはやはり歌舞伎の醍醐味を欠かしていたとは感じましたし、何より場数が多く暗転ばかりなのは演劇として芝居として下の下だと私は考えているので、それは残念に思いました。
 台詞も練れていなくて、目で文字として読んでわかりやすい言葉と耳で聞いて音でわかりやすい言葉とは違うのに、その区別や工夫ができていないな、とか、重要なことだから二度言うというのはいいにしても特に意味もなくただ繰り返すのは時間の無駄だよ、言い回しを変える工夫もしていないので壊れたレコードかと思ったよ、というのが何箇所かあったので、それもとても残念でした。思うに、京極氏は歌舞伎化を想定した原作小説だけ書けばよかったんじゃないかな…脚本はプロに任せるべきだったと思います。小説も戯曲も専門家がいるもので、それが「文"芸"」なのでは? 脚本が素人っぽすぎれば、補綴や演出、役者ができることって限界があると思うので…
 でも、そういう残念さはやや感じながらも、個人的にはとても楽しく観ました。ブラッシュアップしてもっと尺詰めて、もうちょっと演出を派手にして、再演されるといいのにな、と思いました。新作歌舞伎を育てていくことって、大事ですよね。あとは、私は原作を未読なので単純に話の行き先が知りたくて楽しく観られたというのもありますし、配役が私がわかるスターさんたちばかりだったので楽しかった、というのもあります。役替わりが重ねられていくと、それもまた楽しいのではないでしょうか…
 というかあまり予習していかなかったので、的場佐平次(市川染五郎)さん凛々しいなあ、いい声だなあ、水際立っているなあ…とか思っちゃったくらいです(笑)。一階後列どセンターからオペラグラスなしで観ているもので、声だけではなんとも判別できなかったのです。てか一昨日、鵜になって長袴ですっ転ぶひょうきんなお殿様を観たばっかだし…(笑)上月監物(中村勘九郎)に一心に仕える忠義者の家臣のお役ですが、主人がそれに見合う人柄ではないので、ああもったいない、なんでこんな人に仕えているの、なんの義理があるの、あれっあの赤子が萩之介(七之助)だと思っていたけどもしやこの人だったりするの…?など、いろいろ考えながらドキドキ観ちゃいました。
 女性陣がまた良くて、新婦違った新郎になってもやっぱり米吉さんの娘芸は絶品だし、そのお嬢・雪乃(中村米吉)に使えるお葉(七之助)が七之助さんの二役ってのがまた歌舞伎っぽいけどそうまでする意味ある?とか思っていたらやっぱり意味はあったし(笑)、新吾さんのお登紀(坂東新吾)と虎之助さんの実弥(中村虎之助)のキャットファイトとかたまらんし…と、これまたどう転ぶの?とドキドキ観ちゃいました。美形の男に入れあげて好きすぎてやきもち妬き合って協力して殺す…って、怖っ! でも歌舞伎の世界ならありそう、と思えたというのもあります。あ、儀助(中村橋之助)さんも素敵でした! いいお役だったしいい芝居だったなあぁ…!
 要するに、美冬に横恋慕して信田家に火をかけたのは監物で、その悪仲間が辰巳屋(片岡亀蔵)と近江屋(市川猿弥)で、その娘がそれぞれ雪乃、実弥、お登紀なワケです。萩之介は娘たちを惑わし、怯えさせ、操って、それぞれの父親を破滅させ、自分たちも傷つくように仕向けるワケです。それが彼の復讐、つまり彼こそがあの赤子…と思っていたらここにもう一ギミックあって、実は雪乃は監物が美冬を座敷牢に監禁したのちに凌辱して産ませた娘であり、実は双子の片割れで、生き別れた兄が萩之介なのでした。彼は彼で辛酸を舐めて育ったので、母親の仇である父親の監物を滅ぼしたいのでしょうが、では彼らの兄にあたる、美冬が逃がした赤子は…?となると、なんとそれが洲齋だというのです。それぞれの兄弟の名乗り、そして兄弟の腕の中で死んでいく悲哀…
 なのでラスボスというか黒幕というか、そもそもの元凶は監物でありその邪恋なワケですが、しかし勘九郎さんは私が一昨日幽霊の又蔵を観たばかりなところで、またそもそも『いだてん』とかの印象もあっていい人とか気が小さいような人の方がニンな気がしていて、なのでこのお役には申し訳ないけれどちょっと足りないのではなかろうか、と感じてしまったんですよね。声も野太く作っていて、でっかく見せてはいましたが…それこそ亀蔵さんか猿弥さんの方がハマって上手く演じたのでは、なんなら幸四郎さんと役を入れ替えてもよかったのでは…とすら思ってしまいました。それだとメタが過ぎるかもしれませんが…やはり魔性の美青年・萩之介を七之助さんで、というところからスタートした企画なのかな、と思いますしね。
 まあでもその点以外はおもしろく観ました。監物は自分の欲望が自分の身を食らって破滅してしまうような男です。財や権力は得て、好きな女もものにできて満足しているのかもしれませんが、女は死に、息子も娘も死んで財を受け継がせる者もなくなり、虚しすぎる人生なワケですよ。それでいいの?と洲齋はつきつける。彼は断罪したり、まして罰を下して手にかけて処分したりしない。ただ静かにつきつける、それで幸せか?と…やや説教臭かったかもしれませんが、ここが芝居の白眉であり、よかったです。
 崩壊しかけた屋敷の背後に曼殊沙華が広がる。花弁も天からぼたぼた落ちてくる。監物ががっくりと膝をつき、憤怒のような、絶望のような、諦観のような表情で固まってしまう…幕。恐ろしく、美しく、悲しい物語でした。京極ワールドと歌舞伎、良き出会いだったと思います。


 ところでこれは本筋とは全然関係ない話ですが、私が観た回ではなんか花道のとっつき近くに、やたら拍手を切る観客がいたんですよ。それがさぁ、なんか「ハイここ拍手すべきポイントですよー」って周りに知らしめるような、デカい音でひとつ、ふたつだけ手を打つワケ。それで周りもつられて拍手し始めるんだけど、私はなんかヤな感じ、と思ってしまいました。歌舞伎では慣習的になされている、スター役者の出ハケや場面終わりの拍手も、ちょっとそぐわない静かな場面も多い演目だったと思うので、そういうふうにいちいち仕切ってほしくないなー、と私はイライラさせられました。もちろんまったく同調しなかったし、拍手したいときには自分でタイミングを選んでしていました。そういうものでは? 拍手って…初めて歌舞伎を観た、歌舞伎座に来たって京極ファンも多かろう、と思える客席で、でもみんな集中して観ている空気を感じられたし、それは拍手が入ろうとないままだろうと舞台に絶対に伝わると思うんですよ…お義理みたいに入れさせられても楽しくないっつーの。まさかスタッフとかではないでしょうね…(><)
 筋書の表紙が素敵で、解説コラムもとてもよかったです。










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八月納涼歌舞伎第一部『ゆうれい貸屋/鵜の殿様』

2024年08月20日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 歌舞伎座、2024年8月18日11時。

 江戸京橋に近い、炭屋河岸にある弥六(坂東巳之助)の家。評判の桶職人だったが、母親を亡くしてからというものの、仕事をせずに酒におぼれる日々を送っている弥六。今日も伊勢屋の番頭(坂東彌三郎)が注文の桶を取りに来たが、弥六は作っておらず、女房のお兼(坂東新悟)が詫びている。家主の平作(坂東弥彌十郎)も意見してやろうと息込んでやってくるが…
 原作/山本周五郎、脚色/矢田弥八、監修/中村福助、演出/大場正昭。1959年明治座初演の世話物、全2幕。

江戸時代の芝居業界では、ベテランの幹部役者は夏は土用休みを取り、若手が普段できない大役に取り組んでチャンスを得る夏芝居をしたんだそうです。観客に涼しくなってもらえるよう、本水を使った水狂言や、早変わりや仕掛けを使った怪談を作って、客席を夏枯れさせないよう工夫したのだとか。
 歌舞伎座の八月は昭和55年まで20年連続で三波春夫の公演だったそうで、それはそれで夏休み興業の目玉だったのでしょう。若手による八月納涼歌舞伎がスタートしたのは平成2年からだそうで、古典、新作、怪談に水狂言と江戸の伝統を引き継ぎ、建替えによる中断もあったものの、今年で34年目とのこと。その歴史を思うと、ホント歌舞伎ってすごいなー、と思います。
 でも私は素人なので、3部制だと1部が短くて気楽でいいよね、とかつい考えちゃうのでした(笑)。
 そして、武家の忠義のなんの、とか廓の色恋がどうの、とかもいいんだけれど、こういう長屋の人情ものが、私にはホント「ザッツ・歌舞伎!」って気がして、楽しく観たのでした。さすが山本周五郎…! 最後はうるっとさせられました。
 2007年の納涼歌舞伎で、十世三津五郎と福助さんで上演しているんだそうですね。今回の弥六と染次(中村児太郎)はその長男同士での上演、という趣向になっているわけです。こういうのは、長く観ている観客にはたまらないんでしょうね…!
 さて、私はそこまでの思い入れはないので、あくまでお話として観たわけですが、まず私はミノさまにはもうちょっとノーブルなイメージを持っていたので、こういうしょーもない男のお役もやるもんなんですねえ…!とまずそこがおもしろかったです。でも、弥六ってさすが主人公というか、まあ歌舞伎の場合は主人公でもホントどうしようもない男とか悪党とかもいるわけですが彼はそうではなくて、今ちょっと疲れて落ち込んでグレてるだけの人なんですよね。そこがいいなと思いました。仕事自体は嫌いじゃないし、腕もいいし、人助けにひょいっと作業してやったりもする。でも、きちんと働いてもその賃金だけじゃ食べていけないしんどさにちょっと疲れちゃって、そこに母親を亡くしてもうしょんぼりしてしまったのでしょう。結局政治が悪い、ってなわけです。妻のお兼が甲斐甲斐しく支えちゃうのもかえってよくなくて、でも結局彼女もつらくなって実家に帰ってしまう。そこへもとは辰巳芸者だった幽霊の染次が現れるわけです。
 弥六は染次の美貌にころりと…となっていますが、児太郎さんはキュートでチャーミングなんだけど体も立派だし、柳腰の楚々とした美女…では残念ながらありません。でもこの愛嬌が抜群で、調子良く商売を始めちゃうまで、楽しいったらない展開です。
 お隣の魚屋夫婦がまた良くて、お勘(市川青虎)は単に面倒見がいいだけじゃなくて、なんならちょっと弥六に気がありそうな感じなのがいいですよね。それだけ弥六のご面相がいいのかな、というのはミノさまだし説得力があります。旦那の鉄造(中村福之助)は悋気持ちなんだけど、ホントのところは単に口うるさくて了見が狭いだけで(笑)、女房の浮気心には本当のところ気づいていない感じなのです。それもまた、ああこんな夫婦いるよね、って感じでおもしろかった。でもいざことが起こるとこの鉄造も気働きができてとてもいい人で、口うるさいだけで実は何もしない嫌な男、ではなくなるんですよね。そこがいい。井戸端会議の場面があったりもしましたが、長屋のみんなが助け合って和気あいあいと暮らしている様子が演出されているのも、とてもほっこりしました。もう失われて久しい空気なのだろうからこそ、演劇の舞台の上だけども残し、伝えていけたらいいですよね…
 商売をするなら幽霊にもいろいろいた方が、というんで一応壮年男性?の又蔵(中村勘九郎)と娘のお千代(中村鶴松)、爺(市川寿猿)と婆(市川喜太郎)が揃えられるのもおもしろい。てか寿猿さんの年齢いじりは毎度のことの気もしますが、94歳で幽霊役が初めて、ってのもすごいなと思いました。やってそうなものですけどねえ…! あと、筋書のコメントページで「SNSでのご感想もとても有り難い」って言っていて、シェー、でもさすが!と思いました。
 勘九郎さんはしょぼしょぼしゃべるし、鶴松くんはギャルくて可愛いし、楽しいな幽霊!(笑)
 で、商売が当たるんですけど、ここからのミノさま弥六が本領発揮だと思うんですよね。彼は小金を稼いでハイになりご陽気になりはするんだけれど、それを博打につぎ込むとかしないし急に偉ぶるとかもしない。卑しくないんですよね、そこがいい。お金で変わらない人柄なんです。
 だからこそ、幽霊稼業も楽じゃないとか、浮世は金次第だがあの世も金次第で…なんて又蔵の愚痴が響くし、最後は心を入れ替えるのにじんわりするわけです。幽霊だって成仏できた方がやっぱりいいわけで、寂しいけれど、よかったね、さようなら…と言える。まあ成仏の機会を逃した霊もいたし、結局女性のやきもちとか浮気とかをネタにするんだから…という引っ掛かりはなくはなかったけれど、様子を見にそっと戻ってきて近所の人に交じって経緯を聞いているお兼さんがいじらしくて、オチの一言は来るとわかっていてもやっぱり気持ちが良くて、幸せな気持ちで拍手したのでした。ビバ・人情話! 素晴らしき哉人生!!
 そういえば冒頭に彌三郎さんの昇進祝いいじりもあって、みんなで拍手で来て、それもよかったです(^^)。


 後半の『鵜の殿様』は原案/山川静夫、作・振付/西川右近。1984年に名古屋おどりで初演された舞踊を、今年2月の博多座で歌舞伎化。その再演。
 博多座初演を観ているものを、再演も観るなんて私って通みたい!?とちょっと舞い上がりましたが、まあたまたまですね(笑)。幸四郎・染五郎親子はママ、腰元は撫子/笑也、浮草/宗之助、菖蒲/高麗蔵。ピンクが可愛いな、とか思っていましたがさすが笑也さま…!
 尺がちょっと短くなりましたかね? 博多座の方がもっとどったんばったん、人はこんなにも長袴で滑り飛び転び踊れるのか…!と驚き感動した記憶があるのですが、それはやはり初見だったからかもしれません。でも変わらず息ぴったりで、おもしろくわかりやすく、ドリフみを堪能させていただきました。楽しかったです!










 

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