駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『僕らのバレエ教室』~韓流侃々諤々リターンズ28

2021年05月30日 | 日記
 2004年、ビョン・ヨンジュ監督。ユン・ゲサン、イ・ジュンギ、キム・ミンジョン。原題は『バレエ教習所』。

 ベタな、感傷的な青春映画です。受験戦争に煮詰まり、横暴だったり無理解だったりする親たちからの抑圧に苦しみ、将来への不安に押し潰されそうになり、気になる相手にも素直になれない、大人の入り口に立つ少年少女たちの、あるいは未だ人生に悩み惑うその周りの大人たちのグラフィティ。繊細で、痛々しく、普遍的。そこに、彼らがたまたま通うことになった市民センターのバレエ講座みたいなところが絡むような作りで、やはりクライマックスのダンスシーンは感動的です。しょぼくれたアジョシや太ったアジュンマも楽しそうに踊っているのがミソで、やはり泣けてきます。でもそこまではけっこう長くてタルいと言えば言えるし、何ひとつ目新しいところはないかもしれないけれど、古びることもないのだとも言えるかもしれません。
 ユン・ゲサンはその風貌のせいもあってこういう役が抜群に上手いですよね。キム・ミンジョンもものすごくキュート。イ・ジュンギはもっと尖った美形に見せることもできる俳優さんだと思いますが、こういう感じも実に似合います。珠玉の佳作か単なる凡作と呼ぶかは難しいところですが、久々に見てやっぱりキュンとしたのでした。




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少女漫画時評・変化球編?なろう系異世界ファンタジーものについて

2021年05月25日 | 日記
 先日またまた白泉社のコミックス第1巻を何冊か読んだんですけれど、絵もネームも稚拙すぎて、雑誌で連載されたものも電子配信が先行したものもあったんですけれど、とにかくそのレベルの低さに「こ、これを紙で出すの? どんだけ刷ったの? 売れるの? 大丈夫…?」と震えたんですよね。バリバリ売れてます余計なお世話です、となっているなら失礼いたしました。一応タイトルは言わないでおきますね…
 で、というわけでもないのですが、気を取り直すことしてちょっと違った方面に目を向けてみることにしたところ、アプリ配信先行でそこから紙コミックスになって、そのアプリ自体は男性顧客が多そうだしコミックスのレーベルも少年漫画のものなんだけれどサイズがB6でどちらかというと青年漫画コミックス仕様、でも女性読者が多い一群、というものがありますよね。かつ流行りの異世界転生もの、さらに最新の流行り(?)の悪役令嬢もの含めて第1巻が出たばかりのもの5タイトルが目につきましたので、読んでみました。コミックアプリは「マンガワン」、レーベルは裏少年サンデーコミックスで出版社は小学館です。私はファンタジーはハヤカワFT文庫とか創元推理文庫、あとは朝日ソノラマ文庫なんかで育った世代なので、なろう系は全然通っていないんですが、ちょっと前から異世界ものが流行りなのは知っていましたし、長いタイトルのものが流行っていることも把握していました。しかしコレはさすがに出オチすぎてタイトルで内容が全部バレちゃうじゃん、とか心配していたのですがどうしてどうして、意外にもそれ以上に濃く深くおもしろくて、私は目から鱗が何枚も落ちたのでした…
 なのでちょっと語らせてください。何を今さら、という通の方には申し訳ございません…


●『悪役令嬢、94回目の転生はヒロインらしい。』

 ヒロイン(この作品における女性主人公、という意味です)は悪役令嬢ギルドのエース、マデリーン。
 この作品でのギルドというのは小説や漫画に「転生」という形で人材を送り出す組織で、マデリーンはそこの派遣スタッフであり、転生先でシナリオどおり「悪役令嬢」をまっとうしてみせるのが業務、という設定です。彼女はギルドのエースと目される優秀な存在で、これまでに93回の悪役令嬢仕事を瑕疵なくこなし、次の転生は昇格試験も兼ねた重要なもの。試験に合格すれば、転生しながらもシナリオに縛られず自由に動ける「正式キャラクター要員」になれるので、そのまま悪役おばちゃんギルドに移籍してヒロインの継母とかになってぬるく働くだけの「夢のぐうたら生活」を手に入れたい、と考えている、やる気があるんだかないんだか…みたいな女の子です。女の子、というよりはアラサーに近い20代くらいのイメージなのかな? まあまあ若いけれども能力もあるしベテランと言っていいくらいに仕事をこなしてきた経験ある存在で、もう安定した老後を視野に入れているちょっと疲れた女子、ってことです。つまり読者層の自己イメージが作品のヒロインにこういう形で投影されているわけですね。これは、レディスコミックなんかが出てきたときとはまた違う、一段階上がったフェーズの少女漫画の在り方だと私には思えました。新しい、そして凝っている、しかしわかる!
 マデリーンは与えられた役目をきっちりこなす優秀さを持っていて、かつ美しくポイント高くこなしてみせることにも喜びを感じている。ギルドの後輩たちからは憧れの存在と見られていて、そのことを誇りに感じてもいるし、後輩の指導もしてあげたいと思っている。でもトータルでは世界そのものに絶望していて、早く楽隠居したいと考えているワケです。ザッツ・リアル現代女子…!
 そんなマデリーンが94回目の転生で、システムエラーのせいで悪役令嬢ではなく「ヒロイン」ポジションで転生してしまう。転生先で悪役令嬢をやっているのはギルドの後輩で、悪役仕事がきちんと務まるのかはなはだ怪しい駆け出しのソフィーユで、ハナから縦ロール被りまでしている。「ヒーロー」役の王子・シリルは純粋無垢なお坊ちゃまでなんとでもなりそうなものの、マデリーンもヒロイン経験などないので、今まで対峙してきたヒロインの仕草なんぞを思い出しながら行動し、なんとかシナリオを完遂しようと奮闘し始める。エラーだと宣言して仕事を途中で放り出すなど、プライドが許さないからです。で、自慢の縦ロールも切ってサラサラのヒロイン・ヘアに仕立て、王子の好感度を上げ、後輩の悪役っぷりを上手く引き出すようサポートもし、ハッピーエンドを目指し始めるが…というお話です。
 ヒロイン仕草定番の悪気のない無礼さやずうずうしい無礼さを自分でやってはげんなりするマデリーンとか、後輩の古臭い悪役令嬢っぷりにヒヤヒヤするマデリーンとか、いちいち微笑ましくてニマニマ笑えます。お仕事ものの構造に近いのかなあ、とにかく小ネタがちゃんとオタク心を突いていて、とてもおもしろいです。黒髪縦ロール設定でスミベタ描写のソフィーユが、効果の都合上トーン髪になるととたんにマデリーンと描き分けができなくなる、という作画上のしんどさはありますが…まあ残念ながら少女漫画あるあるなので、これは目をつぶるしかないかな。
 さらに、そもそも転送をミスった原因っぽいナビゲーター・リオルドが「当て馬キャラ」教師のルーカス役として乱入してきて、それが妙に顔のいい、しかもSっぽい美青年で…という展開で、マデリーンは彼にサポートされつつシナリオを完遂すべくがんばる、という展開のようです。他に当て馬キャラは王子の護衛騎士だの学友だのが設定されているようなので、そのあたりはまさに当て馬とされつつ、マデリーンとこのリオルドとのラブストーリーが軸となっていくのでしょう。とてもよくできている構造だと思います。
 マデリーンのモットーが「清く正しく美しく」ではなく「強くただ悪しく美しく」なのも個人的にはツボ。そしてマデリーンは今までヒロインをあらゆる手で陥れる悪役令嬢として数々の犯罪を犯してきたけれど、なんせヒーローと結ばれることなく散るのがさだめだったので処女、そういう意味では「清らか」、というのがラブストーリーとしてはまた上手いポイントで、まあこのあたりはこの手の作品群のコードがどのあたりにあるのか私もくわしくないのでわかりませんが、お楽しみに、というところでしょうか。
 現代に生きる平凡なヒロインが異世界に転生してお姫さまになっちゃって王子さまとロマンスを展開…なんてものからもう数段先を、今のこういう作品群はやっているんですねえ。そして共感具合とドリーム感がちょうど良くて、かつおもしろい。イヤもちろんピンキリなんでしょうけれど、こうしてコミカライズされるものはまず原作小説に読者の一定の支持があるものが選ばれるのでしょうから、クオリティはある程度は担保されているわけです。漫画として上手く描けていればなおのことヒットする、という構造です。ビジネスとしても素晴らしい。
 ちょっと注視したいな、と思いました。今後さらに出てくる当て馬男子キャラもそれぞれカッコよく、そしてちょっとポンコツないし残念なのであろう…上手く描ければそれもまたそれぞれファンを獲得できるのでしょう。そして結局はリオルドがいいところをさらっていくのでしょう、そういうふうに先がある程度見えるのは大事、ベタはとても大事です。その上で小ネタがおもしろく、予想を裏切り期待に応えて、新しいときめきが提供できればベストでしょう。楽しみです!


●『ヒロイン不在の悪役令嬢は婚約破棄してワンコ系従者と逃亡する』

 ヒロインは前世でとある恋愛小説の日本人一読者でしたが、その小説の悪役令嬢ヴィアラとして転生します。裕福な公爵家の令嬢としてすくすく育ち、10歳を過ぎたころにやっと前世の記憶を取り戻すも、小説の展開に関する細かい記憶はモヤがかかったようなまま。親同士が決めて王子・バロックと婚約させられますが、小説では王子はその後「ヒロイン」ククリカと出会って恋に落ち、ククリカに嫉妬したヴィアラつまり自分はククリカに対して非道の限りを尽くして、最後には王子とククリカの婚礼の陰でギロチンで処刑される…というラストになることは覚えていたので、なんとかククリカと仲良くやって平穏な日々を過ごし、処刑エンドを回避したいと思っています。だが、3人が出会うはずの学園にククリカはいなかった…ヒロインが不在なのです。ということは自分は、小説では単にオレ様キャラだったけれど実は超傲慢で横暴で女好きでどうしようもない男だった王子と、このまま結婚しなくてはいけないということなのか…!? 従者のシドは「俺はお嬢の犬なんで」「お嬢は俺が守りますって」と言ってくれるけれど…!?
 …というのが基本設定の作品です。これまたすごいな、いろんな転生といろんな悪役令嬢があるもんなんですねえ! ヴィアラのまだらな「記憶」は「未来視」という能力のことになっている、というのもおもしろいし、実はククリカも転生者で、さっさと幼馴染みと所帯を持ってしまっているというのもおもしろいです。
 結局ヴィアラは、シスコン気味の兄(美形)や優しい気遣いを見せてくれる神官(美形)なんかの協力も得て、王子との婚約を破棄し実家と縁を切り、シドとともに国外逃亡することにします。もうただの落ちぶれた娘でシドとの身分差はない、晴れて両想いに…となるかと思いきや意外な障害が立ちはだかるのですが、それもまた少女漫画の定番でとても良き。1巻がものすごくキリのいいところで終わってしまっていて、今後どういう方向にお話が転ぶのか予想がつかないのがちょっと残念でヒキが弱いですが(次巻予告ページを捻出できなかった担当編集のミスだと思う)、ここまではタイトルどおりでもあるとも言えるので、これからのパターンも読めないのがいい方に転んで楽しみではあります。『悪役令嬢、94回目の~』の絵はどメジャー誌の少女漫画ふうでしたが、こちらはもうちょっと堅い、ファンタジー誌っぽい少女漫画の絵柄です。コスチュームに並々ならぬこだわりがあるようなのも楽しい(馬具とかは怪しいけど)。ヴィアラ大好きメイドのキャラとかも楽しい。これまた注視したい作品です。


●『悪役令嬢は夜告鳥をめざす』

 この作品のヒロインも前世は日本人アラサー女子。「アラサー喪女 お風呂で溺れて金髪翠眼美少女に転生しました」ってな感じで、目覚めたら名門伯爵家の三女リーゼリットになっている。お付きのメイドの名も自然と口について出てくるけれど、自分が転生したのは星の数ほど読んできたネット小説のどれなのかが思い出せない。というか読み過ぎていて似た設定が多すぎて、判別できないのです。自分がヒロインの友人やモブキャラであればこの世界で第二の人生を謳歌したい、と思っていたところに馬車の事故に行き合わせ、つい前世の記憶で蘇生術を駆使して人命救助をしてしまいます。実は彼女は前世では看護師をしていたのでした。やがて彼女は自分が転生した小説のタイトル、内容とリーゼリットが悪役令嬢であったことを思い出し、自分が救ったのは小説の冒頭ですでに死んだとされていた第一王子であることに気づいて、物語の前提を変えてしまったことに動揺します。こんな詰んだ状況でどうしたらいいのか、自分には何ができるのか悩みますが、小説ではやがて戦争が起きて人がたくさん死ぬ展開が待っていることを覚えているヒロインは、「助けられる命から目を逸らすことなんて私にはできない」と、この世界でのナイチンゲールを目指すことにする…というお話です。タイトルの「夜告鳥」は鳥のナイチンゲールではなく(ひばりでもなく)、あの有名な看護婦の名のことなんですね。
 リーゼリットはその後、美形の第二王子やら家庭教師の美青年やら語学を教えてくれる美少年やらの攻略キャラに次々出会い、男子への免疫ゼロの喪女らしくあわあわしつつも世間ズレしたアラサーっぷりも発揮してなんとか乗り切り、看護の道を突き進むのですが…と、展開していく模様です。
 この漫画家さんは原作小説の挿絵も担当しているようで、いかにもラノベのイラストレーターさんという緻密な描線の華やかな絵柄。お城も馬車もしっかり描けていて、好感が持てます。転生した主人公が前世というか現世というか、要するにその時代やその世界にはまだなかった知識とか技能で尊重されるようになる…というのはタイムスリップものなどにもあったものすごく古典的な構造ですが(『王家の紋章』や『天は赤い川のほとり』もこの類ですね)、妙なチート感がなくてヒロインが真面目で懸命なのがいいですね。でもそれも大人としてただあたりまえにやっているだけで、古い漫画のヒロインのむやみなひたむきさ、いじらしさみたいなものとは違うのです。そのバランスがとても絶妙だと思いました。これもある種キリのよすぎるところで1巻が終わっていて、次巻予告がないのが残念でした。


●『異世界転生して魔女になったのでスローライフを送りたいのに魔王が逃がしてくれません』

 この作品もヒロインの前世は日本人女性で、秘書として会社でバリバリ働いていたタイプ。目覚めたら生まれたての魔族の娘になっていて、出会った魔女に育ててもらって魔法をひととおり使えるようになる。せっかくなので魔界と人間界と神界があるらしいこの世界をいろいろ見て回りたい、とまずは魔王城の求人に応募し、魔王の宰相と大将軍の秘書として働き始めるが…というお話。その後いろいろあって城を出て、絵本に出てくる魔女のように薬や道具でも作ってスローライフを送ろう、と人間界へ移り、行き倒れの少年を拾って育てたら「お師匠さま」と呼んでくれる優秀な弟子の美少年になり、そこへ帝国の聖騎士だという金髪の美形が訪ねてきて、さらには魔王が城へ「秘書」を連れ帰りにやってきて…と展開していく模様です。
 この漫画家さんも原作小説のイラストレーターさんで、少女漫画の絵としてはもの足りないですね。華やかさに欠けるし、設定が美形のキャラもあまり麗しく描けていません。でも、1巻はまだ序盤というせいもあるかもしれませんが、あまり逆ハーのウハウハしたラブロマンスっぽくはなりそうにない空気の作品で、要するにあまりヒロインがときめきにポッと頬を赤らめるようなタイプではないので、中性的なファンタジー誌にありそうなこの絵柄がちょうどいいのかもしれません。これまたヒロインが前世・現世の技能でモテる構造ですが、ヒロイン自身はモテを望んでいないし歓迎もしない、むしろメーワク…ってのがいかにも今っぽいですね。小ネタも各キャラもなかなかイイので、読みでもあります。でも、三者三様の鞘当てをひととおりやったあとはあっさり魔王とまとまってオチちゃうのかしらん…?


●『異世界で聖騎士を箱推ししてたら尊みが過ぎて聖女になってた』

 またまたこれもヒロインの前世は日本人女子で、アイドルグループを箱推しして物販に給料を溶かしていたタイプのオタク。転生したら農民の娘ミレーナになっていたが、国の聖騎士隊の三騎士に惚れ込み、推して崇めていたら、聖騎士は神の化身であり神は信仰心が強い人間に力を与えるので、結果ミレーナは萌えのパワーで奇跡をバンバン起こせる聖女となり、騎士たちに加護を与えるようになって…というお話。これまた絵柄は堅くて、金髪美形の「金狼」と赤毛の男前「紅竜」、美少年ふうの「蒼鷹」の異名を持つ三騎士を、全然美しくも色っぽくも描けていなくてもったいないです。ただ、このヒロインも別に恋愛はしていなくて、ただ萌えているだけなんですね。そしてその萌え方、推し方はとてもオタクっぽい。むしろ接触なんて無理!ってタイプで、萌えで血は吐いてもときめきに頬を赤らめる展開はありません。読者はこのオタクっぷりに親近感を感じてニヤニヤ読むのでしょうから、あまり本気だったりせつなくなったりするようなラブ展開は求めていないのかもしれません。だとしたら少女漫画的にはもの足りなくても、この絵のライトさがちょうどいいのかもしれませんね。推しとは別に恋人づきあいしたいわけじゃない、ただ見ていたいだけなんだ…という精神性は私もとても理解できます(笑)。
 なので、この作品もあとは小ネタ次第、おもしろいエピソード次第かなという気がします。巻末にはオマケページも次巻予告もありますが、次巻予告がほぼノー情報といっていい代物なので…


 というわけで、同時発売の5タイトルでしたがみんな違ってみんないい、というか、全然ひとくくりには語れない作品群で、どれもおもしろく、読み応えがあり、私はとても勉強になったのでした。
 私は70年代後半の「りぼん」育ちで、オランダが舞台だった『ハロー!マリアン』とか、これは「なかよし」連載作でしたがご存じ『キャンディ・キャンディ』とかが大好きでした。つまり外国が舞台の大河ロマン少女漫画ってことです。『ハロー~』はリアルタイム以来読んでいないのでわかりませんが、『キャンディ~』は世界大戦なんかも出てきて、わりとちゃんと時代考証がされた外国ものだったわけですが(私も幼いながらに『はいからさんが通る』や『ベルサイユのばら』は史実に絡むものとしてきちんと把握できていたと思うのですが。あと東西ドイツに言及がある『小鳥の巣』があった『ポーの一族』なんかも)、当時は「ここではないどこか、いつか」の物語であることが重要だった気がします。つまりなんちゃって外国でよかったわけで、そこでのロマンチックでドラマチックなドリーム展開が大事で、そういう意味でファンタジー同然だったわけです。
 その後、おとめちっくブームなどでキャンパス・ライフが描かれるようになり、たかだか10歳かそこらの子供には大学はまだまだ、それこそファンタジーみたいなものでしたが、しかし舞台は日本にはなってしまったわけで、やはり卑近な感じがするようになってきました。そして学園の年齢がどんどん下がって高校生活が描かれるようになると、さすがに現実との地続き感が大きく出てきて、ドリーム感は薄くなりました。それで私は「りぼん」を卒業して白泉社や新書館の漫画を読むようになっていったんですけれど、SFとか本当のファンタジー作品を除けば外国が舞台の漫画って少なくなっていったように思います。
 でもその世界観ってもしかしたらラノベに、そしてなろう系に持ち込まれていって、今そのコミカライズという形でこうして漫画に戻ってきているんですね。まあ読者は大人、というかもっといえばアラサーとかフォーとか私みたいな50代だったりして、年齢一桁の女児が読むものにはあいかわらず外国ものはほぼないんでしょうけれどね(今は「りぼん」ではなく「ちゃお」ひとり勝ちですよね。そして妖精とか魔法使いとかが出てくるような漫画は多いのでしょうが、やはり舞台は日本なのでしょう…)。
 でもこの回帰、嬉しいなあ。そしてちゃんと進化していることもわかって、漫画って、というかフィクションって物語ってすごい、と改めて思いました。ちゃんと読者の指向・嗜好を取り入れて、新しいものになっていっている。可能性は無限だなあ、と胸のすく思いがしたのでした。
 この分野が得意な出版社、雑誌発信の作品はもっととんがっているのかなあ、それは私にはとんがりすぎているのかなあ…数がありすぎてどこから手を出していいのかちょっと悩むんですよね。でも、チャレンジしていかなくては…
 そんなことを思ったりしたのでした。







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『メリリー・ウィー・ロール・アロング』

2021年05月21日 | 観劇記/タイトルま行
 新国立劇場、2021年5月20日18時半。

 作曲家としてブロードウェイで頭角を現し、今はハリウッドの映画プロデューサーに転身して大成功を収めているフランク(平方元基)。彼は40歳にしてロサンゼルスの高級住宅街に豪邸をかまえ、アメリカンドリームの体現者として周囲からもてはやされている。だが、今の生活が空虚に感じられてならない彼は、ひとりになるとこれまでの人生に思いをはせる。思い出すのは、無二の親友だったチャーリー(ウエンツ瑛士)、メアリー(笹本玲奈)と駆け抜けた若き日々、そして永遠の愛を誓った妻ベス(昆夏美)と幼かった息子のこと…
 作曲・作詞/スティーブン・ソンドハイム、脚本/ジョージ・ファース、演出/マリア・フリードマン、振付/ティム・ジャクソン、翻訳/常田景子、訳詞/中條純子。
 1934年に上演された同名戯曲を原作にハロルド・プリンスとソンドハイムがミュージカル化を企画、81年ブロードウェイ初演。日本では8年ぶりの上演。全2幕。

 冒頭は1976年で、20年前まで「逆再生」していく構成。
 …はいいんだけど、デカいハコなのにご時勢柄だとは思いますが客席が埋まってなくて両脇と後方席がガラガラで寒いのはともかくとして、なのにまったくグランド・ミュージカルではなく、照明がやたらと暗くてマイクの音量が小さめで、なんかキャストみんなボソボソ語り歌うのはなんなんだ? そもそも主役からして「この人が主役です!」って登場の仕方をしないし…イヤひとりで現れるのでこの人が主役だろうとは想像がつくんだけれど、華がない、オーラがない、そしてわざとそういう演出をしているように見える。今、ショービジネスの頂点に君臨して得意絶頂…とかなんじゃないの? いや、騒いでいるのは周りだけで当人は虚しさを感じているのだ、ということなのかもしれないけれど、だったらそうきちんと描写してほしいのです。まずは主人公を立てて、興味を持たせて共感させるかせめて親近感を持たせて、彼が過去を振り返るというならそれについていって物語を追おう…って気にさせてほしいんですけど、そういう工夫が一切されていない舞台のように私には感じられました。チケット買って劇場に来ているんだからその準備はもうできているだろう、ってみなすのは、制作側の怠慢だと私は思うぞ。
 さらにソンドハイム独特の半音階の多い難しい楽曲を低音量でボソボソ歌われるだけなので、舞台として全然盛り上がらないしドキドキときめいたりもしないしもちろん爽快感もない。別に朗々と歌い上げるだけがミュージカルじゃないけど、でもミュージカルらしい楽しさが全然ない舞台で、別にそういう楽しさがなくてもいいけどだったらそれに代わるなんらかのおもしろみがないと観ていてつらいと私は思うんですが、結局それが最後までなかったように私には思えました。しょっぱい話もせつない話も私は嫌いじゃないんだけれど、この作品に関しては、「…で? 結局なんだっつーの?」と思ってしまったのです。うーん久々につらい観劇だったぜ…
 別に「たられば」の話ではないような気もしましたしね。フランクは確かにちょっと流され気味なところはあるけれど、ある程度はちゃんと自分で選択して、良かれと思ってその道を進んできたように見えますし、都度都度そんなに選択を後悔したりもしていないように見えました。だって若い頃の夢のままただまっすぐ生きられるわけないなんて、みんなが知っている当然の真理では? だから、不本意であれ納得ずくであれ下した選択で得た今の状態人生をきちんと享受し、楽しむべきなんじゃないの? それなりに喜びもありそうじゃん、いったい何が不満なの? 若い頃の理想を捨てたことを後悔してるってこと? でもその理想が正しかったかどうかはわからない、作中でも別にそうは描かれていない。そのままそこにこだわっていたら売れないし貧しいままで、今よりもっと不幸だったかもしれません。それでもその方がよかったっていうの?
 若い頃のフランクたちの作品は確かにもっと政治的なもので、世界を変えよう、という志にあふれたものだったようではあります。でも売れるためにまずはオーダーどおりの仕事をこなす、ってことも大事だし、そう簡単にできることじゃないよ? そして大衆に迎合したような大向こう向けのどメジャーで浅薄なエンタメにだって、世界を変えるパワーはあるんですよ? そういうものを不当に低く見る視線に私は与しません。たくさんの人にウケて関わる人みんなが儲かる、というのはとても大切なことです。なのでフランクが抱えているらしい忸怩たる思いみたいなものが、私にはよくわからないのでした。チャーリーたちが彼の不義理さに怒っているのはわかるけれど、そればっかりなのも大人げないなあ、と思っちゃいましたしね。
 浮気だってなんだって全部自分がしたことじゃん、それで離婚して再婚するなら今の相手ときちんと向き合いそこから幸せになる努力をすべきでしょう。何もしないままで、ただ、こんなはずじゃなかった気がする…とかってボケッとしてるとか、何を甘えてんだふざけてんのか、としか言いようがありません。潔くなさすぎる、無責任すぎる!
 なので、とにもかくにもガッシー(朝夏まなと)がよかったです。ガッシーはメアリーよりベスより全然いい役だし、とても大きい役だと思いました。そしてキャストとしてもまぁ様が一番よかった。ブロードウェイの大女優役だからってのもあるけれど(しかも冒頭は歳をとってやや落ち目になりかけている状況だけれど)、華があってオーラがあって、自分のやりたいことがちゃんとわかっていて、できているし、できていない時期でもそのために努力している女性で、常に生き生きしていて、ばーんとしたナンバーもあるし、日常生活での微妙な芝居もきっちりやりこなしているキャラで、すごーくすごーくチャーミングでアグレッシブで、よかったのです。私がまぁ様目当てでこの作品を観に行った、ということを抜きにしても、高く評価したいです。というか他に観るところがなかった…あとよかったのはあきちゃんのオーディション参加者だけだよ、イヤ渚あきはスペンサー夫人も他の役もよかったですけどね。
 アンサンブルも歌える人も多くて、わりと豪華でしたよね。でもなんか不揃いで、すごく不発に見えました。なんなんだろう? 演出のせい? メイン3人もホントはもっとなんでもできる人たちなのに、なんなのこの精彩のなさは…
 大ラス、メイン3人が20歳のころを演じている場面が一番キラキラしていて(ずっと話題にだけ出てきたチャーリーの妻、というか妻になる女性の役がここにだけ一瞬出ている、というのはお洒落だと思いました)楽曲も歌唱も伸びやか、ってのはあえての演出なのかもしれないけれど、だったらなおさら、そこから特にオチはないんだ!?ってのに仰天しますよね…歌っていたフランクが服を着替えて20年後の姿になって、呆然と虚空を見つめておしまい、って、なんて救いのなさなの…それともそれがこの作品の描きたかったことなの? 本当に? そんな自己憐憫、浸っていて楽しいかな? 無意味すぎません? 人生なんてそんなもの、と言いたいのなら、私は全然賛成できません。イヤ賛成できなくてもおもしろいと思える作品はいくらでもあるけれど、ただつまらないってのはどーなんだ…
 フランクにはもうメグというガッシーの後釜がいそうで、これからも似たような暮らしを続けていくんだろうな、ってのがすでに冒頭に描かれていましたよね。本当にそんなに自分の意志がないままの流されるだけみたいな人生でいいのフランク? でもいくらちょっと昔の設定だからって、彼の人生はここからもまだ先けっこう長いよ? もう老衰しててあとは心臓発作で死ぬのを待つだけ、みたいな歳じゃない。それをずっと、たらればを思ってぼんやり後悔して生きていくつもりなの? それをカッコいいこととして描いているってことなの、この作品は? …ダサ! だってこうやって過去を振り返って、それで原点に立ち返り、人生を変える決心をした…という描写にはなっていませんでしたよねラスト? 私が読み取れなかっただけじゃないですよね? ならフランク、自分が選択してきた人生に今からでもきちんと向き合って、受け入れて、そこから何を成し遂げていくか考えろよ、って説教したくなるんですけれど? せめてフランキーにはこの父親の生き様が反面教師になりますように、と祈りたくなりますね…
 単に私がこの作品に全然合わなかったというだけのことで、まったくの解釈違いだったらすみません…すっごい感動した、という方にも、すみません…
 おしまい。



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宝塚歌劇星組『ロミオとジュリエット』

2021年05月19日 | 観劇記/タイトルや・ら・わ行
 宝塚大劇場、2021年2月14日13時(初日)、24日13時、26日13時、27日11時。
 東京宝塚劇場、4月16日15時半(初日)、5月12日18時、18日18時。

 イタリアのヴェローナに古くから続くふたつの名門モンタギュー家とキャピュレット家は、何代にもわたって争いを繰り広げていた。キャピュレット家では、娘のジュリエット(舞空瞳 )とヴェローナ随一の富豪パリス伯爵(綺城ひか理、極美慎の役替わり)の縁談が持ち上がっていた。一方、モンタギュー卿のひとり息子ロミオ(礼真琴)はまだ見ぬ恋人を想って森を散歩していた…
 原作/ウィリアム・シェイクスピア、作/ジェラール・プレスギュルヴィック、潤色・演出/小池修一郎、演出/稲葉太地、音楽監督・編曲/太田健。2001年フランス初演、2010年日本初演。全二幕。

 初演の感想はこちら。雪組版はこちら。月組版はこちら。星組再演はこちら。外部版はこちら
 今回の初日雑感はこちら
 緊急事態宣言の発出で、持っていた東京A初日のチケットが飛んだのが恨めしい…でも結果的にはABバランスよく観られたのかもしれません。
 というか私はなので生で観る予定がまだあるからと配信をまったく見なかったのですが、無観客上演での配信は演じている側も見ている側もさぞ寂しかったことでしょうね。おのれコロナ、そして無能な政府よ…東京初日のカテコでこの劇場の満席の客席を見るのが2年ぶり、と言って感極まった様子だったこっちゃんの表情が忘れられません。再開後、それでも12日夜のロビーはまあまあうるさいなと感じましたが、18日夜は注意喚起アナウンスもそれはそれは頻繁で、さすがにみんな言葉少なに思えました。千秋楽まであと少し、みんなでがんばっていきましょう。そして無事に花組さんを迎えられますように… 

 というわけで、個人的にはBパターンの方がおちついて楽しく全体を観られて浸れた気がします。かりんさんパリスの出番が少ないからね(笑)。で、ぬめぬめ怪しい愛ちゃんの死に浸れる。愛もきさちんの方が好きだったかなー。というかさりおはめっちゃ痩せちゃいましたね、ちょっと心配…
 でも、正当な配役はAなんだろうな、という気もしました。もちろん今後の上演でも2番手が死を演じる役替わりもあってもいいだろうとは思いますが、そのときの生徒の個性やポジションにもよりますよね。私は申し訳ありませんがせおっちとぴーにそんなに興味がなくて、今回も特に目覚めることはなかったので、そのせいもあるのかもしれません。あかベンかりんマーの組み合わせが観たかったよ…でもさらに目が足りなくなるだけだったかしらん?
 ティボルトは、やはりベルナルドもやっていることもあって、こじらせっぷりとかでもそれを乗り越えようとあがいている感じとかが、愛ちゃんの表現の方に一日の長がある気がしました。どなたかのつぶやきにありましたが、ペルソナに順応する強さ、自己肯定感のた高さが愛ちゃんの方にはあった。あと単純にデカいので、ベンマーふたりがかりで喧嘩するのも納得の、いいライバルに見えました。でもせおっちも、また違う意味でかわいそう感とか悲壮感とかはあっていいかな、と思いました。ただ、芸風が小さく見えたかな…そしてベンヴォーリオではただのいい人に見えてしまって、これまた小さかった気がしてしまいました。
 ベンヴォーリオはなんてったってあかさんの「どうやって伝えよう」が絶品! 花組時代も歌がいいなと思っていましたがあまり歌う機会がなく、組替えしても前作はこれまたとりあえずな置かれ方だった気がしましたが、美形だしタッパもあるし踊れるし、これまた今までの星組には意外といなかった感じのスターとして座を占めていけそうで、一安心しました。まあまあちゃんとしてそうなんだけど一周回って意外と粗忽、という役作りがとてもよかったと思います。パリスは、鼻持ちならない金持ち感が出ていてこれもよかった。「♪莫大な相続がこの私を待っている」って、父親とかではなくておそらくは恩義ある縁者からのものなのでしょうが、その死をもはや規程のものとしてルンルン歌い上げちゃう非道さがとてもよく似合っていました。うん、ジュリエット、嫌って正解(笑)。
 ぴーマーキューシオはなんか私は目と耳が滑ってあまり印象に残らず…意外とええ声なのがマキュにはアレなのかなあ(みやちゃんマキュの声とかよく記憶しているのですが…)、まあフツーにキレキャラをよく務めていたと思うのですが…死はお衣装の、特に上体がなんかダボッとして見えるのが気になりました。それでなんかあまり人外感を感じられなかったのかなあ…
 大公とピーターはどちらもちゃんとしていてよかったですね。ジョンはさすがに差異がよくわからなかったかな。
 みっきーシュリパパはジュリエットについ手を上げるくだりの芝居とソロが、公演後半ではとてもいい感じにヒートアップしていてよかったです。初日にはちょっともの足りなく感じたので…そしてあんるジュリママは、とにかく歌いこなそうとしんどい努力をし続けているのが見て(聞いて?)取れましたが、喉をつぶしたりすることなく完走できそうなのでまずはよかったです。これも初日はどこかで休演するはめになるのではないか、と心配したので。でも小桜ほのかとかでも観たかったかな…
 みきちぐロミパパ、なっちゃんロミママは手堅く上手い。せおベンのアタマをつかむロミママの強さよ…(笑)そしてもちろんじゅんこさん神父の、ちょっと俗っぽいところが見えなくもない、いい感じの包容力もよかったです。完全無欠の聖者じゃないところがいいんだと思うので。くらっち乳母も、歴史に残る素晴らしさでした。
 その他のAB分けアンサンブルだと、Bのモンタギュー男のあまとくんはやはりイイね力入ってるね!って感じで目がいったし(代役ロケットも圧があってよかったです)、キャピュレット女はAのマメちゃんの艶やかさ、Bの水乃ちゃんあまねちゃんのカッコ良さをガン見しましたし、モンタギュー女ならAのるりはな、綾音ちゃんが好きでよく目で追っていました。
 こっちゃんは本当になんでもできる人で、でも今回はあえての美少年芸でロミオをやってみせていて、さすがでした。「僕は怖い」の絶品ぶりは長く語り継がれることでしょう。
 そしてより強くひたむきに現代的になったひっとんジュリエット。「今行くわ(怒)」は賛否両論あったようですし、ロミオがちょっと引いて見える回もあったけれど(^^;)、リアルなヤングさがあってよかったし、恋する乙女のリリカルな姿とも両立するものだと思うので、私は好きでした。歌もこっちゃんに引っ張られて、すごーく成長しましたよね。そして圧巻のデュエダン! もちろん今度は振りの少ない、ゆめゆめしいダンスも観てみたくはあります。両方できるとホント強いよ! まだまだ伸びしろがあることでしょう、さらに大きく育ってほしいトップ娘役さんです。
 では最後にかりんさん。単なる盲目的なファンの戯れ言で申し訳ありませんが、ホント心配していたよりまずマーキューシオが良くて安心したし、でももちろんまだまだ雑というかできていないこともたくさんあるのも見えるし、でもホント華があってタッパあってスタイル良くて顔が良くて目を惹くし、ホントはそろそろソレだけじゃダメな年次なんだけどでもこの段階ではたいしたものでは?とつい甘やかしてしまうファン心理なのでした。当人はもちろん悩みあがきがんばり、かつ楽しんでやっているんだろうと思います。愛ちゃんゲスト回のドリタイ、めっさおもろかったなー(笑)。パリスもホントにキュートでいい感じに残念で(笑)、とてもいいバランスだったと思いました。コレに耐える強さはひっとんジュリエットにはまだないよね、逃げて正解(笑)。
「マブの女王」の歌はぴーの方が上手かったと思います。というか全体に歌はまだまだ足りないと思う。でもなんか、そういう在り方もマキュっぽいとも言えるかな、と感じました。
 100パー陽キャみたいな空気感あるんだけれど、意外とほの暗いところもあって、それが死に際に結実するようでもある。ロミオに「謝るのはガキだけだぜ」と嘯いても自身も十分に若く、愚かで、でも「♪俺は憎む、どっちの家も」と言えるだけの視野もある青年。そしておそらくはアドリブで「ロミオ、ありがとな…」と言って死んでいける青年…そのあとの死に踊らされるダンス含めて、好きでした…!

 はるこ様のお取り次ぎでSS席で観たときに初めて、フィナーレの男役群舞のお衣装が下半分が濃い色になっているのに気づきましたよ…顔しか見ていないんで単なる影の暗さかと思ってた(笑)。このときは正面がほぼかりんさんで、そっちばっか見ていたら、基本的にこっちゃんを見ている同伴親友とは視線が交差したらしく、失笑されましたテヘペロ。ほのかみたいな端正さもおださんみたいな骨太実力も持ち合わせていないんだろうけど、上手く育ってほしいですホント…!
 …はっ、でもコレまた極美日記じゃないから! まだだいじょぶだから! …とムダにあがいて、今回はあっさりめに終わります。




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『桜嵐ドリチェ』初日雑感~珠城日記ファイナルへ向けて

2021年05月17日 | 日記
 宝塚歌劇月組大劇場公演『桜嵐記/Dream Chaser』初日の5月15日13時と、16日11時、15時半友会貸切を観劇してきました。ご存じたまさくサヨナラ公演です。
 まずは予定どおりに無事に上演されて、本当によかったです。行きも帰りものぞみ車内でごはんしたけど、観劇後も宿に近い街でノンアルビールでごはんしたけど、大休憩もソリオでごはんしたけど、すべてひとりだったし、バッタリした月担友たちとも最低限の挨拶とコーフンの身振り手振りと笑顔ですれ違うだけで、隣の席の友達ともLINEかTwitterのリプでしゃべり(笑)、うがい手洗い手指消毒の飛沫対策は引き続きがんばったつもりでいます。客席もロビーも東京よりかなり静かだったと思いました。公演が無事に続けられるためにも、引き続き心して、できうる限りのことはしていきたいです。完走を祈ります。
 初日は友会で当てたSS席の端っこ、2回目は珠城会のお友達にお取り次ぎいただいたおかげで1階後方どセンターの視線勘違いし放題席、そして友会貸切は芝居冒頭にるうさんに話しかけられる下手タケノコ席でした。「南北朝、ご存じですか?」と尋ねられて、ウンウン頷いてみましたが、華麗にスルーされて台本どおりの説明に入られてしまいました…(笑)
 そう、私は父の蔵書にあった吉川英治の『太平記』を中学生くらいのときに読んでいましたし、大河ドラマの再放送を昨年BSで見ていたので、南北朝の基本的なことは知っているつもりでした。でも最近では、まあそれは現代史だからかもしれませんが、「えっ、日本ってアメリカと戦争したことがあるんですか? しかも負けたんですか?」とか平気で言うお若い方もいるとかいないとかの話を聞かなくもないので、歴史のどのあたりまでがどれくらいの常識、教養として一般的に抑えられていると見るかはけっこう基準が怪しいので、冒頭にるうさんが時代背景を簡単に解説をする、というのはとても安心できる、良き措置だったかと思います。くわしい方には雑なまとめだと思われちゃうかもしれませんが、必要十分だったと思いましたしね。
 そしてここで快活に解説していたるうさんが、なっちゃん老御門跡が現れたところで急に老け声になり、こちらも謎の老人になる…というのがとても鮮やかでした。舞台の魔法ですよねえ。ちょっと予習しちゃうと、そしてプログラムにも記載はあるので先に読んじゃうと、このるうさんはれいこちゃん演じる楠木正儀ののちの姿で、なっちゃんはさくさく演じる弁内侍ののちの姿である、ということがわかってしまうのですが、何も知らずに臨むと、芝居の後半に彼らの会話でそれが明らかになる作りになっています。そういうのもとても素敵だなと私は感心しました。
 そして私の知識も楠木正成止まりで、その三兄弟のことは知りませんでした。で、これまたちょっと予習してしまうと、正行と弁内侍のエピソードはとても有名で、かつとてもせつなくドラマチックなものなので、もうそれだけで物語としてはできたも同然だな、と私なんかはちょっと思ってしまうくらいのものでした。なので初日は、くーみんにしては、しかも直近作がやや変化球と言ってもいい『fff』だったので余計に、てらいのない、非常にオーソドックスな、ベタな、直球な、工夫のない、もっと言えば芸のない作品に思えて、イヤまあその質実剛健さとかド直球ぶりこそ珠城さんの持ち味なんだけどしかし、なんかこう、あまりに…イヤ悪くはないんだけど…やっぱ日本物っていろいろ制約が多くて難しいのかな…『星逢』と比べてもなんか…イヤくーみんはあえて伝統的な日本物に仕立てたい、みたいな意欲も語っていたようだけれどしかし…とか、わりと、ちょっと、いやかなり、私はとまどいました。ぶっちゃけ低評価でした。なんかちょっとあたりまえすぎて、泣けませんでしたしね。私は人が死ぬってだけで泣くようなチョロさは…いえ失礼しました、純真さは持ち合わせていないのですよ…
 でも、2回目の観劇で、どセンター席で冒頭から珠城さんにもれいこにもちなつにもビンビン弓矢で射貫かれたせいもあるかもしれませんが(笑)、全体に流れがある程度抑えられたところでおちついて観てみると、やはりいろいろと繊細に計算されて丁寧に作られている舞台で、そんなに安易にできているものではないな、と刮目しました。前半は確かにコミカルというかユーモラスな部分も多いのだけれど、やはり真骨頂はシリアスになってからの後半部分で、特に桜の吉野から四條畷への変換は鮮やかで、サヨナラ仕様も兼ねたラストシーンの作り方が最高に絶妙で、感動したのでした。やはりこの巧みさは凡百の作家にはできますまい…! そして適材適所、当て書き、退団者への餞、組子への篤い信頼が感じられました。座付きの仕事として素晴らしい。大傑作とか世紀の名作ってほどではないかもしれませんが、『神土地』といい『fff』といい今作といい、「サヨナラ公演に名作なし」という宝塚歌劇界隈に伝わる残念なことわざ(?)を裏切ってくれる、さすがくーみん、という作品かと思います。宝塚歌劇あるあるとしてリピートするのはファンだけなので、組ファン以外の方が一度観る程度でもちょうど良く、ファンがリピートして端々を観たりいろいろ考察を深めて考えていったりするのも楽しい作品なのではないでしょうか。少なくとも私は、来週も雪バウとハシゴで観劇しますし新公もお取り次ぎを頼んでありますし前々楽も友会が当たったし東京公演だってあるしでまだまだ通う気満々なわけですが、楽しく観られそうで一安心です。
 以下、ネタバレ全開で現時点での印象的だったことどもを語らせていただきます。未見の方はご留意ください。

 解説パートのラスト、病に倒れる後醍醐天皇、南朝から去っていく武士たち、残る楠木正成の後ろ姿、そのあとを追って立つ若く凜々しい後ろ姿…それが正茂が長男・正行、珠城さんなワケですよ。そのまま階段上がって、ライト、振り向いて、拍手! …たまりませんね。また五月人形のような麗しさで、輝いていました。
 その前に開演アナウンス…だったかな? 指揮者に拍手するタイミングはないので、私はもう開き直って主演者の名乗りに拍手することにしました。
 続いてれいこ演じる三男・正儀が現れて拍手! さらに続いてちなつの次男・正時が現れて拍手! みんな名前とキャラを名乗ってくれる親切設計(笑)。全部のお衣装がそうってわけではなかったけれど、三兄弟となると珠城さんがアカレンジャーでちなつがアオレンジャーでれいこがキレンジャーな感じなの、めっちゃよかったです。ざっと言えばそういうキャラです(笑)。
 それからするとこの前のターンの、ヒロさん、まゆぽん、おだちんにいちいち拍手を入れるのはちょっと解説が途切れるしこっちも煩雑なんだけれど、あの演出ではもう仕方ないかなー…
 プロローグが終わるとゆりちゃん高師直の湯殿場面。ゆりちゃんが、悪役声もいいけど目元めっちゃ描いててマジで誰!?ってレベルですごいです。専科異動も納得だ、ただのロイヤル上級生じゃなかったよ…という怪演にして快演、素晴らしい。この間までなんか昭和の青春ドラマみたいな不倫カップルをやっていたゆうきに、裸身を見せよと迫る…すごい。さち花とはーちゃんがまたいい仕事していて、侍女が可愛子ちゃん揃いで、師直さまってば…となるところに弟のれんこんが来るんだけれど、こっちもめっちゃええ声で、ナニこの悪役兄弟、魅力的すぎて怖い…ってなりました。
 続いて峠の場面。弁内侍の輿が襲われているのを助けに入る正行さまが、もうめっちゃヒーロー! こういうときつい『BANAN FISH』のショーターの「入ってほしい時に入る助け まんがはこーじゃなくっちゃね」という台詞が脳内をよぎる私なのでした…
 ここのふたりの会話がまず、いい。弁内侍がけっこう失礼な態度を見せるので、正行もへりくだって見せているようでけっこう慇懃無礼なのがいいんですよね。正行さん、女子に対しても甘くチャラいところがない、朴念仁なのであろう…(笑)そして人足ジンベエ役のからんちゃんがまたいい仕事をしていて、正行さんはそれをまた上手く利用して、弁内侍を行軍に同行させる。「飯の煮炊きでも~」と言うのは内侍の気持ちを軽くさせるために言っているんだろうとも思います。あえてざっかけないことを言っているんですよね、愛しいわ。
 そしてカッコ良く登場するちなつ正時、弓を振り扇を振って…何故か猪を丸焼きにしている(笑)。こういうの、実はくーみん上手いよね。やはり関西人だからなのか!?(笑)(東京者のお笑いへの偏見…)でも戦争って補給も大事だし、人は食べないと生きていかれないので、食事のシーンって大事ですよね。お嬢さん育ちでお料理なんかしたことないんだろうな、という弁内侍の怪しい手つきもまた愛しい。そこからのソルフェリーノ展開がまた上手いし、敵軍といえど雑兵はただの雇われ民間人なのだから勝負が決したあとは正行が負傷者を救わせた、というのは史実なんだそうですね。処刑の振りと、そこからのそれを弁内侍の恩赦だとするところ、正行さまったらニクいわー。そして歌い踊られるどっこいせの歌、盆回り…上手い。上下花道をハケていく北朝の兵士たちの芝居がまたイイのよ!
 盆が回って現れるのは赤坂の楠木の館で、郎党の子供たちに剣術を教えているのは三兄弟のママでこれが退団の香咲蘭、正しい。子役の芝居がまた上手い…! そして一足早く帰宅した愛妻家の正時と、くらげ演じる愛妻・百合との『キックオフ』(古い…)展開にまたニマニマ。しかしここでの「何があっても生きていけ」みたいな台詞は、のちの伏線にもなり、また正時にもこの先のさらに厳しい戦いが見えていたということを表しているんですよね…
 さて、行軍はもうすぐ吉野というところで最後の休憩を取ります。「どう?」一言で笑いが取れるれいこ、ホントいい(笑)。てかこの場すべてたまらなくイイ。さくさくの歌がまたすごくいい。正儀が引き返してきてからの河内弁についてのやりとりもめっちゃイイ。「無理」はこの時代っぽくない台詞なんだけどくーみんはあえてやらせてるんだろうと思うし(『月雲』のセンス発言を想起しました)、そこからの結局しゃべってくれる正行さまもホント優しくてイイ。そしてこれがまたのちに、素で河内弁になる「じゃかあしい!」に通じていくのですよね…私は呼称とか口調フェチなのでもうホントたまりませんでした。
 京では高兄弟とおだちん尊氏のトーク。花一揆がゆーゆにゆうき、菜々野ありちゃんに羽音みかちゃんなのサイコー! そしてそんなん侍らせておきながら師直に「女性(にょしょう)の脂は身の毒ぞ」とか言っちゃう尊氏さまサイコー!
 場面は簡素な吉野の行宮へ。正行の戦勝報告を聞いてもてんでやる気がない公家たちを、さち花やはーちゃんたち娘役にやらせているのがまた上手い。そしてヒロさんのスーパー・アモナスロタイムへ…『fff』の雪原場面ほどではない、舞台ではよくある回想が現実に入り交じる演出ですが、やはり上手い。花一揆のメンツに血の猿楽役を与えているのも憎い。スターの起用都合かもしれないけれど、やはりあえてのことだろうと思いました。
 今回は勝った、しかし依然武力の差は歴然としている。戦いは新たな戦いを生むだけ…正行は南北朝合一を目指して北朝と和議を謀ろうとし、優しいありちゃん後村上天皇もその意見を容れようとし、しかし父・後醍醐天皇の幻、またの名をアモナスロがそんな惰弱を許さない…かつて後醍醐天皇のもとで弁内侍の父・日野俊基ギリギリも死した、ヤス北畠親房の息子・顕家るねっこも死した、正行の父・正茂まゆぽんも死した。残された者はその想いを背負って生きるしかない、戦い続けるしかない、和睦など許されない…夫を失い、息子に賭ける阿野廉子たんちゃんがまた素晴らしい。これまたこれで退団ですが、そうなのよ可愛いだけじゃないのよダンスだけじゃないのよ芝居もできるのよ最後にこの起用は嬉しいわ…! この「主上…!」にはしかし、呪いもまた込められるのでした。私は『ベルばら』(もちろん原作漫画の)で夫がギロチンにかけられたあとアントワネットが息子に跪いて言う「新国王…ルイ17世陛下…」を思い起こしました…
 しかし正儀は言わないではいられない、「父は北朝に殺されたのか、それとも無謀な戦を命じた南朝に殺されたことになるのか…」と。武士の息子は武士、しかも戦は得意で嫌いじゃない、だからやってきた。しかしこのままでいいのか? あんな者たちのために…? 正行は強要はできない、しない…自分にも迷いや悩みがあるからです。長男の背負う重みと苦悩、似合うわー…そして銀橋のソロ。花は咲く意味を知って咲くのだろうか、どうせ散るのに何故咲くのだろうか…といったことが歌われ、負け戦とわかっていても戦わなければいけないのか、死ぬとわかっていても戦地へ赴くべきなのか…というようなことが重ねられます。それでいったら人間はみな、生まれた瞬間からいつかは死ぬことを知りつつ、それでも生きていくわけですが、それでもこんなに短いスパンでは考えたくないものだし、また戦死するのと天寿をまっとうするのとは違いますものね…
 正行を迎える後村上。ふたりが実は幼友達、というのがまた、お互い月組の御曹司として上げられて育ってきた珠城さんとありちゃんを思わせるようで、響きます。じゅりちゃんの中宮がまたイイんだ! そして弁内侍を正行の妻にどうか、と提案される。「よろしいな?」と聞かれて小さく「…は」と応えるさくさくの可愛らしさったら! しかし正行さまは老い先短い身で妻など持てない、内侍にまた親しい者を亡くす経験をさせたくない、と断る…もう、もう…!
 そしてさもありなん、それこそ彼らしいと思いつつも、泣いて歌わずにはいられないさくさく…!!
 正行が帰宅すると、尊氏と高兄弟がナンパに来ている。これはさすがに創作なのかしらん? 「斬れということですか」と言って静かにキレている正行さまがまたたまらん。そして百合の顛末…そのあと、全員が出てきて主人公にアレコレ言うのは最近だと『夢千鳥』でもあったこれまた定番の演出なのだけれど、なんせ人数が多いし凄みがありました。
 さてここで、「なんのために戦うのか」という問いに正行は「日の本の大いなる流れのために」みたいなことを答えとします。これまで、父親の仇である北朝を倒すため、とも恩義ある南朝の栄耀栄華のため、とも明言せず、「なんのために戦うのかを知るために戦っている」というようなことを言ってきた正行が、です。でも、残念ながら私はこれがちょっとピンとこないんですよね…要するに分が悪いことははっきりしていてほぼ負け戦確定とわかっていて何故なお戦うのか、という話で、そこにどんな観客が納得しやすい答えを用意するか、という問題です。幼友達の天皇を見捨てられないとか米を作り貢いでくれる在郷の人々を守りたいとか天皇中心の国家を作る大義とか敬愛する父への忠孝とかまあいろいろあるんだけれど、そういうことではなくて…ということなのでしょうが、でも歴史の渦中にいる人にはその流れなんか見えなかろう、とも思っちゃうんですよね。あと、敗色濃厚でも自分たちが負けることでむしろ南北朝合一が早まって結果的にいい、というほどの要素も正行たちにはないように見える(少なくとも作中ではそう説明はされていない)。なので、いろいろ足抜けしづらいのはわかるんだけどでもやっぱり犬死にじゃね?って気はしてしまうんですね、私は。この結論に納得できない。そもそもこの命題、女子供からしたら「イヤなんのためであれ戦うなよ、生き延びていこうよ」と言いたくなるものなわけですよ。もちろん腐敗した政府とかには戦っていきたいよ、今なんざまさに立ち上がるべき時ですよ。でもそれはたとえば泣き寝入りしたりせず正しく声を上げていこうね、とかちゃんと選挙に行こうね、ってなことであって、剣とか弓とかは振り上げないわけじゃないですか。そういう暴力的な、戦争に関するようなことはとにかく何がなんでもNO、というのが戦争放棄した現代日本での考え方であって、ここにこの主人公の結論を添わせるのはかなり難しい。しかも現状、そうして彼らが築いてくれたその日の本が、ろくな国になっていないだけに…
 ただしここには実は、宝塚歌劇107年の歴史の流れの中で月組のトップスターを5年半に渡り務めた珠城りょう、というのが重ね合わされていて、それはとてもよくわかるのです。私は若い頃から珠城さんが好きだったけれど、劇団のアピールの仕方やお膳立てが下手で、特に前政権でのポジション作りが変で、要らぬ苦労もいろいろさせられたでしょうが、全部背負って飲み込んで引き受けて、一作一作真摯に主演を務めることで応えてきて、組を盛り立て、なんとかかんとかやってきて今、卒業していこうとしている。2番手である弟と、3番手である幼友達兼主君に次の世を託して…それは、珠城さんご卒業後も宝塚歌劇を見続けていき、その大いなる流れを見ていくつもりでいる私たちファンにとっては、わかりやすい感覚です。私なんざすでに次の博多座初日にれいこセンターの『ドリチェ』を観て号泣する自分の未来が見えています。
 でも、正行が南朝で戦う理由の「日の本の大いなる流れのために」は、正直よくわからない。彼が作ってくれた日本の未来である今を私が生きていて、その渦中にあるから、今までの流れがこれで正しかったのかどうか判断できず、自信も持てないからかもしれません。今の世が情けないことになっているだけになおさら、彼の犠牲のおかげで今の世の幸せがある、ありがとう、あなたは正しかったんだよ…とか、残念ながら思えない。だから私はこの物語を観ていて最後まで泣けないでいるのかもしれません…
 出陣を明日に控えて如意輪寺を訪れる正行、桜は満々開。今年の桜はことのほか美しく見えると言う弁内侍に対して、毎年美しいですよと無粋な答えをする正行。でもこれはその前に、廉子が夫を失ったのちは桜が美しく見えなくなった、と言ったことを引いていて(正行はこれを聞いていないけれど、作品として)、そういうことのないように、として言っているんですよね。つまり自分は次の戦で死ぬ、自分に心を寄せてくれているこの人は心を痛める、けれどそれで毎年花が楽しめなくなってしまうことのないように、自分がいなくとも幸せに生きていってくれるように願う…ということなんですよね。そこからの今宵一夜、要するに死ぬ前にやることやっときましょう(オイ)、ってのを内侍の方から言うのがいい。まあ男が言い出すと結局ソレが目当てかよってなるんだけどさ、この娘役の方から押せ押せな感じが実にたまさくでイイのですよ! 舞台セットが全部飛んで、ホリゾント全面が桜で、猿楽の女たちが踊り、盆が回り…ベタ最高! カゲソロはりりちゃんと聞きましたが本当かな? とにかく美声で酔わせてくれます。ふたりのセリ下がる後ろ姿によかったねえぇと泣く…暇もなく、舞台は鮮やかに四條畷の戦場に変貌し、舞い散る桜吹雪は砂埃と化します。兵士たちが斜めに入ってくるのがまたいいんだよ…!
 正時と義父ぐっさん、義弟うーちゃんとのやりとり、その死、そして父と幼いころの蘇る思い出、どっこいせの歌。卒業するトップスターが次期トップスターにかける言葉に重ねる台詞は数あれど、珠城さんかられいこちゃんへは「おまえがやれ!」ですよ、たまらん! そして万感の「さらば」「さらば」。あとからんちゃんのまたまた泣かせる慟哭ね…!
 そしてそして、ここで最後に正行が言う「ひとりの女」はもちろん弁内侍のことなのだけれど、私たちファンひとりひとりのことでもあるよなと思うと、もうありがたいやらせつないやらで胸が締めつけられるのでした。そしてやはり同時退団でないとこういう台詞は重ねられない気もしたので、当初はれいこのために残ってくれてもいいのよさくさく同時就任ではなかったのだし…とか思ったものでしたが、やはり一緒に卒業することを選んでくれてありがとうさくさく…!となるのでした。
 盆が回ると、聖尼庵。冒頭のなっちゃん御門跡とるうちゃんの老人が思い出話をし終えたところとなっています。あのとき泣くのでやっと今言えた、ってさくさくどんだけ…イヤそれもラストを考えれば納得なのでした。ともあれ正儀は40年かけてやっと戦を終わらせ南朝を終わらせ、南北朝合一をはたして楽隠居できるのでした。
 下手に正儀、上手に正時が現れて、最後の出陣式の様子が再現されて、物語は終わります。上手花道から現れた正行が銀橋真ん中まで悠揚出てきて、正面向いて「お別れを、みなさま」…なんという『忠臣蔵』案件…! 後村上が「戻れよ」と声をかけ、しかしその後顔をゆがめて扇をかざします(袖だったかも…)。勝って帰れと祈りつつも、それは無理だと知っている幼友達の顔。そして卒業していくトップスターが二度と戻らないことを知っている、跡を継いでいく路線下級生の顔です。さらに本舞台へ走り出てきたさくさく弁内侍が号泣しながら伏せてなお手を伸ばす。みんなを見渡した珠城さん正行は、くるりと踵を返し、まっすぐ下手花道を引っ込んでいく。幕…美しい!
 死出の旅立ちでも、すがすがしくもある。卒業しても珠城さんには未来があるし、ファンは愛し続けるものだから…死んで終わりでも悲しい虚しいばかりの涙ではない、温かな構成の舞台なのでした。ありがとうくーみん…!

 それからするとスーパー・ファンタジー『ドリチェ』は焼き直しというかいつもどおりのAショーでしかなく、宙担としては『ビバフェス』の幻がよぎりまくった手抜きショーに思えて、ホント新たなショー作家の育成を少しも早く…!と念じましたが、まあサヨナラ仕様パートはよかったので一応ヨシとしましょうかね、という感じでしたでしょうか。なんせAショーは普通より場面数がひとつ少なくて、つまり一場面は長くてやや退屈するんですが、なんせ人をたくさん出すので(Bほどではないですが、Bとも出し方がまた違うんですよね…)端からじっくり観ていくためにはいい、というのはあります。しかしなんかもっとがっつりれいこセンター場面があってもよかろうよ、ってのと(K‐POP場面はホントはもっと若手がやるものなのでは…でもあんまアイドルっぽくなっていないれいこが最高に良きでした(笑)。しかし若手はワンフレーズずつしか歌っていないんだからもっと歌がんばってくれよ、息上げてんじゃねーっつの!)、たまれいこありの123場面があってもよかろうよ、とは思いました。なんか組み合わせ方が謎なんですよ…あとプロローグも中詰めもれいこのお衣装はもう一段階豪華にしてほしかったです。次期トップさんなんですよ!?
 それと、そもそもプロローグと中詰めのお衣装を全員に新調しているから予算が足りなくて、電飾とかセットとかがショボいんでしょうか、という邪推…ま、舞台を埋めるには大階段が一番!とハナから大階段出してスタート、ってのはアガるのでいいですけどね。
 というわけで佐々田ラブ一郎先生に盛大に拍手を送れてありがたい時間を持てたあとに、珠城さんピンの板付きから。三日月の大きなアーチも素敵。手を差し伸べられるのでどセンター席では早くも爆死。そしてざかざか降りてくる組子たち、さらにれいこがもう一群引き連れてざかざか降りてきて、やっぱり全員参加のショーっていいですよね! 娘役が出てくるとアダージョになる、わかりやすい…本舞台でたまさく、れいこくらげで踊るターンが短いながらもちゃんとあってとても良き。手拍子は入れやすく、本当ならここで客席降りだったろうなという感じもあって、楽しいですわかりやすい主題歌も良き。珠城さんがひとり残ってお着替え時間捻出タイム。
 続いてスパニッシュ、ブルーのマタドール衣装のちなつが登場。脚長ッ! 対するありちゃんは水色の上着に白のパンツなんですけど、それって我がロドリーゴのものかしらん…? 白のレースがたっぷり袖も裾もゴージャスで背中はがっつり開いたドレスのさくさくが登場、三角関係を踊ります。フラれたありちゃんがナイフを取り出さない不思議さよ…(笑)それにこれで卒業のトップ娘役が別格スターとラブラブで終わる一場面ってどーなんだ…
 スーツになったありちゃんが登場してタンゴの場面へ。侍るゆうきとゆーゆがそれぞれセクシーでたまらん! ハットで口元隠して登場する珠城さんが素敵! 床に一度捨てたハットに投げキスして拾う珠城さんが素敵! たまちなありにからんちゃんとうーちゃん、組む娘役はくらげにじゅりちゃん、はーちゃんとききちゃんおはねちゃん。もう4カップルいるけどとても目が足りません。相手と組まずにホールド姿勢で踊るターンがあり、抱かれている気分になれて良き!です。たまちな、たまありで組むくだりもあって良き。じゅりちゃんを珠城さんから奪い返すちなつも良き。銀橋に出てきてラスト、くらげちゃんを抱き寄せながら客席にワルい指差しする珠城さんがサイコー! ヤンさん様様の振付です。てか私はくらげちゃんがそんなに好きじゃないんだけれど、さすがに上手いなと感心させられました。あとここのじゅりちゃんの黒髪ショートの鬘も素敵で、私はじゅりちゃんもそんなに好きじゃないんですけれど(丸顔の娘役が好きなんです…)、さくさく挟んでくらげとシンメでバリバリ踊るターンも多く、ダンスいいなー素敵だなーとちょっと評価を上げつつあります…チョロい。
 韓流アイドルのはずなのに昭和感があってたまらなくいいれいこセンターの「I’ll be back」、れいこのダンスがイイ! れいこって別にダンサーじゃない印象なんだけど(オイ)、ホント顔がいいしキメキメでやってくれてテレもなく、素晴らしい! メンツはるねっこおだぱるに柊木くん一星くんるおりあで、るおりあがさすが華があるのと一星くんがドヤ顔ができててぱる負けてるぞ!ってのが印象的でした。
 そこからたまちなありが超絶スタイルをシルエットで見せて中詰めスタート! 主題歌のアレンジが元気で、ラストはパブロ手拍子にぴったりになっているので、そこはもうソレでやっちゃいたい! ちなみにここでやってることは宙組ソーランとほぼ同じです。ちったぁ考えろよA…
 続いてれいこから始まる生命の場面が、よくあるのはふたつの勢力の諍いがあって誰かが死んで再生と和解…みたいなのなんだけど、別にふたつに分かれていないし珠城さんもナイフを取り出さない不思議…めっちゃゆりかちゃんのデジャブ感あるお衣装なんですけれどね? てかこの貧困なイメージはなんなんだAよ…退団者とわちゃわちゃするくだりは今後日替わりになっていきそうですね。
 フィナーレとっぱしの歌唱指導はおださん、謎のムード歌謡感がたまりません。さくさくが素敵な背中の飾りとスカートにメッシュの部分があって脚が透けて見える赤いドレスで出てきて優勝! 娘役群舞は、かつてちゃぴがすーさんと絡んだときにもじーんとしたものでしたが、今回はさくさくとくらげちゃんが絡むターンがあり、それもまた良き…ロケットはももさり振付でなんの新味もなくちょっと呆然とするくらいでしたが、人数が多いのはいいことだ!
 そして珠城さん板付きからの黒燕尾、飾りナシ! デュエダンのさくさくはベビーピンクから裾が濃いピンクのグラデになったまさしく桜のドレスで、リフトもあるし銀橋出てからもわりと長いし、ふたりが幸せそうで何よりです…! そこからおかわりがあって、はーちゃんと麗ちゃんのカゲデュエットの「The way we were」で、珠城さんがゆりちゃん、ちなつ、からんちゃんと次々に絡んでいって、るうさんのターンではなんと額の汗をハンカチで抑えてもらって、れいこ、まゆぽん、ありちゃんと絡んでいって…万感のもうひと踊り。滝汗で大変だとは思うけれど、トッブスターといえどここまでやらせてもらうことも、それをファンが見させてもらうこともなかなかないことですよ…! 楽近くなればさらに号泣案件でしょう、ありがたや。大階段をよぎる流れ星の電飾が美しいです。
 エトワールはさくさく、ここの新調ドレスもめっちゃプリンセスでたまらん! パレードで組長副組長前がゆりちゃんとまゆぽんなの、たまらん! 銀橋ラインナップ会釈はちゃんとたまれいこのあとたまさく。でもさくさくはちなつではなくありちゃんと挨拶させてほしかったぞ…初日は幕が下りても手拍子が拍手にならずそのままカテコおねだり手拍子になって、ちょっとおもしろかったです。カテコでは公演後半と千秋楽が中止、無観客上演になった花組さんへの気遣いの言及もありました。最後はカニ歩きで緞帳前にも出てきて、あいかわらず可愛くて優しかったよ珠城さん…!
 舞台の無事の完走と深化、進化を心からお祈りしています。梅雨入りして蒸し暑い季節となり、体調管理も大変でしょうが、私も在宅勤務を粛々とがんばり、またシュッと遠征していろいろ胸に焼きつけてきたいと思います。そして今年のマイ誕生日の二日後の大千秋楽まで、心を寄せ続けたいと思います。まだまだ思い出になんかできないわ…!





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