本多劇場、2006年10月5日ソワレ。
1945年、ブルックリン。ポール(岡田義徳)はIQは高いが人見知りで吃音があり、引きこもって手品の練習ばかりをしている青年。その弟スティーブ(高橋一生)は不良仲間との遊びに忙しい。父親のマックス(伊藤正之)はウェイターをしているが、稼ぎを若い愛人のベティ(町田マリー)につぎこんでいて、母親のイーニッド(広岡由里子)の心労は絶えない。だがある日、ポールの手品を芸能界につてを持つジェリー(渡辺いっけい)に披露するチャンスがやってきて…作/ウディ・アレン、訳/鈴木小百合、演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ。2001年にケラと広岡が結成した演劇ユニットオリガト・プラスティコのプロデュース公演第三弾。
ウディ・アレン作品をほとんど知りませんし、似ていると言われるテネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』も知りません。第一幕では一瞬寝かかりましたし、確かに地味で、「笑いも救いもない戯曲」という批評は当たっていると思いました。
もしかしたら、ラストシーン、ステッキの花を見つめるイーニッドが、もう少しだけ悲しそうでなく見えていたら、ほんのひととき夢を見られたことへの幸福感を噛み締める様子があったら、もっとちがって見えたかもしれません。それとも、イーニッドが否応無しにある現実に絶望を感じている傍らで、あくことなく手品の練習を続けるポールには確かに奇跡のような、本当の魔法のような何かが訪れていた…というやや皮肉っぽい状況をこそ描きたかったのでしょうか。その方ガウディ・アレンっぽい解釈なのかなあ。
ともあれなんとなく落ち着きの悪い、物悲しげな、でもしみじみとしたあたたかい何かがあるような、不思議な…読後感に当たる言葉はなんなんだ、とにかくそんな感じでした。
しかしこれは広岡由里子のプロデュース公演でもあるのだし、もっとイーニッドをヒロインとして立てるとまた見やすいのかもしれません。どうもポールがフィーチャーされて見えたので。
しかしツボは実はスティーブです…優秀で、でも一風変わっていて、手がかかり、母親の関心を一身に集めてしまっている兄に対して、普通にいい子なのに居場所がなく、グレて見せるしかない次男坊…のナイーブさは完璧でした。くうう。
1945年、ブルックリン。ポール(岡田義徳)はIQは高いが人見知りで吃音があり、引きこもって手品の練習ばかりをしている青年。その弟スティーブ(高橋一生)は不良仲間との遊びに忙しい。父親のマックス(伊藤正之)はウェイターをしているが、稼ぎを若い愛人のベティ(町田マリー)につぎこんでいて、母親のイーニッド(広岡由里子)の心労は絶えない。だがある日、ポールの手品を芸能界につてを持つジェリー(渡辺いっけい)に披露するチャンスがやってきて…作/ウディ・アレン、訳/鈴木小百合、演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ。2001年にケラと広岡が結成した演劇ユニットオリガト・プラスティコのプロデュース公演第三弾。
ウディ・アレン作品をほとんど知りませんし、似ていると言われるテネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』も知りません。第一幕では一瞬寝かかりましたし、確かに地味で、「笑いも救いもない戯曲」という批評は当たっていると思いました。
もしかしたら、ラストシーン、ステッキの花を見つめるイーニッドが、もう少しだけ悲しそうでなく見えていたら、ほんのひととき夢を見られたことへの幸福感を噛み締める様子があったら、もっとちがって見えたかもしれません。それとも、イーニッドが否応無しにある現実に絶望を感じている傍らで、あくことなく手品の練習を続けるポールには確かに奇跡のような、本当の魔法のような何かが訪れていた…というやや皮肉っぽい状況をこそ描きたかったのでしょうか。その方ガウディ・アレンっぽい解釈なのかなあ。
ともあれなんとなく落ち着きの悪い、物悲しげな、でもしみじみとしたあたたかい何かがあるような、不思議な…読後感に当たる言葉はなんなんだ、とにかくそんな感じでした。
しかしこれは広岡由里子のプロデュース公演でもあるのだし、もっとイーニッドをヒロインとして立てるとまた見やすいのかもしれません。どうもポールがフィーチャーされて見えたので。
しかしツボは実はスティーブです…優秀で、でも一風変わっていて、手がかかり、母親の関心を一身に集めてしまっている兄に対して、普通にいい子なのに居場所がなく、グレて見せるしかない次男坊…のナイーブさは完璧でした。くうう。