駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇月組『今夜、ロマンス劇場で/FULL SWING!!』

2022年02月28日 | 観劇記/タイトルか行
 宝塚大劇場、2022年1月1日13時(初日)、2日11時、25日13時、18時(新公)。
 東京宝塚劇場、2月26日11時。

 映画監督を夢見る青年・牧野健司(月城かなと)は、古いモノクロ映画『お転婆姫と三獣士』のヒロイン・美雪(海乃美月)に恋をしていた。だがある日、映画館「ロマンス劇場」の館主・本多(光月るう)からフィルムを売ることになったと聞かされる。健司は映画の神様に「ずっと彼女と…」と祈るが…
 脚本・演出/小柳奈穂子、作曲・編曲/手島恭子。2018年の同名邦画を原作にしたミュージカル。キネマ。

 初日雑感はこちら
 というわけで大劇場初日を観たときはややたわいがない話かなと感じ、2回目に観たときはイヤこれもアリかなと思い、3回目に観たときはやや退屈し、東京で4回目を観たときには間が開いたせいもあったか、しみじみしっとり味わいました。
 東京宝塚劇場は客席がリニューアルされて椅子がよりフカフカになり、床の傾斜もさらについたのかな? より観やすくなり、座席数も少しだけ増えたそうですね。また、音がクリアになって、小さい音でも良く聴き分けられるようになり、むやみな大音量が必要なくなって耳に優しくなった気がしました。友会が当ててくれたのは後方でしたがどセンター席で、ショーでは勘違い視線もたくさん来る楽しいお席で堪能しました。ありがたや。
 原作映画はその後も見られていなくて、比較、復習などはできていません。少なくとも予習として直近に見るのはあまりオススメしない、みたいな人が多いようでしたね。そのまんまだからかな? それとも承服しかねる改変があったということかしらん…
 個人的には、じゅりちゃん演じる看護師の(当時はまだ看護婦さん呼びかな)天音(天紫珠李)が、仕事をサボるわ「かわいそうな老人ってほっとけないんだよね」とか言ってのけるわ、なキャラなことにややザラつきを感じました。わりと人としてちょっとアレだと思いません? それこそ原作映画ではどんなニュアンスでしたかねえ…? あと、じゅりちゃんは雨霧と二役をやっているので、ラストシーンにいないのがちょっと残念でした。新公は配役が違って、ちゃんと狭霧とふたりでいたんですよね。その方が正しい気がしたのですが…
 まあでもウェルメイドな宝塚歌劇らしいファンタジー、人情もののラブコメ、みたいに仕上がっていた、良き佳作かと思いました。私は1969年生まれで、東映ではなく(笑)松竹の撮影所がある街に生まれ育ちましたが、私がものごころついたころにはもう街は別に「映画の街」でもなんでもありませんでした。今はむしろ「映画の街」とか施設とか言ったらUSJとかを連想するんでしょうかね…そういうノスタルジーも含めて、ある種の宝塚歌劇らしさを感じる作品でもあったかと思います。「もはや戦後ではない」の高度成長期の物語、というのも今のご時世に観るには心癒やされるものがありますしね…
 大劇場公演は無事に完走し、東京公演も初日が延期されることなく無事に開幕しました。大楽までどうぞご安全に…れんこんは復帰おめでとう! おはねちゃんはまだ戻ってきていないので娘役陣の代役はちょいちょいあって、東京の写真の女はゆーゆでしたね。そら本田さんも触れたくなるでしょうとも、という色香があってよかったです。警官も朝陽くんに戻っておちついて、毎回いいアドリブをしているようで何よりです。

 大劇場新公も観られたので、当時つぶやきまくりましたがここでも一応覚え書き。
 健司はぱる。健司ってフツーのキャラなので意外に難しいのでは、と心配していましたが、ホントいい意味で気負いなくただフツーに立っているようなぱるにある種の座長感を初めて感じて、頼もしかったです。すごく濃く深く凝った芝居をするとか、スターとしての押し出しを強めるとかじゃなくて、また包容力でみんなをくるみまとめるとかでもなくて、でもただ中心に静かにドスンとおちついて立っていて、みんながそれを拠り所にして周りで個々にがんばるような、そんな空気感を作れている気がして、成長したねえ上級生になってきたんだねえともう親戚のおばちゃん状態でうるうるでした。タッパがあるのでお衣装がよりつんつるてんに見えて、清貧の夢だけ食べてる青年、みたいな感じがよく出ていたのもよかったです。
 ヒロインは花妃舞音ちゃん。またベタな漢字を並べただけの芸名みたいだしぶっちゃけ組ファンでも誰?今まで何やってた子??状態だったかと思いますが、これがまあ素晴らしいヒロインっぷりでキタコレスター誕生!感が素晴らしかったです。もちろんお化粧とかまだまだで、ただ素の可愛らしさを出してきているだけだなとか、個性が出ていないなとかは感じましたし、まだ怖いもの知らずなだけの舞台度胸、ただまっすぐやっているだけの技巧のなさも感じました。でもとにかくカワイイ、歌える、台詞が明晰で芝居がちゃんとしている!ということはきちんと認め褒め評価していいと思いました。ヘアスタイルもくらげちゃんまんまでなく変えたところがあったのが研究心を感じさせましたし、足のサイズが違うのか靴がちょいちょい本役と違うのも可愛かったです。というかとにかく正統派の可愛らしさがある娘役なのが素晴らしい! ぶっちゃけ月娘に今いないじゃないですか、じゅりちゃんもゆーゆもおはねも蘭世も白河りりちゃん(お化粧変わりましたかね? ぐっと可愛くなりましたけれども!)も羽音みかちゃんも私は好きですがでもそういうタイプじゃちょっとないじゃん。美海そらちゃんはまだそこまで使われていない印象だし、一乃凛ちゃんも。そしてうたちがいなくなってしまったので…みちるが来たとはいえ…目に寂しい、と思っていたところだったんですよ…! 本公演でももうちょっと使ってやれや、とは思いますが、まあこれからに期待! かわい子ちゃんは大事です!! ぱるがデカいので実寸がよくわかりませんでしたが、小柄っぽくて誰とでも合いそうなところもポイント高し!と思いました。娘役芸をガンガン磨いていってほしいです。
 俊藤さんはぺるしゃでしたが、意外なことに私には精彩を欠いて見えました。そもそもは主演させたれや、と思っていたくらいなのですが、メインどころを張るには意外と台詞が弱いのかな?と感じてしまったんですよね。顔はなんせ美形で強いと思うのですが…東京新公ではっちゃけていることに期待したいと思います。
 その相手役?(笑)萩京子はおはねの代役でりりちゃん。強くてさすがで歌手も兼ねていて、とてもよかったです。
 山中は真弘蓮くんで、上手いんだけどそれだけだとやはり地味なキャラになるんだな、と感じてしまいました。おださんの貫禄と華はやはり異常…
 大蛇丸の七城雅くんも同様だったかなー、あとなんかお化粧が今ひとつな気がしました。お付きは蘭世と『デリシュー』ロケットセンターも鮮やかだった一輝くん、健闘していたと思いましたがタンゴは明らかに蘭世がリードしていてちょっと笑っちゃいました。
 印象的だったのは本多さんの柊木くん、じいやの彩路くんの老け芝居の上手さで、どうして月組ってこう…!と震撼させられました。ばあやの天愛ちゃんもパワフルでよかったです。ディアナさまはじゅりちゃんでさすが綺麗でした。
 成瀬社長が一星くんでなんかイケイケ感が増していたのがおもろかったですし、その娘の塔子のゆーゆが芝居がまた上手くて、本当に舌を巻きました。本役と同じノリでやるとぶりっこになりそうなところを、上手くけなげに見せていて感心しましたねー。あとはるねっこの清水さんのところをやったるおりあが美形でチャラそうでよかったです。全体に大丈夫かなこの映画会社、と思わせられる新公なのがよかった(笑)。
 助監督チームやセブンカラーズはまだまだ個性を発揮するには至らず、仕方ないけどがんばれー!という印象でした。


 ジャズ・オマージュは作・演出/三木章雄。
 全体的にはおちついた、渋めのショーで、それはよかったんですけれど、なんかナゾ場面も多かった印象です。
 まずプロローグあとのありちゃんセンター場面、ありちゃんの役は「虹」だったの…? なんか、雨が降らなくて龍神に触っちゃって怒らせて…みたいなことが「歌劇」では語られていませんでしたっけ…? なんかじゅりちゃんもわざわざ出といてあんだけかーい!って気がしたし、最後はありちゃん以下みんなして龍になったことを表現していたそうですが「…へー……」って感じでした(笑)。あとコレ、ジャズか?
 ありちゃん、星組もお似合いだと思うのでがんばってね。こっちゃんのダンスとは意外とタイプが違うと思うけど、ダンスバトル場面みたいなのもあるといいですね。でもふたりともチエちゃんみたいなことばっかやらされる呪縛からは逃れられるといいね…あとここのノマドたち、それこそいつものメンバーすぎませんでしたかね…
 その次のちなつセンター場面、ジゴロの解釈がおかしくないですかね? なんでジゴロにマネージャーがいてマスコミに追われなければならないの? ビューティーズって何? ファンやグルーピーがいてもジゴロには一銭の得にもならないのでは…? 振付は楽しかったけど。でもここの相手役はみちるでよかったのでは…昔を思い出して元サヤ、ってのはいいけどなんでオチが「ベスト・フレンド」やねん。あとダンスメイト男女がいつメンすぎて、人数や出し方といいもうちょっと起用を考えてほしかったです。
 その次のジャンゴもよくわからなかった…これも「歌劇」では蝶が戦士に故郷の幻を見せたようなことが解説されていませんでしたっけ? なら下町のカフェは幻? でもそこにまた蝶が飛ぶのは何故? 最後に主役カップルだけになるのは何故? ジャンゴは何を追い、マ・シェリー(ここのくらげちゃんは前髪ありバージョンの方が好きでした)は何から彼を取り戻そうとするの? 最後、決まって暗転するから一応拍手するけど、いったい観客は何に拍手させられているのか、今ひとつワケわからなくてスッキリできませんでした…あとカフェの男女がいつメン以下略。
 中詰めのシナトラ・メドレーはお衣装が素敵で良きでした。歌詞もズルいぞ「マイ・ウェイ」!
 そのあとのパリ場面はちょっとおもしろくてよかったです。『ガイズ~』のスカイみたいなストライプのスーツにハットのれいこちゃんモーリスはとても素敵でしたが、ネックレスを運んだヴァンドールはマックスに撃たれるのに、そのネックレスをジャンヌを介してマックスに奪われるモーリスは撃ち返すどころか地団駄踏んで悔しがり、ヤケになってひとり踊って、肩をすくめて去っていくという治安の良さ…ツボりました(笑)。れいこちゃんは決してダンサーではないと思うんだけれど、こういう場面が意外に保つところが良きですよね。内ポケットからネックレスを盗まれるときの表情のエロさがよかったです(笑)。でもここのギャングとファムのいつメン以下略。
 その次からがフィナーレ、という構成なのでしょうか…ややナゾの銀橋渡りとありちゃんの突然のジャズマニア、からのロケット。大階段で娘役ちゃんに囲まれたれいこちゃんが、でも誰とも絡まずひとりさっさと本舞台に降りちゃうのがわりとツボ。端から撫で切りにしていくとかやらないんだ!?という…(笑)そして男役たちに囲まれ、次いで三組デュエダン。それぞれのカップルの空気の違いがよかったですね。
 ますますここからありちゃんが抜けるだなんて…!という気分になりましたが、さて『ギャツビー』はどうなりますかねえ…役が少ないしもう観た気もして、個人的にはややテンションが上がらないのですが。私は『ブエノスアイレス~』はどうも初演も再演も生では観ていないようなので(記憶も記録もない)楽しみではあるのですが、話は別におもしろくないとも聞くし…不安。今は先行画像もポスターも素晴らしいアンフィのコンサートを、怖いけど期待して待とうと思います…
 チケットがないようですが、映画関係者が持っていったりしているのかしらん…新たなお客が増えそうならそれはそれで良いことですね。大楽までどうぞご安全に! お祈りしています!!








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇星組『ザ・ジェントル・ライアー』

2022年02月25日 | 観劇記/タイトルさ行
 KAAT神奈川芸術劇場、2022年2月に3日15時半。

 19世紀末、ロンドン。プレイボーイのアーサー・ゴーリング卿(瀬央ゆりあ)は社交シーズンともなれば毎夜パーティーに繰り出し、幾多の女性と浮き名を流す自由気ままな独身貴族。そんな息子に父親のキャヴァシャム卿(美稀千種)は苦言を呈し、早く身を固めるように迫る。ある日アーサーは、友人である新進気鋭の政治家ロバート・チルターン(綺城ひか理)の屋敷で開かれた夜会を訪れる。そこには、かつて想いを寄せていたが今はロバートの貞淑な妻となったガートルード(小桜ほのか)、顔を合わせればいつも喧嘩になるロバートの勝ち気な妹メイベル(詩ちづる)、そして財産目当てでアーサーに近づき、さらに良い条件の相手と結婚するために3日で婚約を破棄して去っていったローラ(音波みのりの代役で紫りら)という、アーサーと関わりの深い三人の女性がいた。今やウィーン社交界の花形となったローラは、政界一高潔な紳士と名高いロバートに、とある「切り札」を突きつけて自分の不正な株取引に加担する議会演説をさせようとしていた。苦悩するロバートからすべてを打ち明けられたアーサーは親友の窮地を救うべく奔走するが…
 原作/オスカー・ワイルド、脚本・演出/田渕大輔、作曲・編曲/青木朝子、植田浩徳。ワイルドの戯曲『理想の夫』をもとにしたミュージカル・コメディ。全2幕。

 予習として観に行った新国立劇場『理想の夫』の感想はこちら。これは私の偏見かもしれませんが、ワイルドは女性とか結婚制度に関してケッと思っているタイプの同性愛者だと見えて、喜劇と言われていますがどちらかと言うと冷笑的な作品だと感じました。相手に理想を押しつけ、自分をも縛り、それで苦労して、なのに結局自由になることなく体面や外聞ばかりを気にして右往左往する夫婦や、その周りのカップルたちに対して「そんなの愛じゃないよ」とぼそっと言う視線があったと思うのです。
 でも宝塚歌劇版ではそういう皮肉さやシニカルさは取っ払って、さりとてサブタイトルに「英国的、紳士と淑女のゲーム」とつけたほどには英国的な意地悪さもなく、恋愛遊戯的ないやらしさもなく、愛と友情のために優しくときに愚かな嘘をついちゃう主人公の物語、にしていました。というか主人公をもともとのタイトルロールたるロバートからアーサーに移したわりにはアーサーの描き込みはちょっと薄かったと思うので、彼の物語というよりはみんなのラブコメ、という仕上がりだったかなと思います。
 しかし二幕はともかく一幕は退屈したなー。プロローグとか、アーサーが催す不良の夜会(笑)とかでショーアップしているのはいいんですけれど、せっかく原作があるのになんであんなぼやぼやした台詞しか書けないんですかね? ワイルドのあの過剰で膨大な台詞を削ぎ落とす作業をするだけでもいいし、そうでなくてもキャラも設定ももっとさっさとくっきり立たせる方法がいくらでもあると思うんですけれど…なんか芯食ってない台詞がずっと続いていて、役者はそれなりに芝居しているんですけどなんかぼやぼやした印象を受けたままに進んだ気がしました。
 子爵でもあるアーサーと違って、また貴族院の重鎮であるキャヴァシャム卿と違って、ロバートは要するに平民出身なんですよね? で、世のため人のため社会のため未来のため政治家として働きたい、という志はあるし能力もある、でも金も地位もなくてとっかかりがない。だから一度だけ不正をした。それで稼いだ小金を足掛かりに政界に進出し、以後は一点の曇りもない経歴を築き上げた。過去の過ちは深く反省しているし後悔しているし、不正に稼いだ金の何倍もの大金を寄付もしていて、精算したつもりでいた。妻も自分の公正明大さ、清廉潔白さを愛してくれているし、彼女自身も清く正しく美しい人で、過ちなどしないし認められないし許せない人だ…というのがネックの話なのだ、ということがもっとわかりやすく濃く深く伝えられると、もっとおもしろくなるのになあ、とずっと感じながら観ていました。どうも生徒のニンや演技力におんぶに抱っこの脚本に思えて、私は観ていてけっこうイライラしたのでした。
 あと、なんか尺が余ってる感じがしたので、どこかでアーサーがメイベルを思って歌う歌とかを入れるとよかったのではないかしらん。彼がどこで彼女への想いを自覚したのかまったくナゾでしたが、ローラに迫られたあとにでも、冗談じゃないそんな結婚は嫌だ自分がずっと結婚しなかったのはこんなことのためじゃないそれは…とか言ってメイベルの面影がよぎる、でもなんでもいいんだけど、なんかそんな場面があるとよかったのではないかしらん。あとメイベルにももう一、二着お衣装を増やしてやってくれー。ローラは取っ替え引っ替え素敵なドレスもケープも着ているのにー。
 てかローラはやっぱりはるこで観たかったなー。りらちゃんも急な代役にもかかわらず素晴らしい仕上がりだったと思うのだけれど、やはりこの三ヒロインは路線娘役が演じることに意味があったのではと思うし(うたちは組替えしてきたばかりですが当然この先もそういう起用の予定があるからこその組替えだと私は信じていますし、次の『めぐ逢』新公ヒロインなんてどんぴしゃでもう決まっていると信じています)、はるこだと色気や可愛げと悪女っぷりのバランスがもうちょっと違っていたと思うんですよねー。
 原作からのいい改変だと思ったのがいずれもローラ絡みで、ブレスレットの窃盗ネタをカットしたところと、最後に彼女の出番を作り、自ら負けを認めて「切り札」の手紙を返し、さらにアーサーに一言残していったところです。このローラはちゃんとアーサーをまだ、あるいは今は、好きなんですよね。いじらしくてせつなくて、よかったです。ここをこそはるこで観たかった…!
 つまりこの作品は彼女を完全に悪人には描いていないのです。よくよく考えるに、かつてローラがアーサーを振って別の男に嫁いだのは、いうなればロバートの「過ち」と同じことなんですよね。財産も身分もない女が成り上がっていくためには、まず最初のとっかかりが必要だったのですから。ロバートが許されるなら彼女もまた許されていいのです。ただし愛の問題はまた別で、アーサーには会いに行かなければならない人が他にいたのでした…
 ロバートの秘書でメイベルにずっとプロポーズしているトミー(稀惺かずと)がおいしいお役でしたね。まだ体当たりでやっているだけにも見えましたが、さすがの華がありました。のびのび育てー。そして同じく華があるなーと注目したのがド・ナンジャック子爵(咲城けい)のさんちゃん。こちらも組替えを控えていますが、ホップステップジャンプしてねー。ちょっと浮かれたレディ・マークビー(水乃ゆり)のゆりちゃんとの見目麗しいカップル、素敵でしたしおもしろかったです。
 生徒の話でいくとアーサーの執事フィブス(大輝真琴)のまいける、ホントずるいくらい上手い。星91期無双! みきちぐのパパっぷりはもちろん、あかっしーがまたいいおじさん役者なのも素晴らしかったです。娘役ちゃんでは乙華菜乃ちゃんかな?顔が好みでした。フィナーレのはるこの代役は水乃ちゃんだったようで、さすがの麗しさでした。
 うたちの星組デビューもそつなく、むしろ上々でよかったです。娘役芸としてはまだまだかなとも思いますし、特にフィナーレやデュエダンは上級生娘役からこれからもどんどん学べ盗め!と思いましたが、舞台度胸もありそうだし歌えるし、とにかくカワイイ。そりゃロバート兄さんがあれこれ心配でおろおろしちゃうのもわかります(笑)。
 ホノカコザクラはそら手堅い。そしてあかちゃんはそらもう見た目がダンディでロバート役にぴったり! なのでプログラムはちゃんと二番手格としてせおっちの次にダーンとした大きさで載せてあげてもよかったと思うんですよねえ…ヒロインは三人いる形だしアーサーとくっつくからってうたちってわけにもいかないだろうからボカすだろうなとは思っていたのですが、まさかせおっちのあと学年順に並ぶとは思ってもいませんでした。しょっぱい…
 最後にせおっちですが、いいお役でいよいよ瀬央の女を増やしているようですが、やはり私はぴくりとも来ませんでしたすんません…席が遠かったのもあるのかもしれないし、アーサーの脚本・演出の書き込みが弱く感じられたせいもあるのかもしれませんが…うぅーむ。
 あ、アーサーがローラの次にガートルードに惚れて、でも彼女はロバートと出会い嫁いでしまった…という設定に改変したのもとてもよかったと思いました。それを踏まえてのアーサーとメイベルの会話のくだりはさすがにおもしろかったです。でもガートルードの思い込みの激しさとかある種の正しさの押しつけがましさといった部分も薄まっていたので、私はラスト、ロバートが議員辞職をするくだりはカットになるのかと思っていたんですけれど、そのままやりましたね…なんか整合性がないようにも感じました。あと、彼女が婦人参政権運動に注力しているのって、ワイルド的にはガートルードのキャラを下げるために入れた設定なんじゃないかと思うんですけれど、今回は宝塚歌劇として我々女性観客をエンパワーメントするような意味でああした変更がされていたのでしょうか…はっきり言って付け焼き刃感を私は感じました。最近『相棒』でもあったじゃん、抗議する女性をヒステリックに描いて批判されたこと…同じことしてましたよね、おたおたする男性市民をわざわざ入れていましたもんね? チータブ、フェミニズムとかわかってないだろう…てかこの描き方だとガートルードもキャラブレしているぞ、と感じました。ただしここのレディ・マークビーの扱いは正しいと私は思いました。彼女はフェミニズムとかどうでもよくてお友達につきあっているだけで、だからデートに誘われればすぐそっちに行っちゃうんですよね。彼女はそういうキャラで一貫しているんです。ま、最後のちゃんと彼を振って夫を取る、という部分の解釈は別れるところではありますが(笑)。

 先行画像もポスターも素敵でプログラムの写真もどれも素敵。明確なイメージがあることは素晴らしい。だから脚本・演出が全体にあともうひと練り、ふた練りできていればねえ…と思ったのでした。いっそうの精進を望みます。
 バウ公演全日程中止は残念でしたが、せおっち東上はおめでとう。星組人事もいろいろ読めませんが、次の本公演も楽しみにしています!







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『恋のすべて』

2022年02月24日 | 観劇記/タイトルか行
 東京建物Brillia HALL、2022年2月22日18時。

 ニック・テイラー(稲垣吾郎)は探偵。過去に大切な探偵仲間のシドを亡くしていて、シドの未亡人に送金しているためいつもお金がない。クラーク・キャンピオン(羽場裕一)は手広く事業を行う経営者。コニー(花乃まりあ)という箱入り娘がいるが、最近、テディ・モーリー(松田凌)という若者が周りをうろついていることを苦々しく思っている。ただ、富豪の未亡人でテディの母カミラ(北村岳子)に投資を頼んでいる手前、テディを追い払うことはできない。テディはどうやらコニーにプロポーズしようとしているらしいが、投資の契約が終了するまでコニーをテディから遠ざけたいクラークは、ニックに「娘を君との恋に落としてくれ」と依頼する…
 脚本・演出/鈴木聡、作曲・音楽監督/青柳誠。『恋と音楽』から始まった上質でコンパクトなオリジナルミュージカル・シリーズ第5作。全1幕。

 このシリーズは初回がまとぶんで、ヤンさんが出たものもあったし、もしやヒロインが毎回宝塚OGなのかしらん? というわけでインスタはフォローしているのですがテレビのリポーター仕事なんかは全然見ていないので、卒業後初の花乃ちゃんとなりました。いやぁ上手い! 可愛い! 絶品でした。私は現役時代の彼女に歌の人のイメージはまったく持ってなかったけれど、めっちゃ上手くて驚きました。素敵なミュージカル女優さんになりましたねえ…!
 キャストは他にクラークの秘書兼愛人でテディを誘惑する任務を負うザラが石田ニコルという、男女6人のロマンチック・スウィング・ラブコメディで、まあハコはもう少し小さいクリエか博品館あたりでもよかった気もしましたが、ウェルメイドで素敵な作品でした。でも博品館だとあのバンドの入れ方はできなかったかな? とてもお洒落で粋でした。
 1930年代後半のアメリカが舞台で、缶ビール開発やラジオドラマなんてトピックの使い方もおもしろい。探偵事務所、ホテルの宴会場、プールサイド、そしてコネクトルームの客室での一晩二日の物語、というのも演劇らしくて、とても素敵でした。途中のドライブ場面もよかったし、ミュージカルとしてもなかなか素敵に演出されていたと思います。タイトルはむしろラジオ絡みの、何かもっと洒落たものをつけてもよかったのでは?とも思いました。 
 では何がもったいなかったかって、吾郎ちゃんですよね…もちろん彼ありきの、というか彼が発案している企画なんだろうとは思いますが、だったらたとえばプロデューサーに徹してもらって別の主演で観たかった気が私はしちゃいました。
 だってまず歌が弱い。彼ひとりだけがミュージカル役者じゃないから、というのもありますが、他は全員しっかり上手いんですよ。緩急も硬軟も自在なの。そこを主演のあの歌では、いかにこれが味だ雰囲気だっつったってごまかされませんよ…
 そして、役に見えない。だってただの吾郎ちゃんなんですもん。この作品が求めるニック像って、一見冴えない中年男だけど実は甘さも苦みもあるモテそうなイケメン…みたいなもので、それは当て書きでもあるし「稲垣吾郎」イメージまんまなのかもしれませんけれど、私は特にファンじゃないしそこまで稲垣吾郎なるものに思い入れがないので、彼の姿からはがんばらないとそういうふうには読み取れません。でもそれじゃダメじゃん、演技で、芝居でニック像を立ててくださいよ。演劇ってそういうものでしょ? 素でやるコントと違うんだから。
 この作品、ちゃんとした役者がちゃんとした演技でニックをやったら、もっと密でおもしろいものになったと思うんです。そんなみっちりしっかりやりたくない、というコンセプトだったのかもしれないけれど、そもそもたわいのないと言っていいくらいのしょうもない話でもあるわけだし、それを全力でやって初めて、ちょっと抜け感のあるコンパクトで上品で上質なハートフル・ラブコメに仕上がるのではないかしらん。今ちょっとスカスカすぎて、休憩なし2時間10分がやや間延びして感じられるときがありました。それこそハコがデカいし、観客の集中力か途切れるのを感じる瞬間もままありましたよ。もったいないです。
 ニックはクラークに、コニーを恋に落とせ、しかし手は出すな、恋にも落ちるな、と言われます。でも落ちかけちゃう、そこがいいお話なんじゃないですか。コニーは若く美しく、しかしクラークが思っているほど幼くはなく、むしろ社会や未来に対して深い知見を持った凜々しい女性です。この描写といいカミラのスピーチといい、めっちゃフェミニズム台詞で感心しました。しかも嫌みでも、行きすぎた女闘士みたいな描かれ方もされていない。なんならお話には不必要ではあるんだけれどがっつり挿入されていて、このキャラクターたちの魅力の描写になっている。それは台詞より行動で示すザラもそうですね。秘書兼愛人なんかやっているけれど、そしてそれをどちらもきちんとこなす技量がある女性なんだけれど、本当になりたいのはシンガーでその力量もあって、だからクラークの最後の問いにどうぞどうぞと手を振って関係をすっぱり解消し、次のステージへ行く。お金より愛が大事、なのは確かにそうなんだけれど、さらに愛より夢が大事、ってのもまた真実でもあるのです。実にあざやかでした。こういう女性像はいずれもなかなか描けないものです。それからしたら男性陣はややステロタイプではあるけれど、チャーミングなのでちょうどいい感じです。そして何よりみんなまったくマッチョではない。これも大事なことだと思いました。こういうセンスがずっとこの制作陣にあるのなら、そこは評価したいです。
 だからこそニックがもったいなかった…吾郎ちゃんまんまだと、実年齢とか知りませんが、39歳の男が19歳の女に…キモ!とかまで思っちゃうんですよ。それじゃダメじゃん…もっとちゃんと、良き中年男としてのキャラを立てて、その上でちゃんとラブコメしてほしかったです。ちょっとやさぐれくたびれた探偵なんて、ホント男のロマンじゃん…!
 あと、「デートをしよう、彼の話は抜きで。」というのはとてもお洒落だと思いましたし、コニー相手に言いそうな台詞と見せて実はシドの妻に言う、というのも粋なんだけれど、でもよくよく考えるとここも、死んだ相棒の未亡人をずっと想ってたってのも微妙では…って気が私はしました。これは男性特有のセンチメンタルなんでしょうか。むしろニックが想っているのはシドだったってことにしてほしかったくらいですけれどね私はね、だから事務所の名前を変えなかったんですよ…

 プログラムはデカくて邪魔だけどとてもお洒落でした。サントラCDが欲しくなるくらい曲もよかった。というか初めてブリリアの一階最後列に座ったのですが、中通路から後ろは列に段差があってとても観やすいですね。そして2階客席が被っているわりには音が良くて台詞も歌詞もクリアに聞こえてよかったです。なんかちょっと音量は小さいな、とは感じたのですが…
 この公演も関係者にコロナ陽性が出て初日が遅れましたよね。なんとか千秋楽までどうぞご安全に、完走をお祈りしています。でもリピーターチケットが販売されていたから完売していないってことなのかな、厳しいなあ…






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ガラスの靴』~韓流侃々諤々リターンズ35

2022年02月23日 | 日記
 2002年SBS、全40話。

 とてもとてもベタな韓ドラです。離散家庭、交通事故、記憶喪失、難病、入れ替わり、取り違い、貧富の差、復讐、遺産争い…てんこ盛りです。演出もめっちゃベタ。でもある意味丁寧でとてもわかりやすく、そして迷走や謎ターンはなくて、手堅く気持ちの良い出来でした。
 ヒロイン姉妹はキム・ジホ演じるテヒとキム・ヒョンジュ演じるユニ/ソヌ。子役がまた大人パートを演じる役者とめっちゃ似ている子たちを揃えていてすごいんですけれど、姉妹が父親と三人して仲むつまじく、しかし赤貧洗うがごとしの生活をしているところから始まります。母親はユニを産んだときに亡くなっていて、以後はしっかり者の姉娘テヒが一家の主婦代わりになっていて、妹娘のユニはまだまだ子供でちょっときかん気にのびのび過ごしています。しかし実は姉妹の父親は結婚に反対されて実家と縁を切った、実は財閥の御曹司で…というようなお話。ハン・ジェソク演じるジェヒョクはテヒの祖父に恨みを抱いていて、復讐に利用しようとテヒに近づきます。ユニはその後交通事故に遭って記憶を失い、孤児ソヌとして事故を起こした男の家に引き取られて育つことになり、その家の娘スンヒ(キム・ミンソン)が入れあげている地元のヤンキー青年チョルンがソ・ジソプ。そして彼はソヌに惚れてしまい…という布陣です。テヒはジェヒョクが好きで、ジェヒョクとソヌが惹かれ合ってしまうので、四角関係じゃなくて一直線関係の構図ですね。
 個人的には、いろいろあってソヌがジェヒョクを振る形になったあとは、ジェヒョクはテヒに戻ってほしかったなとは思いました。その後のジェヒョクがやや未練がましくて、せつないというよりはカッコ悪いんですよね。それにジェヒョクはテヒの良き理解者で、いろいろと屈託はあったにしてもテヒの意地っ張りなところなんかもいじらしく思っていたはずなんですよ。だからソヌに感化されて祖父の復讐をやめようと思い出したあたりから、素直にテヒを愛すようになってもおかしくなかったと思うのです。だけどテヒの方は意地を張って素直になれず、つっぱらかっている…という構図にした方が、せつなくてよかったろうとは思いました。
 あと、チョルンは別に死なせなくてもよかったと思うんですよね…スンヒをどうにかしたいというのもあったのかもしれませんが、ちょっとお話都合でキャラクターとして可愛そうな気がしました。まあジェヒョクもアメリカに戻り、姉妹だけが残って、でも再出発を思わせておしまい…というのは美しくはあるんですが…私はジソプはこっちの系統の役よりクールでスマートでいけ好かないくらいのエリートキャラのときの方が好きなので、チョルン自体はどうでもいいっちゃいいんですけれど、ちょっとかわいそうに思えました。
 可愛そうといえばスンヒもそうで、確かにソヌの存在のせいでスポイルされた部分はあるんですよね。ソヌはソヌでそうやって生きるしかなかったところもあるんだけれど、ソヌの方が賢く優しくそつない娘に見えて、比較されて育ったスンヒはスネてグレる一方…というのはとてもありそうです。でもさすがにもういい加減いい大人なんだから、どこかで割り切ってほしかったですよね…どこかで、彼女をソヌと比べることをしない人と出会っていれば違ったんでしょうけれどねえ…韓ドラあるあるの悪役で憎たらしいくらいでイライラさせられて、でもやはりさすがにかわいそうではありました。
 ところでジェヒョクがアメリカから同伴した後輩が、完全にBLポジションで笑いました。この当時にすでにカフェインレスの飲み物を要求するいけ好かないキャラ、って演出されているところもすごいと感心しましたが、ジェヒョクの栄達を願って暴走しちゃうところがもう完全にラブありきの行動にしか見えませんでした。でもさすがに当時ノー自覚の演出だったと思うし、そこに萌えは置かれていませんでしたよね…イヤしかし濃かったわ。何故一緒にアメリカに戻らないのか不思議なくらいだったわ、そこからの蜜月だったろうに…(笑)超ツボでした。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚歌劇星組『王家に捧ぐ歌』

2022年02月21日 | 観劇記/タイトルあ行
 御園座、2022年2月19日11時。

 今から4500年前のエジプト。エチオピアとの度重なる戦いに勝利するため、ファラオ(悠真倫)の前で新たな将軍の名が神官たちから告げられようとしていた。若き戦士ラダメス (礼真琴)は自分こそが将軍に選ばれるのではとの期待に胸を躍らせていた。彼はエチオピアに勝利した暁に、密かに恋するアイーダ(舞空瞳)に求愛しようと決心していたのだ。エチオピアの王女だったアイーダは先の戦いの折、ラダメスによって命を救われ、今はエジプトの囚われ人となっていた。アイーダもまた、祖国の敵と知りながらラダメスに心惹かれていたが…
 脚本・演出/木村信司、作曲・編曲/甲斐正人、編曲/長谷川雅大。ヴェルディのオペラ『アイーダ』をもとに2003年星組で初演、15年宙組で再演した大作ミュージカルを、ビジュアルを一新して上演。全2幕。

 星組初演の感想はこちら、宙組再演の感想はこちら、宙組博多座公演の感想はこちら
 キエフ・オペラ『アイーダ』の感想はこちら、劇団四季『アイーダ』の感想はこちら
 というわけで私はこの作品がわりと嫌いではありません。でももう一生分観たとも思っていて、今回の三演ニュースを聞いてもあまり気分は上がりませんでした。特にこっちゃんにワタルやチエちゃんと同じことばかりやらせるようなことはやめろ、とずっと思っているので。でもコロナ禍で劇団もいろいろと苦しく再演頼りなところはあるんだろうな、とかも考えましたし、衣装もセットも一新するというのは楽しみだなとちょっと思ってしまい(では経済的に苦しいというのはどこ行ったんだって話ですが)、結局はワクテカと開幕を待ちました。初日が延期されてしまい、確保チケットが風前の灯火でしたが、無事に観られてよかったです。久々の名古屋モーニングも楽しみ、平日夕方のガラガラの地下街で手羽先や味噌カツや海老フライなどの名古屋飯も楽しめました。本当ならそのまま伊勢志摩旅行予定だったのですが、それはさすがに断念して日帰りにしたことだけが残念でした。
 配役は役替わりにしてくるかと思っていましたが、意外やかりんたんウバルド(極美慎)一択という結果でしたね。それでチケットが売れるんかいな、とか思っていたのですが、御園座公演は御園座ががさっと持っていくのか、綺麗に完売してチケットがない、ないと嘆かれているようです。まあ売れるのは喜ばしいことですね。初日が延期されて公演期間が短くなり、さらにレアチケットとなったことでしょう。生徒さんたちはもっとじっくりがっつり公演したかったことでしょうが、短くも激しく燃えてほしいものです。千秋楽まで、どうぞご安全に…

 というわけで何度も言いますがもう一生分観たと思っていた作品でしたが、そしてお衣装(衣装/加藤真美)とセット(装置/稲生英介)がスタイリッシュモダンに新調された以外は台詞も演出も振付も人の出ハケもほぼほぼ同じでフィナーレなんかホント宙組版まんまでイロイロ脳がバグりましたが、それでもやっぱり「こんなに違うのか!」とおもしろく、もう夢中で見入ってしまいました。
 セットはイメージや構造を引き継ぎつつ、白黒金に絞って簡素化した感じで、それこそお洒落現代オペラみたいで素敵でした。そしてお衣装は基本的にエジプト勢は白、エチオピア勢は黒という対比。女囚たちが色とりどりのターバンというか、頭布を巻き付けているのがエチゾチックな感じ。アムネリス(有沙瞳)は白に金の飾りがいろいろ足されていて「光ってやがる」感じでした。
 こっちゃんラダメスのお衣装が土浦の暴走族のヘッドかな?みたいだったのは…特に戦場場面でケペル(天華えま)たちがマントも着けているのに対してひとりあのまんまだと、将軍に見えないしさすがに違和感がありました。長髪もカッコいいんだけど、頭身バランス的に厳しい気もしましたしね。衣装が軽くなってバリバリ踊れて殺陣もできるようになった、ってのは対こっちゃんとしては正しいと思うのですが…
 一方ひっとんアイーダもずっと着た切り雀なのはヒロインとしてやや残念でしたし、材質なのかデザインなのか、いわゆるS字ラインが作りづらい、身体を捻ってしなやかに細く見せて立つことがしづらいお衣装で、結果的になんとなく常に棒立ちに見えたのも残念でした。そしてヘアスタイルのせいもあってこちらは頭身が高く見えすぎました…王女然としていていいっちゃいいんですけれどね。
 しかしスゴツヨがボサノバになろうとちゃんと文明批判、バブル批評になっているのがすごいですよね…やはり作品の強度を感じました。
 今や懸案のブラックフェイス問題ですが、エジプト勢は男役含めていつもより白め、そしてエチオピア勢は宙組版よりずっと薄い、いわゆるブラウン・フェイスくらいな感じでしたが、要するに濃いと言えば濃い肌色になっていました。これは宝塚歌劇の場合、どう考えたらいいのでしょうか。
 そもそも黄色人種メインの女性のみが、主に生まれと違う国や人種や性別に扮する演劇をしている集団です。普段から、というか無国籍のショーでも、娘役はより女性らしく見せるために本来の肌より白く、男役は精悍さを表すために肌色を浅黒く化粧しています。このジェンダー観はどうなんだ、これは性差別ではないのかあるいはルッキズムの問題なのか、という問いもある。『王家』でも神官たちはエジプト人女性より肌色が白いくらいですが、これは神職の記号表象ということなのか、はたまた男性は去勢すると女性より肌色が明るくなるものなのか、もはやリアルがどこにあるのかよくわからない問題です。またタカラジェンヌは普段から金髪気味にしている人が多いですが、肌色と同様に髪の色を本来のものから変えることに関する問いもあります。
 黄色人種が人種の演じ分けのために肌を白くしたり黒くしたりすることと、白人が黒塗りして黒人に扮しジョークを言うようなものとは意味が違う、とは言えるのかもしれませんが、本当にそうなのでしょうか。でも演劇とは他者になることだと思うのですが、そこでする扮装はどこまでならどう許容されるのでしょうか。当事者たちが見て不快だ、差別だと思えばそうなのかもしれませんが、当事者たちの感じ方にも差があるでしょうし、理屈としてはどう考えるのが正しいのでしょうか。申し訳ありませんが私は未だ不勉強で、この問題についてどう考えていいのかわからないままでいます。くわしい方、ご教示いただけると嬉しいです。

 さて、それらの問題を除けば、役者の個性の違いで役の在り方がいろいろと違って見えて、物語の骨格がより濃く立ち上がり、今日なお訴えるものがある作品に仕上がっていることに胸打たれるのでした。何十回も観ると大味な話だな、もっと歌減らして芝居を増やしてくれよ、とか感じちゃうかと思うのですが、一回かそこらの観劇なら今までの上演との差異を分析したり堪能したりしているうちに、それこそナイルの流れに押し流され巻き込まれるようにして観ているうちに圧倒されて終わって、大満足!みたいになるのでした。
 まぁ様ラダメスはやはり優しく賢くスマートで、貴族の子弟で近衛兵とかが似合いそうな、マッチョな仲間たちからはちょっと浮いていてそこにアイーダとの共感が心の隙間に入っていったような、そんな役作りだったと思います。でも今回はキムシンの脳筋指示もあったようで、こっちゃんの絶対王者感がのびのび発揮された熱いラダメスだったと思います。そしてこれまた何十回でも言いますがホントに声がいい。そりゃ領地も広がろうというものです。まぁ様の包容力に対してこっちゃんの牽引力、みたいな対比が思い浮かびました。
 対してアイーダは…私はみりおんがわりと苦手だったんですけれど、こうして見ると歌はもちろん芝居も上手かったんだな、としみじみ思ってしまいました。それくらい私にはひっとんアイーダがちょっともの足りなかったのです。『ロミジュリ』のときはもっと歌えていたと思うんだけど、歌もちょっと弱く感じましたし、演技もなんか訴えてくるものがあまりなく感じられてしまいました。
 出で立ちの違いもあり、またそもそもふたりが出会い惹かれ合う場面もないせいもあって、ラダメスとアイーダは全然違う言葉をしゃべり違うものを見ているんだな、という印象が強く残りました。第3場の時点でそもそもふたりはそれぞれ自分の恋心は自覚していてもお互いに告白はし合っていない状態なんですけれど、その段階でラダメスのこの物言いや取ろうとする行動はやはり勇み足に見えますし、アイーダも立場として難しいだろうけどもっとちゃんとラダメスと話をしないし誰にとっても良くない方向にしか話は進まないよ、と思えてしまいます。こんなすれ違いで戦争を起こされたらたまったものではないわけで…もちろん実際にはアモナスロ(輝咲玲央)が懲りずに仕掛けてくるから悪いんだけど、でもじゃあそれを止められないまでももっと違う方向に流すことはできなかったのか?と思っちゃうわけです。それを「月満ち」場面だけでひっくり返す、かなり力業の構造になっているんですよねこの物語は…実はそこが厳しい、という問題はあるにせよ、とにかくひっとんにしては珍しく輪郭のぼやけた、意志や主張がはっきりしないヒロイン像に見えて、親兄弟に対する態度もラダメスへの恋心も、私にはなんか今ひとつ薄ぼんやりとしか響いてこなかったのでした…残念。フィナーレのリゾート姿は可愛かったし、ここの歌詞の改変もよかったとは思ったんですけれどね。
 でもこの歌詞、エジプト、アフリカだけにせず「♪どんな国もすごくて素敵」としたのはいいんだけれど、ホント言えば国なんかどうでもいいわけです。少なくとも民を大事にしないならそんな国なんかいらないわけです。だからアイーダは国を捨てたんだし、アムネリスはファラオとなる以上は不戦を誓ったわけです。でも男性作家はやはり男だからか、単純に自分と国家を結び付けすぎな気がします。『バロクロ』でもタカヤがツナヨシに民のため、ではなく国のためと言わせてしまったのはそのせいだと思います。でも女は国を無条件に受け入れることなんかしませんよ、その意識にそろそろ男も目覚めるべきですよ。ここはさらに一歩進んで「♪どんな人もすごくて素敵」と歌わせるべきだったのかもしれません。でもそれだとどんな男でもいい、というセクシャルな歌詞に取られちゃうかなあ…難しいなあ……
 さて話を戻しまして、この物語の正二番手にして裏主役はやはりアムネリスさまだよなあ、と改めて痛感したくらっちの素晴らしさよ! たとえ番手ごまかしのためだろうとラインナップで下手先頭を張りこっちゃんとお辞儀し合うのは大正解に思えました。歌えるし芝居ができるのも知っていたつもりですが、この人は声が意外に可愛らしいところがチャーミングなんですよね。歌えなくともあたりを払う美貌でいかにもファラオの娘然としていたゆうりちゃんとも、しっかり歌えて美しくしかしどこか固く生真面目そうだったところがまた王女様らしくてよかったしーちゃんとも違っていました。驕り高ぶった横柄で傲慢な王女ではなく、でも美しく豊かに恵まれて育った愛らしさと賢さ、責任感や幸福を追求する主張が見える、素敵な女性像だったと思います。そしてもちろん歌はめっちゃ上手い。三重唱のなんと豊かで美しかったことよ…! 堪能しました。最後にキラキラを抑えた、父のマントを羽織ったファラオ姿で出てくるところも感動的でした。
 かりんさんウバルドは…健闘していたけど、やはりゆりかちゃんくらい個性を出さないと意外と爪痕が残せない役なのかもしれないな、と思いました。カマンテ(ひろ香祐)、サウフェ(碧海さりお)もそこまでキャラの差が出ていたかなー…それはケペルとメレルカ(天飛華音)も同様。それぞれ振りはまったく同じだったので、私にはあっきーの亡霊がそれぞれに見えて目が曇っていたせいはあるかもしれません。ファラオ暗殺のとき、アモナスロが飛ばせた鳩の羽ばたきの音が私にはちょっと機関銃の銃声にも思えて、ウバルドたちの自爆テロ感がより出て不気味に感じられたりもしました。
 女官たちではターニ(瑠璃花夏)がにじょはなちゃんとともに歌手担当にピックアップされていて嬉しかったです。タオル首締めはなくなっていましたね。あとは娘役ちゃんがちょいちょいエジプト兵のバイトをしていたのもツボでした。神官たちも特にしどころはなかったかなあ…

 父が死んで、兵たちが割れることを恐れてアムネリスは自分が即位することを選びましたが、父が発狂したときにアイーダはすべてを捨ててラダメスのもとに戻りました。もちろん彼女にはもう継ぐべき国がなかったから、滅ぼされてしまったから、というのはある。でもまだ戦場に嘆き悲しむ女たちが残されていたわけで、彼女たち民に対する責任が本当は王女たる彼女にはあるはずなのです。次の女王になって民たちを守り率いなければならないはずなのに、アイーダはそれを放棄している。でもそもそも男たちが始めた戦争の後始末を背負わされるのが何故いつも女なんだ、という問題はあるわけで、だから愛に生きるこのヒロインの行動はここでは正当化される。しょーもない国なら国ごと要らん、とと言えてしまう。一方でアムネリスはそのまま国を背負わざるをえない。不戦を誓うけれど、自分でも実現は難しいだろうとも思っている。そんな困難な道を、唇を噛みしめ堪え忍びながら進まざるをえない。理不尽だけれど、誰かがやらないといけないことだから。ちゃんとできるなら国はあった方がいいと思えるから。希望を絶やすわけにはいかないから、でないとやがて人類そのものが滅んでしまうから。誰かが泣かなきゃいけないならそんな人類などまるごと滅べ、という考え方もあるけれど、この物語はそれを選ばないので。たとえ今は夢のように思えても、せめて次に泣く人を出さないように…なんでしたっけ、『武蔵野の露と消ゆとも』のキーワード…あれも星組公演でしたね。
 やはり国とか平和とかを考えているのはアイーダやアムネリスで、ラダメスはなんかもうちょっと卑近なことしか考えていない単純バカなところがあるヒーローになっちゃっている気もしますが(イヤ一応最期はアムネリスに対していいこと言って去っていくわけですが)、そういう物語だしそもそも世の中そういうものなのかもしれないし、未だ世界平和は達成されていないわけで、全然古びていない物語ではあるのでした。その良さがシンプルに立ち上がっていた再演、新上演だったと思います。
 よく考えれば、ラダメスとアイーダがプロローグに乗って現れていた謎のゴンドラがなくなってシンプルになったのも、よかったと思います。それでいうとファラオのゴンドラもなかったわけですが(笑)。くらっちアムネリスの圧巻の「世界に求む」と壮大なコーラスでシメ、というのは本当に感動的に美しかったです。

 イヤしかしフィナーレがホントまんまで全部覚えていて、かりんさんの立ち位置がほぼほぼあっきーポジションでもうホント大変でした全私が。マリンリゾート押しのコンセプトもめっちゃおもしろかったし。まぁみりのデュエダンは本当にまろやかでよかったなあ…とかもしみじみ思い出しました。
 でもパレードは、せめてトップコンビは、それこそまぁみりの衣装でいいから綺麗なの着て大羽根背負ってほしかったかなあ。名古屋のお客様だって羽根は見たいと思いますよ羽根は…地味で残念でした。エトワールは都優奈ちゃん、歌上手さんですよね! 素晴らしかったです。
 珍しく配信を知人と一緒に見る予定なので、ちょっと楽しみにしています!
 


 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする