御園座、2024年7月24日11時、15時半。
アンダルシア地方、セビリア。スペイン貴族ドン・ルイ・テノリオ(英真なおき)の跡取り息子でありながら、酒と女に溺れ、悪徳の限りを尽くす放蕩息子として悪名を馳せるドン・ジュアン(永久輝せあ)は、夜ごと女たちとの情事に耽っていた。今宵の相手は誇り高き騎士団長(綺城ひか理)の一人娘(二葉ゆゆ)。事態を知った騎士団長は娘を穢された怒りからドン・ジュアンに決闘を挑み…
脚本・作詞・作曲/フェリックス・グレイ、潤色・演出/生田大和、音楽監督・編曲/太田健。2004年カナダ初演、20周年となる今年は世界ツアーを実施中のフランス発ミュージカル。2016年雪組で上演したものから衣装と舞台装置(装置/國包洋子)を一新して、花組新トップコンビのプレお披露目公演として再演、全2幕。
雪組版の感想は
こちら、外部版初演は
こちら、再演は
こちら。再演はきぃちゃんマリアが素晴らしすぎて円盤買いましたよ…!
今読み返すに、いろいろとブラッシュアップしてきて、やっとだいぶ整ったんだな、という印象です(まだ「だいぶ」だけど)。最初からこれくらい仕上げてこいよ、という言い方もできるけれど…良くなっているので良きですね。わかりやすくなった分、シンプルでスタイリッシュになりすぎたのでは?と感じているようなツイートも見ましたが、まあこのあたりは好みもあるかな…私はストーリーがあるもの、その整合性がある物語、作品が好きなので。
あとはやはりラストの「愛のために、俺は死ぬ」ってなんなんだ、って問題は、まだあるかな…? これ、そもそもフランス版ではどんなニュアンスで描かれているんでしょうかね? だって向こうの人は、自殺ダメ、ゼッタイ、な価値観なんでしょ…? あと、「ために」って訳されているけど、「for」みたいな意味なのか、それとも「by」みたいな「愛によって、愛が原因で命を落とす」というような意味なのか…?ってのもありますよね。まあなんか私としても未だ納得したようなしないようななんですが、でもオチとしては「ドン・ジュアンの死」しかない気もするし、とにかく全体としてとてもおもしろく観たので、満足です。楽曲もいいし、改めて好きな作品だな、と思いました。日帰りダブル観劇遠征でしたが、大充実、大満足でした。
花組新トップスターとなったひとこちゃん、改めておめでとうございました。ここで言うことではないかもしれませんが、生え抜きでない花組トップって内外からなんとなくそういう目があってご本人はホントーにタイヘンなんじゃないかと思ったりするのですが、まあなるものはなるんだしなっちゃったんだからもうやるしかないんです。ちょっと小柄というか細身かな…?という気はしなくもないけれど、歴代そんなトップはたくさんいたし、なんでもできる総合力の高いスターさんだと思うので、全然心配していません。あとはこの先も作品に恵まれることを本当に祈っています…!
プレお披露目がこの作品になったことは、ある程度出来が担保された作品であることや、初演でラファエル(天城れいん)を演じていた生徒がついに主演を…!みたいなエモさも演出されて、よかったと思います。上演する組が違うのもいいですよね、生徒があまり被りすぎていたらこの企画って通りづらかったんじゃないかと思うので…いろいろ違っていることもあり、新鮮に観られましたし、やはり全体のレベルも上がっていて、とてもよかったと思いました。そしてその真ん中をひとこが務めることになんの問題もないし、頼れるし、一番暗く輝いていて、良さも出ていて、これからが楽しみだなー、と純粋に思えました。ひとこドン・ジュアン、よかったです!
あまり比較して語るのもどうかと思いますし、語れるほど回数を観ていないのですが、だいもんドン・ジュアンより少年っぽさが持ち味としてある気がして、それがまずいいなと思いました。だいもんのワルい顔、ギラギラさ加減はすごすぎて、まあ言うなればクドすぎて、物語の主人公として観客が好感を持ちチャーミングに感じる枠をギリギリ逸脱しているのでは…と当時の私は考えていたので。
精神的に不安定だったのか、息子の美貌に溺れた母親が溺愛の一線を越えて息子を襲ってしまったらしい…というようなくだりが今回は完全にカットされていたので(ちなみにこれもフランス版にそもそもあったエピソードなのかなあ? 生田先生の付け足し? だから初演も会場替えたらニュアンス変わって外部版からはなくなった…のかなあ?)、そうした性的虐待のトラウマによる女性不信もあり放埒に走っている…のではなく、単に二十歳そこそこくらいの若者がグレてイキってサカって暴れてるんだな、と思えました。なのでドン・ルイは、「息子よ」の歌とかでうっかりいい夫いい父親みたいに見えないよう、もっと妻や息子を顧みなかった、仕事か愛人かにかまけて家にいなかった男に描くとなおいいのではないかと思いましたね。彼は体面を気にして息子を叱っているだけで、心から心配しているわけではない…みたいな方が、逆に心配しすぎてあれこれくっついて回っているドン・カルロ(希波らいと)との対比にもなるし、ドン・ジュアンがそういうのが嫌で寂しくてグレて暴れているのね、って説得力が増すと思うので。
(まあでも、多数の女たちを虜にしたある男がいた…ってのはある程度の事実だとしても、やはり男性作家によるモテ・ドリームみたいなものがそこに乗っている、というか乗りすぎているのはすごく感じるので、そこはちょっとつっこみたいですよね。どんなに金や権力や性技?があろうと、それで寄ってくる女ってそれだけのものでしかないし、人数だってホントたかがしれているはずなんであって…そんなことあるかい、デカいチンコがそんなにすごいと思ってんのか?そこに価値は本当にあるのか?とかの冷静な視点も必要だよね、とか考えたりも、しました。まあでも少女漫画で今でもやっている「みんなからモテモテのあんなに素敵なカレが、何故こんなサエないワタシに…!?」みたいなのもその裏返しなので、男女同罪両成敗なんでしょうけれど…でも、ドン・ジュアンがマリア(星空美咲)とくっついて、要するにただのそこらにいる若い男に成り下がると、周りの女たちはさーっと冷たくなるし、決闘騒ぎにも野次馬的冷やかししかしなくなるのが、リアルでヒドくていいな、と思いました(笑))
そんなわけで、「俺の名は」はなんかあんまり良く聞こえなかったのですが、「エメ」とか「変わる」(これは邦題「シャンジェ」でいいのでは…「Aimer」が「エメ」なんだから。チェンジのフランス語ってことね、ってわかるでしょう普通…)、「愛だけが」なんかはとてもよかった。初めて恋を知った若い男の、少年のようなきらめき、輝き…キュン! そして、「嫉妬」が本領発揮だと思いました。
そう、本当に愛があれば、もっと広い心でマリアの「昔の恋」を受け入れられるはずなんですよ。マリアだってドン・ジュアンの過去の愛人たちについていちいち何かを言っていないんだし…でも彼は、騎士団長の呪いとは別に、未だ本当の愛、深い愛を知らないから、プライドとかメンツとかを取って「決闘だ」となってしまう。
ここでラファエルが応じるのには、ある種の理屈がある気がしますよね。断るなんて恥なので事実上できない、ってのもあるでしょうが…エルヴィラ(美羽愛)がマリアを陥れようとするのと同様で、嫉妬の矛先がダメダメなんですけれどね。つまり、こういうときに人は矛先を恋敵に向けがちだけど、本当に相対すべきは恋人、自分の恋愛相手なんですよね。恋敵なんてふたりの関係にそれこそなんの関係もないし、その人がいなくなれば自分たちの関係が改善されるというものでもない。でも人はたいていそこを見誤る…このあたりはまたラファエルに関するくだりで語ります。
ところで外部版ではラファエルが本当に不死身で、ドン・ジュアンが刺しても突いても立ち上がり立ち向かってきて、このままだと本当に殺すしかないけれど、いくら決闘での殺人は法的に問われないとはいえ騎士団長に続いて間を置かず二度となるとさすがにマズい気もするし…とドン・ジュアンがためらい、怯え、ラファエルをそうまでして立たせるものってなんなんだ…となって、そこに彼のマリアへの愛を見る…というような解釈を私は前回したように思うのですが、そういうラファエルの不死身感は今回はあまりなかったような気がしました。そこからの「愛のために、俺は死ぬ」なので、やはりここでドン・ジュアンが突然理解した「愛」ってなんなんだ、とこの流れの意味はわかったようなわからないような…なのですが、ともかくどっちかが死ななきゃこの場は納まらないし、でも相手を殺す資格は自分にはない気がしたので自分で自分を死なせることにした、という感じなのかな、とも思いました。愛を知った人として愛に殉じた証として死ぬ…というほどきちんと考えられていない、若者の性急な決断、という気もして、それもひとこドン・ジュアンに似合いかな、という幕切れに感じました。
うん、ホントよかったです、ひとこドン・ジュアン。主役はなんでもそうだろうけれどそれにしても出番の多い、大変なお役だろうけれど、どうぞがんばって完走してください。そしてまたひとつの伝説となり、この作品が愛され受け継がれ再演されていくことを私は望んでいます。
さて、何度も何度も言いますし毎度申し訳ないのですが私は星空ちゃんが苦手で、それは残念ながら未だ変わらないのですが、しかしマリアはよかったです。というか「石の像」の歌がホントよかった! きぃちゃんのこの歌は絶品で、そらこの歌声にどんな人間もメロメロになるよ…!という説得力がハンパなかったのですが、それに匹敵しました。もともと歌が上手いスターさんだよなとはずっと思ってきましたが、磨きがかかった気がします。歌声に彩りがあり、艶があり、華やかでした。それでカーンとノミ?木槌?を振るわれたらそらハートにガツンときますって…! ひとことのハモリのあるデュエットも素晴らしく、いくらまどかが支えてもこれはれいちゃんには無理だった…とか思うと耳が幸せでした。
みちるマリアは騎士団長の像を途中までは彫って、その後壊しちゃったんでしたっけ? 今回は手もつけていないので、職人として芸術家としてどーなんだって気もしますが、別に恋に溺れたら仕事はどーでもよくなった、とかではなくて、この石じゃないのでちょっと仕切り直しね、ってだけにも見えて、私はわりと納得できました。ただ、周りにあったのは歩廊としていた騎士団彫像のイメージってこと? 私はマリアの過去作かなとか思っていたのですが…どういう設定なんでしょうね?
ラファエルとの関係に関しても、マリアが結婚式を先延ばしにするのに「あなたは戦争で死ぬかもしれないんだから」みたいな、人としてかなり薄情に聞こえかねない台詞を言うのがなくなっていて、よかったなと思いました。おそらく幼馴染みで、嫌いじゃないから押し切られてつきあってきて、周りから愛されているんだから幸せでしょ、それが愛よ、と言われるけど今ひとつピンときていなくて…みたいな、やはりいろいろとまだ幼い、若い、早熟すぎるこの時代・社会の女性からしたらちょっと変わった、でも本当に普通の女性という感じで、別に芸術家だからエキセントリックだとか浮き世離れしている、とかはないヒロインに私には思えて、好感が持てました。
キャラのせいもあるかもしれないけれど、ドレスになっても星空ちゃんが変に膝折りしていなくて(靴はペタンコで、作業着姿のときのブーツの方がヒールがあったと思いますが)、結果ふたりの身長はほぼ揃っているんだけれど、それで対等なカップル、という感じが出ているのもいいなと思いました。ドン・ジュアンはそんなことを気にする男じゃないと思いますしね。
ただ、お衣装はなー…(衣装/有村淳)作業着としてなめし革のエプロンみたいなのを身につけていてもいいしズボンでもいいんだけれど、ブラウスはスモーキーなピンクとか、別に白でも、なんかとにかくもうちょっと可愛い、綺麗な服を着ていてもよくないですか? ドレスになっても謎のグリーンで…もっと明るい黄色でもオレンジでもよくない?
あと、「歌劇」かなんかで演出としてもっとプラトニック感を出したい、みたいなことが語られていたかもしれませんが(歌詞にも残っているし、セックスしてないワケないので意味あんの?って気もしますが)、それで寝室での翌朝みたいな場面が抽象的なものになるのはいいんだけれど、そこでマリアがドレスを脱いだら黒いレースの縁飾りがある白の変なワンピース姿になってるのは、なんでなの!? 飾りはあってもいいけど、もっとロングの白のドレスとかじゃダメ? 別にネグリジェには見えない白ドレスなんて売るほど持ってるでしょ劇団は!? なんなのあのワンピ、あのころのセビリアにそんな服はないよ、てかそこだけ新宿のガールズバーみたいだったじゃん! やめてくれ!!
さらに言うとラストのどう見ても喪服な黒ドレス…いくら決闘で誰かしら死人は出るだろうと予想されるにしても、準備よすぎでは? てかそう思われちゃうでしょ? 教会へ祈りに行ったあとで、祈りのための厳かな服装なんだ…ってことなのかもしれないけど、なんの説明もないでしょ? ここでまたグリーンのドレスじゃつまらないのはわかる、でもなんかもっと他にあってもよくない…!?
ラスト、ドン・ジュアンを掻き抱く姿はピエタっぽくて、とてもよかったです。
このあとマリアは、ドン・ジュアンを想って愛の像を彫って、そのあとはもう彫刻はやめてひっそり生きていくのかもしれない…し、また別の恋をするのかもしれません。それはわからない。ラファエルも、エルヴィラも、ドン・カルロも、イザベル(美穂圭子)も、また別の恋人と出会っていくのかもしれません。愛はひとつじゃないのです…
あとは一幕ラストの、みんなして総踊りになる場面のダンスがキレッキレでとても良くて、本公演のショーがとても楽しみになりました。学年は若いけれど、キャリアは十分踏まされてきたトップ娘役さんだと思います。がんばれー!
さて、初演の2番手格は咲ちゃんのドン・カルロだったと思うし、がおりは当時もそれ以前も以後も別格スター扱いだったとと思いますが、今回の2番手格はしっかり騎士団長役のあかちゃんでした。あかちゃんも別格は別格なんだけれど、スカステの番組なんか見ていても、他の組と揃えて3番手や4番手格まで並べるときに、あかちゃんとはなこが今のところ置かれていますもんね。でもホントはだいやらいとれいん…って流れなんだろうけどな、など思ってしまっているわけですよ私は…(てからいとなんでしょ? 休演が長かったのが痛いけれど、今や少しも早くバウ主演をください…!!)
でも騎士団長/亡霊って本当にキーパーソンだし、あかちゃんはひとこの同期でもあるわけで納得の起用だし、もうひとりのドン・ジュアンのようでもあって存在感ありまくりだし、ホントいい仕事をしていたと思いました。なんだろう、亡霊とか死神というより、まっとうな、あるいは理想の男の姿、本来ドン・ジュアンが目指すべき人間像…みたいなものだったのかもしれません。仕事して、周りの人望があって、家族を持ち、愛して…みたいな、ある意味、普通の、まっとうな男、人間…
登場のカッコいいことよ! 御園座にセリってあるんだ…!みたいな新鮮な驚きもありましたね。
かつての宙組のテルキタみたいでもあるかな…ま、いいか悪いかは別にして。カテコでにこやかなのもラブリーでした(笑)。
セカンドヒロインはエルヴィラでしょうが、これまた初演のくらっちとだいぶ印象が違う気がしました。くらっちの方がエキセントリックで、狂信的一歩手前の意外と情熱的な女性、という感じだった気がします。あわちゃんはあくまで世間知らずでおぼこくて残念ながらそんなに頭がいいわけではない、まあ貴族の娘としては平均的な女性…という役作りだったような気がします。だからアンダルシアの美女(紫門ゆりや。この役といえば生腹ですが、細いというより薄い! 内臓はどこに納まっているの!?)に対抗して脱いでも中途半端だし(脱がされすぎ、という感想を見て、スカートも取られるくらいまでいくと思っていたのにアララ残念…とか感じた自分をちょっと反省しました)、その後も酔っぱらって調子に乗った男とキスしようとして、やっぱりできなくて顔を背ける…という仕草がとても印象に残りました。
そもそもの登場シーンも、事実としては単にふたりが一夜をともにしただけであって、そこからの結婚云々はすべて彼女の常識による彼女の思い込みなんだな、というのがわかりやすくなっていてよかったと思います。その後の彼女の行動も特別悪辣ではないと思うし、いい塩梅でした。ただ観客の同情を誘えるかというと、どうかな…あと第一声は「ありがとうございます、ドン・カルロ」にしてほしい。彼の名前をさっさと提示すべきです。
結局のところ、女性の生き方として誰かの娘か妻か母親か、未亡人か修道女かさもなければ娼婦、という選択肢しかないこの社会がクソなのであって、エルヴィラには罪はありません。もちろん誘惑されても乗らなかった修道院で勉学している娘、ってのもいるはいるんだろうけれどさ…マリアの職人/芸術家ってのはだいぶイレギュラーなんだろうし、それこそ大きな工房の親方かなんかをやっている父親でもいないと成立していないのかもしれませんよね。そしてタベルナやタブラオにたむろしてドン・ジュアンに群がっている女たちは、あれで誰かの娘か妻か母親であり、そして兼娼婦なのでしょう…
このあとエルヴィラが修道院に戻るんだとして、彼女が結局この顛末を見て神様についてどう考えるようになったのか謎ですが、修道院が受け入れられたのなら彼女の醜聞は忘れられたかごく小さなことだと判断されたということだろうから、スガナレル(紅羽真希)がドン・ルイに言う理屈はちょっとおかしくない…?とは思いました。
あわちゃんは歌を心配されていたと思うのだけれど、大健闘していて問題ないと思いましたし、かわいそうになりすぎたり嫌な女になりすぎていない、いい塩梅で作品の中にいるな、と感じました。下級生トップ娘役の体制の中で、娘役さんとしてはここからが勝負でもありおもしろいところなんだから、いっぱいいいお役をやって活躍していただきたいと思っています。わりと好きなんだ、応援しています!
で、3番手格がらいとドン・カルロなんですかね。幕開きの第一声、そして歌、緊張したでしょうが素敵でしたよ! 2幕とっぱしの後ろ姿もシビれました。長身でスタイルがいい、顔がいい、素晴らしい武器ですよ! すみません好きなんです、甘いです…
でもマチネは、心配しながら観ていたからかもしれませんが、演技があまり良くないのでは…と感じてしまいました。というか私はドン・カルロみたいなキャラクターが(あるいは彼とドン・ジュアンみたいなキャラクターとの関係性が)好きなので、「私が観たいドン・カルロ」と微妙に違って感じられた、という私の側の問題もあったでしょう。歌は低音で歌えていてよかったんだけれど、芝居の声はもっと明るい地声でもいいのでは、無理して低い声でしかつめらしくしゃべりすぎているのでは…とその似合わなさにちょっとヒヤヒヤしてしまったのです。その方向性の役作りもわかるけれど、ちょっと足りていない気がしたので。だったら、幼馴染みのちょっと歳下の男の子で、ドン・ジュアンがグレ出す前はふたりしてそれこそ子犬のようにじゃれて転がり回って遊んでいたんだろうような、真面目で純粋な男の子で、ドン・ジュアンが何故変わってしまったのか全然わからなくてつらくて、酒や女や博打やに遊び回っていてもドン・ジュアンが全然楽しそうじゃないこともつらくて、とにかく心配でついて回っては小言を言う、でっかい子犬のような青年…みたいな方向性の方が、無理なく自然に作品に中にいられたのでは、と考えてしまったんですよね。
でも、ソワレはなんか、すとんと納得できました。一回一回、らいとが何かをつかんで明らかに前進し上達している、というのもあるけれど、同い歳の幼馴染みに見えないこともないかもしれない、とも感じました。
てかあの慇懃無礼に見えるお辞儀、いいなー! ドン・ルイがあまりいい父親ではなかったのなら、ドン・カルロがそれを知っているのなら、あの慇懃無礼さは正解なんですよね。
あとは、イザベル相手だとしても一人称「私」な男には見えなかったことがネックかな…てかココ別に「僕」でよくない? ダメ?? 私が聞きたいだけですかそうですか…
ドン・ジュアンが騎士団長を見て話しちゃうところの彼には、「誰と話してるんだ?」「誰もいないぞ、何もないぞ、どうした?」みたいな台詞をもっと足してほしかったかな。アドリブで入れちゃってもいいのよらいと…決闘の最中では、みんなが騎士団長の呪い?で固まってストップモーションになるのに、ドン・カルロは動けている一瞬がありましたよね。あれも、彼がドン・ジュアンを愛しているからこその描写だと思うんだけどなー…プログラムのあらすじの、募らせる「他言する事の出来ぬ淡い想い」ってそういうことでしょう?
歌詞としてはエルヴィラに対して同情のちラブ、みたいなことが歌われているような気もしますが、自覚があろうとなかろうとドン・カルロが愛しているのはドン・ジュアンなんですよ。むしろエルヴィラのように、服を脱いで彼に迫って愛を乞いたかったことでしょう。でもできない、同性だから、友達だから…床ドンがなくなっても、そしてひとこはだいもんよりさらにドン・カルロにあんま興味なさそうだったけれど、それでもここにあるのはそういう関係性だと思うなあ…二幕冒頭のドン・カルロの目が死んでるのがいいんですよね。マリアの登場は彼にとっては全然嬉しくなかったんですよ、たとえそれでドン・ジュアンが嬉しそうでも、彼のために寿げない。そういう「嫉妬」がドン・カルロにもあったんです。一方的な「友人」でも、ただ彼のそばにいたかった…その気持ちはイザベルが言うように、ドン・ジュアンの周りに侍る女たちと同じなのでした。ドン・ジュアンがマリアと愛し合い、しばらくはマリアだけがいればいい、「愛だけあれば 他に何もいらない」と歌うような状態が続いたとしても、やがてその愛が深まり広がれば、ドン・ジュアンは友人ドン・カルロを求めたし受け入れたはずなのです。ただ、その時間は彼には与えられなかった…
ドン・カルロがどこぞの貴族の次男坊とかなら、ドン・ルイの養子になって家や財産を継ぐといいと思います。それかエルヴィラが養女になって、その婿に入るのか…うーむ、なんでもいいけど幸せになってねドン・カルロ…!
ひとこがかつて演じたラファエルはれいんくん。でもこれがまた、だいもんドン・ジュアンも濃かったけどひとこラファエルも濃かったんだなー、と改めて思い知らされる、なんというか…ライトさでした。それこそ地声や持ち味が明るいタイプだからなー…ならもっとやんちゃ小僧で作ってもよかったかもしれませんけどね。無理にドス効かせるとか、ホント無理なものだからさ…モラハラ男じゃなくなっても、いいヤツなんだけどちょっとめんどくさい男、みたいな表現はできるはずですしね。でも、れいんくんも健闘しているとは思いました。別箱でこれくらいの大きめなお役、絶対に糧になりますよ…!
マリアとの関係は、ラファエルの強引さというか思い込みというかな部分は確かに大きいのだけれど、マリアも明確には否定しなかったのが悪いんだから、確かにちゃんと婚約者なんですよ、自他ともに認めているんですよ。そりゃ戦闘で生死不明、というのは誰にとっても残酷だったと思うけれど、マリアがラファエルが帰らないことに全然傷ついていない様子なのが、もう、ね…イヤわかるし、別にラッキー!これでドン・ジュアンと被らないじゃん!とか考えてるわけではない、ってのもわかる。でも深く考えたくなかったんだよね、言いたくなかった、言わないですませたかった…ヒロインの発言としてはいかがかと思われますが、リアルだし真実だろうし、私はいいなと思いました。そらもう男たちは決闘で決着つけるしかなくなりますよね、まあなんの決着?って話なんですけれどね…
ドン・カルロは「ドン・ジュアン、きみの方が強い」とか歌いますけれど、貴族のボンボンでそれなりに嗜みはあるだろうけれど、酔いどれへっぽこ男に職業軍人が負けるものなのか…とかちょっと思ったんですよね。でもラファエルたちって民兵というか、民間人だけど徴兵制があって簡単な訓練だけで前線に送られるような、ほとんど一般人なのかもしれないな、とも考え直しました。それでもカッとなれば剣を抜いてドン・ジュアンにつっかかっていくラファエル、ドン・ジュアンを庇って剣を抜き応戦するドン・カルロ…萌えしかないシチュエーションでした…! 今回足されたんでしたっけね?
それでも、ラファエルだって心移りした恋人の気持ちは取り戻せない、なんてことはわかっていたと思うんですよね。だから決闘なんてなんの解決策にもなっていないんだけど、でもやっちゃうのが男なんですよね、馬鹿ですよね…決闘の最中、マリアが割って入ろうとしたりつらそうに顔を背けたりドン・ジュアンを案じて泣いているのを見て、ラファエルの「恋人を奪われた怒り」みたいなものはしおしおと小さくなっていくのがわかります。なんならマリアのために決闘なんて途中ででやめてあげたいくらいなんだけれど、でもそういうわけにもいかないから続けるし、それとは別に死にたくないからがんばるわけで…その袋小路感がたまりません。
でもこのラファエルの必死さ、真剣さが、ドン・ジュアンに自分とは違うな、とも思わせたのでしょう。本当の意味で愛を知っている人間の戦い方は、あまりにも刹那的な自分とは違う…とは感じられたのではないかしらん。だから、その域に自分がいくには、死んでみせるしかなかったのではないでしょうか…
このときの怪我がもとでその後脚が少し悪くなったりしても、ドン・ルイが何かしらの経済的援助をしてくれる、とかはあるんじゃないでしょうかね。そして彼もまた次の恋に出会うこともあるでしょう。幸せになってねラファエル…
初演から続投のじゅんこさんと圭子姐さんは頼もしい。特に圭子さんは外部のオサのイザベルに近くなったというか、これまた塩梅良く作品の中にいるなと思いました。場を攫いすぎていないところがいいし、ドン・ジュアンの最初期の女としていい感じの存在感を醸し出していて上手いな、と唸らされました。主演と学年差が開いたからかな…ホントは凛乃姐さんとかがここをやっても、できなかないんでしょうけれどね。
ところでフェルナンド(紫門ゆりや。『
アルカンシェル』に続いて二役ですが、ホントすごいよ…!)は伍長だしラファエルの上官なんじゃないの? なんか口調おかしくなかった…? パロマ(凛乃しづか)の妊娠って以前はなかったんでしたっけ? てかタマラの詩希すみれちゃん、よかったなあぁ…! てかファニータ(咲乃深音)も、歌えるってのもあるけどだいぶ目立つ役になっていた気がしましたが、まさか次でやめないよねみょんちゃん…? あとはカルラの湖春ひめ花ちゃんが垢抜けてきて娘役として綺麗になってきて良きでした。入ってきたときは顔がデカすぎて童顔すぎてこれは難しいのでは…などと心配していましたすみません。シュッとしてきて、こうなるとこの特徴的なお顔は目立ってイイのですよ…!
あとはやはり美空のまるくんがいつでもどこでも上手いですね。最下に近いところにいた、おそらく希蘭るねくんかな?が華やかな美貌で目を惹きました。
行きの新幹線では持参したお弁当をいただき、大休憩はちょっと離れたカフェで涼んで、終演後は御園座の下の「おか富士」さんでテイクアウト予約した鰻丼を買って帰りました。ちょうど土用丑の日だったんですよね。曇天で暑さがそこまでではなく、楽しい遠征となりました。スカステで映像で見るのも楽しみです、早く放送されてー!
お披露目本公演のポスターもいい感じでしたし、この先も楽しみです!!