駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

三浦しをん『ののはな通信』(角川書店)

2018年12月08日 | 乱読記/書名な行
 横浜のミッション系お嬢様学校に通う、野々原茜と牧田はな。庶民的な家庭で育ち、頭脳明晰、クールで毒舌なののと、外交官の家に生まれ、天真爛漫で甘え上手なはなは何故か気が合い、かけがえのない親友同士になるが…女子校で出会い、運命の恋を得た少女たちの20年超を全編書簡形式で紡いだ女子大河小説。

 後半に出てくるメルアドから類推するに彼女たちはおそらく1967年生まれと設定されているようなので、私とはほぼ同年代です。でも私は女子校育ちではなく、ののかはなかと言われればののっぽいかと思うけれど、はなと出会うこともなく生きてきてしまったのでした。 とてもスリリングに読み進みましたが、間がこんなに飛ぶ構成になるとは思ってもいなかったし、こういうふうに終わるお話だとも思っていませんでした。これでも、長い彼女たちの人生(まあ、はなの生死は不明だと言ってもいいのかもしれないけれど)の半分でしかないと思うのだけれど、あえて、ここで切った物語だということなのでしょう。いろいろなタイプの物語を紡いできた作家だけれど、そして私はそのすべてを読んでいるわけではありませんがしかし、その彼女をしてこういう物語を書かせるくらい震災というものは大きなものだったんだな…と、なんかそんなことの方に衝撃を受けました。いや、作家がどこからこの物語を着想したのかとか、どこをメインに描きたいと思っていたのかとかは、私にはわかりませんが。少なくとも単なるユリ小説とかではないかと。
 後半の展開には私はちょっと平野啓一郎『マチネの終わりに』を思い起こしたりもしましたが、オチは完全に真逆と言ってもいいと思うので、それは作家の性別とか歳によるものなのだろうか、とかも考えたりしました。
 ののもはなも結果的に子供を持っていませんが、つなぐ次世代を持たない者は世界丸ごとへ向かうものなのでしょうか。私も、何か世界のために役立ちたいとか考えないではないのですが、東北にも行かずアフリカの難民キャンプにも行かず、東京でひとりで生きています。猫もいない。それを突きつけられたような気がしました。
 愛を知らないつもりはないのだけれど、何もしていないと言われたらそうかもしれません。 ただ、まだ人生折り返し地点だから、と思って逃げることはできています。誰かへの手紙ではなく、主に自分のための記録としてのこうしたブログを書いているところが私と彼女たちとの違いかもしれないし、けれどここもまた誰かに読まれているだろうとは思っているので、その意味で同じと言えば同じなのかもしれません。生きている、生きていられている、そして誰かに語りかけている、いられる、ということが、大事なのかもしれません。




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久松エイト『NEON』(集英社EYE COMICS Bloom)

2018年05月20日 | 乱読記/書名な行
 人気ファッション雑誌「CROQUIS」の読モとして人気を博している多田明良には秘密がある。それは地方からの上京組であること。しかしひょんなことから同じ読モの波野彦一にそのことを知られてしまう。初めこそ動揺や焦りから彦一に当たってしまっていた明良だが、彦一の優しさに次第に心を開いていき…スタイリッシュ&極上ピュア・ラブ。

 またしても、キャラ設定と関係性はいいのに話の運びに繊細さが今ひとつなくてもったいないBLに出会ってしまいました。ネーム直させてくれ、もったいないもったいないもったいないよ! もっと萌えられる作品にできたよコレはー!!
 読モってのがまずおもしろい題材だと思うのです。でもそれがきちんと、どころかはっきりと描かれていないのがまずもったいない。
 そしてメインのキャラクターふたりがどちらもトーン髪なのがとにかくいただけない。描き分けられているつもりなのかもしれないけれどわかりづらいよー、ベタに白髪と黒髪とかにすればいいのに。ああもったいない。そしておそらくモデルとして、目つきや顔つき体つきなんかもすごく違うけど組むとすごくバランスが良いふたり、という設定なんだろうけれど、それを描写するだけの力量がないのも惜しい。ホントもったいないよー。

 キャラはものすごく立っていて、いいんですよねー。ツボりました。
 ど田舎出身で、でも美しいものやとんがったファッションが大好きで、地元では浮いていて、家族や周囲の反対を押し切って上京してきて、今は美しいものばかりに囲まれて幸せで、自分のために美しく装って、それがお金になる仕事ができて楽しくて、仲間もできて、でも口下手でコミュ障で友達ができない明良。
 片や、横浜出身の大学生でなんとなくバイトを始めただけの、友達も多くて彼女もいたことがあって優しくておおらかな彦一。でも今時でこんな名前なんだったらなんかそこにもドラマがありそうだけれどなー。あと描き下ろしの番外編で明良の帰郷につきあうエピソードがあったけれど、こういう中途半端に都会に生まれた人間は田舎にものすごいあこがれを抱いていたりするものなので、そのあたりにもドラマがあったはずだけれどもなー。
 ともあれそんな彦一が明良に友達のなり方を教えて、友達になって、さらにドキドキするようになんかなっちゃったりして…
 明良は撮影で彦一にキスとかしてくるんだけど、単にその角度だと顔と服が一番綺麗に見せられるから、みたいな理由だったらしく、彦一は混乱して…
 みたいな、まあ、「この感情はなんなんだ? 恋なのか? 相手は同性なのに? そして向こうはこっちを本当のところどう思っているんだ?」みたいな葛藤を楽しませるべきお話なんだと思うんですけれど、まず男女の描き分けができていないから(ヘアメイクに女性キャラがいる? ファンの女子は出てくる)その差異が出なくておもしろくないし、虎と和は公認のゲイカップルっていうことなんじゃないのかなと思うんだけれど(というか私が担当編集者だったらそうさせるけれど)それもきちんと描かれていないから主人公たちとの差異も出なくておもしろくない。何より彦一が、自分が「同性である」明良に惹かれていることにとまどう、というくだりがないので、なんなのこの世界では同性愛は普通のことで障害でもなんでもないの?ってなっちゃってつまらないんです。読者は障害や葛藤に萌えたいんだからさ。イヤ本当は差別も障害なんかもない世界が理想なんだけれど、今のところ残念ながら世界はそうはなっていないじゃないですか。だから悩む、けれど乗り越えて愛を取る、みたいなドラマが見たくて人はBLを読むんでしょう? 少なくとも私はそうです。なのに同性であることに葛藤しないなら意味ないじゃん。てかそんなふうにナチュラルに受け入れちゃうこの世界にはリアリティがなくなっちゃって、だとしたらその世界にいるこのキャラクターたちの感情にもリアリティが感じられなくなっちゃって、読者は感情移入できなくなって引いちゃうんですよ。ああもったいない。
 明良の方は、天然というか無垢というか妖精というかで、「何で抜いてるの?」と聞かれて「抜くって何を?」と聞き返しちゃうようなコドモで、だから唯一の友達である彦一にただ無心に懐いているだけのようでもある。また美至上主義だから、映りがいい美しい組み合わせとしての自分と彦一、を愛しているだけのようにも思える。それが、明良に惹かれ始めてしまった彦一には不安で不満で、明良と距離を取ろうとし、それが明良を困惑させ…
 って流れなんだけれど、連作短編みたいな形で視点人物が交互に入れ替わるのはいいとして、それぞれの立ち位置をクリアにして、その上でそのキャラが相手の何をどう誤解していて何に悩んでいるのか、をきちんと読者にわかるように見せないと、読者は萌えられないじゃないですか。くっつくゴールなんてハナからわかってんだからさ。そこはほとんど計算というかセオリーで作れるところなのになあ、ひとりよがりでわかりづらいんだよなあ。だから担当編集者が指摘して修正させて客観性を持ち込むべきところなんですよ。それだけで全然伝わりやすくなるのに…せっかくこんなおもしろいキャラクター設計をしておいて、そこがザルだなんてホントもったいなかったです。
 知らないレーベルですが、元は電子とかなのかなあ? 大手ではBLはうまくいかないことも多いけれど、それは結局は漫画家の質とかより担当編集者のノウハウの有り無しの問題だと私は思っています。さて、どうなんでしょうかねえ…?

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W・ブルース・キャメロン『野良犬トビーの愛すべき転生』(新潮文庫)

2017年06月24日 | 乱読記/書名な行
 兄弟姉妹に囲まれ、野良犬としてこの世に生を受けた僕。驚くことに生まれ変わり、少年イーサンに引き取られてベイリーと名付けられる。イーサンと喜びも悲しみも分かち合って成長した僕は歳を取り幸福な生涯を閉じるが、目覚めると今度は雌のエリーになっていて…

 犬と馬の出てくる物語に目がない私ですが、本当におもしろいと思えるものはなかなかないものです。これはおもしろく読みました。なんと言っても転生する、記憶が引き継がれるというアイディアが秀逸ですね。犬の中でもとりわけ賢くて人間と暮らす道理が最初からわかっているような子がいるものですが、生来の性格とかではなくて、何度か転生を繰り返していて経験があるから、なのかもしれません。
 単なる擬人化でもなくて、ちゃんと犬なりの理解の仕方でしか人間や社会を見ていないところなんかがきちんと描かれているのもおもしろかったです。「少年」と「仕事」をことに愛するものとして描かれているところもいい。
 原題は『Dog’s Purpose』で、続編もあるそうだけれど、さてどうかなあ。つまり、一匹の犬が生まれてから転生を繰り返しついには転生するのをやめ成仏する(?)までには、ひとりの人間を完全に幸福にするという目的が達成されることが条件となるのだ…ということなのであれば、いくら犬が人間と共に暮らし進化してきたからといって犬に対してちょっと失礼というか酷というか、な気が私はするんですけれど。そこまで人間に依存した生き物ではないんじゃないの?という。というかそんな生き物なんか存在しないだろう、という、ね。
 でもまあ、今回のお話に関しては、ややできすぎな気もするけれど綺麗にまとまっていて、楽しく読み終えられました。






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クリスティン・ハナ『ナイチンゲール』(小学館文庫)上下巻

2016年06月22日 | 乱読記/書名な行
 第一次大戦に従軍し心に傷を負った父親は、妻の死後、ふたりの娘に背を向けた。姉のヴィアンヌは当時14歳、妹のイザベルは4歳だった。やがて第二次大戦が勃発、フランスはナチに屈服する。出征した夫を待つヴィアンヌ家にはドイツ軍大尉が住み始め、一方イザベルはパリで対独抵抗運動に参加し、連合軍航空兵の逃亡を助ける秘密活動を始める。暗号名はナイチンゲールだった…

 ちょっとさくさく進みすぎかなあ、と思いつつスイスイ読み進めたのですが、下巻に入り戦況が厳しくなってから俄然おもしろくなった気がしました。要するに平時では単に気が合わないわがままな姉妹の話、という感じでどうにも興味が持ちづらかったのが、しんどい状況の中で必死にベターを求めたがんばる女たちの話になって、やっとおもしろく思えるようなったのだと思います。
 もっと重厚な表現で書いた方がいいような気もするし、現代パートの女性が姉妹のどちらなのかで興味を引こうとする試みも成功しているとは言いがたい気がしましたが、最後までおもしろく読みましたし、ラストは号泣しました。
 女は男にいちいち何もかもを言わない。息子の父親が誰かも言わない。言わないのは彼のためでもあるし自分たちのためでもある。言わなくてもなかったことにはならない。傷は癒えるけれど真実は存在し続け、愛もまた続く。感動的でしたが、だからこそ、やはり再びこんな思いをする者たちを生まないよう、戦争はなくさなくては、とも思いました。





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柚木麻子『ナイルパーチの女子会』(文藝春秋)

2015年07月25日 | 乱読記/書名な行
 ブログがきっかけで偶然出会った、大手商社に勤める栄利子と専業主婦の翔子。よい友達になれそうと思ったふたりだったが、あることが原因でその関係は思いもよらぬ方向に…

 帯にある「女同士の関係の極北を描く」とある惹句はやや正しくないとは思いましたが、とにかく怖くておもしろくて、あわわわわとなりながら読みました。
 コミュニケーション不全みたいな問題って性別とか特に関係ないし、解決できるとか改善されるとかってことではないのかもしれないけれど、物語としては一応、希望が持てる終わり方になっているとは思うので、よかったかと思います。安易だとか嘘っぽいとかは思わなかった。人は自分や周りと折り合ってとにかく生きていかなければならないのだし、できれば幸せに生きたいものだからです。

 私はひところは「私は友達が少ないから」と、特に自虐的な意味ではなく単なる事実としてよく周りに言っていたのですが、今となっては事実ではないので口にしなくなりました。大人になってこんなに新しい友達が持てるようになったのはツイッターと宝塚観劇趣味のおかげです。呑んで食べて宝塚の話をしているだけでもその人の人柄や人生観は表われますし、それが好きになれなければ何度も会わないし、別に深い話とか今はしていなくてもいずれ機会があればするようになるだろうと思える、宝塚以外のことでも話せるであろうちゃんとした友達だと思っています。
 でもいわゆる「女友達」という意味では、確かに私も作るのが下手なタイプの子供だったかな…
 まずもって性格的にさっぱりしていて女の子らしくなかったし、兄弟は弟がひとり、隣の家には私と同じ歳の男の子を頭に三兄弟がいて、小学校に上がる前はこの五人でしょっちゅう遊んでいたのだと思います。もちろん男の子の遊びを。私は運動神経は悪いけれどおてんばでガキ大将タイプだったので、きっとボス猿のようだったのでしょう。
 もう少しものごころがつき出すと本や漫画が好きになり、自分でお話を作ったり絵を描いたりすることも好きになったので、外では男の子と元気に遊びまわって、家に帰ったらひとりでお絵かきして遊んでいる子供になりました。このころから女の子の友達もできるようになったとは思うけれど、仲良しグループみたいなものを作ることはなかった気がします。
 中学生のときに引っ越しをして、転校生に話しかけてくれる女子グループがあったので、そこで初めてそういうつきあいを知ったかも。家が近所で親同士も仲良くなったりして、私が就職で地元を離れるまではけっこう緊密でした。
 高校一年のときのクラスメイトふたりを今でも生涯の親友だと思っているのですが、当時は三人とも違うグループにいて、仲良くなり出したのはクラスが別れてからかむしろ卒業してからでした。なんとなく話が合って趣味が合って、寄り集まるようになったんですよね。その後ひとりは結婚し母親になり、お互い忙しくて数年会わないときなんかもザラにあったし、でも話が出て都合がついたらすぐ四泊六日の海外旅行に行って喧嘩もしないで楽しくすごせる、パソコンの買い替えから恋愛相談までなんでも持ちかけられる、貴重な友達です。
 社会人になると新しく知り合うのは仕事関係の人ばかりで、多少親しくなっても友達というのとは違う気もしましたし、仕事が終われば疎遠になったりもするのでなかなか難しいものです。同期の女子とも単に同期というだけですごく親しくなったかというとそんなこともなかったし。だから私は友達が全然いないけれど、何かあればなんでも言えて頼れて親身になってくれる親友ふたりがいるからそれで十分、あとは家族と、ときどきは好きな男と、仕事と趣味があって健康でいれば楽しくて幸せ、と思っていました。
 この物語の登場人物たちのような意味で「友達」を求めたり、それにこだわったりしたことは、なかったのかもしれません。幸いなことに。
 でも、私は弱虫だから、なければないですませようとすると思うのですね。ないのに欲しがるのってつらいじゃないですか。私はそのつらさに耐えられない。だからなくて平気なことにして、自分を慰める、甘やかす。そういう方に走るのです。でもそうじゃない人っているんですよね。私にはそうした人は、つらさに浸れる強さ、苦しめる強さを持っている人に見えます。だから同情しづらい、という…
 だから今回も、登場人物たちに共感するとか同情するとかはなくて、自分とは違う生き方をしている人たちのように見えてしまって、でももしかしたら生き方って意外に当人が選べるものでもないのかもしれないしその意味では同情するけれど、しかし怖い、つらい…と思いながら読みました。
 光明が見える終わり方でよかったです。あと、何より彼女たちは私よりずっと若いしな。それは明るい未来を示していると、私には思えました。


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