駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇月組『STUDIO54』

2011年01月26日 | 観劇記/タイトルさ行
 日本青年館、2011年1月18日ソワレ。

 1979年、ニューヨークでは多くのセレブを虜にするディスコ「STUDIO54」に、華やかな世界に憧れる若者が大勢押しかけていた。だが、この店には支配人のスティーヴ・ルベル(越乃リュウ)が許可した者、すなわち「ヴェルヴェット・コード」をパスした者だけしか入店を許されなかった。硬派のジャーナリスト、ホーリー・アシュレイ(霧矢大夢)は常連客のひとりだったが、実はディスコに集まるセレブのスキャンダル記事をタブロイド誌に売り込むパパラッチだった…
 作・演出/齋藤吉正、作曲・編曲/青木朝子。1970年代後半に実在したディスコを舞台としたミュージカル。

 実在したお洒落でセレブでスノッブなディスコ、クラブシーンのハシリ、を舞台にしたグランドホテル形式のドラマ、群像劇、をやりたかったのかな…?とは思ったのですが…
 だとしたら詰め込みすぎ、というか散漫というか、なんというか…
 私は、ムムム、でした。以下、辛口ですみません。

 主役のふたり、ホーリーとベッキー、のちのジゼル・モーガン(蒼乃夕妃)は、同じ孤児院で育って、将来の夢を語り合っていた幼なじみ。その夢がかなっていなくても幸せなこともあるし、夢がかなっても幸せでいられないこともあるし…
 みたいなことが、そもそもの物語の着想のスタート、企画のスタートだったのではないか、とは思うのですがねー…

 自分が贔屓を観る時にそうだからわかるんだけれど、ファンはわかる気満々、萌える気満々で観に行くから、上手いこと補完して観て楽しむわけですよ。
 でも逆に、特別に贔屓でなければ、かなりフラットに観ようとする姿勢が、特に自分にはあるので、今回なんかなおさら、
「なんの話なの? 何が言いたいの? え、もう一幕終わり? これは物語のサワリじゃないの???」
 とやや呆然としてしまった、という…
 もっと順序良くていねいにかつ要領よくやってくれれば、理解できたし萌えられただろうしよかったんですけれど…
 だってわかんないこと、説明されていないことが多すぎるんだもん!

 ホーリーは小説家志望だった。今はルポライターだかジャーナリストだかと偽ってゴシップライターをやっている。それはわかる、それはいい。
 で、小説は今も書いているの? 今も小説家になりたいと思っているの? ディスコに潜り込むために偽りの身分が必要だったのはわかるけれど、何故ジャーナリストを名乗っているの? 名乗るだけで信頼されるわけがないと思うんだけど、実績はあるの? 誰かの名を騙っているの?
 観客は彼の父親(研ルイス)が世界的ジャーナリストだと知ってはいるけれど、ホーリー自身は知らないこととされているし、だとしたらそれは偶然ということなの? それとも血筋だということにしたいの? ではホーリーには小説家ではなくジャーナリストの才能があるとか、そちらを目指すべきだとかいうことなの?

 またこの父親もさ、紛争のルポのために戦場に出向くのにわが子を連れて行けないから、とか、行った先で捕虜になっちゃってなかなか帰国できなかったから、とか、いろいろ理由があるのはわかるけど、だからって自分の子供を孤児院に放り込んで、送金はしていたからいいだろう、って、おかしくない? それがひどいこととされているのか、仕方ないとされているのかもよくわからない。
 一方、大人になっていい歳になってまでそういう親をただひたすら恨んでいる子供との和解のドラマ…ってのもよくありがちですが、それって嘘くさいと思うので、そうはしなかったことには好感が持てるのですが、それにしてもホーリーがややかわいそうすぎる気がしましたが…

 とにかく、ホーリーが現状を良しとしているのかどうかがよくわからなったんですよね。ホットウィークでの編集部の愚痴もどっちつかずだし、今は金のためにやっているけれど本当は…みたいな考えがあるのかどうかもよくわからず、なので、どうなったら彼にとってハッピー、ゴールなのかがよく見えないから、
「これ、なんの話? どこへ向かう話?」
 って思ってしまったんだと思います。
 忘れていた夢を思い出し、再びそれに向かって歩き出す話、とするのが一番わかりやすかったんだとは思うんだけれど…
 そして、役者としてのきりやんにとっては、役不足だったかもしれませんねー。やりようがなかったんじゃないのかな…

 一方、ヒロインのジゼル。
 スターになりたかった彼女。恋人の助けを借りて、今、スターへの階段を駆け上がらんとしている…らしい、けど、こちらもよくわからないことが多くて…
 貧しく寂しい思いをしていた少女が、スターになってみんなからちやほやされて幸せになりたいと願う、というのはよくわかる。で、スターって言ってもいろいろあるけど、手っ取り早く女優になったんでしょうね。
 で、彼女はたとえば演技の才能はあったのか? あるいは演技の仕事が好きなのか? 演技の仕事として評価されているのか? ただ顔とスタイルだけの人気なのか? 本人はそれを承知しているのか? それで満足しているのか? 不満に思っているのか? 今、幸せなのか? そういうことがよく見えないんです。
 Z-BOY、本名はザック・シモンズ(明日海りお)とは恋人同士とは言っても、なんかDVまがいのことをされてるし、どんな出会いでどんな恋愛してどんな関係だと今こんなことになっているの? そこに愛はあるの? 打算だけなの? とにかくわからないから共感しようがないのです。

 Z-BOYの方がスターらしいけど、それってどの程度? ワールドワイドなスターなら、どんなに流行ってるにしたってたかだかディスコ一軒のオーナーになんかなりたがらないよね? だってその気になったらいつでも即金で買えるくらいのお金はあるはずだもん。
 なのになんでスティーヴは、彼への愛の証として、売上金をピンはねしてるんだか脱税しているんだか知らないけれど、せっせと小金を貯めてオーナーの座を買おうとしているの? 彼は支配人ってことになっているけどオーナーではなくて雇われ支配人なの?
 都会にやってきたばかりの、夢を夢見るだけだった少年ザックをスティーヴが見初めて、入れあげて、スターに育てた。それはわかる。ザックがリア(彩星りおん)とつきあおうがジゼルとつきあおうが、気にせず、つかず離れず関係を続けてきた。それもわかる。だけど、その果てにやろうとしたことがディスコ一軒の買占め…? ワケわかりません…

 なので、まりもちゃんも見ようによってはエキセントリックなつんけんした女の子に見えてしまって、これまたやりづらそうに見えました。
 みりおはエキセントリックなスターを嬉々として演じているようでしたが(^^)、そしてそれはそれで素敵でしたがしかし、実はその裏にある云々、という部分の演技が上手くできないでいるようにも見えました。そらそうだ、脚本に書かれていないしそういう演出もつけられていないんだろうからね。
 越リュウの色気の無駄遣いです。
 ちなみにゲイのキャラクターが現れたからってBLをやっていいとかやればいいってことじゃないと個人的には思っています。世の中にはヘテロセクシャルの人もいればホモセクシャルの人もいる、だから舞台の登場人物にもホモセクシャルのキャラクターがいる、ってだけのことですよね。
 今の男役偏重、ヘンな儲けや目先の利益に目がくらんでいそうな宝塚歌劇団がBLやり出したら宝塚歌劇は終わりだと思います。そういうことはちゃんとした男女の愛を描いて見せてからにしてくれ。トップコンビの恋愛が書けない作家が男役同士の恋愛なんか書けるわけがないし書かなくていい、と私は思うよ。

 さて、ジゼルはかつてホーリーが書いた童話を映画化し、それに主演してスターになろうとしていたので、盗作だとか著作権だとかの話になるのかな?とも思ったんですが…
 そういう展開でもなく…
 クライマックスの発砲騒ぎも本当にナゾだし…
 ニール(紫門ゆりや)ってそんなにバカなの? リアってそんなにザックに未練があったの? そんなにスターになりたかったの? ラングレー(星条海斗)ってそんなにリアをスターにさせたかったの? なんで? こんなやり方で本当に成功すると思っていたの? そんなにバカなの? みたいな…

 うーん、やっぱりとっちらかりすぎてましたよ…

 たまきち・みくのダグラス、ジェイミー兄妹警官も孤児院育ちの仲間だったんですねー。そこまで話にかかわりあってこなくてよかったけれど、でもあまり絡まないくらいなら逆にこんなにキャラ立てしなくてもよかったかもしれませんよね…これもただわらわらとうるさかっただけな気がしました。
 タブロイド誌編集長役の憧花ゆりのはギリギリいいとして(いいのか)、カメラマン役の青樹泉も役不足だよねえ、もったいない…

 ただ、ラストにやっぱりなんとなく気持ち良く納めてしまう力技はすばらしかった。
 女優として再出発を近い、旅立つベッキーと、それを送り出すホーリー。
「キスしてもいいわよ」
 と言い、
「キスしてやってもいいよ」
 と言わせ、だけど自分からキスしちゃうベッキー。カッコイイ。
 幼い恋との別れ、リセット。
 次の恋はきっと本物。
 その相手はお互いじゃなくてもかまわないのだ…というのはリアルだし、素敵だと思ったんですよね。

 で、フィナーレでキビキビ踊るトップコンビの鮮やかさを観ていると、よかったよかったと納得させられてしまう…これぞ宝塚歌劇マジック(^^;)。
 ちなみにフィナーレは「SHOWA54」「DISCO54」の2パターンあったそうですが、私はDISCOしか見られませんでした。千秋楽には2パターンとも連続でやってくれたそうです。

 回想シーンでベッキーを演じた咲妃みゆが可愛かったです。タブロイド誌のカバーガールに扮していた早桃さつきもムチムチしてて笑顔ピカピカで可愛かった!
 ホーリーをライバル視する嫌なヤツ・フランクの光月るうもそれっぽくて好演だったと思います。

 それにしても齋藤先生っていったいいくつなの…???
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『誰鐘』脚本ちょっとだけ(?)つっこみ

2011年01月19日 | 日記
 僭越ながら、またまた、脚本改訂案について、考えてみました。
 私は基本的に柴田作品ファンなので、「やみくもだねえ」なんかも全然OKなのですが、ちょっとだけわかりづらいなとか、いくつか思わないわけではなかったので…


●第一部第5場
 これは台詞じゃなくて動きですが、ロバートが下手に消えた後も、ゴルツは動かずにそのまま正面ないし上手を見たまま最後まで台詞を言い終えた方が良くないですかね。
 移動があると空間を感じさせるんだけど、そうするとロバートがゴルツをおいて退室してしまったようにも見えてしまうので。

●第6場
ピラール「お父っつぁんは元気かい、エル・ソルド…」
 ここ、「エル・ソルドは…」と助詞を置いた方がいいと思うんですよねー。

 そのあと、何度か出てくる「張り番」という言葉は、わからなくはないんだけれど、耳で聞いたときに理解が遅れる気がしたので、見張り、見張り番、にした方がいいかもしれません。

 ラファエルがダイナマイトのそばで煙草に火をつけようとして、ピラールにどつかれるくだり、遠くからだと小道具の煙草が見えづらいときもあるので、
「あの中はダイナマイトだよ! 煙草なんか吸って、引火したらどうするつもりだい!?」
 みたいな台詞があるといいかも。

 この場面ラストのラファエル、「醒めちまったよ」は、目が覚めたと酔いが醒めたをかけているのかもしれませんが、そもそも酔いつぶれて寝ていた、というのがわかりづらいので、やはり何か言葉を足した方がいいと思います。

●第7場
ピラール「それがパブロのせりふかい」
 「あのパブロ」とかにしたい。あるいは何か異名をつけて、「○○パブロ」とかにするとか。
 聞いていてちょっと違和感があるんですよねー。

●第10場
ロバート「捕まったら拷問を受ける。喋ったら味方が不利になる。俺たちは、走れなくなったら殺してくれと約束していたんだ」
 ちょっと説明が飛んでいる気がしたので、
「捕まったら拷問を受ける。拷問に負けて味方の秘密を喋ってしまうかもしれない。そんなことになるわけにはいかない…だから、俺たちは、走れなくなったら殺してくれと、互いに約束していたんだ」
 とかは、どうかな? くどいですけれどね…

●第13場
マリア「あたしは両親を目の前で殺された悲しみがあまりに大きかったので」
 どうにも説明くさく感じるんですよねー。
「両親を目の前で殺されて、あまりに悲しくて」とか、なるべく話し言葉にするといいんじゃないかなー。

●第二部第19場
アグスティン「味方の総攻撃が敵に漏れているんだ」
 「味方の総攻撃の計画が」としたい。細かいことですが。

●第24場
アンセルモ「何を盗んでいきやがったんだろう」
 「パブロは」と足したい。ここ、原作も映画も知らないと、誰が何をした事態なのかわかりづらいと思うんですよね。
 ホント言うと、ダイナマイトを入れたリュックを覗き込んでいるだけの仕草なのも、ちょっとヘンです。

ロバートの声「お前は数時間後の死をまだ知らずにいる」
 「おまえ」という二人称に威圧感や男性の上から目線を感じる、というのもありますが、ロバートはそういうタイプではない。
 「君は」がいいかな、とも思ったのですが、ここはむしろ「彼女は」という客観性を出してみるのはどうでしょう。
 ちなみに歌詞で「あなたを」と歌っているのは、ヘンだと思ったなあ。「君を」にしたいなあ。

ピラール「いろんなお芝居があったんで、あたしゃ、くたびれたよ」
 なんとしても変更してもらいたい。
 芝居の最中に「芝居」という言葉を出してもらいたくない、断じて。
 あと、ピラールがパブロを呼ぶときは「おまえ」でなく「おまえさん」と言わせたい。仮にも女房なんだし。ラファエルたちを呼ぶのと同じだと、ふたりが夫婦だという関係性がただでさえ見えづらいので、ただの仲間同士と混同されそうなので。

●第25場
 これは演出というか演技の問題ですが、ルチアの寝言は酔っているみたいでいつもなんかヘンに感じます。

 ゴルツとデュバルの電話の会話、デュバルの台詞も全部聞かせるべきだと思う。
 あと、ここ、わかりづらい。
 ロバートからの手紙によれば、敵にこちらの総攻撃の計画が漏れているらしい。この攻撃は奇襲でなければ意味がない。だから計画は中止しよう、橋の爆破も中止だ。
 だが最初の爆撃機はもう出てしまった、無線は傍受を嫌って切ってある、中止命令は届かない。爆撃機は爆撃をし、ロバートたちはそれを合図に橋の爆破をするだろう。
 だが敵はそれらすべてを折り込み済みで準備を終えているのだろうから、すべては無駄なのだ。反撃され、負けるだろう。戦争はもう敗北に終わったも同然なのだ…
 ということを語らないと、「終わった」って歌だけでは、観客はついていけなと思うよ。

●第26場
 アンセルモが流れ弾に当たって落命する間に、銀橋か花道でエラディオやフェルナンドが死ぬくだりを見せてもいいと思います。
 いつの間にか死んでいるの、寂しいもん…



***おしまい***

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『誰鐘』東宝三が日雑感

2011年01月05日 | 日記
 宝塚歌劇宙組『誰がために鐘は鳴る』、東京宝塚劇場、2011年1月1日ソワレ(初日)、2日ソワレ、3日ソワレ。


 東京宝塚劇場リニューアルオープンから10年を記念して、10年ぶりの元旦初日です。
 新春口上は、カゲコーラスが「いますみれ花咲く」だったので、それだけで泣きそうになりました! なななな懐かしすぎる…!
 ユウヒを中心に上手にすっしーさん、下手にスミカ。
 まー、紋付き袴の凛々しいこと…!
 短い挨拶ながらも、長い伝統を引き継いでいる身であることを厳粛に受け止めている感じで、素晴らしかったです。

 5分ほどの休憩のあと、『誰鐘』の幕開けとなりました。


 初日は、初演主演コンビの鳳蘭さまと遙くららさま(^^)がご観劇。
 その効果か初日効果か、とにかく気迫のこもった、熱い舞台になっていました。
 私は自分が大劇場での観劇から一か月ほどたっていたこともあり、とても新鮮に感じましたし、また舞台もヘンに煮詰まっていず、でもクリアになっていたのに感心しました。
 早口にもならず、むしろたっぷり目に語っているのに安心しましたし、何より歌が格段にうまくなっていたのにはほとんど仰天しました。
 しかし歌はどうも二日目以降は、主に音量が足りない感じで、音響効果でなんとかなるなら改善してもらいたい、とか思ってしまったりしているのですが…
 やはり初日効果だったのか、こちらの思い込みなのか。
 うーん、舞台ってほんとに生き物ですね。

 演出も大きな変更点は特になく、ウィスキーの瓶が大きくなったり、でも二日目にはまた元の大きさに戻っていたりしたくらいでしょうか(^^;)。

 あとはお芝居のタイミングが少し違っている部分もあるような…ないような…程度かな。
 ちょっと気になっているのは、アグスティンに引っ張られてかアンドレスもかなり男臭くなっていたこと。以前はもっと明るくて朗らかだったと思うのですが…
 二幕でルチアと出かけてからはいいんだけど。アンドレスの「淋しき狼たち」の歌声はもっとからりと輝いていて、そこが前は良かったんだけどなあ。

 マリアに関しても、本人はスカステナウオンなどで無駄を削ぎ落としたいみたいなことを言っていて、ネットなどでも、やっとマリアのキャラクターに好感が持てた、みたいな意見を多く見るようになったのですが、私には特に演技が変わったようには見えませんでした。
 相変わらず、純粋で素朴で、子供なマリア、に、私には見えていたし見えている。そしてやっぱり彼女が好きです。

 最後の絶叫はまたとても良くなっていて、涙を誘われます…
 振りだけではあんな嗚咽はできないだろうし、かといって完全に憑依してしまってはダメだろうし、演技って大変ですよね。
 初日はワンピの襟元の色が変わるくらいに泣かされてしまいました…

 そうだ、モノローグ録音って新しくしたのかな?
 「この少女と一緒なら」の「少女」がなんかヘンに聞こえて、いつも引っかかるんですよ…

 ところでドロレスとのやりとりが好きすぎる私なんですが、どうしましょう。
 ル・サンクの脚本を読んだのですが、
「ロバート、ドロレスを抱く」
 って表記になっているのがもうたまりません。
 いや抱きしめる、抱き止める、だけなんだけどね、なんかね。ゴルツ将軍にも
「今夜はゆっくり遊べ」
 とか言われてるしね。
 ちなみに脚本では
「ロバート、ドロレスを離し、ゴルツの方へ」
 とだけなっているくだりが、ロバートはわざわざドロレスの顎を指でなぞってから離れるんですよね。
 もー、なんなのユウヒ!(あっ、中の人のせいにした)
 

 ま、でも、総じて好きな舞台なので、問題ないです(^^)。
 わあ、ファンってヒドい。


 そうだ、あとは、今さらですがまゆたんのこと。
 イヤ古巣の花組に帰り咲きでのトップ就任、ってとってもおめでたいと思うし、やっぱりお似合いだと思う。
 同期のえりたんがいることはどうするんだ、二番手扱いなのか、それは雪組新トップのキムのところにやはり同期のまっつをやって、でも別格二番手扱いで二番手はチギにしてるよね、それとはちがうよね…とか、いろいろ悩ましいところではあるのですが。
 ふたりとも花組配属だったんだよね、でも私にとってはえりたんは雪組のイメージがあって…
 双方のファンにはいろいろとつらいところでしょうが、でもそれとは別に。

 なんか、今さらですが、ユウヒの二番手がまゆたんで良かったなあ、とか思って。
 ユウヒはまとぶんのいい二番手だったかなあ、とかいろいろ考えちゃって。

 トップ男役にはトップ娘役、というトップコンビは絶対ですが、二番手を含めたトップトリオもとってもとっても大切。
 その主に三角関係を描くのが宝塚歌劇の基本だと、私は思っているので。

 で、トップ男役と二番手男役のあり方は、いろいろだけれど、一般的には、やはり好対照な持ち味のふたりの方が、引き立ち合いますよね。
 ユウヒはアサコに対しては三番手ないしダブル二番手の下席、という扱いだったので、ましてアサコとは同期だったので、そして音校時代はとにかく一緒にいた(一緒にサボっていた(^^;))ということは知られていますが、しかしアサコの組替え以降はそらいろいろ微妙だっただろ、と難しかったところもあり、ふたりの映りがどうだったかというのはちょっと考察が難しい。
 で、花組が新トップまとぶんになるときにユウヒは組替えで行ったワケですが、そらもう完全に二番手で下にも置かぬ扱いだったワケで、そらまとぶんにも気を遣わせたことでしょう。
 上級生の二番手なんてそりゃ気を遣うよね、ごめんね。でもすごく気を遣ってくれて、おかげで楽しく過ごせていたと思うし、舞台としてはやはりいいものがあったと思う。演目に恵まれた、とは言い難いかもしれないけれど(というか『太王四神記』『コルドバ』はともかく『アラビア』がダメすぎたのか)。
 まとぶんも星組育ちなので完全な花組カラーとはまたちがったかもしれないけれど、基本的には華やかで明るくてキラキラな王子様が似合うタイプで。
 それに対して、ユウヒは渋かったり大人だったり暗かったり深かったりする部分を、きちんと担当してあげていたと思う。
 だから、いいコンビに見えたと思うんですよね。
 ユウヒの組替えでえりたんが二番手になって、その方がまとぶんも気が楽に、身軽になったのかもしれないんだけれど。
 えりたんとユウヒの持ち味は当然全然違うけれど、まとぶんとえりたんのコンビもまたなかなかいい味を出していると思うので、組み合わせっていろいろだな、と思うんだけれど。
 で、ユウヒが宙組にいって、二番手のまゆたんと組んだわけですが。
 演目的に一本化ぶりのものが多くて、がっつりライバル同士、とかがっつり親友同士、というようなものがないままに終わるのが残念ですが、でも、やはりある種の対称性があって、映りのいいふたりだったなあ、と思うんですよね。
 180度ちがう、というんじゃないんだけれど…なんだろう、165度くらい?(^^)わかんないけど。鋭角ではない気がする。
 逆に、おそらくこれから二番手として迎える形になるのであろうテルとは、45度みたいな、綺麗な角度を作りそう、というか。この世のものではない美形兄弟とかやって欲しいですけどね。叔父と甥でヒロイン取り合うとか(^^;)。
 性格的にはふたりとも器用じゃなさそうなところが心配なんだけれど、共に二度の組替えを経験しているんだし、人と仲良くなる方法はもう学んだであろう、と思っているのですが。
 なので、これからも楽しみなんだけれど、それを考えると、やっぱり、まず今までがよかったんだな、今までもよかったんだな、恵まれたんだな、と思ってしまって…

 組も、月ってのもそのまますぎたかもしれないし、未だ生え抜きトップが出ていない新しい組、ってのはよかったのかもしれません。
(将来、チギの里帰りトップなんてあってもいいと思うけどなー。生え抜きトップはそのあとくらいかねえ…今の新公長学年くらい?)

 だらだらした四方山話ですみません。

 アンドレスがアグスティンに引っ張られて男臭くなりすぎているように、ロバートもアグスティンとの22場がやや男っぽくなりすぎているのではないか、とかの危惧もあるのですが、あの場面での握手とか、フィナーレのちょっとからむところとか、千秋楽に近くなるにつれて万感迫るものが出てくるだろうなあ…とか思うと、ふといろいろ考えてしまったのでした。


 単に芝居を観るだけではなく…
 宝塚歌劇って、いろいろあるよねえ…
 それも含めて好きなんだから、仕方がないよねえ。
 とにかく通って、公演を見守り続けること。それがファンとしてできることのまずは一番かな、と思うので、また通おうと思います。
 ま、『カサブランカ』の数は超えなさそうだけどね…(^^;)
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