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「欧米回覧私記」を読む 6

(大井川の土手下、紅白梅の競演)

夜、金谷宿大学教授会。今日は来年度開催の教授の集まりであった。理事は6人、いずれも重任となった。大勢は一年間前年と同じとなる。教授会の出席が悪いことについて、かなり強硬な意見が出た。そんなに目くじらを立てることでもないが、何とか出席率を高めることを考えねばならないと思った。

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「欧米回覧私記」の解読を続ける。

二十一日 西洋、一千八百七十二年正月。

二十二日雨
風邪にて、船房中に居る。

二十三日
船の位置、北緯三十二度、東経百七十六度、行二百英里(マイル)
米国到着の日に違いあるを以って、今日をまた、二十二日と算す。(中略)

明治四年辛未十二月一日、西洋一月十日、晴れ。
夕方になりて、雨降り出し、涛(なみ)高く、動揺強し。

四日晴れ。
夕方雨降る。明後日の朝は、着港の日取りなりとて、船の掃除などを始む。

五日陰り。月曜日。
十二時頃、北に方(あた)りて、帆船二艘の走るを見る。この船はハワイ島へ通う船のよし。日本を出てより、海面一物を見ざりしが、この日始めて、行き逢う船を見る。船位置、北緯三十六度三十分、経度百二十四度、行二百二里なり。

六日晴れ。
朝九時、桑扶港の入口に入る。ここを金門(ゴールデンゲイト)と称す。両岸に砲台ありて、堅固に見ゆ。人家の、山上に星散する。この景色、甚だ佳(よ)し。
※ 桑扶港(そうふこう)- 桑港。サンフランシスコ。
※ 金門(きんもん)- ゴールデンゲイト海峡。
※ 星散(せいさん)- 物があちこちに散らばっていること。


十時、港内に入り投錨。波戸場(はとば)には、日本使節を迎うるため、数百人群集す。岩倉右大臣は紫色の直垂(ひたたれ)を着し、上陸。副使は皆な西洋服にて上陸。女生徒は模様の衣服を着す。本邦人の衣服の様々なるゆえ、見物人の眼を驚かせり。使節一行はカランド(グランド)ホテルと云えるに投宿。理事官一行はオキシデンタルホテルと云えるに投宿、船中格別の難義もなく、安着せしを、皆々互いに祝し合えり。

この地は亜米利加(アメリカ)の西海岸にて、唯一の繁昌の地なり。ホテルなどの立派なる事には、我国の人は皆な恐歎(驚嘆)せり。我が一行のホテルは五階造りにて、壮麗の家なり。階を昇りては難儀ゆえ、下より上の第五階まで、すい直に、畳二枚敷位の箱に、客を四、五人ずつ乗せ、蒸気仕掛けにて、釣り揚ぐる所あり。至って便利なり。夜に入りて市中を見物に出づ。
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