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「竹下村誌稿」を読む 392 古文書 5

(散歩道のマユミの実/昨日撮影)

名前では知っていたが、実を見るのは初めてである。割れると中から真紅の実が出てくるらしい。実を貰って蒔いてみると面白いかもしれない。

午后、静岡に駿河古文書会に出席する。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

(人名辞書の「氏政の事歴」のつづき)

氏政、氏直、衆を励して堅く守り、麾下の士六百人を分けて、昼夜巡警す。秀吉合囲み百余日、終に一首級を得る能わず。北条氏房、小田原に在り。敵将浮田秀家と塁を対す。秀家、秀吉の旨を以って、氏房に言わしめて曰く、豊臣氏は北条氏と宿怨あるに非ず。偶然兵を構えて半歳、決せず。徒らに天下の人をして鋒鏑に膏せしむ。今試しに和を議し、兵を弛めば、即ち封ずるに伊豆、相模を以ってせんと、氏房以って告ぐ。氏政答えず。(中略)
※ 麾下(きか)- ある人の指揮下にあること。また、その者。部下。
※ 宿怨(しゅくえん)- かねてからの恨み。年来の恨み。
※ 鋒鏑(ほうてき)-武器。兵器。


秀吉百万、降を誘い、黒田孝高、羽柴勝雅をして、氏房に因りて説いて曰く、方(まさ)に今、北条氏の勢い、なお魚の釜中に在りて、烈火これを煮るが如し。盍(なん)ぞ、今に及びて、降を納(い)れ、二国を取りて、以って先祀を存ぜざると。氏房、氏政に降を勧む。氏政曰く、吾れ父親の業を承けて八州に主たり。武を争いてこれを失うは、吾れ必ずしも憾(うら)みず。降を納れて存を計るは死すとも且つ能わずと。
※ 先祀(せんし)- 祖先の祭祀。先祖のまつり。

既にして成田長康など、また欵を西軍に送る。秀吉、その降書を以って氏直に遣りて曰く、子の将帥、皆な弐心(ふたごころ)あり。事已に急迫なり。子盍(なん)ぞ、早く自ら計をなさざると。これに於いて、親臣、宿将、互いに相疑い阻(はば)みし。交々和議を勧む。七日、氏直、卒に徳川氏の営に就き、請いて曰く、願わくば氏政以下を宥(なだ)めば、則ち、亟(すみやか)に城を致さんと。徳川氏姻戚の嫌いあるを以って、これをして羽柴勝雅に因りて秀吉に告げしむ。秀吉曰く、吾れ、当(まさ)にその請う所を許すべし。独りその封土は二総を以って伊豆、相模に代えんと。
※ 将帥(しょうすい)- 軍隊を率いて、指揮する大将。
※ 交々(こもごも)- 互いに入れ替わるさま。かわるがわる。互いに。


これに於いて氏政、弟氏輝と出でて、医師安棲の宅に在り。秀吉、氏政の剛武を憚(はばか)り、また約を変じて曰く、吾れこの行不庭の臣を誅せんと欲す。今にしてこれを釈(ゆる)さば、これ信を天下に失うなり。吾れ氏政を誅して、その余(外)を釈(ゆる)さんと欲すと、使者を遣わしその舎に就いて自殺せしむ。時に七月十八日なり。年五十三、法名勝巌傑公慈雲院と号す。秀吉、その首を京師に送り、余(外)は皆なこれを宥す。
※ 不庭(ふてい)- 朝廷に伺候せず。秀吉の要請に反して京に登って来なかったことをいう。

氏政終りに臨み、和歌を賦して曰く、

   吹くと吹く 風ならばこそ 花の春 紅葉の残る 秋ならばこそ

またを作りて曰く、

※ 偈(げ)- 一般に詩句のこと。経典中で、詩句の形式をとり、教理や仏・菩薩をほめたたえた言葉。

   今、吹毛剣をとり、乾坤殺破し、大虚を掃(はら)う。(中略)

※ 吹毛剣(すいもうけん)- 吹きかけた毛をも切るほどの鋭利な名剣。煩悩を断ち切る力の喩え。
※ 乾坤(けんこん)- 天と地。天地。
※ 殺破(さつは)- 誤った考えや執着など、一切の差別の相を断ち切ること。俗念を断つこと。
※ 大虚(たいきょ)- おおぞら。虚空。


氏政画を玉楽に学び、余暇これを画く。五男あり。長、氏直。次、氏房。次、直重。次、氏定。次、勝千代。
※ 玉楽(ぎょくらく)- 狩野玉楽。戦国時代の画家。北条氏政の御用絵師。


読書:「曙光を旅する」 葉室麟 著
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