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「竹下村誌稿」を読む 391 古文書 4

(大代川土手のボケの花)

草刈りで、地を這う枝だけが残り、そこからしっかりと花を咲かせた。根性あるぜ。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

(人名辞書の「氏政の事歴」のつづき)

(天正)十一年(1583)七月、徳川氏を娶る。信長既に害に遇う(本能寺の変)。而してその将、豊臣秀吉代りて政を畿内になし、天子を扶(たす)けて、以って海内(天下)に令す。徳川氏、上杉氏、皆なこれに附す。秀吉しばしば使いを遣わし来たり。説かしめて曰く、盍(なん)ぞ京師(京都)に来朝せざると。(天正)十四年(1586)八月、氏政、弟氏規を遣わして京師に赴かしむ。(うけが)て、親(みずか)ら往かず。この如くすること再三、氏政曰く、秀吉の口舌を以って八州を取らんと欲す。盍(なん)ぞ、弓箭を以ってこれを取らざると。秀吉怒り、使いを遣わして戦いを宣せしむ。これにおいて氏政、城塁を修め、糧仗を蓄え、八州の将士、皆なその部下に留め、城塁を守らしめ、而して自ら小田原に居る。(中略)
※ 徳川氏を娶る(とくがわしをめとる)- 嫡子氏直に督姫(家康の娘)を正室として迎える。
※ 肯う(うけがう)- 承諾する。承知する。
※ 弓箭(きゅうせん)- 弓と矢。弓矢。
※ 糧仗(りょうじょう)- 兵糧と武器。


老臣憲秀、故あって陰にを秀吉に送る。秀吉これに啗(くら)わしむるに、伊豆相模を以ってして、内応をなさしむ。而して氏政、氏直、これを知らず憲秀と議して、親族諸将を遺し、要害を分守せしむ。美濃守氏規、韮山城を守り、陸奥守氏輝、竹浦城を守り、左衛門太夫氏勝、山中を守り、原胤成、湯本を守る。
※ 欵(かん)- 親しみ。よしみ。

(天正)十八年(1590)三月、秀吉、兵二十五万を発し、自ら将として来り攻む。徳川氏、その先鋒となり、二十九日、山中城を囲みてこれを陥(おとしい)れ、進んで酒匂(さかわ)に至る。四月、竹浦及び湯本の守兵皆な潰(つい)ゆ。西軍来たり、小田原を囲む。氏直、諸城守を失うと聞き、議して曰う。秀吉兵衆(おお)しといえども、威力を以って相持す。その心、必ず一つならず。我が兵寡(すく)なしといえども、五世の君臣なり。我れ秀吉をに要し、一戦雌雄を決せんと欲すと。
※ 険(けん)- 困難が多いこと。

憲秀これを沮(はば)みて曰う。彼れ遠く来たり。糧饌続かず。我れ壁を堅くし、野を浄め、戦わずしてこれを屈せん。これ先公、已に試みるの策なり。何ぞ必ずしも危を行ないて僥倖せんと。氏直即ち止む。憲秀、潜かに人をして秀吉に告げしめて曰く、城の西北、石垣山あり。以って牙営とせば則ち城内の情報、遁隠する所なしと。秀吉これに従う。一城大いに驚く。この時に当りて、松枝、厩橋、松山、箕輪、川越、鉢形、岩槻、舘林、八王子、などの諸城、相率いて西軍に降る。里見、佐竹氏及び陸奥、出羽の豪族、皆な欵を秀吉に送る。秀吉天下の兵を挙げて小田原を囲む。
※ 糧饌(りょうせん)- 食糧。兵粮。
※ 僥倖(ぎょうこう)- 幸運を待つこと。
※ 牙営(がえい)- 大将のいる陣営。本営。
※ 遁隠(とんいん)- にげかくれすること。


(人名辞書の氏政の事歴、つづく)
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