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「竹下村誌稿」を読む 397 古文書 10

(自宅そばの電線に集結するムクドリ)

午后、外を見ると自宅そばの電線に、何百羽ものムクドリが集結しているのを見た。よく見る光景だが、自宅にこんなに近いのは初めてである。その一部をアップしてデジカメにおさめた。

ムサシが逝って七日目、人なら初七日である。一日、明日の「古文書に親しむ」講座の下調べに暮れる。

一年二ヶ月近く、「竹下村誌稿」の解読を続けてきたが、今日で最後となった。了解が得られれば、いずれ皆さんに見易い形にしたいと思っている。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。人名辞書より、沢庵の項の続き。

居ること四年、幕府その老を憐れみて、これを召喚し、尋(つい)で、洛寺に帰らしむ。上皇、沢庵を召す。沢庵、仙宮に入りて玄談し、洛を辞して但山(但馬)淵潜す。明年また台命を承けて山陰を出ず。一日将軍、沢庵及び玉室を江戸城に召して、宗門の旨意を問う。沢庵応対して皆な旨に称(たた)う。これより、屡(しばしば)城内に侍して、仏祖の言教敷演し、恩遇甚だ渥(あつ)し。
※ 仙宮(せんきゅう)- 上皇の御所。
※ 玄談(げんだん)- 経論を講ずる前に、題号・著者・大意など、その経にまつわる深義を説明すること。開題。
※ 淵潜(えんせん)- 奥深く隠れる。
※ 台命(たいめい)- 貴人の命令。
※ 旨意(しい)- 考え。意図。
※ 言教(ごんきょう)- 仏が言葉によって説き示した教え。
※ 敷演(ふえん)- のべひろげること。敷衍。
※ 恩遇(おんぐう)- 情け深いもてなし。厚遇。


戊寅中(寛永十五年、1638)、沢庵、洛に赴く。上皇、国師号を賜う。沢庵固辞して受けず。因って奏して、大祖正眼禅師に国師号を賜わらんことを請う。上皇その言を嘉(よみ)して、乃ち大現国師を賜う。
※ 大現国師(たいげんこくし)- 徹翁義亨(てっとうぎこう)。鎌倉・南北朝時代の臨済宗の僧。大徳寺1世。大祖正眼禅師と諡(おくりな)され、のち沢庵の奏により、天応大現国師と追諡された。

寛永十五年(1638)、幕府地を武州品川に相して、新たに巨刹を創し、山を萬松と云い、寺を東海と云う。明年、幕府沢庵を請じて第一世となす。沢庵また偈を作りてこれを慶す。一日台駕、寺に入りて和歌高製あり。沢庵また和歌を題して、新寺の遠大を祝す。酒井忠勝、長松院を創し、堀田正盛、臨川院を創し、細川光高、妙解院を創し、小出吉観、雲竜院を創し、皆な東海の境致と為す。将軍また邸館を江戸に賜いて、栖止休息の処となす。構営甚だ荘厳なり。晩に、東海寺中に春雨庵を建てて、これに隠す。春翁また暮翁と号す。
※ 台駕(たいが)- 高貴な人を敬って、その乗り物をいう語。
※ 境致(きょうち)- 禅宗寺院では禅宗の自然観にもとづき、周囲の自然環境を尊重して、これと伽藍との総合的な景観美を「境致」という言葉で表現し、大伽藍から小禅院まで、寺の内外の景観を構成する山や池および諸堂を境致に数えた。
※ 栖止(せいし)- 身を寄せる,仮住まいをする。
※ 構営(こうえい)- 家屋のかまえ。


正保二年十二月十一日、病みて死す。年七十三、道俗弔賻し、衆、歎惜す。沢庵兼ねて筆画俳諧に名あり。また小堀政一に茶道を学ぶ。而して、今日用うる所の香の物は、沢庵の創始する所なりと云う。
※ 弔賻(ちょうふ)- 死者を弔って、その遺族に贈る金品。


沢庵は我が故郷、但馬が生んだ名僧である。「竹下村誌稿」が、沢庵の話で終るのは、何か因縁深い。
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