平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「欧米回覧私記」を読む 3
午前中、町内のSTさんが、ブログをまとめた、「解読 竹下誌稿」という、300ページもの、自家製の本を作って、持ってきて下さった。ブログで解読が終って、三日しか経っていない早業である。本を手元にして、一年と二ヶ月弱、よくこれだけの量を解読したものだと、改めて思った。STさん、ありがとうございました。この後、図書館などに入れるらしく、今月中に校正をと頼まれた。終わったばかりで、やや食傷気味で、いまは勘弁してほしいところである。
午后、掛川の娘に、えまの誕生祝いを届けた。もう6歳、この春から小学生である。月日はどんどん経って行く。
夕方、OAさんに電話して、公民館行事での講演を頼んだ。自分が公民館に提案して、来年度に実現することになった。日程を8月23日(金)の午前中に決める。まだ半年先であるが、何とか最低でも100人は集めたい。一度、岡部さんとは、じっくりお話がしてみたいと話した。
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「欧米回覧私記」の解読を続ける。
明くれば、十一月四日の当日の朝まだきに、かの品々の届きたれば、開きてこれを視るに、五、七年の爾来は、丑事多端の折りなれば、かの祭りも絶え居りしにや。烏帽子の紐など、蟲に喰い切られ、紙縒(よ)り尓て、結び合わせたる所などあり。また衣裳(いしょう)たる素袍(すおう)にて、大口の袴ども、その古び、垢つきたる様、何となく昔日を思ひ出して、あわれを覚ゆる比(たぐい)なり。
※ 爾来(じらい)- それからのち。それ以来。
※ 丑事(ちゅうじ)- 不祥事。スキャンダル。
※ 大口の袴(おおぐちのはかま)- 武家が直垂の袴の下につける下袴。
さりながら、さし係りたることなれば、如何(いかん)ともなすべき術(すべ)もなく、下着はかの糸織の𥿻(きぬ)を着け、その上に素袍(すおう)を着し、散髪頭に(この頃は、髪を束ねて、紫の紐などにて、飾りしもの多かりき)烏帽子を冠(かむ)り、寒き時節ゆえ、またその上に鳶合羽を着し、日寄下駄をはき、人力に乗りて出かけたり。この有様を今より思えば、誠に無礼(ぶれい)にて、恰(あたか)も貧乏なる公家、若しくは、神主の出立ちの如くなりき。
※ 鳶合羽(とんびがっぱ)- 防寒、防雨兼用の外套で、男子が
用いる黒ラシャのもの。
※ 日寄下駄(ひよりげた)- 日和下駄。晴天の日にはくのに
向いた、歯の低い差し歯の下駄。
※ 出立ち(いでたち)- 装い。身なり。身支度。
神祇省においては、その頃は西の丸下にてありき。暫く、休息所に休みしが、時刻なりとて、神前に参拜せよとの差図に任せ、直ちに行かんとせしが、例の合羽はさすがに神前には無礼ならんと思いたれば、これを脱ぎて休息所に差し置き、先ず前門を入らんとせしに、他の人々は皆なこの前門にて、刀を脱し、これを供のものに渡し、清き草履を着けかえて入れり。
かくする事の礼儀なることは、余もまた全く知らぬにもあらねど、また斯くまでに、厳重にもあるまじと思いしなり。されど、ここまで来たれる事なれば、まゝよ、行かるべき処まで、行きて見んと、刀も差したるままにて、この門内に入りけり。先ずあちこちと見廻すに、左側には、太政大臣、その他、神祇官の官吏、弾正台の出張り(でばり)あり。右側は、則ち、遣外国使、岩倉右大臣、始め、木戸、大久保、伊藤、山口の副使などなり。
※ 弾正台(だんじょうだい)- 明治二年(一八六九)太政官制下に設置された警察機関。同四年、司法省に合併。
やがて、その前を通らんとせしに、弾正台の吏員、早くも余が下駄履き、帯剣のまゝなるを見咎(とが)め、大声を揚げ、御門内神前、下駄、帯刀、相成らず、扣(ひかえ)られよ、と言えり。止むを得ざれば、復(ま)た中門外に出でて、剣を捨て、下駄を脱し、足袋のまゝにて、再び入門せり。我すら、怪しき風体(ふうてい)と思いし事なれば、他に見る人々には、さこそおかしき事ならめと思えり。(中略)
読書:「西国巡礼」 白洲正子 著
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