平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「天澤寺殿三百年記録」を読む 1
来年度の教材、森町地方文書の解読を始めた。全部で12枚ほどある。借金證文などを読むのは、金谷の講座では珍しい。
********************
「天澤寺殿三百年記録」の解読を始める。
安政六未(1859)五月
天澤寺殿三百年記録
大龍山書記寮
これを誌す
※ 天澤寺殿(てんたくじでん)- 今川義元の戒名。
※ 大龍山(だいりゅうざん)- 静岡の大龍山臨済寺のこと。
江戸神田小川町
今川駿河守
外神田御門前小川町
※ 今川駿河守(するがのかみ)- 今川 範叙(のりのぶ)。江戸末期の高家旗本。今川氏二十三代当主。後に若年寄。当時三十歳。
天澤寺殿三百年諱(き)
予(かね)て、先師裕道、先(前)年、午(うま)年に於いて、通書を預(あず)く。文面左に、
※ 諱(き)- 「いみな」の意だが、ここでは「忌」と同じ「年忌」の意。桶狭間の戦い(1560)で今川義元が没して安政六年で300年になる。
口上の覚え 奉書半切りに認(したた)む。
一 駿州府中、大龍山臨済寺は、後奈良帝、正親町(おおぎまち)帝勅願所、開山大休国師、開基は、今川氏輝(義元の兄)公菩提のため、義元公建立。弐代目太原和尚(今川家庵原氏出、雪斎長老と云う)、神祖(家康)御七歳より御十九歳、大高(城)兵粮入れの節まで、当寺御座有らせられ、則ち、太原和尚、書学、兵法、御指南申し上げ候。神祖、厚き恩古(恩顧)を以って、宝珠護国禅師と、勅号御取り成し下され候。
※ 奉書(ほうしょ)- 奉書紙のこと。コウゾを原料とする和紙。しわがなく純白で上質。
※ 太原和尚(たいげんおしょう)- 太原雪斎。臨済宗の僧にして、今川家の執政であり、軍事・外交・内政全てに秀でた今川家の柱石ともいうべき存在である。外交面では武田・北条・今川三国同盟(甲相駿三国同盟)を締結させ、軍事面では三河侵攻作戦、内政面では今川仮名目録の制定など、彼の今川家での功績は計り知れない。
※ 大高城(おおたかじょう)- 名古屋市緑区大高町にあった日本の城。桶狭間の戦いの時、当時今川義元の配下であった松平元康(徳川家康)が「兵糧入れ」を行なっており、戦いを免れ、家康はそのまま三河に戻る。
一 今川家、当寺とは、古来格別の由緒に付、これまで参府の節は、その度々、御左右も申し上ぐべきの処、その義なく罷り過ぎ候。向後(きょうこう)、参府の節は、参上も仕りたく候。かつまた、年々五月十九日は、義元公祥忌日に付、駿府町、その外、五、六里の村民、参詣これ有り候間、義元公真筆、並び、神祖より拝領の品々、拝見せしめ候。然る処、来る未年五月は、義元公三百年遠忌に相当り候間、何とぞその節、御代香御差し向け下され候様仕りたく、右は往古十代、駿遠三の大守に御座候間、その節の間、旧官にもこれ有り候に付、一同有り難く満足仕るべく候。
※ 左右(そう)- あれこれの知らせ。便り。手紙。
※ 祥忌日(しょうきび)- 人の死亡した月日と同じ月日。祥月命日。
※ 遠忌(おんき)- 宗祖などの遺徳をたたえるため、五〇年忌以後、五〇年ごとに行う法要。
※ 代香(だいこう)- 代わりに焼香すること。また、その人。
※ 駿遠三(すんえんさん)- 駿河、遠江、三河の三国。
※ 大守(たいしゅ)- 太守。国守(国司の長官)の別称。
※ 旧官(きゅうかん)- 昔、官寺として保護を受けていたことを示す。
(「口上の覚え」つづく)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )