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「欧米回覧私記」を読む 1

(散歩道のクチナシの実)

午后、「古文書に親しむ」講座に行く。今年も残り一回となり、教授三年目も終える。今日、次年度の教材の最初の部分を渡す。

ブログの次の解読テーマを、「欧米回覧私記」とした。但し、半月ほどで読み終える短いものである。

明治四年、岩倉使節団が欧米に派遣された。アメリカ合衆国から、ヨーロッパ諸国に廻る大使節団で、帰国までに2年近くかかった。岩倉具視を正使として、明治政府の首脳陣や、留学生を含む総勢107名で構成された。公式の記録は「米欧回覧実記」として出版されてもいる。当該文書は、近藤鎮三という随行員が残した、私的な手書きの記録で、旅のうち、アメリカ到着までの抜粋である。

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  欧米回覧私記          近藤鎮三

(かしこ)くも、我が明治天皇陛下は、復古の大業成りしを以って、条約各国とはその交際の愈(いよいよ)親密ならんことを望ませ給い、明治四年を以て、外国卿たりし岩倉具視(ともみ)、子を右大臣に進め遣(つかわ)し、外国特命全権大使に任じ、各国を巡回せしめ給えり。但し、大使の号は、万国交際法の上にては、国君の名代として取り扱わるゝ、最貴重の役目なりとす。

また我が政府は、常時諸省の官吏中、俊秀の士を撰びて理事官となし、大使に随行せしめ、到る処に於いて、その制度・文物を見聞し、その良法を携(たずさ)え帰りて、これを我が国に試みしめんとせり。文部省よりは田中文部大丞(だいじょう)、その選に当り、余もまた、幸いにその随行員を命ぜられき。

大使の一行は、則ち、正使岩倉具視、副使木戸参議、大久保大蔵、工部大輔(たいふ)伊藤博文、山口外務少輔(しょうゆう)なり。また書記官には、福地、何(が)、田辺、小松、渡部、林、長野、川路、池田、安藤、久米、随行野村なり。理事官には、佐々木司法大輔、東久世侍従長、山田少将、田中(光顕)大蔵大丞、中山、安場、五辻、内海なり。この外、随行員には、原田陸軍兵学校大教授、若山、沖、阿部、杉山、富田、長与、大島、及び余など、弐十一人なり。
※ 省の四等官 - 卿、大輔・少輔、大丞・少丞、大録・少録

余のこの行を命ぜられたるは、明治四年十月廿二日なり。その節は、未だ西ノ丸炎焼前にて、太政官は同処にありき。弁官にてありつらん、烏帽子(えぼし)素袍の装束せし人、左の書を授けられたり。
※ 西丸炎焼  皇居西の丸焼失は、明治六年(一八七三)。
※ 弁官(べんかん) - 令制における太政官内の要職。
※ 素袍(すおう) - ひとえ仕立ての直垂。平士・陪臣の礼服。


         近藤鎮三(やすぞう)
   今般、田中(不二麿)文部大丞、欧米各国へ理事
   官として、差し遣し有るに付、随行申し付け候事。
     明治四年十月廿二日  太政官
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