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「竹下村誌稿」を読む 385 風俗習慣 26

(静岡中央図書館より城北公園、中央に雪の戻った富士山が見える)

午后、駿河古文書会で静岡へ行く。今日は発表当番で、講座を楽しくしたいと、雑談を交えていたら、最後、時間が無くなって、少し焦った。たくさんの人が発言してくれて、講座としては盛り上がったと思う。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

       二 弥五郎の書類運び

古老云う。下島八左衛門は竹下村の皮切にして、村内に推重せられ、歴代皆な庄屋を勤め、八左衛門を家名となせり。しかるに、文化四年(1807)、六代八左衛門不幸にして病に罹り、療養怠らずといえども、霊薬名医もその効なく、遂に起たず。その遺子八左衛門(七代)生まれて、襁褓(むつき)の中にありしを以って、その職を世襲すること能わず。
※ 皮切(かわきり)- 物事のしはじめ。ある行動をする、その第一着手。手始め。
※ 推重(すいちょう)- 尊び重んずること。
※ 遺子(いし)- 親の死後、残された子供。遺児。


依って、村内の人々打ち集り、兎やせん角やせんものと数日間の評議を凝(こ)らせしも、これと云う良き考案もあらばこそ、この時、現に組頭役を勤め居たりし仲山善右衛門は、村内に推され声望を担(にな)いつゝありし人なれば、同人こそ村政を托するに相応(ふさわ)しからんと、評議も容易(たやすく)(まと)まりて、ひとまず後任を善右衛門に依頼することとなり。且つ、契約するに、遺子の成長して十五歳に至るまでと云う条件を附帯せり。

爾来、春去り秋来たり、水逝(ゆ)き年流れて、いつしか一と昔も去り、契約したる星霜も、すでに過ぎさりしこととはなりしも、善右衛門に於いては、契約の年限には重きを置かざりしものと見えて、更に庄屋を譲らんとする模様も見えざりき。

ここに下嶋弥五郎と云うものあり。下嶋氏の分家にして、殊に七代八左衛門の叔父たるの故を以って、居常無遠慮の振舞も多かりしと云う人なりしが、一日弥五郎意(おも)えらく、八左衛門(七代)すでに相当の年齢にも達し、前約あるにも拘わらず、善右衛門が何等の理由もなく、荏苒として庄屋を勤めつゝあるは、公約を無視し穏当を欠く嫌いあるものなりとし、自ら善右衛門の家に至り、詳(つまび)らかにその事由を述べ、何等の答えも待つ間遅しとなし、善右衛門の家にありし公用書類を、悉く八左衛門の家に運び戻し、而して村内の人を集めて、右の始末を物語りたるに、素より前約を履行することなれば、誰れ一人として異議のあるべき筈もなく、速やかに庄屋を交替することとはなれり。
※ 居常(きょじょう)- つねひごろ。ふだん。平生。
※ 荏苒(じんぜん)- なすことのないまま歳月が過ぎるさま。物事が延び延びになるさま。


これに於いて七代八左衛門、また庄屋を務め、天保の末の頃(15年=1844)まで十数年の間勤続したりしことは、今なお古老の記憶に新たなる所なりと云う。
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