goo

「欧米回覧私記」を読む 4

(まーくんの家のしだれ梅/昨日撮影)

この春休み、娘たちが舘山寺温泉一泊旅行に、ムサシの死に気落ちする女房を誘う計画が進んでいるらしい。ついでに自分のいっしょにどうかという。「ついで」が気に入らないが、乗るか。

********************

「欧米回覧私記」の解読を続ける。

明治四年辛未(かのとひつじ)十一月十日、即ち西暦一千八百七十一年十二月廿壱日、東京出立。文部理事官田中文部大丞、随行は、文部中助教長与専斎、少丞中島永元、少助教近藤鎮三、九等出仕、今村和郎、内村良蔵なり。横浜に到着、この頃までは、横浜通いの馬車も、過半は西洋人の営業なりき。我々も七円程にて雇いて、行きけり。

十一日晴れ。我が父人は、横須賀にありて、造船所の庁員たり。この日、同所の肥田浜五郎氏も大使随行にて、出立するを見送らんとて、(父人)出港せられたるに、途中にて出逢い、幸い同地にて、昼餐(ちゅうさん)をともになして、写真を為したり。
※ 庁員 - 父庫三郎は幕臣なるも、明治に入ると工部省の造船少師(のち海軍省主船少師)となり、横須賀造船所に勤務。
※ 出港 - 横浜港に出てくることを云うか?


十二日晴れ。昨日の写影を橫須(賀)に贈る。午前八時、同行残らず、同処運上所に集まる。八時半、亜米利加太平海飛脚船、亜米利加号に乗船、直ちに出帆す。大使の出船を祝するため、港内の軍艦より、皆な祝砲を発す。甚だ気持よかりし。(この船は千五百馬力にて、外輪船なり)本牧を離るゝ頃より、私、気萎え、船房(船室)に行き、籠る。
※ 運上所(うんじょうしょ)- 各開港場において輸出入貨物の取締りや関税の徴収などにあたった。現在の税関にあたる。
※ 気萎え(きなえ)- 気力が衰えて弱る。船酔いのためだろう。


十三日晴れ。

十四日晴れ。
両日とも船病にて、頭も上がらず。衣服を付けたるまま、船房に臥し居れり。同船房には、肥田、大島、同居せり。

十五日晴れ。
本日は気分も稍(やや)(こころよ)きゆえ、始めて衣服を改め、甲板に出(い)づ。海上穏(おだや)かにて、船の動揺もさのみに強からず。食事を房内に取寄せてなせり。
※ さのみに - それほどに。さほどに。

十六日晴れ、風なし。
海上穏かなり。気分も追々快く、始めて食堂に出づ。この日、船の位置(正午の測量)、北緯三拾度五十一分、東経百五十四度二十四分、行二百五マイル(英里)なり。夜に入り、月明かにて、船客、甲板上に散歩するもの多し。

十七日陰(くもり)、風あり。
この日、波高く、枕を上ぐる事もならず。終日、船房に臥す。大嘗祭(だいじょうさい)ゆえ、昼食の時、大使より船客一同へ酒を賜う。

十八日降雨。
風波昨日に同じ。気候は二、三日以来、殊に温気なり。恰(あたか)も八月の末方の如し。日本人は皆な西洋食事に飽きて、菜漬の香物にて、茶漬飯の味を思い出して、この話のみなり。
※ 温気(うんき)- 暑さ。特に、蒸し暑さ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )