goo

東海道山すじ日記 6 二月十二日 大宮町

(大代川の工事は終った?)

東海道山すじ日記の解読を続ける。

宿を出て坂道(四五丁)上り、並木通りに至る。その松、大小有り。辺りはみな篠原なり。厩や村(一里)、御殿場(人家三百ばかり、町並み、茶屋有り、馬継ぎなり)これより畑道、立木原有り。または茅野、篠原等、または小流等有りて、田も有り。土地相応には人家大いに少きよしに見ゆ。今この辺りに人家を移せば、幾千の田畑出来るかな。

えいて(選りて)埃沢通りを行くに、本道はこれより左り、茱萸(ぐみ)原、芹沢原、菱刈原等にて、行くと二里半に遠しを、埃沢通りは弐里に近しと云う。処々木立原に椎茸作りの小屋有り。今、春子盛んに出でたり。印野(人家百軒ばかり、高三十九石、光徳寺と云う寺有り)、人家、畑百姓にて傍ら椎茸作りをなすよし。ここにて昼飯し、
※ 春子(はるこ) - ショウロ・シイタケなどの、春に発生したもの。

原に懸り、少し爪先上り、細き、有りなしの道行く。独活沢(この水清水あり)、しばし過ぎ、須山口の鳥居有り。半里ばかりを過ぎて、と足高山の間の木立原に懸り、山は惣じて焼岩にして冬木のみ。山の中腹と覚(おぼ)う辺りは、青木も少し見えたり。岩高くして甚だ歩行(あるき)にくし。
※ 岳 - 富岳。富士山のこと。

しばし下り(印野二里半)、十里木(人家九軒、無高、須山の枝郷なり。茶屋一軒、これが名主のよし。ここで人足頼む)、土人の言うに、稗、粟は少し作れども、余のものは出来ずと。さすれども、山開きの時は相応の銭もうけも有るよし。
※ 無高(むこく)- 石高無し。つまり年貢も無いということ。
※ 土人(どじん)- その土地で生まれ育った人。土着の人。土地の人。


一里ばかり原道を下り、世古辻。これより上道を行くは大宮道、中を行くは大渕道、下を行くは吉原道。余は継ぎ立てる故に、大渕村の(道)へ入る(人家一軒有)。また原間に沢に下る。

大渕村(人家三十軒ばかり、山のこゝかしこに散居す。みな百姓家ばかりなり。十里木より三里)、この辺り、犬柏を多く作り、また結香を作る。喰い物は六分麦、一分米、三分芋のよしなり。杉谷村、それより甲州路へ出て、しばし(二里半)。
※ 結香(みつまた)- ミツマタの中国語。和紙の原料になる。

大宮町(人家千軒、乗馬有り、茶屋、はたごや有り)、佐野直吉。同与市、並びに別当富士神一郎へ尋ねて止宿し、
※ 大宮町 - 富士宮市の浅間大社のそば。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )