平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
東海道山すじ日記 9 二月十五日(前) 阿部川
寒さも少し緩んだ。東日本大震災から3年目。テレビは関連番組一色。
東海道山すじ日記の解読を続ける。半分位まで来ただろうか。
十五日小雨、村を出て川瀬三つばかり過ぎ、坂道十八、九丁の間、左右谷川有り。この辺り見上げるばかりの山の端にも、結香畑を作り有る間を攀じ上る。凡そ二十丁と思う頃、人足の者ども、余が両掛けをぬきて、両人にて背負子と云うものに結びつけて、背負いぬ。
これならば、如何にもよろしかるべしと思うに、また十丁も上るや、樹木枝をたれし辺りにては、如何にもまた上りつかえるまゝにて、ここは腰をかゞめて潜る様にしてぞ行くに、凡そ一里とも思う頃は、道もあるかなしにて、岩角に苔生えし上、人通り少き処故に、滑(なめ)らかにして辷り、甚だ歩行にくゝぞ覚うまゝ、ゆふべ頃とりしやと思ふ、鹿の骨等有しとて、身の毛よだちぬ。人足の云うに、これは狼が取りしなりと。
その廻りに切れしに、また結香の畑有り。これは何処よりして作る処なるや。思ふに、皆黒川村より作ると。実に一里余も、このさかしき処上り来りて、このなりわい(生業)するかと聞きて、実に世の過ぎがたきことを驚きぬ。
さある間に、靄ふき来たり、混沌世界の様なしては止みたれども、衣服はものかは、笠をかぶるに、眉をまつ毛まで濡れひたりぬ。またしばしにて、山の横通りを行くこと、拾丁余り、この辺り樹木甚だふかし。見馴れぬ草も多し。岩菅の大なるを見たり。また黄藤多く咲きたり。山桜も多し。
※ 岩菅(いわすげ)- イネ科の多年草。高山の岩上や草地に生える。茎は細く高さ15~40センチメートル。夏,褐色の小穂を三~五個つけ,頂のものは雄性,下部のものは雌性で垂れ下がる。
※ 黄藤(きふじ)- キブシの別称。キブシ科の落葉小高木。山野に生える。葉は卵形。雌雄異株。早春,葉に先立って淡黄色の小花を密生した花穂を垂らす。
その谷間には雪も消え残り、凡そ峠と思う辺りに到れば、井戸の沢とて水有り。この左りの峯つづきは龍爪山と云う高山のよし。右の方は皆甲州の山々になると。五六丁にて杉の木有り(黒川村より一里)。
駒曳峠と云う過ぎて、下りの方は樹木なく、五六丁にて結香畑に懸り、この辺り、茶をまた多く植えたり。山の端一面、畑になせし故、歩行に何処を行くともしれず。十二、三丁、この如き処を下りて人家を見る(峠より一里近し)。こゝは田一枚もなき由にて畑ばかりなり。俵峯村(人家三十軒ばかり)、家並み、のり入紙を漉き、また茶を製す故、至りて富めるよしなり。平生の喰い物は芋と麦のよし。また家に藪を持てるに、その中椎茸を作れり。
これより廿七、八丁下りて、俵沢村(人家三十軒ばかり、田有り、富める村なり)、これも茶、紙を作る。下に出れば阿部川端なり。川端十丁ばかり上りて、湯島村(人家十五、六軒)、これは紙漉きをするよしなれども。如何なる訳やらん、貧村なり。案に茶の木が不足なればと思わる。
ここの前、川すじ二つに成りたり。これより右本川(北岸、蕨野、横山、平野、渡、有東木、南岸、中沢、相渕、村岡、中平、入島、梅島)、その源は小沢山、大谷崩れ等云う高山有り。有東木の方越えれば、甲州南部に出る。梅島より越えれば、大城村と云うに出て、身延の麓に出ると。
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