goo

譲渡田畑証文の事 - 駿河古文書会

(フキノトウの薹が立った)

午後、駿河古文書会に出席した。扱ったのは一紙文書三通であるが、中で一番複雑なものを取り上げる。何れも岡部辺りで出た文書らしい。

   譲渡田畑証文の事
一 田高拾石         内弐斗六升九合永引き
                別紙横帳壱冊添え
一 畑高五斗壱升弐合九勺
右は当宿銀次郎、前々より高九拾石余所持致し候処、連々困窮に相成り、去る寛政年中まで、追々他へ質流れに相渡し、残高拾弐石余これ有る右地所へ引き当て候処、田高七石余、地不足これ有り、持ち続け難く、村方へ
差し出し申したき由、申され候処、村方弁納など相掛り、小前不承知の由、これを申し候に付、

宿役人相談仕り、私方へ達って相頼み申し候に付、よんどころなく右地所、山林ともに残らず、私方へ受け取り、世話など致し候処、余荷高(よないだか)などこれ有り候に付、年々御年貢、その外、諸入用など私弁納に相成り、難儀至極に存じ候所、この度、其元(そこもと)へ御頼み、右田畑高の内、壱石六斗余、私方へ残し置き、残高拾石五斗余、御所持成られ候様、御頼み申し入れ候所、

御難儀の筋、御申し成られ候えども、私小高に付、持ち続け難く、何分そこもと高嵩の儀に候えば、外高などへ御余荷合い(よないあい)成られ、後々御所持成られ候様、頼み入り候。御承知下され、これにより右書面の田畑相譲り申し候処、相違御座なく候。然る上は、右地所、矢塚などもこれ有り候間、御手入れ成られ候わば、御年貢弁納の御足しにも成され、来る亥年より御取り賄い成さるべく候。
※ 矢塚(やつか)- 田や畑から出た石などを集め置いた場所。

右田畑の儀、達って相頼み相渡し候義に候えば、諸親類は申すに及ばず、脇より差し構い申すもの御座なく候。これにより高反別別帳相渡し申し
候処、後証のため、親類加判の証文、よって件の如し。
  享和二年          田畑譲り主
   戌十二月           弥五兵衛 ㊞
                 親類
                  弥左衛門 ㊞
                 同断證人
                  久平   ㊞
         久左衛門 殿


江戸時代、田畑の売買は禁止されていたが、質入れは許されていた。実質的には質へ入れた田畑が流れる形で、売買と同様のことが行われていた。

それぞれの田畑地へ、村高に課せられた年貢を村役人は各田畑へ年貢を割り振り、取りまとめて納める責任があった。農家が破たんすると、外の小前に負担がかかってくる。田畑の所有が変わるだけなら、新所有者へ年貢を割り当てればよいが、出入りのうちに地不足を起こし、当然年貢は払えなくなったので、残地を村役人へ差し出した。

小前の者たちは引き受けを拒否したので、余裕のある有力者に引き受けて貰おうという話である。中々ややこしい話である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )