平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
東海道山すじ日記 15 二月十九日 気賀宿
昨夜から次兄が東京の帰りに宿泊、今朝帰った。東海道山すじ日記の解読も最終段階に入った。次に何を読もうか、今考えている。
十九日朝、とく立つ。和田ヶ谷(はたごや有り)、中沢(同)、領家村(共に一村なり)。
※ とく(疾く)- 急いで。
これよりは触れを山の東通りにせし。我らは山に懸り、しばしにて(三十二丁)、峯小屋中小屋、ここは横川村より出す茶屋のよし。栗、椎茸、また木地細工ものを鬻(ひさ)ぎけり。ここにて休(いこ)い居りたれば、谷間より人足二人上り来りしが、これ継立ての人足なりと。(触れに応えたものであろう)これより(十八丁)、しばし上り、光明山、曹洞禅にして余程の大地なり。ここにも茶店有り。これにはタダライ(只来)の村より、継立て人足出たり。
※ 大地(だいち)-広大な土地。
これより五十丁下りて、山東村に下る。これよりまた川のこなた、かなたを下る。これを四十八瀬と云う(凡二十五六丁)を、十八瀬越えて、二股村(弐、三百軒、町なり。商人、はたごや有り)、繁盛の地なり。前は直ぐに天龍端になり。小峠一つこえて、東鹿島村、(村下に)天龍川(舩渡し)、西岸絶壁にて風景よろし。
西鹿島村(積問屋有り。家並みよろし)、ここにて渡し守に聞くに、鵜飼(舟)にて渡す時は、大ていの時に越するによろし。瀬道わたしにては、昨年も廿日余りも留まりしが、このかたは一日にて明けたりと。これより(十八丁)野道。ここに姫龍胆(ひめりんどう)を多く見たり。
岩水村、岩水寺と云う寺有り。本尊薬師如来なり。大岩窟の中より、清水流れ出、これをわかして病人を湯治せしむ。過ぎて宮の口(町有り。弐百軒ばかり。商人、はたごや、茶や有り)、市日有りてにぎわしと。
これより味方が原に上り、右の方に都田村、ここに初山鮭院寺(宝林寺)と云う黄檗宗の寺有り。独湛(どくだん)の開基のよし。この上なる山を蓮華峰と云う。峰谷八つに分れて、蓮華の形をなす。前に瀬戸村、瀬戸ヶ渕と云う有り。鯉、桜花魚など多し。上に茶店有り。これにて菓子をうるなり。
下り田圃に出、右の方に金指宿を見て(宮の口より三里)、気賀に宿す。関門も開き切りに成りたり。ここにて始めて月代を剃り、少なからず人心地致しぬ。
また一考には、大井川端の梅島より、篠原、平木などを過ぎて、里原に出、犬居に出るもよろしと。また上長尾より越木平に到り、気田村、窪田村より秋葉の後山を通り、雲名村の渡しを過ぎて、石打村(少しの町奈り)、熊村、嶺、神沢を過ぎ、鳳来寺、新城に出るよろし。さりながら、これは少し近けれども、道すじ余程難所のよしなり。
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