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東海道山すじ日記 2 「山すじ」発案の経緯(前)

(庭のジンチョウゲの花)

東海道山すじ日記の解読を続ける。

賊長小田井蔵太なる者は、奥(州)の二本松の産にて、始めて江戸に出てより、青山辺りなる小田井検校の手引をして、かの盲人等の官金といえるものを、催促等いたし、歩行渡世し、生来不仁不慈は並び無き男なりせば、その業には長せし故、検校のいたく気に入る。
※ 歩行(あるき)- 江戸時代、庄屋などの雑用や使い走りに使われた者。小使い。
※ 生来(せいらい)- 生まれたときからの性質や能力。生まれつき。


その後、二十金を貰い、それにて幕府人の家に養子に行き勤め、それより安政辰の年、箱館の同心を仰せ蒙り、釧路詰めに到りしが、その頃、余、かの地山中を踏み試さん時、召し連れ行き、その後、何にも腹くろき男にて、蝦夷人等の難儀に及ぶことのみ致し、また請負人等いえる者より、調度の物等取り返さざりしを、深く意見しかえしより、何となく隔意して、我を恨めるよしにて有りければ、賊党等引纏(まと)めて、我を把(とらえ)しに来たりもやせんと、戦慄まゝ、両戸開きければ、肩に錦飾り付けし武夫磅礴隊といえる弓張烑灯(提灯)を灯して、我名を云えるまゝ、迎え入れて見れば、一つの状箱を出しぬ。
※ 隔意(かくい)- へだたりのある気持ち。打ち解けない気持ち。遠慮。
※ 武夫(ぶふ)- 武人。武士。もののふ。
※ 磅礴隊(ぼうはくたい)-尾張藩の総勢百七十四名からなる草莽隊(義勇軍)で、戊辰戦争では征東大総督有栖川宮熾仁親王の護衛に当たっていた。


その上書は大総督参謀と有りて、早々登城これ有るべき旨なれば、直ちに支度して、その武夫に連れられ、西の丸に至るや、早や九つ過ぎなるが、去年には引かえて、門々も甚だ厳しく、城内に入れて、その草鞋のまゝ中の口に入り等して、敷つめし畳の上をも、泥足にて歩行等したる跡有るを過ぎて、蘇鉄の間のうしろに到り、待ち居りしかば、河田某出て来て、今宵は余り夜ふけ、参謀にも早や眠りに着かれしかば、明朝疾く来られよとのことにて、空しく帰り、
※ 西の丸-無血開城の後の江戸城。本丸、二の丸は焼失していて、江戸城には西の丸しか無かった。

明けて七日巳の刻頃に、また出でしかば、御用の義有れば、早々上京致せよとの御書附賜りしに、昨日の雨にて、馬入、六郷も留まりし由聞けば、一日の猶予賜われども、道中諸関門の通り切手頂き、明八日立ちとして、その日は家の物の道具等、皆外々に預け、留主の間の始末言い置いて、
※ 巳の刻(みのこく)- 昔の時刻の名。現在の午前10時ごろ。また、その前後の2時間。
※ 馬入川(ばにゅうかわ)- 相模川下流の称。神奈川県平塚市で相模湾に注ぐ。
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