平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
江尻本郷町の飢饉時御救い米の願い書、二通 - 駿河古文書会
金曜日、今年度最後の駿河古文書会、会長講義であった。課題に2通の江尻(静岡市清水区)から出た文書を読んだ。
駿府ではたくさん接した飢饉の御救い金の話であるが、江尻の物を見るのは初めてである。以下へ書き下して示す。
恐れながら書付を以って願い上げ奉り候
江尻五町一同、願い上げ奉り候は、去る秋より追々米価高直に相成り、同暮れに至り、倍々高価に相成り、小前の者ども暮し方、難渋至極仕り候処、かれこれ手段、才覚を以って相凌ぎ、春にも相成り候わば、下落も仕るべく心構え仕り、相待ち候処、春に相成り候ても、格別の景気も相見えず、麦作の出来方宜しく、右様にては三、四月頃にも相成り候わば、引き直しも仕るべきやと、種々歎(艱)難仕り相暮し候処、遠州、三州、東は相州、豆州は勿論、関東筋残らず、麦作違いに付、なおまた米価格、別けて高直に相成り、これまでかなり貯えの糧穀へ、山野の草木、糧に相成り候分、拾い取り、相互に助け合い、露命相繋ぎ、老人、小児など相養い兼ね候えども、当節に至り候ては、諸色ども追々高直に相成り、日雇いその外稼ぎ方渡世薄く、小前末々者に至り候ては、渇命に及び候外これ無く、必至と困窮、難渋差詰り、手段才覚に尽き果て、歎かわしき仕合わせ存じ奉り候間、恐れながら願い上げ奉り候は、格別に御憐愍を以って、御救いのため、御金弐百両、御拝借仰せ付けさせられ、下し置かれ候様、願い上げ奉り候。
返上納の儀は仰せ付けさせられ次第、差し上げ奉るべく候。
右の趣、聞こし召し訳させられ、五町小前の者、御救い拝借願いの通り、仰せ付けられ下し置かれ候様、御憐愍を以って、御慈悲御意、幾重にも
願い上げ奉り候、以上。
江尻辻町
組頭 定五郎 ㊞
同 庄八 ㊞
同紺屋町
町頭 惣右衛門㊞
同鋳物師町
町頭 吟右衛門㊞
同鍛冶町
町頭 清助 ㊞
同本郷町
町頭 九平治 ㊞
御番所様
この五町は、江尻宿の周辺にあって、江尻宿を補助する役割を持っていた。窮状を訴えるために、山野の草木まで食べているとの話は初めて見る。どんなものを食べたのか。そんな資料もあるらしい。
御救い拝借米証文の事
江尻本郷町
召仕いこれ有る者 五人へ拝借
一 米合わせ拾俵 但し、四斗入り
この訳
米弐俵 半右衛門 ㊞
米弐俵 治三郎 ㊞
米弐俵 九平治 ㊞
米弐俵 小兵衛 ㊞
米弐俵 平右衛門 ㊞
右は当町連々困窮の上、打続く諸国違作にて、米穀諸色とも直段引上げ、人気不穏、窮迫の者ども飢渇に及び、難渋至極に付、町方惣代の者、江戸表へ罷り出、御救米願い上げ奉り候処、出格の訳を以って、書面の通り、銘々拝借米仰せ付けられ、御渡し下し置かれ、上納方の儀は、来戌年より未年まで、十ヶ年賦、米壱石に付、金壱両の積りを以って、金納仕るべき旨、仰せ渡され、冥加至極、有難き仕合わせ存じ奉り候。
然る上は、右金年々丁頭方へ取り集め、十一月限り急度御上納仕るべく候。もっとも拝借人の内、病死仕り候か、または異変の儀など出来仕り候わば、壱町内の者どもより弁納仕るべく候。
よって御請け証文、差し上げ申す処、くだんの如し。
天保八酉年五月
江尻本郷町
油屋 半右衛門 ㊞
萬屋 小兵衛 ㊞
油屋 九平治 ㊞
萬屋 治三郎 ㊞
庵原屋 平右衛門 ㊞
組頭 久蔵 ㊞
同 徳兵衛 ㊞
同 市兵衛 ㊞
丁頭 半右衛門 ㊞
御番所様
この文書では「人気不穏」と書き、そのまま置けば使用人たちが騒動を起こしかねないとの危惧を述べている。結果、召仕(召使い)を持つ店だけが救い米を拝借するとしている点が珍しい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )