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衆院議員選挙雑感

(咲き始めたサザンカ)

衆院議員選挙が終わって二日経つ。テレビでは一斉に選挙結果を受けた報道が始まっている。今日は敗戦後の初閣議が開かれた。まるでお通夜のような雰囲気であったという。それもそのはずで、閣僚のうち8人が落選して、一般人になってしまったのである。野田総理の陳謝で始まった閣議後、会見に応えた閣僚たちは、あの時点で解散を決断した野田総理に、恨み辛みをぶっつけていた。自分たちの責任に言及した落選閣僚はいなかった。落選させた有権者は賢明であったと思う。民主党内でも、天下、国家のために粉骨砕身していた議員は、こんな逆風の中でも当選して戻ってきた。

民主党の惨敗は解散の時期が悪かったためではない。民主党は、自民党からはじき出された人たちと、政権に関わってこなかった野党の人たちが、二代政党の確立を急ぐ余り、豪腕の小澤一郎の力を借りて、マニフェストという旗を掲げ、その旗の下に集った人々で作った党であった。不幸なことに、国家ビジョン、政治理念など未成熟のうちに、追い風強風に乗って、図らずも政権を取ってしまった。

机上で、妥協の産物として作られたマフフェストだから、実行しようとすると、当然、あちこちで齟齬を起す。日々世界は動いているし、大震災のような予期せぬ出来事が頻発するから、マニフェスト通りに政策が実行できるはずがない。国家ビジョンや政治理念が確立しておれば、それに照らしてマニフェストの調整が上手に出来たであろう。しかし実際にはマニフェスト通りに出来なければ、マニフェスト違反の大合唱がたちまちに起きる。野党から起きるのは当然だが、与党内からも起きて、それを理由に党は分裂じ、解散前にはすでに国会運営すら、まともに出来なくなって、解散に追い込まれた。

野田総理の判断は民主党にとっては最悪だったのかもしれないが、国家にとってはその時期がギリギリの限界であった。野田総理が選挙で勝利できると楽観していたはずはない。このような惨敗も覚悟しての解散だったと思う。何も決められない状態を、さらに半年続けることは、国家にとって大きな損失だと考えて、解散に打って出たのだと思う。自爆テロ解散だと言ってのけた、田中真紀子氏の言葉を借りれば、テロの対象が民主党にもろに向いてしまった。

今回も、親の地盤を継いだ、2世、3世議員が多く当選を果した。2世、3世議員については批判が多い。しかし、小選挙区制になって、たとえ親の地盤を継いでも、本人の資質と自覚が無ければ、一回は当選できるかもしれないが、何もしないで継続させてくれるほど、今の選挙民は甘くない。越山会という親が作った強力な後援会を持ち、数々の問題を起こしながらも、7回連続当選してきた田中真紀子文科大臣の惨敗は象徴的なものである。うちの選挙区でも、世襲が儘ならなかった例を複数知っている。

当選者名簿を見ると議員が随分若返ったと思う。これだけ自民党が強かった選挙の中で、加藤紘一氏が落選したのは、幾つかの耳を疑うような問題発言に加えて、高年齢、健康不安などに対して、有権者がレッドカードを出したものとして、大変に注目される。

議員数削減、歳費削減など、議員に対して大変に厳しい目が向けられている。確かに480人は多いかもしれない。しかし、議員数も歳費も、議員の懸命な働きが伴っておれば、文句を言うことではない。一年生議員は一生懸命勉強するのが仕事であろうし、それぞれに自分の得意分野で活躍してくれれば、OKだと思う。ところが、一般の有権者は議員が個々に、日々どのように活動しているのか、全く見えない。見えるのは議場で居眠りしている醜態くらいである。

議員全員が日々の政治活動を、ネットなどで公表することを義務付ければ、有権者もその情報を確認して、次回以降の選挙に参考に出来る。問題を起こした議員を選んだ有権者が悪い、と言われかねない中で、何も情報なしにマニフェストだけで議員を選んでいるから、民主党のような未熟な政党が政権を取ってしまう。
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