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鈴川の地蔵堂と閻魔堂 - 駿河百地蔵巡り 14回目

(鈴川中町の地蔵堂)

14回目の百地蔵巡りに、今朝出掛けた。昨夜、夜中に目が覚めて、その後、寝られないまま、早朝に出かけてきて、JR吉原駅で下りた。天候は曇り、今朝は寒いと思い、防寒対策をしっかりとしてきたので、歩き始めると少し暑いくらいであった。


(鈴川中町の地蔵堂の地蔵尊)

JR吉原駅の南口から出て、すぐ南の高台の住宅地に入った。東へ高台を下りてきた、鈴川町と鈴川中町を区切る道路を挟んで、閻魔堂と地蔵堂が斜向いにあった。番外ではあるが寄り道した。手前の閻魔堂が鈴川町、先の石段の上の地蔵堂が鈴川中町に所属している。それぞれ、おばあちゃんたちがお堂を開けて拭き掃除をしている。閻魔堂はパスして、地蔵堂へ登り、今日はお祭りがあるのかと聞けば、毎月23日は地蔵の日だから、掃除をしているという。地蔵堂の石の地蔵さんは、胴の部分で二つに割れて補修されている。ここのお地蔵さんは何地蔵なのかと聞いたところ、閻魔堂の方に詳しい人がいるから、そちらへ聞くように言う。


(鈴川閻魔堂の言い成り地蔵尊)

閻魔堂へ戻ると、まあ上って見てくれと、靴を脱いで上るのを待って、真ん中の地蔵は「言い成り地蔵」でどんな願いも叶えてもらえると、石の地蔵尊を両手で撫ぜた。こちらのお地蔵さんも胴の中央で上下二つに割れ、補修が施されていた。右側には閻魔大王像があり、垂れ幕を上げて見せてくれた。今日は地蔵の日だから、お堂を開けて皆んなできれいにしていると、ここでも繰り返した。

お参りを終え、先に進みながら、考えた。この辺りはずっと海側は小高い丘になっていて、その外は見えないけれども駿河湾の浜辺である。この程度の丘は津浪なら軽く越えてきてしまうであろう。現に江戸時代、海近くにあった吉原宿は何度も津浪に流され、その度に全滅して宿場を北へ移した。東海道もその分北へ大きく湾曲して付け替えられたため、左富士という不思議な景観が出来た。

吉原の海岸でも、海岸沿いに海に向けて波除地蔵が幾つも作られた。二つのお地蔵さんも、おそらく、そういう波除地蔵が津浪などで内陸に流されて、波が引いた後、半分に壊れて掘り出されたのであろう。里で補修され、以後、お堂を造って大切に祀られるようになったと想像した。

もう一つ、ふと気付いたことがある。23日は地蔵の日だからと、おばあちゃんたちが言っていたのは、二三(じ、ぞう)のごろ合わせで、地蔵の日と決まったものであろう。昔から日本人はそんなごろ合わせが大好きで、今日は何の日と決まったものを見ると、そんな語呂合わせのオンパレードである。

この後、眠気にふらふらと歩いているような気分で、旧東海道の海岸線に沿った真っ直ぐの道を東へ向けてひたすら歩いた。(つづく)
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