goo

91陽徳寺 - 駿河百地蔵巡り 13回目

(花の少ない庭に咲き出したサザンカ)

この日に撮った写真は別のSDに別ファイルで保管していたが、昨日写真の加工作業をしているときに、ファイルを壊したようで、インデックスが不良とかで、開くことが出来なくなってしまった。復旧の方法がないのだろうか。お天気が良くて、富士山の写真も沢山撮ったのだけれども、残念である。

   *    *    *    *    *    *    *

旧東海道を通って、間の宿、岩淵に至ると、左手に新豊院というお寺があった。山門左側に、古い風化したお地蔵さんが立っている。釣られて境内に入ってみると、火伏地蔵尊という座像の地蔵があった。案内碑によると、元は吉津の西方の愛宕山山頂に鎮座していた地蔵尊で、宝暦九年(1759)上町三度屋富利が建立した。江戸時代飛脚問屋で代々斉藤儀左衛門を襲名している。

愛宕山の火伏せの神様と、地蔵信仰が融合して、火伏地蔵となったもので、興味深い地蔵尊であった。

この後、富士山のビューポイントの富士川べりを散策し、富士川を渡って、富士、吉原とほぼ旧東海道に沿って歩いた。もちろん地蔵を探しながら行くが、お地蔵さんをなかなか発見できない。街道筋には、馬頭観音、秋葉灯籠が多く見受けられ、富士川を越すと道祖神を多く見るようになる。しかし、お地蔵さんはパッタリ見なくなった。地蔵信仰が拡がった地域とそうでない地域はまだら模様になっているのだろうか。この辺りは宗教的には日蓮宗や富士浅間信仰の多い地域で、地蔵信仰はあまり拡がらなかったのであろうか。

吉原の商店街を東へ歩いて、岳南鉄道吉原本町駅をすぐ右に見て踏み切りを渡ってすぐ右に入った所に、第九十一番陽徳寺がある。この御本尊は、右手に錫杖、左手に宝珠を持った等身大の木造地蔵菩薩立像である。「身代わり地蔵尊」と呼ばれて長く信仰を集めてきた。

この地蔵尊は、昔、駿東郡青野村の光明庵と言うお寺に祀られていた。大洪水で、元吉原宿付近まで流されてきたものを、宿場の人が救い上げて陽徳寺のご本尊にしたという。眼病が流行ったときに、お地蔵さんに快癒を願ったところ、眼病がたちまち治り、逆にお地蔵さんにいっぱい目やにが付いていた。それから、このお地蔵さんは「身代わり地蔵」と呼ばれるようになったという。

境内にも何体か石の地蔵尊立像が立っていた。そこにも身代わり地蔵と立て札が立っていたから、いつもは開帳されていない御本尊の代わりをするのであろう。旧東海道を歩いたとき、ここには立寄ったことを思い出した。

今回は、この後、旧東海道を左富士を見たりしながら、JR吉原駅まで歩いて、地蔵巡りを終えた。本日の歩数37,982歩、距離20キロであった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )