平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
雨桜天王社神主の一件(3) - 掛川古文書講座
(昨日のつづき)
双方の言い分を聞いて、御本所吉田家の裁定は上村筑後の全面勝訴という結果になった。上村筑後の強硬な姿勢は裁定への自信から来るものであった。永年、御朱印継目の度に手厚くお礼をしており、年々のお付き合いも上村筑後が代表して行ってきた実績が自信の元であったのであろう。
右出入一件、再応遂げられ、御吟味候処、雨桜天王神主は、田中村、上村筑後家にて前々より相務め、御朱印御継目の度毎、並び、公儀年限の御礼申し上げ候儀も連綿致し、旅所六所大明神も、神主兼帯仕り候儀、歴然の事にて、外に神主これ無き儀、相違これ無く候処、今度肥前因幡申し合い、六所大明神社地に永正年中より、これ有り候釣鐘銘文の由緒など申し立ても無証拠の趣、かれこれ申し紛し、社頭仕来りを乱し、新規の企てを以って、同国長上郡小池村、神主竹山日向、取次を以って、御本所吉田家へ相願い、六所大明神神主の許状頂戴の次第、不埒の至りに付、右許状は御取り上げに相成り候
残る三人の社家とも、神職不相応の心得違い候儀、以来社頭において表立ち候、祈祷修行雨乞などに限らず、神主、社家一同申し合うべき候
神主儀、出入始末非分にはこれ無く候えども、御本所吉田家より再応御呼出の節、御断り申し上げ置き候のみにて、一応の御請けにも罷り出ざる儀、御本家吉田家へ対して、不敬の至りにこれ有るべく候、
※ 非分(ひぶん)- 道理にはずれたこと。また、そのさま。
御本所吉田家といえども、お上の御意向には逆らえない。おそらく、しかるべき公儀役人からの口添えもあったに違いない。裁定は一転して許状取り上げという、上村筑後の全面勝訴となった。御本所吉田家は図らずも公儀に従うことになった腹立たしさから、再応の呼出しを無視した上村筑後に、不敬の至りと申し述べた。その言葉に気持が出ている。
この外相互に申し争いの儀は、口上のみにて、無證拠の儀ゆえ、御取り用いこれ無く候、これにより仰せ渡され候は、以来、社中に新規の儀を企てず、古来の仕来りを相守り、神主、社家、社人の次第を乱さず、永く和融いたし、再論に及ぶまじき旨、仰せ渡され、一同承知畏まり奉り候、後證のため連判一札差し上げ申す所、よって件の如し
訴詔人
遠州佐野郡上垂木村雨桜天王神主
同郡田中村 上村筑後
寛政二庚戌年十一月
相手方
同社家
同郡下垂木村 戸塚肥前
相手方
同社人
同村 中村因幡
相手方
同社家
同郡遊家村 山崎出雲
相手方
同社家
同郡上垂木村 平尾長門
相手方
同社家
同村 近藤淡路
掛川
郡御奉行所
来月の講座も「雨桜天王社神主の一件」の関連文書を読むので、来月へつづく。
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