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82真如寺、84清見寺 - 駿河百地蔵巡り 12回目

(真如寺山門)

(11月28日分のつづき)
珠林寺から北へ、すぐに国道1号線に出る。この後、袖師へ向かう途中に、ネットで調べてあった高源寺へ寄ろうと北へ進む。1.5キロほど行った清水区高橋に高源寺はある。「みまもり地蔵」という地蔵尊があるつもりが、「みまもり観音」の見間違いで、お参りに来たおばあさんの話でも、チェックするような地蔵尊はなかった。

第八十二番真如寺はさらに北東へ2キロほど歩いた、袖師の東海道新幹線に近い所にあった。保育園が付属していて、ゲートを開けて入った。山門に「厄除開運 岩船地蔵尊霊場の看板が掛かっていた。岩船地蔵尊は位牌堂に祀られているが、本堂左脇に石の地蔵尊が立っている。厄除地蔵尊と台座に刻まれている。位牌堂まで行かない人はこの地蔵尊に参るのであろう。

岩船地蔵尊の由緒は、宝暦三年(1753)、折から海難や疫病が続いた。当時の真如寺六世桂岩祖林和尚の夢に、岩船地蔵尊が現れ、翌朝、海岸を探したところ、蒲原の海岸で地蔵尊を見付けた。地蔵尊を袖師の海岸の「浜のお堂」に祀り、30日間の法要を行った。すると、海は鎮まり、疫病も収まった。その後、現在の場所に至るまでに、何度か場所を移り、現在の位牌堂に収まった。


(袖師三区地蔵尊)


(袖師延命地蔵尊)


(横砂地蔵堂)

真如寺の隣りに袖師町三区自治会館があり、その脇に番外の小さな地蔵堂があった。袖師三区地蔵尊とでも名付けておこう。真如寺を出て、国道1号線に出たところにも、小さな地蔵堂があった。延命地蔵尊とあるが、ネットで「いぼとり地蔵」として紹介されていた地蔵尊である。さらに、国道を歩き、横砂本町の国道端に横砂地蔵堂を見つけた。中を覗いてみると、色黒の石の地蔵座蔵を中心に、何体かの仏像が並んでいた。以上三地蔵尊を番外の地蔵尊としてカウントしようと思う。

第八十四番清見寺は清水区興津清見寺町にある、有名な古刹である。前回、最後に訪れた梅蔭寺売店の女性が、お地蔵さんなら清見寺にたくさんあると教えてくれた。さて、そんなに地蔵尊像があったかなあと思いながら、門前に立った。清見寺直下にはJR東海道線が通っていて、町と区切られている。石段を上り、有名な「東海名区」の扁額が掛かった門を潜ってから、JR東海道線を跨線橋で越す。山門脇に古そうな六地蔵があるのを横目に見ながら、境内に入った。

何度か訪れたお寺だが、お地蔵さんを目当てに来たことはない。境内をうろうろするが、「駿河一国百地蔵」の板はどこにも見当たらない。境内左手には五百羅漢の石像が斜面を埋めていた。そうか、梅蔭寺売店の女性がお地蔵さんがたくさんあると言っていたのは、この五百羅漢のことであったか。確かにたくさんあるけれど、これは羅漢さんで、お地蔵さんではない。本堂内を拝観させてもらっても、地蔵尊は望み薄に思えた。探すのをあきらめて、海岸が見晴らせるベンチで、途中で購入してきた昼食を食べた。


(清見寺六地蔵)

次へ進もうと、山門を出て六地蔵へ目を向けると、何と「駿河一国百地蔵尊第八十四番」の板が六地蔵の背後の塀に張られていた。六地蔵を見ると、欠けたところも目立つ、かなり古いものと思われた。
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