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「電人アロー」



 いわゆるお盆です。すっかり忘れていましたが、8月12日はあの日航機東京‐大阪便が墜落した日、だったんですねえ。今年でもう20年経つとか。あの大惨事からもう20年、早いものです。犠牲者の遺族の皆さんに対しては不謹慎に聞こえるかも知れませんが、自分に取って切実という意味では、関係のない出来事だったので、すっかり忘れていました。あれからも、色々な惨事が起こり、地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災に代表される、各地の震災、新しいところでは大阪JR福知山線の脱線惨事、などなどの数多くの犠牲者を出す惨事が後を絶たず、つい僕らは御巣鷹山の墜落事故を風化させたかのように忘れていました。20年前の夏は僕は埼玉県の県境に住んでいて、よく群馬県に仕事や遊びに行っていました。その前年か前々年は群馬県に住んでいました。当時、僕は住んでいるアパートにテレビを持たず、新聞も取っていなくて、翌13日のお盆中に会社出勤した折の、職場で取っていた朝刊で知ったのだと思います。お盆だというのに仕事で、会社のバンを運転して回っていましたが、ラジオのニュースが一日中、日航機墜落事故の報道ばかりで、徐々に事故の詳細を知って行きました。生存者が見つかったり、犠牲者の中に、どーも人気歌手の坂本九さんが居るようだ、とか大惨事の新たな速報を知って行ったのです。当時、群馬県周辺に居ても、御巣鷹山なんて場所は全く知らず、報道で初めて耳にする地名でした。昼飯夕飯を食べに入った食堂でもテレビを見て、新たな生存者の発見速報に、こんな僕なども含めて、その場に居合わせた客達が思わず喜んだものです。事故の犠牲者の遺族の皆様に対しては不謹慎に聞こえるかも知れなくて申し訳ありませんが、僕個人には、埼玉の奥、群馬を回っていた、あの遠い夏の日を思い出して、何だか懐かしいです。あれから20年、遺族関係の方々は、山のふもとの川でしょうか、灯篭流しを行っていて夜の川瀬に淡い光の灯篭がいくつも流れて、慰霊行事が何だか風情としんみりとした感慨がありました。

 お盆といっても、何もありませんねえ。形だけの年中行事に年々なって行ってるような。それでも今でも各所で、盆踊りなどは行われていますから、そうでもないのでしょうか。まだまだ皆さん、初盆行事など行っているし。霊などという事も、昔よりも今の人達の方が信じているみたいだし。絶え間なく行われている、TVの心霊番組のせいだと思います。昔の大人達の方が常識として、霊などは信じていなかったように思います。昔の大人の方がよく、幽霊なんかが居る訳がない、と口にしていた。僕自身も若い時分まで、霊などは無いと思っていた。逆に幽霊などは居ないという事を信じていた。今の方が、TV番組などや読物の、嘘も含んでいるだろう、沢山の情報を通して、信じているようになっている。昔、子供の頃に、盆踊りの集団について行って、初盆の家で踊りがあると、その初盆の家でお菓子を貰って嬉しかった。今は団地なども多いから、一箇所の広場で皆が集まって大勢で踊るのが主流みたいですが。上記の、飛行機事故ですが、だいぶ前に読んだ漫画、「クライングフリーマン」の中で、主人公の嫁になるヒロインが言っていたセリフ、「夏場に飛行機事故が多いのは、天に帰って行く霊達が、天に昇る折に一緒に命を連れて行こうとするから…」とかいうのがありましたが、悪い事のタイミングよく、何と今夏12日夜に飛行中のJAL系機に異変が起こり、部分的にクラッシュして破片が地上に落ちる、という事故がありました。写真では飛行中のDC10が火花を散らしていました。幸いにも墜落などは起こらず犠牲者も出ていませんが。タービン部の羽が破片となって地上に降り、子供達が軽い怪我をしたとか。JALもまさかちょうど20年目のこんな日に、しかも大惨事の教訓として定めた安全確認の日にこんな事故が起きるなんて、会社の上層部は慌てたでしょうねえ。あれから大変でしょうJALは。今は航空会社もひとまとめの大会社でなく系列に小さく分けているようですが。上記の「クライングフリーマン」の引用は不謹慎だったかも。済みません。

Photo_119  という訳で、唐突に漫画です。が、今回はお盆とか飛行機とは関係なく、昔懐かしいSF漫画「電人アロー」。これは、1964年秋から当時の少年雑誌の王者、光文社の「少年」に連載開始された人気漫画で、サブタイトルに「SFサスペンス漫画」と銘うたれていました。漫画のお話が世にも不思議な現象が起きて、超人サイボーグ電人アローが乗り出して、その不思議な現象が解明され、科学的な説明がされる、という何かお話の持って行き方がミステリっぽくて、ちょっとサスペンス味がある、そんな訳で「SFサスペンス漫画」なのです。科学的説明といっても、超人ヒーローの活躍する子供向け漫画ですから知れたものですけど、当時の小学生達は何かいかにも科学的な雰囲気が良くって、大人気ヒーロー漫画として連載が続いたものです。

Main_photo_01  今回は、実はNHKの科学番組サイエンスゼロを見て、司会進行役の眞鍋かをりが良くって、違う、その回の内容の超電導に昔から興味があったものだから、興味を持ってそれを見て、87年当時にちょっとしたブームになり、その時はよく解らなかった超電導がこの番組見て、ある程度解ったので、今回の僕のブログは超電導の事書いて、漫画の事は電気関係から「電人アロー」にしようと決めていたんです。それが、もう超電導の事書く前に、突然「電人アロー」を書いてしまった。本当は、超電導よりもTVで眞鍋かをりさんが見たくって、わざわざ教育的な番組を見たんです。良いなあ、眞鍋かをりさん、好きです。よく、「眞鍋かをりのここだけの話」という彼女のブログも読んでます。元祖ブログの女王。横浜国大卒のグラビアアイドルから今はタレント。たっぱもあってプロポも良くって、色白の顔も好きです。しばらく僕はディスクトップの背景壁紙に眞鍋かをりさんのグラビアを使っていました。その後、モーニング娘の高橋愛にしたがこれは俺にはちょっとなあ~、とすぐに止めて、今はAV女優の宝月ひかるさんですが。最初は僕の大好きなAV女優の早坂ひとみさんでしたが。僕は美人の早坂さんの顔立ちが好きなんですねえ。一時期、、大人気、蒼井そら、及川奈央にしていたこともある。でもやっぱー、早坂ひとみさんの顔立ちが良いねえ~、小柄だが。


 あ、いけない、超電導どころか漫画の「電人アロー」の話も何処かへ飛んでしまい、AV女優の話になりつつある。僕はあんまし風景とかを、美しいとか雄大だなあーとか感動するタイプではないので、つい壁紙は美人とかになります。AV関係の人ばかりではなくて、本庄まなみさんだとか普通の女優さんにしてた時もあるし、一時は「よたろうくん」や劇画版「0011ナポレオンソロ」等の漫画の主人公にしてもいましたけど。でも、今の巫女さん姿の宝月ひかるさんは可愛くて良いけれども、見せるSEXを売り物にするAV女優とかが神聖な日本神道の巫女さん姿などをするのは、不謹慎なのではないかとは思いもしますが。でもそれを気に入って僕はディスクトップ背景にグラビッテいますけども。何か変、我ながら。

 超電導という技術の実用化はまだまだ遠いという感じですが、新しい超電導素材の発見で確実に進歩はしています。絶対零度の-273度の世界で、-250度以上でしか働かなかった技術が、常温超電導は夢の世界ですけれど、-200度近くの世界まで、-200度の線を切ったのか、そんなところまで上がって来ている。僕がこの超電導の事を知ったのは、87年くらいの時で、ちょっとした超電導ブームになり、週刊現代などの雑誌の特集記事を読んで、当時よく解らないけれども解ったような気分になっていました。何だか最先端科学の夢の技術のようで。それがここに来てまた半歩くらい夢の常温超電導に近づいた。僕はこの間のNHK番組、サイエンスゼロをしっかりと見たものです。司会進行の眞鍋さんの姿形ともども。で、見てすぐのその時は理解したつもりでいて、近いうちにこの僕のブログで詳しく書こうと思っていましたが、やはりTV見て得た知識ですねえ、もう忘れています、細かいところは。もうよく覚えていない。もう一度、何か超電導について説明したものでもざっと読めばすぐに理解できると思うのですけど…。液体窒素、セラミック素材、とかの言葉が出て来て、電子がすんなりどんどん通り抜けて行って、強力な永久磁石や永久運転の強力モーター等の実用化などの期待が掛かる、超技術なのです。って、こんな説明では何の事やら解りませんね。どうも済みませんです。87年当時の小説現代かオール読物かの中間小説誌で村上龍さんが、確か「超電導ブラン」とかいう題名の作品を載せていましたが、当時読みたいと思って読まないままです。村上龍さんのものはSF的な舞台背景の作品が多いので、これもそうだったんだろうなあ、とは思いますが。タイトル、「超電導ブラン」じゃなかったかなあ。当時の僕は、何もしていなかったけれど、漠然とSF作家になりたいなあー、とかなれたらいいなあー、とかと自分のアタマの悪さを棚上げして思っていましたから、こんな新しい科学技術に興味が行ったんでしょうね。はい。しかし、眞鍋かおりさんはイイですね。

 

Denjinaro1set1  という訳で再び漫画です。「電人アロー」です。当時の少年雑誌の王者「少年」の、「鉄人28号」「鉄腕アトム」に続く、新たな看板漫画として登場した等身大の大人の超人ヒーローのサイボーグマン、電人アロー。やがて王座を「週刊少年マガジン」にあけわたす王者末期の「少年」誌上の期待カードでしたが、それなりの人気を当時の子供達に博しました。「電人アロー」は当初TVアニメ化する予定で、田辺製薬の栄養剤アスパラとタイアップされたヒーローだったんですが、だから乗り物の小型ロケット、アロー号の形も、アロー自身の胸のマークも、アローを呼ぶ信号銃の放つ光も、みんな田辺製薬のアスパラのシンボルマークでした。だがとうとうTV放送は実現せず、田辺製薬は降りました。しかし少年誌上の「電人アロー」の人気はあったので、マーク等を変えて連載はそれ以降も長く続きました。「電人アロー」のコミックは朝日ソノラマのサンコミックスで確か全五巻くらいで一度出て、古書界ではしばらく高値だったのですが、99年頃その朝日ソノラマがまとめて愛蔵版三冊を復刻出版したので取り引き値は落ちたでしょうね。だいたい懐かし漫画の古書値は新たな復刻版が出ると、落ちます。値が下がる。漫画古書というものは、時代時代で値は流動的なものですね。僕が子供時代の漫画本は十年前十五年前よりも下がっている。今の高値は僕らよりももっと後の世代が子供の頃熱狂した漫画ですね。無論、手塚治虫の昭和20年代ものだとか藤子不二雄や水木しげるのデビュー当時のものなど、超大家レアものは不動のびっくりお宝値でしょうが。

A0015616_15311543  「電人アロー」TV放送化が計画だけされた1964年の実際TV放送されていたアニメは、無論全部モノクロ放映ですが、63年から引き続く「鉄腕アトム」に「鉄人28号」、「エイトマン」。それから「狼少年ケン」。新しいところで「少年忍者風のフジ丸」、「ゼロ戦はやと」、「ビッグX」の計7本でした。当時のアニメTV放送とはものすごくお金の掛かる事業だったので、計画倒れの漫画作品は数多かったものですね。「少年忍者風のフジ丸」は、スポンサー藤沢製薬とのタイアップで、名前が「フジ丸」にされたものです。もともとの漫画の原作は白土三平さんの代表作のひとつ、「忍者旋風」からで、「少年忍者風のフジ丸」のストーリーは「忍者旋風」のお話そのものです。貸本劇画だった「忍者旋風」の方は後に白土三平自身が当時の週刊少年マガジン用に、「風の石丸」としてリメイクで描いています。「風のフジ丸」の漫画の方は久松文雄さんの作画で、当時の講談社の月刊誌「ぼくら」に別冊付録で連載されました。どうじゃ、ワシは、昔の漫画の事はよーく知っておるじゃろうっ。全く、ドーデモイイ記憶はずーっとある。我ながらよく知っている、ホント感心します。


 ちなみに少年誌の王座ですが、月刊誌「少年」の廃刊が68年ですが、その時は既に「少年マガジン」がトップの売れ行きで、調度この年くらいに100万部突破したのではないか、と思われます。戦後の少年誌で、少年漫画が主流になって来たのがだいたい昭和28年頃からでしょうが、1950年代後半から62年頃までは少年誌の王者は、「赤胴鈴之介」「まぼろし探偵」「ビリーパック」等を配した少年画報社の月刊誌「少年画報」でした。それから「鉄人28号」「鉄腕アトム」「ストップ兄ちゃん」「サスケ」「電人アロー」等を大人気掲載していた「少年」に王座を渡して、やがて月間少年漫画誌の時代は終焉します。まあ、勿論、月刊誌はその後も、週刊誌の別冊形で引き続きありますけど。今も短冊形で月刊誌はいっぱいありますけどね。あの、今でゆうペーパークラフトみたいな紙製組み立て付録と、何冊ものB6判別冊付録の挟んである月刊誌の終焉が、60年代の後半に始まって70年頃に終わったような感じかな。

 

 ああー、それにしても昔の事、思い返し書き込むのは楽しいなあー。でも戦後だとか50年代だとかはよくは知りませんよ。脳細胞のあらかたを漫画の記憶が占めているワシの脳味噌でも。なーんか、今考えるに、昔から理科系の知識がいっぱい入った脳味噌になりたかったなあー、憧れてました。憧れただけで済んでしまっているが。今さらながら、少年時代青年時代、勉強しなかった事が悔やまれるが、実際成績はずーっと悪かったしなあ。実際、小学校の時、アタマの良い子は、帰り掛けの5分くらいで宿題終えてたもんなあ。違うよなあ、初めから出来は。でも諦めてはいけない。皆さん、自分の良いところを捜しましょう、そして伸ばしましょう。
 あ、忘れてましたが、漫画「電人アロー」の作者は、一峰大ニさんでした。

 

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