2018年6月23日(土) 6:00pm サントリー
クララ・シューマン/ユリウス・オット・グリム編 行進曲変ホ長調 7
シューマン 交響曲ト短調 ツヴィッカウ WoO.29 10-8
Int
ブラームス ピアノ協奏曲第1番ニ短調Op.15 22-14-12
ピアノ、マルカンドレ・アムラン
(encore)
シューベルト:4つの即興曲 Op.142-2 D935 6
秋山和慶 指揮 東京交響楽団
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クララ、ロベルト、ヨハネス、3本立て。
プログラム・ビルディング、内容ともに充実したもので、ソリストの冴え技ともども、ワン・ナイト・コンサートを満喫。
クララの作品は堂々たるもので、型のための型的な頭でっかちなところがあって古色蒼然たるものに聴こえるが、普段聴くことのないものだけにフレッシュな肌触りありました。この日の演奏会の枕詞にふさわしい重みも感じさせてくれた。皮切りにはもってこいの物でしたね。演奏も力感に満ちていて、プレイヤーたちのやる気度満タンで申し分ない。
ロベルトのツヴィッカウも演奏会では珍しい。とはいうものの昨年2017年に聴きました。
2290- モツコン17、真由子フェッター、ツヴィッカウ、春、石川、神戸市室内合奏団、2017.3.11
今日の演奏はそのときと違いフルオケ編成の大規模なもの。力強さがデフォでズンズンと響いてくる。強烈な演奏。
全曲完成させなかったというのはなんとももったいないが、気持ちのリセット方法は彫琢を重ねること、別の作品の創作に向かうこと、など色々と思いはあったのだろう。
巨大な音が揺れ動きながら進行する様はまさにシンフォニックで大迫力、1曲目のクララ作品の演奏と同様、充実した東響にも大拍手。クラクラするようなパースペクティヴ感が圧巻。
フォルムと拍子の問題でもあったのだろうか、次に続く楽章が欲しかったですね。4番まで知っている後世我々の贅沢な希望と言えるけれども。
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ブラームスを後半に置いてメインプロとする。ソリストしだいなんだろう。
ウルトラシンフォニーのような第1番のコンチェルト。ソリストはギシギシと立ち向かうか、どこ吹く風のピアノとするか、はたまた。
本格的な重量感に満ち溢れたベースをはじめとする弦の鋭い音響の作り出す迫力ある音場。このはちきれんばかりの切り込みに、何故か縁をぼかしたようなブラスとウィンド。2種類の音響が同時に鳴るこの趣向、偶然なのかはたまた作為なのか、神のみぞ知る。まぁ、いずれにしてもオケによる提示部、申し分ないシンフォニック攻撃に舌鼓。
アムランのピアノは神秘的、ミステリアスな響きで進行。第1楽章はオーケストラパートのみのところは重厚でスロー、ピアノがはいってくるとややテンポを速める。独奏でのテンポ感はさらにスピードアップする印象で、昨今流行りの演奏スタイルとは逆の傾向が顕著。というよりもこれが彼のスタイルなのだろう。今風でないと古色風なのかというとそんなことはなくて響きとテンポの兼ね合い、これが彼のフィーリング。
オーケストラとピアノが対立軸を作ることは無くて、アムラン、秋山、お互いの敬意が一種音楽を練り上げていたようにも見えた。
アムランの袖は鍵盤に触れそうなぐらい長くて、きっと、袖口から音が腕を伝わり体全体に沁み渡って、硬いような柔らかいような暗くて明るいような、えも言われぬ独特なマジックサウンドが身体全体からホワーと滲み出てくる。
長大な第1楽章は型通りと思えばあっという間に過ぎ去る。中間楽章の静謐な様は、鍵盤に手を自然に落としたその重力の音。ナチュラルな響きというのはこのように醸し出されるものなのか。ため息が出る。
終楽章はもはや、シンフォニックな行進、あまりに本格的なコンチェルトにクララの作品を思い出す隙もない。
オーケストラとピアノの掛け合いは作品の多面性を示してくれた。作品に内在する力を示してくれた力演でした。
おわり