河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2566- プロメテウス、ベートーヴェン1番、3番、フランツ・ウェルザー=メスト、クリーヴランド管、2018.6.2

2018-06-02 23:30:44 | コンサート

2018年6月2日(土) 6:00pm サントリー

プロメテウス・プロジェクト
オール・ベートーヴェン・プログラム

プロメテウスの創造物Op.43 序曲   5

交響曲第1番ハ長調Op.21  9-8-3-6

Int

交響曲第3番変ホ長調Op.55 エロイカ  14-13-5+12

フランツ・ウェルザー=メスト 指揮 クリーヴランド管弦楽団


巨大化して、かつ、機能美に優れた演奏こそ、オーケストラを聴く醍醐味。歴史検証うんぬんくんぬんとかはとりあえず横に置き、純然たるオケピュアな響きを堪能。まさしく本格派、正面突破のシンフォニー攻撃に悶絶の舌鼓。まぁ、オハイオといえばシンシナティ響かもれんが、ビッグファイヴの一角といえばクリーヴランド管、スーパーステイツのオーソリティ集団といえるのだろう、あらためて実感しました。

本拠地、ウィーン、そして今日のサントリー、プロメテウス・プロジェクトと銘打ったベト全プラスの超本格化集中公演。初日その最初の曲はプロメテウスの創造物。皮切りにふさわしいもの。メインプロは1番12型、3番16型規模で、エロイカは見た目、倍に膨らんだ。まぁ、コンパクトという言葉は無い。

弦の潔癖さと内声の充実した響き。そしてセクション毎の音圧バランスがパーフェクトで、カツ、オーケストラ総体としてのバランスが見事にビューティフルなアンサンブル。
極限ポイントまで抑えたブラス。あってもメゾフォルテまで。そしてさらにその上をいく極度に抑えきったティンパニはあってもメゾピアノという、作為と言えば作為といえるかもしれないが、反してナチュラルなフィーリングと思えるのはこのオーケストラだからという先入観もあるからなのかもしれない。昨今の叩きまくりパーカスに慣れてしまった耳にはびっくりの、もの凄い説得力に心も耳のハートもきれいに洗われてしまった。わけてもティンパニはまるで弦楽合奏の片棒を担いでいるのではないかと思えるぐらい見事な溶け込みプレイで、全体のアンサンブル力をさらに高めていた。ティンパニの息づかいを感じる。ことほど左様に優れたアンサンブルというのは、あの指揮者のDNAが脈々と息づいているからなのだろうと。そして今、メストとの積み重ね16年の凄味を思わずにはいられない。


第1番がプログラムされた演奏会は、サイクルもの以外では最近、記憶にない。今回もサイクルもの、久しぶりに聴く生の1番。
全体の音圧バランスの見事さとともに造形のバランスが極めて良く、優れた構築物のようだ。音は過ぎていくものだけれども、上から俯瞰してみると全ての音が敷き詰められて作られていたのを見ることが出来る。
入念な両端ソナタ楽章は序奏から既に魅惑的な味わいがいっぱい詰まっている。リピートされた提示部はもはや解放されたような響き具合だ。メストはオケに同化、フル編成のアンサンブル精度は高く、揃う快感がある。ベートーヴェンの型がバッチリきまっていますね。
惚れ惚れする序奏のあとリピート有りの提示部の切れの良さ。スパッとあっている。この序奏、提示部という見事な流れを聴いているうちに、エロイカの提示部は繰り返しなしだろうな、とふと思った。いつもの感である。
いろんなことを感じた1番でした。造形感が耳に焼き付いた演奏でしたね。

後半のエロイカ。この演奏のみ天皇皇后両陛下臨席。
かなり長い拍手が続いた中、オーケストラ全員の直立不動、微動だにしない起立姿勢が、妙な話かもしれないが、圧巻。もはや、始まる前から、彼らの驚異的なアンサンブルを聴く思いになった。クリーヴランド・オーケストラ。
一旦落ち着きが訪れそして、登場するメスト。両陛下にご挨拶。もう、この後半からでいいから、昔の演奏会の頭によくやられた来日公演での両国国歌斉唱奏。これやってほしいなあ、と、何故か昔の、古き良き時代を思い出す。聴衆全員がごそごそと起立、君が代、来日国国歌、あのシーケンス、ね。

ということで、エロイカの頭2つは3拍子振り、それ以降は概ね1拍子振り、型を作るパッセージでは強く3拍子の拍をとるといった具合で、エロイカが息づいている。
提示部リピートなくしてスッと展開部へ入る。パープルな平原が広がる。
再現部への品のあるホルンのあと、ウィンドが徐々にめくれるように盛り上がってコーダへ。なんだか、全部、順番に思い出してしまう。16型の巨大オケがうなりをたてながら、きっちりと合いながら、大きく流れて渦を作っていくエロイカ第1楽章、素晴らしい。
葬送は分厚くて透明、ブルーな色彩感。思わせぶり皆無でひきずらないアウフタクト、この楽章でも潔癖なアンサンブルと造形。型のきまり具合の良さはこうゆうところからくるんだろうなとうなる。マーチなんだなと。
中間部以降の張りつめたテンポ、明晰なベースの刻み、しなる高弦。歌うウィンド。ひそやかなティンパニ。

スケルツォの刻みの揃い具合、突進も正確でなければならない。聴きどころのトリオのホルン、この流れ具合、まるで7番の1楽章でも聴いているかのようだ。斜め向きの刻みの躍動感が、音楽が前進する姿を感じさせてくれる。

終楽章はベートーヴェンお得意の変奏曲。変奏曲よ、終わらないで、という感じ。歌う流れ。
プロメテウスから始まった演奏会は、このプロメテウスで佳境に達した。
一旦、音楽は静まり再度盛り上がりを魅せ、弦とウィンドの入念な掛け合いで緊張感を高め、一気にコーダへ突入。これだけきっちりとあっているからこそ、ここ、良く鳴るんだろうな、の実感。ほんと、鳴りの良いコーダ。至芸のアンサンブルの為せる技。放心状態の前倒しのように、少し息を抜き節度と品をもって終えるエロイカ。ベートーヴェンの呼吸。

ベートーヴェンの型が生き生きと蘇った1番3番。メスト、クリーヴランド、いい演奏でした。ありがとうございました。
おわり

PS
前回、2010年公演より

1116- フランツ・ウェルザー=メスト クリーヴランド管弦楽団 めくれるような美しさのブルックナー7番2010.11.17