河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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2551- フィデリオ、ウール、ザイフェルト、チョン・ミョンフン、東フィル、東京オペラシンガーズ 2018.5.8

2018-05-08 23:41:48 | オペラ

2018年5月8日(火) 7:00-9:45pm サントリーホール

お話し(フィデリオ粗筋含め)、篠井英介   5

ベートーヴェン フィデリオ (演奏会形式)  15-57-44

Characters in order of vocal appearance
1.ヤキーノ、大槻孝志(T)
2.マルツェリーナ、シルヴィア・シュヴァルツ(S)
3.ロッコ、フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ(Bs)
4.レオノーレ、マヌエラ・ウール(S)
5.ドン・ピツァロ、ルカ・ピサローニ(Bs)
6.囚人1、馬場崇(T)
7.囚人2、高田智士(Bs)

8.フロレスタン、ペーター・ザイフェルト(T)
9.ドン・フェルナンド、小森輝彦(Br)

合唱、東京オペラシンガーズ
チョン・ミョンフン 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


Duration
お話し 5
レオノーレ序曲第3番 15
第1幕 57
Int
第2幕 44

オペラ劇というよりもベートーヴェンの熱い信念がストレートに伝わってくる作品、それをものの見事に正面突破したチョン・ミョンフンの力感あふれる圧倒的ベートーヴェン圧力、作曲家の意思が乗り移った様な強烈なヒート演奏でした。

冒頭、通常のフィデリオ序曲の代わりにレオノーレ3番序曲を置き重苦しく押しつぶされるようなモードから開始し、最後の解放、歓喜、序曲が全てを言うベートーヴェン。オリジナルな形での演奏となり、フィデリオ序曲は消えたけれども、劇性は増しよりドラマチックな結びつきは、序曲での緊迫感が第2幕1場のザイフェルトによる地の底から光が放射するがのごとく細く鮮明なフロレスタンの嘆きにつながり、それらは続く2場で一気に解き放たれてぶ厚いヘヴィー級サウンドが爆発したところで終わりとなる。圧倒的なベートーヴェンの力でした。全開総合力、出し切ったチョンの棒さばき、お見事。
彼のスタイルだと第2幕1場済んだところでのレオノーレ3番は考えられないのだろうね。インタールードのような曲でもないしね。今日のパフォームは自ら課した重しを自ら取り払ったようなゴク重の本格的なもので成功配置。始まる前に篠井さんによるストーリー展開含めたトークが5分ほど。さすがにツボどころをおさえた話節。話し終えたところから、あらためてコーラス、オーケストラが入場、この一服感はチョン・ベートーヴェンへの切り替えとしては結果的ではあるがよかったと思える。
このトーク中に、最前列席左から数席目の男客が、あろうことか、プログラムでステージを叩きながら、早く始めろ、と、無知蒙昧な無知の徒による妨害怒号。エンタメ極意を知り尽くしている百戦錬磨の篠井氏がうまく切り返し、ショー・マスト・ゴー・オンは事なきをえた。件の無知男は某大学教授で音楽評論を側面で生業としている人間で、彼にしてみればフィデリオ事件の完成なのかもしれない。ベートーヴェンは棺桶の中で間違いなくロールオウヴァーしながら入場禁止を呟いたことだろう。
これまでもたびたびトラブルメーカーになっている人間で、エンタメにおけるマリグナント・チューマーの存在は絶えることがない。
始まる前から水を差された格好になったが最終的にはベートーヴェンの圧力がまさった。
オペラが始まる前だったので強制退場はルールを作れば可能ですね。


当公演は東フィル定期5/6,5/8,5/10の3公演のうちの中日。豪華キャストによる演奏会形式のフィデリオ。
歌い手のポジションは指揮台からしもてまでの最前方、かみては最前方から弦で埋め尽くされている。しもて歌手ポジションの一つ奥から弦、トロンボーン、ホルンがさらに奥にセッティング。トランペットとベースはかみて。ほかは概ね通常位置。女声合唱とフロレスタン、ドン・フェルナンドは2幕のみの出番。コーラスは、1幕は男声合唱のみなんだが、もう、すでにこの辺からかなりな圧力で、2幕で女声コーラスが加わったところでオーケストラを凌ぐ様な力感を魅せた出色のパワーコーラス。力任せに歌わなくても精度が高ければストレートに音は伝わる。合唱指揮の田中裕子さんと総合指揮のチョンの周到なオペレーションの成果だ。
セリフはほとんど省いていて緊張感を持続。シンフォニックなたたずまいのなか、独唱、二重唱、三重唱、四重唱、五重唱、とりわけ四重唱は弦四の緊密で濃厚なテイスト、もはや、全て、満喫。言うことなし。


序曲の後の出始めは、やや重のオラトリオ風味、快適さという言葉は浮かばない、シリアスな進行。マルツェリーナの下ラインを歌うレオノーレの抑えたソプラノが、容姿に加えてほれぼれするウール。素敵ですな。正体明かした後の全開もいいです、が、ここもいいものですな。
1幕は色々と状況を出してくるところで、メインテーマとは直接関係しないところでも、チョンの棒で比較的重く、しっとりとしている。相反するものではなくて重心の低いウエットな展開は、明るいはずの舞台が、なにやらダークブルーにしずんだような色あいとなる。音の色彩感が素晴らしく印象的。チョンが示すベートーヴェンの心象風景なのかもしれない。ひとつずつの音に味わいがあり、殊の外静かなストリングの息づかいは、何一つ聴きのがせないもので、後戻りのできない音とシーンを感じさせてくれる。よく噛み味わい尽くす。

2幕はザイフェルトの一点光源型テノールからの開始。パヴァロッティと得意分野は異なれど、その細さ、ホール全体への突き刺すような浸透感、似たものがある。ザイフェルトの行書体に自在に伴奏をつけるチョンの棒はマジカル。譜面不要の神髄棒、オペラの極意棒にあらためて驚嘆。彼らの絡み合いは絶妙で何も言わずともオペラを知り尽くしている大人の音楽表現だった。
レオノーレ3番序曲の重みが、ここのザイフェルトの一声でさらなる厚みとなり一気の盛り上がり、マグマ噴出、圧倒的なパワーが全員に感染。ウールのドラマチックな歌にもますます磨きがかかり、ガチンコパワーの大迫力。
ウールには一昨年2016年初台ローエングリンのエルザで出会い。今日も美しかった。ザイフェルトは30年前1988年に色々と観た。ほかにも観ている年がるかもしれないが今は不明。このお二方によるソロ、重唱、この年月の間隔は一体どこに飛んで行ってしまったのか(笑)。

2場は、勝利が見えてからが割と長い。ワーグナーを思い出してしまう部分もあるが、順序が逆。ワーグナーが下敷きにしたようなところも垣間見える思いを感じながら、ハイテンションで最後まで貫き通すベートーヴェンの意思の音楽が、やっぱり、凄い。
レオノーレ3番序曲を冒頭に据え、終始、厚いサウンドで進めてきたチョンの解釈がここの2場でパーフェクトに完成結実。なるほどなるほどとうなるばかりなり。破天荒な勢いでクライマックスとなった。
おわり


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