河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2313- 忘れられた捧げもの、聖セバスティアン、青ひげ、カンブルラン、読響、2017.4.15

2017-04-15 23:46:53 | コンサート

2017年4月15日(土) 6:00pm 東京芸術劇場

メシアン 忘れられた捧げもの  12′

ドビュッシー 聖セバスティアンの殉教、交響的断章 (ファンファーレ付き)
       F2′4′7′5′6′

Int

バルトーク 青ひげ公のお城 (コンサートスタイル) P15′5-4-3-4-7-13-6′F3′
  青ひげ、バリント・ザボ(Bs)
  ユディット、イリス・フェルミリオン(Ms)

シルヴァン・カンブルラン 指揮 読売日本交響楽団


これまで何度か観聴きした全体像が頭の中をうっすらとよぎる中、
ドア、扉ですが、どのように並んでいるのかしら。
扉を開けると光とシチュエーションが現れ、その光の先に次の扉がある。先々に扉が次々とひとつずつ現れる。演奏会形式だとこのイメージが浮かぶ。セミステージ方式でもだいたいひとつの扉シーンを順に出すので同じようなもの。
かたや、お城の大きな部屋の壁側に7つの扉が並んでいる。それを順番に開けていく。劇場のオペラなら出来る。それで、開けた扉を開放にしておけば順番に光が混ざる。開けた扉を閉めてから次の扉を開けば光は混ざらない。

それから、扉5広大な領土、扉6涙の湖、これらは前者だと実現できそうもない。後者だと舞台で実現出来そう。

この日の青ひげはコンサートスタイルで、これまでの自分感覚で言うと前者のイメージなものなのですが、聴き進むうちに何故か後者のような感覚がフツフツと浮かび上がってきました。それも過ぎた扉は開放状態、だからバラージュさんが言っている指定光は混ざっていく、この感触。重なっていくのではなく混ざる。スクリャービンのような音と光の関係といったものとはちょっと違う、ちょっとは思い浮かびましたけれどもちょっと違う。まぁ、バルトークに色彩を感じた。

扉ひとつ毎の音楽内容がカンブルランの鮮やかな棒でずっと保持されている。先の扉のモチーフを今の扉音楽で含みをうまく強調、聴こえるようにするバランス配慮、さき出し感覚。現音オーソリティの指揮者では割と感じる感覚。音は流れて過ぎ去るだけなのに、こういったことで時系列の中につながりをしっかりと感じさせてくれる。扉は並んでいるが並列的に単独でポツポツとあるのではなくて全部関係している。扉のある広間はひとつ。そういったことを強く感じさせる演奏内容。

プロローグは結構長くてウエイト高い。ここで深淵を覗き込みたくなる。怖いもの見たさにさせてくれるカンブルラン棒。最初はやや慎重、そして適度にこなれていく。緊張感のあるオーケストラの響きとバランスの良さ。
青ひげの歌は点、ユディトは線。青ひげオーソリティの譜面不要のザボの声は自席からはよく聴こえる。黒光りするバスで深さよりも芯の強さを感じさせる。包み込むバスではなく鋭角なヒール系風味。高身長でスレンダーなメッゾ、フェルミリオンの美声がすーっと通る。このお二方、劇のキャラクターを感じさせる。いい配役。前半プロにあったハープが3台から2台へ、ホルンは6から4へ、色々と減ってはいるが、声の場でもあまり抑えないバルトークのオケ節。

開けたら扉4までは短くすっと来る。音楽はスローさが不思議と漂う。なぜかしら。
次の広大な領地で音楽は全開。このホールのオルガンレベルに配したバンダが光り輝くプレイで領地の広さを大いに感じさせてくれる。効果抜群のシーンでしたね。読響がいつになくベースが一段上に持ち上げられたようなサウンド構成となる。三角錐ではなくドラム缶のような横幅同じ幅となった響き。音の饗宴に浸る。凝固気味のバルトークもここはやにっこくも全開。テンポ堅持のカンブルラン棒は杭の様にしっかりとしていますね。

最後の2扉は場面転換と言いますかインタールードと言いますか、そういった音楽の流れに比較的ウエイトを置いている。余韻が続いているともいえるが、扉5までの血の事が再帰するのでこうなるが、まとめは無い。殊更ドラマチックな盛り上がりでもない。このシーン、再帰の関連付けは先に書いたようにカンブルランはお見事。

扉7最終、4人目の真夜中のユディットはやっぱりお化けだったのかもしれない。
ごく短い深淵の中、音楽はそろりと終わる。

カンブルランのブレの無い棒、緻密な音楽運びと周到な響きのバランス、動きのないオペラ作品のストーリーをうまく語ってくれた秀逸な演奏であった。スバラシイ。

前半1曲目、若い作品で中間部の騒ぎなど違和感ありまくりなんだが、若さゆえ。
カンブルランのまとめ上げはたいしたものでスタイルとしては彼方の閃光と同じ意思で立ち向かっている。魅惑的な曲に仕立て上げてくれた。やっぱり、音色バランスがお見事。

2曲目のドビュッシー。ファンファーレ付き。総じてウィンドの活躍がめざましい。ウィンドのアンサンブルハーモニーをじっくりと聴かせてくれる。いい音楽。
大昔、初めて聴いたのがモントゥー、ロンドン響のLP。白っぽいイエロージャケと記憶。動きのある演奏だったような記憶。
カンブルランの演奏はそれとは随分と違うが、時代の要請のようには聴こえない。彼の場合、断片を聴いてしまうとどうしても全部聴きたくなる。作品の魅力を引き出してくれます。作品が大きく見えました。

濃い3曲、思う存分楽しめました。
ありがとうございました。
おわり




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