来日中のドレスデン歌劇場公演を観ました。
昨日のマーラーの6番からあまり時間がたってませんが、聴けるときにみんな聴いておきましょう。
今日はタンホイザーですが、タンホイザーはつい最近、新国立歌劇場で観たばかりだ。
その感想はここ。
447- 贖罪のタンホイザー 2007.10.21オペラパレス
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それはそれとしてドレスデンのタンホイザーは、このように行われました。
2007年11月17日(土)
3:00~7:20pm
東京文化会館
ワーグナー/タンホイザー
ヘルマン/ハンス=ペーター・ケーニヒ
タンホイザー/ロバート・ギャンビル
ヴォルフラム/アラン・タイトス
ヴァルター/マルティン・ホムリッヒ
ビテロルフ/ゲオルグ・ツェッペンフェルト
ハインリッヒ/トム・マーティンセン
ラインマール/ミヒャエル・エーダー
エリーザベト/カミッラ・ニールンド
ヴェーヌス/エヴリン/ヘルリツィウス
羊飼いの少年/クリスティアーネ・ホスフェルト
指揮 準・メルクル
演出 ペーター・コンヴィチュニー
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ドレスデン歌劇場は26年ぶりの来日ということだが、なんだか頻繁に聴いているような気がする。歌劇場管弦楽団としての来日があるからだろう。
まず、タンホイザーの長い音楽が奏された。
第一声がでるまで約25分。
ドレスデンのオーケストラの質は非常に高いものであることをあらためて認識。
芯のある楽器音。
決して垂れさがらない。
つややかな弦。
節度あるブラス。
そして全体の響きの美しさ。
アンサンブルの妙。
なにもかも日本のオーケストラにはないハイレベルな音楽。あらためて恐れ入った。
特に均質で芯のある質感のある楽器の音には脱帽。
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さて、タンホイザーである。
終幕の最終局面で、ペーター・コンヴィチュニーは、舞台左斜め上から、笑うに笑えない大型の花一輪。
そして、奇抜な迷キャップのヴェーヌスが、死んでしまったエリーザベトとタンホイザーを抱きかかえながら、幕が下りる。。。。。
。。。。ンンン。なんとも言えない。
素晴らしいのか、大ブーイングすればいいのか、不幸なことに我々はその基準を持ち合わせていない。
そうであれば、ブラボーしかないのだろう。
エリーザベトは実は、左腕を剣で切り、自害をする。
そしてヴォルフラムの夕星の腕の中で息絶える。
そこにタンホイザーがローマから帰る。
ヴォルフラムは着ているものでエリーザベトを隠しそのまま劇は続行。。
そしてタンホイザーは、タンホイザーという人はこの局面では非常に生煮えの状態だと思うのだが、やはりそのまま息絶える。
息絶える前に一升瓶ではなくワインボトルを持って酔っぱらって出てきたヴェーヌスに結局二人とも抱きかかえられるのである。
これはどう解釈すればよいのだろうか。
結局、ヴェーヌスが一番で彼女に勝てるものはいないということを示しているのだろうか。
最近は意味不明な過剰演出が多いので慣らされているとはいえ、意味を考えるのも一苦労。
ブルックナーの第5番の演奏が特に素晴らしかった指揮者フランツ・コンヴィチュニーの息子のペーター・コンヴィチュウニーのプロダクションによるどちらかというと笑えたりする過剰演出のタンホイザーの始まり始まり。
1997年のニュー・プロダクションということだからこの10年でだいぶ陳腐化してしまい今ならもっと過激かもしれないが、我々としては今のこのプロダクションを大いに楽しみたい。
第1幕終場で、子供の遊び、なんとかごっこのように消え入る大の大人たちには笑える。
第2幕の行進の場では行進する人はだれ一人あらわれない。
第3幕のローマからの帰りの人たちは、腕を前に出し、全員全力疾走ではいってくる。
ローマに行ってお許しをもらえたからみんな元気なのか。かなり笑えた。
これ以外にもたくさんの読み替え(読み違い?)があり、演出過剰の昨今の状況はさらに混とんとしていてメチャクチャおもしろい。
それと、演出とは関係ないと思うのだが、ドレスデン歌劇場の公演ですが、このタンホイザーではドレスデン版ではなく、パリ版で演奏。
長い分だけ演出と関係あるかもしれないと勘ぐりたくもなる。
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第2幕の歌合戦で思わず、真実の愛は官能の中にある、と、口が滑ってしまい、ヴェーヌスベルクでその官能の虜になっていたことをしゃべってしまったタンホイザーに対し、周囲の者たちはこの不埒な男を殺そうとするが、そこでタンホイザーを愛するエリーザベトは言う。あなたがたに彼を殺す権利はない。何の権利で殺そうとするのか。そして、殺すな、生かせ。と。
一番つらいのは、あたしエリーザベトなのよ。
愛するタンホイザーはヴェーヌスの官能の世界に浸っていた。でも殺すな。生かして。
なんという究極の決断。生きて贖罪しなければならない。
しかし、生きていれば、もういちどヴェーヌスブルクの世界の虜になってしまうかもしれない。
ローマ行きで許されるのが予定調和的ストーリーなのだろうが、ワーグナーは違う。
ローマで許されなかったタンホイザーはその時点で生き死に状態で戻ってくる。
こんなことだらけだと人間くさってしまい、またあの官能の世界に戻りたい、と愚痴の一つもこぼしたくなるのが普通の人間だろう。
そうだ、普通の人間なんだ。
このストーリーは反面教師でも何でもなくて、日常性あふれる弱いタンホイザーが、揺れ動き溺れていくストーリーであり、「そのまま教師」といったストーリーなのだ。
みんな思い当たる節がありますよね。
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歌は、一番良かったのが強靭な合唱。
芯があり、張りがあり、のびがある。
耳の覚めるような言うこと無しの素晴らしい合唱。
技術の伝統が継承されている。
歌い手では、女性2名、ヴェーヌスのエヴリン・ヘルリツィウスが喝さいを浴びていたほか、エリーザベトのカミッラ・ニールンドの胸や声にやられた。
男声陣もおしなべてよく、ヴォルフラムのアラン・タイトスには冷めた拍手であったが、安定感があり良い歌だ。オラフ・ベーアの代役だからということであまり評判にならないだけなのかもしれない。もったいない話だ。
タンホイザーのギャンビルはもっと汗臭くて脂ぎっているほうが人間節タンホイザーの感じがでると思うが、最初、ちょっとさめてましたね。だんだんと熱くなり最後は人間タンホイザーになりきってました。
準・メルクルの指揮はあまり激しいものではない。いたって普通であり、もっとせめて欲しいところもあるが、今はあまり求めないでおこう。
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あしたは、ローゼンカヴァリエだなぁ。