今は全方位でポーディアムの指揮者の棒の振りっぷりを見ることができるわけだが、この人の棒にはひらめきがないと感じる棒振りがなんと多いことか。
ひらめきというのはオーケストラのプレイヤーに対する意志の空気伝播力である。
この指揮者の指揮姿をみても何にも感じないのである。
本人にひらめきがなければ演奏するプレイヤーにひらめきが湧き立つはずもない。
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ところで、指揮者の人材不足はこれまた明白だ。
今来日中のパリ管弦楽団、それにアメリカのフィラデルフィア管弦楽団の両方の音楽監督をしている指揮者なんて、ほんと、ひらめきナッシングの典型的な棒振りではないのか。
晩年、フクロウのような棒になった静止状態のフリッツ・ライナーの方が100も200も雄弁で饒舌だ。背中に背負っている知識と経験がまるで違う。
パリ管、フィラデルフィア、ともにへたな指揮者なんて別にいなくてもベラボーな演奏を行うだろうことは自明なわけだから、逆に指揮者の才能不足を示してしまっているのかもしれない。あの棒はないぜ。
だいたいにおいて、そもそも、なぜ、そんな指揮者が、そんな指揮者でなくても、超ベラボーなオーケストラを二股しているわけ?
指揮者人材が決定的に枯渇状態?
そうかもしれない。マジな指揮者がいない。
あの棒じゃフィラデルフィアが起きていても名演なんて無理だぜ。
パリ管を振る姿なんて見てられない。
何をどうコントロールして、なにを主張したいのかまるでわからない。
プレイヤーの方もわからないのではないのか。
とりあえず、食うためにはラッパを吹かなければならない。
もったいない話だが、とってつけたようなあぶなかしい棒なのであり、スコアの裏は到底読み取れない。ひどいもんだ。
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それで、両方とも解任するとして、誰がいいかな。かわりは。。
パリ管はしばらく音楽監督不在でいいのではないか。
客演でしのげばいい。
あの棒でやれたんだ。
怖いものはない。
それに今は香り立つような音楽を醸し出せるような音楽家は全くいなくなった。
誰も思い浮かばない。
フィラデルフィアはどうだろうか。
そもそもサヴァリッシュのあたりから変になり始めたのであり、矯正した方がいい。
BBCからノセダが移るっていうのはどうかな。
あのアメリカのオーケストラはマジな指揮者にはマジに応えるぜ。とっても面白いと思う。
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それにしても、だ。やっぱり指揮者不足だなぁ。
指揮者はたくさんいるのだろうが、100人をコントロールできる力、知識、経験、熱意、意志の伝播力、うち3拍子でいいからそろった人間がいない。
今の若い指揮者はすぐに結果を求めたがるし、だからオペラのたたき上げのような人間は育たない、あんなオケピットで10年も20年もやってられないっていうわけなんだろうさ。
あすこのピットに入れば、音楽は全部経験になり、音漬け状態になじみ、いざステージのポーディアムにたった日には全てを自分のものに出来るのに。
聴衆はバカではないの。
指揮者の力なんてお見通しなんだよ。
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指揮者も育っていけばいいいんだ。
ある環境を与えられ、そこで本人が熟成されていき、いつの間にか全てが体にしみこんでいく。そんな環境で聴衆とともに育っていけばいいんだ。
今は忙しすぎて、指揮者は飛んであるかなければならないし、本人もすぐに結果が欲しい世界だし、そう簡単にはいかないだろうが、一時的な努力ではなく、継続的な努力が実を結ぶような環境でなければならない。
ちやほやされる世界だけに勘違いも多いがちょっとこれから書いてみる。
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