河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

486- マーラー交響曲第3番 マーカル チェコ・フィル 2007.11.26

2007-11-29 23:07:00 | 音楽

ドレスデン国立歌劇場のサロメの公演とぶつかってしまったが、やはりなんといっても今が旬のマーカル、この前のスメタナのわが祖国に続き、この日のマーラーの3番は聴き逃せない。

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20071126()7:00pm

サントリーホール

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マーラー/交響曲第3

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メゾ、ダグマル・ペッコヴァ

ガーデンプレイスクワイア

東京少年少女合唱隊

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ズデネック・マーカル指揮

チェコ・フィル

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1時間40分の演奏であった。

最後の局面でブラスが長い長い最終音を響かせながら、天上に消え入る音の見事さは、以前聴いたズービン・メータ/イスラエル・フィルの素晴らしさにはややかなわなかったものの、この曲の持つ本来的な明るさを最後まで聴かせてくれた。

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マーカルの棒は、この巨大曲に気張ることもなく、むしろ肩の力を抜き日常的な曲としてとらえていたようだ。

ギラギラとした硬さもなければ、無理な吹奏もない。

チェコ・フィルの日常をみているようで納得してしまった。

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この曲の第1楽章は40分近くかかるが、あまりにも形式が明白、明確であるため、そのことは頭の横に置きひたすら響きの面白さに集中することができ、あっという間に過ぎ去ってしまうのである。

この日も、チェコ・フィルの日常的でありながら多彩な響きに耳をみはってしまった。

1楽章をこのように聴くことができればあとの1時間など怖いものなしだ。

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チェコ・フィルの響きというのは独特で、先日のバイエルン放送交響楽団のようなマスで攻めてくるような感じとは異なり、一つずつの楽器の音が分解されてでてくるというか、変に混ざり合っておらず、それぞれの楽器が一つの生命体を主張している風でユニークだ。

そのような特質はマーラーの巨大曲でもかわるところはなく、自分たちの音楽を進めていく。

特色は第3楽章でいかされた。マーカルの細部に光をあてていくやりかたが、つまりは丁寧な音楽の作りが、このような第3楽章で効果をあらわす。

音色が色鮮やかに響き、そしてプリズムのように多彩に変化していく。

マーラーに別の光をあてたような新鮮で見事な演奏であった。

ポストホルンのとろけるような音はそれ自体魅力的だし、ブラス、特にトロンボーンの丁寧で端正なハーモニーは捨てがたい。

さらに、第4楽章の柔らかいメゾとそれを導くブラス、ここでもトロンボーンが目立つことなくきれいにバックをつとめる。

この日の第34楽章はマーカルとチェコ・フィルの結びつきの強さを示す見事な演奏になっていた。

1楽章の比較的あっさりとした演奏と同じように、第6楽章の深い祈りの音楽も、最近はやりの妙なテンポのおそさもなく、普通であり、普通が盛り上がり、クライマックスを自然に作っていく。

間延びしたところもなく弛緩することもない。

むしろ、曲の単純さが浮かび上がってくるようなところがあるような演奏でさえある。

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とはいえ、名手揃いのブラス・セクションもさすがに後半は少しばてた。

録音どりのようにはいかない。一発勝負の難しさがある。

しかし、一つ一つの楽器がアンサンブルでハーモニーを鳴り響かせるとき、それはそれで別の場所で花火が散るような、そのようなことがいろいろなところで起こっているようで面白さの方が先にくる。

ホルンのトップはノン・ビブラートで軽やかに音楽を進めていくが、2番、4番はなぜかビブラートをきかせているので、ホルンとしての音色が一様でないところがある。

24番は昔からのチェコ・フィルのメンバーなのかもしれない。

そこに高度な技術のトップがはいってくると音楽は安定するが、特色は失われていってしまうかもしれない。

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チェコ・フィルのメンバーは男性だらけで、今にしてはかなり珍しい。

女性は第1ヴァイオリンに二人、第2ヴァイオリンに一人、オーボエ3番に一人、ホルン8番に一人、ハープ二人、パーカッションにトラと思われる日本人一人。女性はそれだけである。

半分ぐらい女性がしめているオーケストラも最近は珍しくないなかで、いまだに頑張っているチェコ・フィル。

いろいろあったが、チェコ・フィルにはあらためて感心した。いい音だった。

ところで、今日も久しぶりのスペシャルシートで2階センターのこれ以上ないようなシートで聴いたのだが、第5楽章からアタッカでピアニシモの第6楽章にはいったとたんに、前列のおばさんがもがき始めた。

やたら動くのでどうしたのかと危ぶんだら、マスクをしていて必死になって咳をこらえているのだ。

ここの第5楽章までドラマティックな演奏を聴かせてくれて、さて、最後の第6楽章のピアニシモ・クライマックスで咳きこみ始めたのだ。

苦しさは理解できるものの、迷惑この上ない。

たぶん、第45楽章の合唱団の声に生唾を思わず飲み込んだせいなのかも知れない。

だって、この、ガーデンプレイスクワイヤ、って、どこの合唱団?立ち上がりの悪い声。

カタカナだけど日本人だな。ってすぐにわかる。

石橋とは自分たちの喉のことなのかも知れない。たたけば少しずつ歩くことはできる。だんだんと調子はでてくるようではあるが。。

来日団体がマーラーの3番を演奏する時は、いつも、メゾ、合唱団、少年少女合唱、が問題になる。今回メゾは連れてきたようでまろやかな声質は魅惑的でありマーカルの音楽を表現することが出来た。問題の少年少女合唱は今回は比較的よかった。だんだん進化しているのかもしれない。

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