河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

475- 沼尻 マーラー6番 2007.11.16

2007-11-18 23:06:00 | 音楽

やってる方にしてみれば、

なめんじゃねえょ、お前らこの曲知ってんのかよぉ、

とでも言いたくなる超難曲である。

.

今週2回目のコンサートはこれ。

.

20071116()7:00pm

サントリーホール

.

マーラー/交響曲第6

.

沼尻竜典 指揮

日フィル

.

拡大というよりも極度に肥大化巨大化したオーケストラ曲。

管弦楽だけの編成の曲中おそらく一二を争う規模の曲。

基本的には4管編成だと思うのだが、ホルンがたしか10本、トランペットが6本、トロンボーンが4本、ウィンドも4本ずつ。ヴァイオリン第1プルトは6列まで拡大。それにハンマーまでつく。

とにかく何から何まで肥大化している。

.

30年前ならこの曲を演奏すること自体がイベント化し、はたしてこのトンデモ曲、当時日本では演奏困難とさえ言われ、日本のオーケストラにやれといえば出来るレベルではあったのだが美観など先の先だった。

今はどこのオーケストラでも余裕を持ってできる。あっけないほどだ。

.

日フィルのホルンのトップは優秀だ。非常に安定感がある。

トランペットは、ああ、あすこでやばいね、と思ったところ、第1楽章提示部、ここはベートーヴェンのエロイカの葬送行進曲のフレーズの引用だと思うのだが、ここの最高音で案の定吹き間違いあり。ご丁寧に繰り返し主題でも同じまちがい。それ以外はだいたい許せる。

.

会場は大入り満員とはいかない。89割がた。

曲後の拍手も冷静というか冷たいというか本当に今昔物語だ。

.

沼尻の棒は好感の持てるものであり、棒がオーケストラの内面に食い込むような見事さだ。

というか、棒が途中から消えてしまい、手で振っている。空手もどき。

棒を持っている時から激しい動きだったので、棒が飛んでしまっても体全体が指揮棒のような動きとなっているため、むしろこの方がさまになっている。これからは棒いらない。

オケは優秀とは言えない。隠れた部分、派手に表に出ない部分が少し粗末でそろわない。トロンボーンの隠れたキザミ。ウィンドの激しい動き。いろいろと言い出したらきりがない。

.

ただ、沼尻の棒はおしなべてよく、音楽そのものはわりと粘着質でやわらかく響いていた。

激しい身ぶりのわりには音楽の流れが自然。たまに目をつむるとよくわかる。

聴衆はこのような演奏には反応してほしい。

今やルーチンワークと化したマーラーの6番であるが、演奏の困難さは昔と変わらない。

昔に比べて、プレイヤーの技術的な要素の部分が飛躍的に向上したため、その点では安心して楽しめる。

しかし、その先にあるもの。核心の表現。何をどう表現していかに伝えるか。この部分で秀でたものがなければ良い演奏とは言えない。

その点、沼尻は虚勢を捨て音楽の内面に鋭く光をあてようとしたいい演奏であったのだ。

おわり

.

人気blogランキングへ

Banner2_1 人気blogランキングへ