河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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331- 椿姫 藤原歌劇団 1991-2

2007-06-27 20:15:00 | 音楽

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1991年の2回目はオペラだった。

藤原歌劇団は前年に続き、成人の日(115)前後に椿姫の公演を行った。

成人の日になんで椿姫なのか。

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3回公演。

1991113()

1991114()

1991115(火・成人の日)

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1315日が国外組キャスト。

14日が国内組キャスト。

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それで、今のようにアメリカの真似をした祭日の移動がなかったころの当時の15(火・成人の日)の公演を観てみた。

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1991115(火・成人の日)3:00pm

オーチャードホール

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ヴェルディ作曲 椿姫

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演出/マリア・フランチェスカ・シチリアーニ

演出補/五十嵐喜芳

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ヴィオレッタ/ルチア・アリベルティ

アルフレード/サルヴァドーレ・フィジケッラ

ジェルモン/小嶋健二

フローラ/イリーナ・ロミシェフスカヤ

ガストン/持木弘

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藤原歌劇団合唱部

牧阿佐美バレエ団

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アントン・グアダーニョ指揮

東京フィル

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成人の日の椿姫であるが、当時のプログラムに五十嵐喜芳さんのご挨拶が載っており、こう書いてある。

『成人式にオペラ「椿姫」を見て青春の本番を迎えていただこうという藤原歌劇団恒例の公演です。 』

とある。なにやら意味深ですなぁ。

男向けのはなむけの言葉かなぁ。

個人的には、収束していく劇を年始のおめでたい季節にあまり観たくない、という心持ではあるのだが、五十嵐さんの言葉に報いるためには、是が非でも連れオペラとなるわけだ。

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この公演は今でも結構目に浮かぶ。

アリベルティは当時、比較的多く日本に来ており、似せカラスというか、しぐさがカラスと似ているとの評判もあり、なかなか人気がありました。

時折、顔を伏せて歌う姿などが、昔のマリア・カラス風であり、無いものを求めてはいけないとは思うのだが、どうしてもダブらせようとする意識が働く。

ただ、伏せたときと顔をあげて歌うときのそれぞれの声質がかなり異なることがある。均一性という部分でいま一つバランスを欠いていた。

高音はよく通る突き抜ける声質だ。

容姿は端麗で、第3幕の最後の、体が軽くなり、死んで生きる、あの表現は絶妙であった。

トラヴィアータとかボエームとか、何度観ても最後は、ポッケからハンカチを出したくなりますね。歌っている方も完全に役になりきっているし。

アリベルティにはそれなりに満足。

一方、男衆の方であるが、アルフレードよりも、国内組のジェルモン、ガストンが充実しており余裕の出来栄え。アリベルティを日本人が支える、なんとなくいい感じだ。

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ところでヴェルディぶし。

チャイコフスキーなどでも思うのだが、次から次へと流れ出てくる溢れ出てくるメロディーの数々。少し間引けばもう3曲ぐらいできそうな感じだ。それか、ブラームスに少し分けてあげてもいいかも。

トラヴィアータは、ヴェルディ特有のダッダッというごつごつした部分としなやかな部分が共存した素晴らしい曲だ。女声主役にはふさわしい響きの連続だ。

終幕。

不思議だ、ィエ ストラーノ

苦しくない、

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死んで生きる、

シックス・センスとダブる。

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