2007年の文化庁支援事業となるリゴレットを観た。
事業名がいかにもお役所らしく長い。
<平成19年度文化庁芸術創造活動重点支援事業>
≪舞台芸術共同制作公演≫
ということで一般企業であれば考えもつかないような長ったらしい名前の事業。
一か所ミステイクを指摘するとすれば、
平成19年ではなく、
平成十九年としたほうがより徹底度が増すというものだ。
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いわゆる、藤原歌劇団公演、である。
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4回公演5/25、5/26、5/27、6/3
主役クラスはダブルキャスト。
初日を観た。
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2007年5月25日(華金)18:30
東京文化会館
ヴェルディ作曲リゴレット
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リゴレット/アルベルト・ガザーレ
マントヴァ公爵/エマヌエーレ・ダグアンノ
ジルダ/高橋薫子
他略
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演出 ニコラ・ジョエル
再演演出 パトリック・ラッサル
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藤原歌劇団合唱部
リッカルド・フリッツァ指揮
東京フィル
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前奏曲に続いて大規模なバンダが裏で奏でられて体が弾んだりするが、それよりも、第3幕の幕が上がり間もなくマントヴァ公によって歌われる女心の歌は、あまりにも有名すぎてそこだけ聴くと陳腐な雰囲気がなくもないが、しかしひと通り歌い終えたところで、フル弦のユニゾンによる同一メロディーのリピートを、一階席前方で床を伝わってきた振動として体で感じる時、なにか本格的なシンフォニックなものを聴いているような錯覚に陥る。ヴェルディの音楽にはこのような魅力がほかのオペラにもいたるところにある。
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リゴレットは第1幕のストーリーが少し複雑で、これから出てくる話の前段をとりあえず全部だしてしまおうというようなところがある。
しかし、第2幕、第3幕のストーリーはいたってシンプルなので、終末の大悲劇に向かってわかりやすいが、全体のストーリーのバランスは少し悪い。
でも、このオペラは好きなオペラだ。音楽と劇の緊張感が素晴らしく、自然に引き込まれるものがある。拡散系のオペラとは大違い。
タイトルロールのガザーレはリゴレットが十八番(オハコ)だと思われる。音楽のフレーズ、メロディーラインを熟知した身のこなし、何よりも生き残ってしまった悲哀が体全身からでているのが良い。
第1幕は調子が出ず、少し外れ気味なところもあったが、ジルダの高橋薫子が整ったピッチでリゴレットを矯正していた。息が合ってて最初から好ましい。
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ジルダがピュアなのか、マントヴァ公がワルなのか。
ジルダは従順な娘なのか本当はリゴレットから独立したいのか、マントヴァ公はプレイボーイなのかある部分ピュアなのか。
なんだか、それぞれの性格の鏡の部屋にはいっているような感じだ。
もしかして、どちらも普通の人たちという雰囲気で、単にお互いの思い入れの度合い、深度が違っているだけのような気もする。
リゴレットの思いはいたってシンプルなものだと思うが、心の轍(わだち)のようなものがあり観ている方も心が痛む。
このオペラは人の心の内面をよくあらわしたものであり、音楽が見事に心のあやにからんでくる。
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マントヴァ公のダグアンノは声は細く最初は少し心配したが、リゴレット同様役になりきりうまく歌いきった。
ジルダ、ジルダ、とリゴレットに終始心配されるジルダであるが、高橋のジルダは劇的な部分で少し欠けるところがあるものの、ピッチの正確性が心地よい安定感を感じさせた。
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指揮のフリッツァは初めて見聴きする指揮者だ。
若いわりに頭に毛がない。立って振りっぱなしなので、ピットから上半身が出てしまい少し目ざわり。
棒で気になったのは、ヴェルディ特有の速いテンポのリズミックなフレーズを2拍子で振りかなりのスピードになってしまう。第1幕をはじめ合唱がついていけない箇所が散見されたが、乱れれば乱れるほどエキサイティングに振りまくるのでますます乱れる。これからは、整える棒を勉強した方が良い。現場ライブでテンポを整えることができるようになれば大指揮者になれるかもしれない。
ピットでは少し目ざわりだったが、最後のカーテンコールにでてきた姿は、かなりの長身でびっくりした。ピットから上半身があふれていただけだったのだ。
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演出 ニコラ・ジョエル
再演演出 パトリック・ラッサル
となっており、これがどのような意味なのかよくわからないが、リゴレット想定内の演出で特に可不可もない。横の動き、上下の動き、奥行き感、それぞれ特質をだしており、ほどよい暗さが悲劇にふさわしい。
おわり
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