書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

橋本萬太郎/鈴木孝夫/山田尚勇編著 『漢字民族の決断 漢字の将来に向けて』

2018年01月12日 | 人文科学
 編著者のひとり鈴木孝夫氏は「第1部第1章 文字と言語の問題について」において、日本語には同音類義語・異義語が多いだけでなく、同音衝突の原理に反して、同音語でも表記を変えることによって「微細な意味の違いを区別」し、「同音語が逆に意識的にどんどん作り出される」と指摘する。氏はその理由として、「日本人にとって言語というのは、音だけで情報が区別されるものではなく、字面(表記)も必要」であり、「見て初めて情報は完結するという仕組みになっている」からだと言う。そして、日本語とは「二つの違った、視覚と聴覚という二次元の交点に成立する言語」であり、「目という視角の次元を音声次元に加えるという例外的なテレビ型の言語」なのだと主張される(同章、13頁)。

 興味深いのでメモ。

(大修館書店 1987年6月)

『淵鑑類函』巻50 「帝王部 体仁」を読んで

2016年12月23日 | 東洋史
 「仁とは~である(する)ことである」「~である(する)ことが仁である」といった実例もしくは結果は、いやと言うほど列挙される。しかし「~が仁である」という本質もしくは原因(形相因)は、まったく示されない。橋本萬太郎先生の言葉を借りれば、いいかえは、いたるところにある」が、「『仁』という概念を定義していない」。橋本萬太郎「ことばと民族」(『民族の世界史 5「漢民族と中国社会」山川出版社1983/1所収)、同書138頁。

佐々木高明 『日本文化の多重構造』

2016年08月28日 | 地域研究
 「序論 アジア的視野から日本文化の成立を考える 第二章 東アジアにおける民族文化のダイナミズム――紀元前一〇〇〇年紀を中心とした文化変動―― 一 東アジアにおける言語類型とその変化」に、“統辞構造の変化”として、通時的には殷と周の言語の順行構造・逆行構造の差異および前者から後者への変化、共時的には東アジア地域におけるその南北で北の逆行構造から南の順行構造への言語分布のグラデーション状の変化が存在する事実について、橋本萬太郎説を借りて言及がなされている。また“越文化とその特色――エバーハルトの学説を中心に”では、エバーハルトの『中国史概説』が紹介され、彼の「八つの地方文化」論が取り上げられて いる。エバーハルトの説では、この八つのなかの一である越文化は、もともと焼畑農耕の山地民の瑶文化と水田耕作をのタイ文化とが混成することによって成立した混合文化だった(60頁)のであり、そしてその瑶文化は照葉樹林文化であるとして、エバーハルト説と佐々木論とが結びつくわけである。橋本説にせよエバーハルト説にせよ、却って本来の中国史・東洋史において昨今個人的にはあまり出会っていないので、懐かしい感じがした。

(小学館 1997年3月)

小林標 『ラテン語の世界』

2016年08月18日 | 西洋史
 このなかで、ラテン語に対するギリシア語の関係を指して、「傍層語」=すぐ近くにあって長時間影響を横から与える言語との位置付けがなされている(「Ⅳ 拡大するラテン語」99頁)。例えば日本語では以前は中国語で今は英語がそれに当たると。
 かつて橋本萬太郎氏は、傍層語という語は使わぬまでも、殷の言語と周の言語とをギリシア語―ラテン語の、いま述べた両者間の関係に擬えられた(諏訪哲郎編 『現代中国の構図』古今書院1987/5所収「民族と言語」65頁)。どうなのだろう。

(中央公論新社 2006年2月)

橋本萬太郎 「ことばと民族」

2015年07月16日 | 抜き書き
 橋本萬太郎編『民族の世界史 5「漢民族と中国社会」(山川出版社 1983年1月)、第Ⅱ章、同書111-158頁。

 このように漢民族の文語は、民族をむすぶ唯一の交信手段として、二千年近くにもわたて、みがきをかけられてきた。伝統的な文語についてだけいえば、それ自体でとざされ、簡潔した、純粋記号体系としてである。そのために、極度に簡潔さをとうとぶ、高度な文体ができあがった。〔略〕
 しかし、そのような交信手段として君臨してきたために、失われたことも、また、大きい。その最たるものは、複合社会において、文化の伝統をこえ、宗教のちがいをのりこえたところで、さまざまな民族に呼びかけ、訴えるという努力が、中国社会ではついになされたことがなかったことである。そういった努力のための文体を発達させるということが、ついになかったからである。
 (“漢文語の自閉性”本書137-138頁。太字は引用者、以下同じ)

 たとえば、だれでも知っている孔子の『論語』をみてみるとよい。「仁」という考え方は、孔子の思想の根幹をなしている。ところが、『論語』のどこをみても、孔子は「仁」という概念を定義していない (同、本書138頁)
 
 つまり内包を定義していないということ。

 いいかえは、いたるところにある。孔子は、相手の頭の程度にしたがって、仁とは、ひとに新説にすることですよ、親に孝行することですよ、正義をつくすことですよと解説〔原文傍点〕はしている。だが、それだけである。 (同、本書138頁)
 
 いいかえとは、外延ということだ。

 だからわれわれは、その個別的な事例から、仁とはこんなものかと想像するよりしかたない。〔略〕プラトンやアリストテレスとくらべると、なんと異なることであろう。 (同、本書138頁)

 文化の伝統、宗教の差異をこえた論理を追究しなかった漢民族の文語は、それでは、どのようにして成員間の相互理解をはかったかというと、それは徹底した文語断片の綴り合わせであった。 (“漢文語による交信法”本書139頁)

 たがいに習得しあっている共通の古典からの言いまわしを組み合わせて、相互理解に成功しそれを保つという漢民族の交信パターン 
 (同、本書142頁)

ウィキペディア「中国語」から

2014年12月26日 | 思考の断片
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

 諸方言は中国祖語をもとに、タイ諸語などの南方諸語やモンゴル語、満洲語など北のアルタイ諸語の発音、語彙、文法など特徴を取り込みながら分化したと考えられている。その特徴として、声調を持ち、孤立語で、@BlogJoseph 承前)単音節言語であることが挙げられる〔略〕が、現代北方語(普通話を含む)は元代以降、かなりの程度アルタイ化したため必ずしも孤立語的、単音節的ではない。 (「方言」条)

 この立場の代表的なものの一つが、主として字音の変遷からするものではあるが、藤堂明保『中国語音韻論』(光世館 1980年5月)である。例えばこんにち広東語において修飾語が被修飾語の後に来る現象を、唐・宋代以降、北方から漢人の入植が進んだ広東省地方において、漢語が同地方の原住民である壮族の言語の影響を受けた結果としている(同書151頁)。
 しかし橋本萬太郎氏になると見方が逆転し、いま挙げた広東語などは、もとは漢語の方言などではなく、壮族が漢語を習得する過程で自身の言語特有の発音や語彙表現を漢語に覆い被せたものということになる(橋本萬太郎編『民族の世界史』5「漢民族と中国社会」山川出版社 1983年12月、「第Ⅱ章 ことばと民族」、とくに144頁)。
 岡田英弘氏に至るとこの論点はさらに徹底し、漢語は「実は多くの言語の集合体であって、その上に(話者の言語とその発音によってどのようにも読める表意文字であるところの)漢字の使用が蔽いかぶさっているにすぎ」ず、さらにそのもとを辿ればピジン言語で、異なる言語話者間における「文字通信専用の」、完全な人工言語であるとする(同書「第Ⅰ章 東アジア大陸における民族」77-78頁)。これがいわゆる「雅言」であり、「(もとはタイ系であったと思われる)夏人の言語をベースにして、多くの言語、狄や戎のアルタイ系、チベット・ビルマ系の言語が影響して成立した古代都市の共通語、マーケット・ランゲージの特徴を残したものと考えられる」(78頁)。つまり漢語祖語などというものは存在しないという主張である。
 漢語音韻学では漢字の字音を上古音(中古音以前、『詩経』が中心)・中古音(南北朝時代後期~宋初まで)・近世音(宋~清代)・現代音と時代分けする。
 これらの劃期は、現代音を除きすべて、北方からの大規模な民族移動の時期と重なっている。
 この一致について、前出藤堂著ではとくに言及はない。氏の行き方はもっぱら漢語の音韻の時系列的また空間的な変遷を跡づけるものである。これに関して言葉をうらがえして言えば、「なぜ、そしてそう変化したのか」についての説明はあまりされないということでもある。一方の橋本・岡田説は、この「なぜ」「どう」に関する説明を積極的に行おうとするところに藤堂説と対照的であるといえよう。

 第一、周そのものが、西北からの侵入者であり (『民族の世界史』5「漢民族と中国社会」、橋本萬太郎/鈴木秀夫「序章 漢字文化圏の形成」同書32頁)

 この結果、夏人と同じく南方系であったらしく、従って修飾語が被修飾語の後に来ていた殷人の書記言語(甲骨文)は、周代になるとその位置が逆転(アルタイ化)する。「帝嚳」が「武王」となったように。

 帝嚳を、”帝であるところの嚳”である、と同格構造にみなしたがるのは、漢民族の言語の構造が「漢」代の言語の構文の原理によってすべて一貫していて、それ以外の民族の言語要素はいっさいみとめられないとするところの、『漢民族一枚岩史観』の偏見によるものであることは、もはや、多言を要さないであろう。 (橋本萬太郎「第Ⅱ章 ことばと民族」同書116-117頁)