恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

コロナ後のお寺

2020年06月10日 | 日記
「今度の疫病禍は、寺院にも影響は大きいだろうな?」

「大きい。おそらく、どこの寺でも葬式は参列者が少なく、規模は縮小だろう。法事はキャンセルや延期が続いているはずだ」

「じゃ、経済的にも大打撃だな」

「その辺は、もう他の経済活動も同じだろ。ぼくはむしろ、この打撃の意味を考えている」

「というのは?」

「『新しい生活様式』という言葉が出てきたろう。あれさ」

「それがどうしたんだ?」

「たとえば東日本大震災は、確かに未曽有の大災害だったし、多くの被災者の人生を大きく変えてしまっただろう。その苦難はまだ続いている」

「そのとおりだな」

「だが、直接の被災者でない人々にとっては、必ずしもそうではない。しばらくの間不自由は続いたが、結局日常生活はおおむね元に戻り、変わらず続いたな。そうでなかったら、『復興五輪』なんて能天気なことを臆面もなく言いだせなかったろう」

「ところが、今度の疫病禍は違う。日本社会と日本人のシステムと慣習を突然一変させてしまった」

「具体的に言うと?」

「『ソーシャルディスタンス』ってヤツさ。従来のシステムや習慣には、それらが要請し規定する人間関係の心理的・物理的距離がある。それを一変させてしまった。ということは、システムと習慣が激変する。見やすい道理だ」

「伝統教団の行う死者儀礼(葬式・法事など)は、信仰の問題ではあるが、むしろ習慣や慣例、あるいは習俗として伝承されてきた側面が強い。今回の疫病が許容する人間関係の距離感では、葬式規模は人数も内容も小さくならざるを得ない」

「それは、何も疫病の影響ばかりではなく、以前から人口減や高齢化の結果として論じられてきたじゃないか」

「そうだ。だから、疫病禍が最近の変化を一気に加速させたのだと言うほうがよいかもしれない。ただ、今回は規模だけの問題ではない。人の意識を変えた。人口減や高齢化の場合は、その結果として、やむなく、あるいは仕方なく、儀礼を縮小する、という意識になるのだろう。少なくとも建前は。しかし、今回は違う。感染リスクを回避するには、当然縮小すべきだ、となる」

「すると、君はこの傾向はコロナ後も残って、新しいスタンダードになると思うのか」

「縮小すべきだ、とまで思わなくても、縮小してもいいという意識は残るだろうな」

「その可能性は大きいかもしれない」

「これは一見、伝統的な死者儀礼にとってマイナスの影響だろうが、プラスと言える側面もある」

「何だ、それは?」

「疫病で高名なコメディアンが亡くなったよな」

「あれでみんな疫病の怖さを知ったようなもんだな」

「そう。だが、そればかりではない。彼の親族がその死に立ち会えず、遺体に寄り添うことも出来ず、哀惜する時間もなく、いきなり遺骨にされて戻されるという一連の成り行きを目の当たりにして、われわれはかなり大きな衝撃を受けたはずだ」

「残酷だという感想が、あちこちから聞こえたな」

「そう。つまり、大切な人の死別には、それなりのプロセス、すなわち『弔いの様式』が不可欠だと、実感する人が多かったのではないか」

「ということは、今まで通り、葬式法事は大事だと言いたいんだな」

「それだけだったら、こんな話を長々するわけないだろ。違う。規模の縮小が新しいスタンダードになるとして、その一方で『弔いの様式』も重要だと再認識されれば、そこに『新しい弔いの様式』が要請されるだろう」

「で、そこで問題なのは?」

「我々にとっては、その『新しい弔いの様式』に僧侶が必要とされるかどうかだ。コロナ以後は、もはや僧侶の存在は不可欠ではない。それが堂々と意識されるだろう。今後も死者儀礼に関わりたいと思うなら、僧侶はその弔いに必要とされるようにならなければならない」

「つまり、従来の儀礼が慣習や常識で通用するなら、そこに僧侶もセットで必要とされるが、そうでなければ、僧侶の参加も当たり前ではないことになる。それこそ弔いと宗教を切り離して考えることも一般化するかもしれない」

「そうだ。だからこそ、死者がまだ生きている間に、彼や彼の親族とどういう関係だったのか、彼らに信頼を得るだけの品格と資質が僧侶の方にあるのかが、重要になるのだ」

「つまり、儀礼を執行する以前の話になるんだな」

「そのとおり。今後はますます、そしてさらにはっきり、僧侶としての在り様が問われる。住職と檀家ではなく、僧侶と信者という関係性のなかで、『新しい弔いの様式』は形成される。つまりは、日ごろ僧侶が何を語り、どう振る舞うかによって、弔いに参加できるかが決まるようになるだろう」

「それは結局どういうことだ」

「かねての想定より早く、僧侶の淘汰が始まるということさ」

「寺院ではなく?」

「違う。次世代の伝統仏教教団の核心的問題は、建物ではなく、人だ。儀礼ではなく、言葉と行いだ」

「いや、考えてみれば、当たり前のことだな」

「そうだ。ただ、それを身に染みて考えるには、タイミングがあるというわけだ」

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