お寺に行ってご本尊を前にして、どうしていいかわからないというあなたのお話を、とても興味深く、また共感してうかがいました。
お説教を聞きたくてお寺に行ったり、坐禅を習いに住職を訪ねなどした折に、「まずは、ご本尊にお参りを」と言われても、自分はその本尊とどう向き合ったらよいかわからない。それが本当のお釈迦様や観音様に思えるわけでもなく、芸術として感動するほど仏像彫刻に興味もない。そもそもただの木の塊を「拝む」気持ちがわからないと、あなたのお話はまことに正直でした。
実を言えば、私もまったく同じだったのです。出家して修行道場に入門してから、私はあちこちに信仰と礼拝の対象として祀られる仏菩薩を、本当にお釈迦様や道元禅師と思っていたわけでもなく、礼拝のたびに信仰の念(私は今もそれがどういうものかわかりません)を新たにしていたわけでもありません。ただ道場の儀礼と修行の規範に従い、ルーティンワークとして繰り返していただけです。考えてみれば、僧侶として不誠実極まる態度として非難されて当然かもしれません。
ただ、私は、修行生活の中に経験した二つの出来事をきっかけとして、それでもよいのだと思うようになりました。
一つは、修行僧3年目で道元禅師の御廟所の係になった時です。ここは「道元禅師様が生きておわすがごとく仕える」というポリシーを驚くべき意志と労力で徹底している場所でした。「ただの木の塊」に対して、午前1時半に起床し、冬場は氷点をはるかに下回り、足袋を二足重ねばきしても指が霜焼けになりかねない板敷きの堂内に入り、朝の挨拶から洗面、抹茶の献呈から朝食膳の奉献、その合間に特殊な読経を繰り返すという、ほとんどオカルトチックな修行だったのです(4日に一度のお身拭い、つまり入浴儀礼も大変だった)。
あまりの徹底に呆れて、ある日私は、この御廟所の長を10年以上務める老師に、ついに訊いてしまいました。
「ちょっとやりすぎではないですか?」
そういうと老師は、皺だらけの顔でニヤッと笑いました。
「あんたさんがそう思うのは、まだ世間の物差しを使っているからや」
「はあ・・・」
「世間では、これだけ努力したら、これだけの報酬、そうなっている。そのバランスが悪いと『やりすぎ』と言う。だが、それは取引の話、世間の話や」
「はい」
「ここは違う。修行は取引ではない。誰がただの木の塊にあんなことをする。そうではない。あんたさんが作法通りにお供えをする時、あの木の塊は道元禅師になる。礼拝するとき道元禅師があんたさんの前に立つのや」
そして老師は静かながら断固とした声で言いました。
「我々の修行が道元禅師の命や。ここに修行が続く限り、道元禅師はおられる。それをどういう人間が行うかなどどうでもよろしい。修行こそが命や」
そうか、なるほどなあ。そのとき私は確かに思いました。しかし、思っただけです。老師の言う「命」の実感はありませんでした。
さらに7年後、ルーティンを繰り返してほぼ10年。「ダースベイダー全盛期」の頃です。五月の終わり、道元禅師の月命日(29日)の法要が御廟所でありました。
まだ若葉が輝くよく晴れた日、薄暗い堂内には、淡いけれども冴えた陽の光が木々の葉を透かして、何本も差し込んでいました。法要係が鳴らす鐘の合図で、修行僧が一斉に礼拝にかかります。私も正面に身を転じ、礼拝しようと合掌したまさにそのとき、突如それこそ光が差し込むように、ある感慨が胸を打ちました。
「ああ、よかったな。本当によかった」
何がよかったのか。私は、「ああ、この世にブッダと道元禅師がいてくれてよかった。お蔭でなんとか生きられた」、そうつくづくと思ったのです。中学のとき「諸行無常」という言葉に出会ったときの衝撃がまさまざと蘇りました。
あのときの礼拝は、掛け値なしの礼拝でした。私は元も子もなく頭が下がり、「敬慕」という言葉を実感する経験でした。
ただし、この経験はこの時一回限りです。その後今まで、一度も同じ感情を味わったことはありません。いま私が法要や儀礼で行う礼拝は、作法に従うルーティンです。
私は今、それでよいのだと思っています。個人の感情など、仏教にとってはどうでもよいことです。儀礼や作法がブッダへの敬意を表すなら、個人に敬意があろうとなかろうと、そんなことは問題ではありません。敬意があろうとなかろうと、まさにそれを徹底的に繰り返すことがもっと大事なのです。また、その繰り返しが、いつか個人に心からの「敬意」をもたらすことがあるかもしれません。
あなたがお寺で「本尊にお参りを」と言われたら、言われるままに手を合わせて礼拝すればよいでしょう。あなたの「感情」は棚上げでかまいません。あなたのその「行為」が、ブッダの命脈をつなぐのです。
お説教を聞きたくてお寺に行ったり、坐禅を習いに住職を訪ねなどした折に、「まずは、ご本尊にお参りを」と言われても、自分はその本尊とどう向き合ったらよいかわからない。それが本当のお釈迦様や観音様に思えるわけでもなく、芸術として感動するほど仏像彫刻に興味もない。そもそもただの木の塊を「拝む」気持ちがわからないと、あなたのお話はまことに正直でした。
実を言えば、私もまったく同じだったのです。出家して修行道場に入門してから、私はあちこちに信仰と礼拝の対象として祀られる仏菩薩を、本当にお釈迦様や道元禅師と思っていたわけでもなく、礼拝のたびに信仰の念(私は今もそれがどういうものかわかりません)を新たにしていたわけでもありません。ただ道場の儀礼と修行の規範に従い、ルーティンワークとして繰り返していただけです。考えてみれば、僧侶として不誠実極まる態度として非難されて当然かもしれません。
ただ、私は、修行生活の中に経験した二つの出来事をきっかけとして、それでもよいのだと思うようになりました。
一つは、修行僧3年目で道元禅師の御廟所の係になった時です。ここは「道元禅師様が生きておわすがごとく仕える」というポリシーを驚くべき意志と労力で徹底している場所でした。「ただの木の塊」に対して、午前1時半に起床し、冬場は氷点をはるかに下回り、足袋を二足重ねばきしても指が霜焼けになりかねない板敷きの堂内に入り、朝の挨拶から洗面、抹茶の献呈から朝食膳の奉献、その合間に特殊な読経を繰り返すという、ほとんどオカルトチックな修行だったのです(4日に一度のお身拭い、つまり入浴儀礼も大変だった)。
あまりの徹底に呆れて、ある日私は、この御廟所の長を10年以上務める老師に、ついに訊いてしまいました。
「ちょっとやりすぎではないですか?」
そういうと老師は、皺だらけの顔でニヤッと笑いました。
「あんたさんがそう思うのは、まだ世間の物差しを使っているからや」
「はあ・・・」
「世間では、これだけ努力したら、これだけの報酬、そうなっている。そのバランスが悪いと『やりすぎ』と言う。だが、それは取引の話、世間の話や」
「はい」
「ここは違う。修行は取引ではない。誰がただの木の塊にあんなことをする。そうではない。あんたさんが作法通りにお供えをする時、あの木の塊は道元禅師になる。礼拝するとき道元禅師があんたさんの前に立つのや」
そして老師は静かながら断固とした声で言いました。
「我々の修行が道元禅師の命や。ここに修行が続く限り、道元禅師はおられる。それをどういう人間が行うかなどどうでもよろしい。修行こそが命や」
そうか、なるほどなあ。そのとき私は確かに思いました。しかし、思っただけです。老師の言う「命」の実感はありませんでした。
さらに7年後、ルーティンを繰り返してほぼ10年。「ダースベイダー全盛期」の頃です。五月の終わり、道元禅師の月命日(29日)の法要が御廟所でありました。
まだ若葉が輝くよく晴れた日、薄暗い堂内には、淡いけれども冴えた陽の光が木々の葉を透かして、何本も差し込んでいました。法要係が鳴らす鐘の合図で、修行僧が一斉に礼拝にかかります。私も正面に身を転じ、礼拝しようと合掌したまさにそのとき、突如それこそ光が差し込むように、ある感慨が胸を打ちました。
「ああ、よかったな。本当によかった」
何がよかったのか。私は、「ああ、この世にブッダと道元禅師がいてくれてよかった。お蔭でなんとか生きられた」、そうつくづくと思ったのです。中学のとき「諸行無常」という言葉に出会ったときの衝撃がまさまざと蘇りました。
あのときの礼拝は、掛け値なしの礼拝でした。私は元も子もなく頭が下がり、「敬慕」という言葉を実感する経験でした。
ただし、この経験はこの時一回限りです。その後今まで、一度も同じ感情を味わったことはありません。いま私が法要や儀礼で行う礼拝は、作法に従うルーティンです。
私は今、それでよいのだと思っています。個人の感情など、仏教にとってはどうでもよいことです。儀礼や作法がブッダへの敬意を表すなら、個人に敬意があろうとなかろうと、そんなことは問題ではありません。敬意があろうとなかろうと、まさにそれを徹底的に繰り返すことがもっと大事なのです。また、その繰り返しが、いつか個人に心からの「敬意」をもたらすことがあるかもしれません。
あなたがお寺で「本尊にお参りを」と言われたら、言われるままに手を合わせて礼拝すればよいでしょう。あなたの「感情」は棚上げでかまいません。あなたのその「行為」が、ブッダの命脈をつなぐのです。
自己中丸出しのいやらしい言葉を知人に浴びせかける人がいましたが、
「それで、かまわない」んですね。
それでもなんとか仏教の命脈がつながるし・・・
この世には無い。
私としては~~だ、でも一向構わない・・・
何のために、というのは、自我への執着。仏教は、その執着を捨てる道。その執着を捨てる手法として、分からないけど、疑問に思うけど、他者が決めたことに自分を嵌め込む、というのは有効だと思います。
ただ、それを悪用される恐れがあるのが宗教の厄介なところですね。
事前に理性的に判断する、ということが必要になりますよね。永平寺の場合は、もちろん大丈夫でしょうけど。
>「ここは違う。修行は取引ではない。誰がただの木の塊にあんなことをする。そうではない。あんたさんが作法通りにお供えをする時、あの木の塊は道元禅師になる。礼拝するとき道元禅師があんたさんの前に立つのや」
>「我々の修行が道元禅師の命や。ここに修行が続く限り、道元禅師はおられる。それをどういう人間が行うかなどどうでもよろしい。修行こそが命や」
宮崎奕保禅師を連想しました。
法を見る者は、私(釈迦)を見る、という経典の言葉も。
いい話ですね。これですね。
私にとっては、初期経典に出会った時がそれでした。世間的に成功できなくても何も問題無いのだと、気持ちを楽にさせてくれました。そして、現代においても、そんなことを実践している人がいる、ということも。
過去に、道元禅師のような人がおられた、ということも、私の気持ちを楽にさせてくれます。
「イワシの頭も信心から」とどう違う??
帰属意識の育成??
たぶん、それが一瞬の出来事だったとしても、そのあとずっとおしょうさんはぶれないでいられるのではないかと思いました。
良いお話、ありがとうございました。
心が安定するってこと??