異例ではありますが、書いておきます。
本日午後、日韓両国の外相が、いわゆる「従軍慰安婦」問題について、日本政府が当時の旧日本軍の関与を認めた上で「責任を痛感する」と言明して、「最終的かつ不可逆的に」解決されたと表明しました。私は大変結構な結論に至ったと思います(もちろん、今後の成り行きは予断を許しませんが)。
特に、しばしばナショナリスティックな言動が目立つ安倍政権において、政府が「責任」に言及して妥結したことは、それなりの「英断」ではないでしょうか(アメリカの圧力があったとしても、です)。
私は現政権の政策には納得しかねるところが多々あるものですが、今回の件は、両国首脳と交渉担当者の努力を慶賀したいと思います。
私事ながら、修行僧時代、私は道場における各国の仏教者との国際交流を10年以上担当していました。その中でも中国と韓国との交流は極めて比重が高く(まあ、当然なのですが)、国際会議や相互訪問などによって「友好親善」関係を結ぶことは、重要な仕事でした。
当時、日中韓の仏教指導者層はほとんどが戦争経験世代でした。したがって、交流の現場に居合わせると、もちろん「友好親善」が前面に出るのですが、中国・韓国の個々の僧侶に接したとき、時として過去にたいする「わだかまり」とでも言うべきものが、影が差すように現れることがありました。
私はその後も折に触れ、一番近い隣国との交流を妨げる「歴史認識」問題に注意を払ってきました。ここで「共通認識」が得られないと、「友好親善」の核心部分に空洞が生じると考えたからです。
「歴史」に限らず物事は、それが起こった直後から、もう「客観的事実」それ自体などありません。あるのは「事実」として共有される認識なのです。とすれば、何事につけても、「事実」を問題にするなら、当事者が「認識」において「共有」を形成するしかありません。どれほど困難でも、そうする以外にないのです。
今回の「解決」は、国際関係における対立する困難な問題について、「共通認識」の形成を遂げた例として、喜ばしいと思っています。
仄聞するに、「従軍慰安婦」問題は韓国のみに限ったことではありません。今後政府が韓国以外の国々にも同様の取り組みを広げていくなら、それは結果的に、「戦時性暴力」を批判する国際的運動に、日本が「名誉ある地位」を占める足掛かりになることでしょう。これぞ「国益」であり「国家の品格」を実現するものではないでしょうか。
日本と中国・韓国の間には、「歴史問題」で懸案がまだまだ多くあります。私は今回の「解決」を第一歩として、さらに問題解決が続いていくことを願ってやみません。
暗いニュースの多かった一年の暮れに、コップ21パリ会議の協定合意に並んで、よいニュースを聞けたと思っています。
本日午後、日韓両国の外相が、いわゆる「従軍慰安婦」問題について、日本政府が当時の旧日本軍の関与を認めた上で「責任を痛感する」と言明して、「最終的かつ不可逆的に」解決されたと表明しました。私は大変結構な結論に至ったと思います(もちろん、今後の成り行きは予断を許しませんが)。
特に、しばしばナショナリスティックな言動が目立つ安倍政権において、政府が「責任」に言及して妥結したことは、それなりの「英断」ではないでしょうか(アメリカの圧力があったとしても、です)。
私は現政権の政策には納得しかねるところが多々あるものですが、今回の件は、両国首脳と交渉担当者の努力を慶賀したいと思います。
私事ながら、修行僧時代、私は道場における各国の仏教者との国際交流を10年以上担当していました。その中でも中国と韓国との交流は極めて比重が高く(まあ、当然なのですが)、国際会議や相互訪問などによって「友好親善」関係を結ぶことは、重要な仕事でした。
当時、日中韓の仏教指導者層はほとんどが戦争経験世代でした。したがって、交流の現場に居合わせると、もちろん「友好親善」が前面に出るのですが、中国・韓国の個々の僧侶に接したとき、時として過去にたいする「わだかまり」とでも言うべきものが、影が差すように現れることがありました。
私はその後も折に触れ、一番近い隣国との交流を妨げる「歴史認識」問題に注意を払ってきました。ここで「共通認識」が得られないと、「友好親善」の核心部分に空洞が生じると考えたからです。
「歴史」に限らず物事は、それが起こった直後から、もう「客観的事実」それ自体などありません。あるのは「事実」として共有される認識なのです。とすれば、何事につけても、「事実」を問題にするなら、当事者が「認識」において「共有」を形成するしかありません。どれほど困難でも、そうする以外にないのです。
今回の「解決」は、国際関係における対立する困難な問題について、「共通認識」の形成を遂げた例として、喜ばしいと思っています。
仄聞するに、「従軍慰安婦」問題は韓国のみに限ったことではありません。今後政府が韓国以外の国々にも同様の取り組みを広げていくなら、それは結果的に、「戦時性暴力」を批判する国際的運動に、日本が「名誉ある地位」を占める足掛かりになることでしょう。これぞ「国益」であり「国家の品格」を実現するものではないでしょうか。
日本と中国・韓国の間には、「歴史問題」で懸案がまだまだ多くあります。私は今回の「解決」を第一歩として、さらに問題解決が続いていくことを願ってやみません。
暗いニュースの多かった一年の暮れに、コップ21パリ会議の協定合意に並んで、よいニュースを聞けたと思っています。
首相や閣僚が靖国神社に参拝することは無いようにして欲しい。参拝するならA級戦犯は
分祀すべき。日本を美化したい気持ちは解らなくはないが、軍国主義を招くに至った過程
を歴史的史実として、教育にちゃんと反映して欲しい。国民は騙されたではすまない。加担したのは間違いなく事実なのだから。
世界が大きく変わりつつある、今。はっきり言って奇跡的な位平和だった日本も、この先どのように変わるのか分かりません。他国は、日本人のような感覚を持っているわけでは無いのです。日本ほど、長い文化を継続的に保つ国は今となっては一つも存在していないのだから、感覚が違っていても当然ですが。
経済のものさし一本でグローバルに図る世界の形成が進んでいます。この先どのような世界になろうと、釈尊や道元禅師のように、争いを避け、尊いものの本質を残すことが出来る強さを保ちたい、と願ってやみません。
ただ気になる点が二つほど。
1.いわゆる「従軍慰安婦」問題というのは、日韓のわだかまり・いがみあいの原因というよりかは症状ではないかと考えています。問題の根底にあるのは、日本人と韓国人という不安で不安でしょうがない二つの民族の国家アイデンティティーへの欲望であるように思えます。もちろん、二国間の個々の懸案は解決していかねばなりません。元慰安婦の方の様に、韓国に辛い思いをされた方がいるという現実に対しては、日本は誠意をもって対応をすべきです。しかしアイデンティティーへの欲望が原因ならば、根本的解決は難しく、今後も火の種はくすぶり続け、時おり何らかの形で頭をもたげるのではないかと思います。問題が生じる度に冷静に対処し、大きな火事にしないようにする心がけが必要だと思います。
2.下衆の勘繰りと言われるかもしれませんが、安倍政権の悲願が憲法改正にあるならば、それに絶対必要な条件は米国の合意です。それにはまず、欧米のマスコミにも定着した安倍政権のタカ派的なイメージを和らげる必要があります。そう言った観点からすれば、この政権は着々と戦略的に手を打っていると言えます。思惑どおりに物事が動くとは思えませんが。
誤りを認め、その在り方を継続的に示す事によってのみ、お相手の気持ち、心にも余裕を生んだように想う。
安らかな心に落ち着いていく、ように想う。
ポイントは、継続なのだ。
許して貰おう、などという目的や意図が先では駄目なのだ。
それでは、通じないのだ。
そんな、あさましい、卑しい心の在り方では、ない。
私は、関係ありません、ではない。
金を払ったから、よいではないかと言う問題では、ない。
言葉だけでは、ない。
意味は、継続する態度でしか支えられないように想う。
我が家の両国は、来年、共に温泉旅行にいくという事態になった。
間に挟まれた私は共に謝罪を継続してきて、本当に良かった!と心から安堵した次第です。
そして、これからも共に謝罪は継続していく。
中国の戦争経験世代。
国民党の方達の事ですか?
共産党は戦争当事者では無いと
毛沢東が言っていますが、
どうでしょう?
では、何故、我が国は無謀な戦争へ
突入したのでしょうか?
ここら辺の議論を抜きにして、
偏向的な歴史観を語る。
あっ、「表現の自由」ですね。
国家権力が。